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    沁月🍙

    @rsb_acadine

    20↑。mhr:sbウハ♀やrmrkなど。
    X(Twitter)に投げたもの置場。
    TLの時系列等無関係に気まぐれに投稿。
    ウハ♀多め。R18文字創作はここのみ。

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    沁月🍙

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    節分ウハ♀。

    燃えるような斜陽に照らされたカムラの里の茜空に、無数の流れ星の如く福豆が飛び交っている。

    「鬼はーー外っ! 福はーー内ーーっ!」
    「鬼は外ーー!」

    白い息と共に天高く燃え上がるような、鬨の声。
    節分という今日のために、里の教官ウツシが用意した鬼の面やおかめの面を着けた里の人間と観光客、老若男女問わず様々な人々がたたら場前広場に溢れていた。
    皆一様に片手にころりとした福豆で満ちた白茶色の小さな升を持ち、空に、里の人間扮する黒衣の鬼役に向けて福豆を投げている。
    里の英雄『猛き炎』と呼ばれし娘も、頭におかめの面を着けて升を片手に、そんな人々の中に混じっていた。今日は狩猟ではなく、里の行事で季節を感じようと考えていたから。けれど彼女はまだ一度も投げていない。人々の姿を見ているだけで満たされつつあった。

    「おにはー! そとーっ!」
    「ぐわおおぉっ! やーらーれーたぁーっ!」

    やられ声に聞き覚えしかない娘が、既に表情に綻ばせて声のした方に顔を向ける。
    広場の片隅に、鬼におかめにモンスターとそれぞれ好きなお面を着けた子どもたちに囲まれた青鬼の面を着けたウツシ。面を着けているが、彼だけは他の鬼役と異なって身に纏う装備品が彼だけはいつものままなので彼女にはすぐに分かった。
    子どもならではの無慈悲な力で福豆をぶつけられながら逃げて行く彼の様子はとても無邪気且つ楽しげで、大袈裟に体を動かしながら翔蟲でたたら場の屋根上へ軽やかに飛び上がって行く。
    それを見た娘も同じ場所を目指して翔蟲を放ち、大地を蹴って宙を舞った。

    「ウツシ教官! お疲れ様です」
    「やあ! 楽しんでいるかい、愛弟子!」

    慣れた手つきで赤鬼面を外したウツシは口元を帷子で覆っているにも関わらず、湯気のような白息を吐きながら娘に軽く手を振って、寒さも疲労も感じさせず目尻を下げて微笑む。彼の笑顔につられるように、娘も口角を綻ばせた。

    「鬼役、子どもたちに大人気ですけど大変そうですね?」
    「ハッハッハ、そんなことないさ。まあ、 装備品を着けてお面までしてるのに豆が痛いことがあるけどね……! 」

    眉を下げて苦笑しながら、ウツシが片手で労るように自らの目元を撫でていく。

    「本当にたまになんだけど……お面の隙間から的確に目に当たったりするんだよ……」
    「それは……凄い狙いですね? ふふふ、見どころのある子たち」
    「ハハハ、それは間違いないね!」

    悪戯っぽく笑い合った娘とウツシの耳には変わらず、広場から立ち昇るような「鬼は外!」「福は内!」の声が響いて。
    季節と共に、今や災禍に見舞われ続けていた里とは思えない安寧を感じながら、二人は同時にたたら場の屋根上から広場を見下ろした。
    里を一望できる、里で最も高い場所。今は空山の彼方へ沈まんとする炎のような夕陽が視界を焼き尽くすように眩しく、福豆を投げる人々が皆、輝いて見えた。

    「ねえ愛弟子。素晴らしいことだと思わない?」
    「え? 何が、ですか?」
    「こうして皆で、季節の行事を楽しめるようになったことさ。少し前までは考えられなかったからね」

    穏やかに目を細め、ウツシがゆったりと隣に立つ娘の横顔を改めて見つめる。夕陽を湛える金色の瞳に揺れるのは感謝と同等の誇り。

    「これも全て、キミのおかげだね。本当にありがとう、我が愛弟子……『猛き炎』よ」
    「そ、れは……こちらこそ……!」

    清純な感謝を真っ直ぐ告げてくるウツシの方に、娘はぽつりと言葉を返すのがやっとだった。顔を上げられない彼女の頬は夕陽のせいか寒さのせいか、それとも照れか、耳まで赤く染まっている。
    そんな彼女があまりにも愛くるしくて、愛おしくて。次第にウツシの眼差し艶やかに煌めき、口から「フフ」と吐息が盛れた。

    「……ねえ、愛弟子。せっかく、二人きりになれたね?」
    「え?」
    「恋人になって、初めての節分だし……」
    「!」

    恋人。確かにその通りだが、こんな場所で突然何を言い出すのかと娘がウツシの方へ顔を上げようとした刹那、その動きはぴたりと止まる。

    「……ん? 愛弟子?」

    少々不満げに、そして不思議そうにウツシが呼びかけると、娘は視線の向きを固定したまま「教官」とひどく低声で呟いた。察した彼は同じ方向を確認し、彼女と同じものを見て瞬時に眉を顰める。

    里の門へ続き存在感を放つ、朱色の太鼓橋付近の路地裏。薄暗く狭い場所に小さな影が合計三つ、蠢いていた。大きさから三人とも子どものようだがその気配は不穏で、明らかに二つの人影が一つの人影を囲い込んで追い詰めている。

    「あれは……何をしているんだ……!?」

    怪訝にウツシが呟くよりも素早く、娘の体は弾丸のように翔蟲と共に飛び出して行った。彼女の耳には師が自分を呼ぶ声が聞こえたものの、その声に動きを止めるほどの力はない。屋根上の彼女の立っていた場所には、彼女が片手に持っていた升だけが残された。

    夕陽の光があっても薄暗い路地裏。そこには青鬼の面をしっかりと顔に着け、羽根のようにふわふわとした白の帽子とお揃いの外套を羽織った子どもが、豆の少ない升を片手におかめの面を頭に着けた二人の少年にすっかり奥まで追い詰められていた。 全員、里の子ではない。

    「おまえ! 何でさっきから全然しゃべらないんだよ!」
    「変なカッコウしやがって! おまえ、ホンモノの鬼だろ!? 」

    怒声と言うより罵声に近いものを浴びせられながら、おかめの面を頭に着けた二人の少年に詰め寄られる青鬼面の子は彼らの方を向いて家屋の壁と闇を背に俯き、表情も見えず何も答えない。

    「おいっ! なんか言ってみろよっ!」
    「言い返さないってことは、やっぱりホンモノの鬼だっ!」

    おかめの面を着けた二人の少年が、自身の持っていた升から躊躇いなく豆を掴み取る。そんな光景を前にしても、青鬼面の子は何もせず、何も答えなかった。一瞬だけ二人の少年の方に機敏に顔を向けたので何か言いたそうにしていた様子はあるが、それは大人であってもよく観察しなければ分からない微かな主張。
    それに気付けるわけもない二人の少年は、豆を握った手を無情に振り上げた。

    「きもちわるいやつ! やっちまえっ!」
    「鬼は外ッ!」

    青鬼面の子が、びくんと体を震わせる。無抵抗の子へ向けて弾丸の勢いで投げつけられた豆。だが、それが彼に当たることはなかった。

    「やめなさいっ!」

    鋭い声と共に上空から『猛き炎』たる娘が勢い良く降り立つ。彼女は青鬼面の子を咄嗟に抱きしめ、その背で彼の代わりに弾を受けた。ウツシが言うように豆も全力で投げられれば痛いものだと実感しつつ、彼女は腕の中の、ふわふわの白い帽子と外套がほんの少しだけくすぐったい青鬼面の子へ柔らかに微笑みかける。

    「大丈夫? どこか痛くしてない?」
    「…………」

    やはり表情の見えない青鬼面の子だが、憂う娘の温かな澄声とその笑顔は見えているのか、ゆっくりと、ぎこちなく頷いた。
    良かった、と娘がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。

    「おいっ! なんでジャマすんだよ!」
    「おまえも鬼の仲間か!」
    「ま、待ちなさい、この子が何をしたの? 何もしていないでしょう!?」

    青鬼面の子を腕の中に収めたまま、娘が二人の少年の顔を見やる。その瞬間、彼女の背にぞわりと冷たいものが走った。子どもとは思ぬどろりとした黒い憎悪、共存を突き放す嫌悪感。

    「何もしゃべらないし、変なカッコウだし! 気持ちわりぃんだよ!ソイツ!」
    「ずーっと広場をウロウロしてたし! そういう変なのがいると、楽しいキブンが台無しだろ!」
    「ほ、本気で……言ってるの……!?」

    愕然と震え声で尋ねる娘に、二人の少年は迷い無く「当たり前だ」とでも言いたげに頷いた。彼らは再び升の中に小さな手を突っ込んで豆を握りしめる。

    「どかないなら、おまえも鬼のナカマだ!」「ジャマすんな! まとめて追い払ってやるっ!」
    「く……!」

    娘が唇を噛み締め、眉間に皺を寄せて苦しげに表情を歪めた。反撃することは容易い。実に容易いが相手は子ども。ならば撤退をと考えたものの、自分一人ならまだしも、腕の中の青鬼面の子を抱えたまま翔蟲で飛び上がるには狭い路地裏、屋根が邪魔だった。
    ならば、残された選択は一つ。

    「!」

    びくん、と再び青鬼面の子が驚いたように体を震わせる。娘が再び自分の体を盾として、先ほどよりも少々強く彼を抱きしめたからだった。

    「大丈夫だよ、私がついてるから。キミは何も悪くないよ」

    娘の囁き声は状況にそぐわずとても落ち着いていて、漣のように穏やかな声音だった。やはり何も答えない青鬼面の子だが、面の向きを見れば彼女をじっと見つめている。
    背中からまた弾丸を浴びることを覚悟し、娘は静かに瞼を下ろした。二人の少年の目は本気で、排除の欲求が満たされない限り彼らはこの青鬼面の子を打ちのめすことを止めないだろうと確信している。長い忍耐になるだろうと考え、背中で空気が震えたことを感じて覚悟を決めた刹那。

    「……あっ……!?」

    少年の驚声と共に、ぱらぱらぱらと豆が地面に散らばっていく乾いた音。同時に娘も、自分の背中に大きな壁のような熱を感じた。この熱を、この気配を、彼女が察しないはずもなく。
    目を開いて振り返れば、そこには見慣れた大きな背中。今日だけは主役になれず腰で揺れるジンオウガ面はどこか愛らしくさえ見える。

    「ウツシ教官っ……!」

    追って来てくれると確信していた娘だが、やはり実際に彼が目の前に居るという安心感は凄まじい。
    彼女は名を呼びかけたが、ウツシは振り返らず二人の少年の方を向いたままだった。彼は娘と彼女が抱きしめる青鬼面の子を襲った豆の弾丸に正面から盾となったようだ。

    「お、おまえ、見たことあるぞ……!? こ、この里の人だろ……!?」
    「なんで、この里の人が、鬼のミカタなんかするんだよっ…!?」

    先ほどの威勢はどこへやら、二人の少年が籠り声で呟き動揺しながら一歩だけ後退すると、彼らの頭に着いていたおかめの面がずれ動いた。
    二人の少年の問いに、ウツシは場違いなほど穏やかに目を細めて微笑んで見せる。

    「はてさて。今、ここに居る鬼は……人の目には見えないものだね」

    娘の視線を背で感じながら静かに告げたウツシの言葉に、二人の少年が目を丸くする。彼らは嘲るように鼻を鳴らした。

    「は、はあ……!? 鬼は、そこだろ……!?」
    「何言ってんだ、おまえ……!」
    「……鬼とは、人の心に巣食うものということさ」

    ウツシの目元から、笑顔が消える。彼は雄々しく堂々とその場から動かぬまま、凛と真っ直ぐ二人の少年を見つめた。

    「無害な相手に心無い言葉をぶつけ、力をぶつけ、強引に排除しようとすること。それは果たして鬼かな、福かな? よぉーく、考えてごらん」
    「……ッ… …!?」

    鼓膜どころか心臓まで震えそうな貫禄に溢れたウツシの低声に驚いたのか、二人の少年は息を飲んで顔を見合わせる。
    そんな彼らに向けて、ウツシは目を三日月に細めた笑顔で両手を広げると、一歩、さくりと地面を鳴らして進み出た。

    「考えて、それでもぶつけようと言うのならそれも構わない。だが、俺にぶつけなさい! 言っておくけど……俺、この里の教官だから強いよ。ちょっとやそっとじゃ、追い払えないぞ!」

    教官、の言葉の意味はさすがに分かったらしい。二人の少年は分が悪いことを判断したのか「チッ!」と舌打ちをした後に踵を返し、二人で一緒に走り去って行った。

    「……やれやれ。悲しいね……俺の言葉を分かってくれる日が来れば良いけれど」

    ふう、と深くため息をつきながら二人の少年を見送った後、ウツシは軽やかに娘と彼女が抱きしめる青鬼面の子の方に振り返った。

    「二人とも、大丈夫? 異様な空間で怖かっただろう、怪我はないかい?」
    「大丈夫です、ありがとうございます」

    答えながら娘は内心、ほっと息をついていた。子どもの目にも分かりやすい強者であるウツシが来てくれたことによって状況が変化し、自分たちは助かった。
    彼に守ってもらったのだと痛感しながら腕の抱擁を解いた娘は、中に収めていた青鬼面の子と面を基準に目線の高さを合わせてしゃがみ覗き込む。

    「もう大丈夫だよ。怖かったね、ごめんね」

    里の子の仕業でないとは言え、せっかく里に来てくれたのに怖い思いをさせてしまった。
    そんな気持ちから飛び出た娘の謝罪にも、青鬼面の子は何も答えない。無言のままで分かりづらいが先ほどよりは怯えた様子もなく、大分落ち着きを取り戻したようだ。

    「ねえ、お父さんとかお母さんは? もし迷子になっちゃったなら私、一緒に探すよ?」

    ねえ、と娘が青鬼面の子の手に触れようとした刹那。
    今までで最も驚いたように体を震わせた青鬼面の子は、彼女の手をぱしん、と音を立てて払い除けてしまう。

    「冷たっ……!? 手、何でこんなに……!?」

    思わず、娘が声を漏らした。ウツシは一瞬眉を顰めるも、立ったまま何も言わずに様子を見守り続けている。
    初めて大きな反応を見せた青鬼面の子に手を払い除けられたことなど娘は全く気にしていない様子で、そんな彼女の目線は真っ直ぐその子の手に向けられた。

    「さ、寒かったんだね!? ね、ねえ、良かったらこれ使ってっ……!」

    慌てて娘が自分の腰に着けていた小さな鞄から取り出したのは、冬は常に持ち歩いている瑠璃色をした手袋。手首付近に小さな桜の刺繍が施してあって本人もお気に入りの品だったが、そんなことはお構い無しに彼女は青鬼面の子の手の中に手袋を押し込める。
    本当は着けてあげたかったが払い除けられてしまいそうなので、そんな時ばかり英雄『猛き炎』の力強さを発揮して。

    「それ、あげる! 冬に使ってよ、温かいから!」
    「………………」

    青鬼面の子は手の中に押し込められた手袋を払い除けたり捨てたりすることなく、それと目の前で揺れる灯火のように柔らかく温かな娘の笑顔を交互に見つめていた。
    何の躊躇いもなく「良かったら」と自分の物を差し出した彼女に無言ながら驚いているようだ。

    青鬼面の子は娘の手袋を固く握りしめると、彼女と、そしてじっと見守ってくれているウツシの顔を順に、ゆったりと確認するように見つめた。
    改めて娘が微笑むより先に、青鬼面の子は脱兎のように走り出す。

    「あっ……!」

    思わず声を漏らした娘だが、無理に引き止めることも追いかけることもしない。
    青鬼面の子はウツシの横を駆け抜けたのだが、彼も特に声をかけたり手を伸ばしたりすることはなかった。その様子を冷静な観察の目で追い、無言を貫いている。

    先ほど逃げて行った二人の少年を思い出すような勢いで去って行った青鬼面の子は、姿が見えなくなる直前に一瞬止まって娘の方に振り返る。落ち着かない様子で顔を振っており何か言いたそうにしていたが、やはり言葉が聞こえてくることはなく。
    青鬼面の子の姿は、やがて角を曲がって見えなくなってしまった。

    「……行っちゃった……大丈夫かな……」

    立ち上がりながら、娘はまだ心配そうに眉を下げ、声を漏らす。
    そんな彼女を、正確には彼女と青鬼面の子の様子をずっと無言で見守っていたウツシがようやく「大丈夫さ」と彼らしからぬ小声で、非常に静かに同調した。

    「走って行く様子そのものに迷いはなかったし、行先は定まっているようだったからね。きっと親御さんに会えるさ、大丈夫だよ」
    「……そう、ですよね。きっと会えますよね」

    里の子でなければ観光客。今日はたたら場前広場に人が集中しているので、とりあえず広場に戻れば会えるだろう。
    二つの悪意に晒されても目立った抵抗をすることなく、二人を傷つけることもなかった青鬼面の子の震える姿は、彼女の心に澄み渡る風を吹かせる。冷たい体をしたあの子の中に鬼は居ない。

    娘は改めてあの子が手袋を使ってくれればと願いつつ「ふう」と自分自身を整えるように息を吐き、ウツシの方へ改めて顔を向けた。

    「ウツシ教官、来てくださってありがとうございました。結構痛かったでしょう? 大丈夫ですか?」
    「ハッハッハ! 大丈夫だよ! 俺よりも……キミだ」

    快活に告げた前者とは対照的に、甘く抜けるように後者を低く囁いたウツシは娘の腕を優しく引き寄せ、「わ」と声を上げた彼女に構わず自分の腕の中にすっぽりと収めた。

    「ウ、ウツシ教官っ……? わ、私、大丈夫ですよ……!?」
    「本当に? 怖かったろう。あれほど間近で人の中の鬼を、悪意を目にしたのだからね」
    「!」

    全て見透かしているようなウツシの言葉に、娘はどきんと深層を震わせる。
    怖かったろう、という彼の言葉はあまりにも的確で、子どもとは思えぬ絶対零度を浴びて震える娘の心を優しく包み込んだ。

    「…………教官は……いつも、優しいですね」

    安らぎの吐息混じりに娘がウツシの腕の中で呟く。ウツシは「キミこそ」と片手で娘の頭を撫でた。労うような、何も心配いらないと安心させるような。そしてもう一つ、愛する人の存在を確かめ、無事を喜び愛でる手つき。

    「キミにもらった優しさだ」

    娘を抱きしめる腕に、ウツシがほんの少しだけ力を込める。
    寒さを通さない熱いほどの腕の中で彼女は「そんなこと」と首を横に振り、彼の胸にぴたりと耳をくっつけた。

    とくとくとく、と聞こえる心臓の音はどこか早鐘を打っていて、その速度に娘は彼の自分に向けられている想いの深さを感じ甘く胸が締め付けられる。
    青鬼面の子を抱きしめ守り、他に最適な手段が浮かばなかった自分たちを守ってくれたウツシの背中。守護の意志に満ち満ちたあの広いから背中思い出すだけ娘の心は安堵で温まる。

    彼はいつもそうだ。幼い頃からずっと見守り、大事な時に必ず助けて守ってくれる。そしてたくさんの笑顔と幸せをくれる。

    (あなたはずっと、私の福の神さまですね)

    口に出さず胸の奥で呟いた娘が、ウツシの背にそっと腕を回す。そのままゆらりと顔を上げれば、互いの視線は必然的に熱く絡まり合って。白い吐息が重なり、名を呼び合おうと唇が動きかけた刹那。

    「おーーいっ! ふたりとも、そんなところにいたのー!?」

    後方から響く、寒さも甘さも吹き飛ばす元気な声。娘とウツシが夢から覚めたように即座に身を解き離す。
    覚醒した二人の背中に、路地の入口から兎のように飛び跳ねながら声をかけたのは、おかめの面を頭に着けた茶屋のヨモギ。

    「そろそろ解散になっちゃうよー! みんなで歳の数だけ食べよー!」
    「うん! 今行くよ、ヨモギちゃん!」

    溌剌と返答したウツシに「待ってるねー!」と改めて呼びかけてから、ヨモギはたたら場前広場へと駆け戻って行った。
    里の人々に関係を隠しているわけではないが、ウツシの腕の中に居た瞬間を見られたであろうことが何となく気恥ずかしくなった娘の顔には瞬く間に熱が籠る。
    いつの間にか里に宵闇が広がり、更に寒さは鋭くなっていた。そんな中で湯気が立ちそうなほど沸騰顔をした娘は、それを隠すようにウツシの横を駆け抜けて行く。

    「み、みんな待ってくれてるみたいですし! も、戻りましょうか、教官!」
    「ああ、そうだね……って、あ、ちょっと愛弟子! そんな全力で!?」

    身体能力は他の追随を許さぬ英雄『猛き炎』の見事な走りとガルクも真っ青の速度。

    路地裏に残されたウツシは目を丸くして驚いたものの、すぐに彼女の背からそれが照れ隠しであることを察して「可愛いんだから」と声を漏らした。娘が背が角を曲がって姿が見えなくなった刹那、不意に彼の表情からは笑顔が消える。
    里の教官、長の懐刀たる彼の瞳には、先ほどの青鬼面の子の姿が揺れていた。

    (──あの子は……本当に、人の子、だろうか)

    あの子は姿を消してしまい、今や気配もないのでもはや確認することは叶わない。自分を罵っていた二人の少年にさえ危害を加えるような様子はなかったので、あの子そのものに悪意がないことは確かだろう。

    娘から手袋をもらった瞬間のあの子は、強いて表現するならば驚喜に満ち、それをどう相手に伝えれば良いか分からない様子だった。

    (人より遥かに素直で、無垢な存在だったのかもしれないな)

    もはや答えの出ない疑問に自分なりの終止符を打ってから、ウツシは軽やかに翔蟲を宙に放つ。
    愛する人の背を、自分を待つ人々が集まるたたら場前広場へと向かった。


    広場では里の人間も観光客も関係なく寄り添い合い、談笑しながら各々が片手に持った升の中から福豆を味わい、季節と行事を楽しんでいる。
    娘も広場隣にある茶屋にて同じように楽しんでいた。吊り提灯の灯火揺らめく枝だけの桜木を背に、暗がりにも映える毛氈の縁台の傍らに立ち、家族と同義の見慣れた顔に囲まれて福豆を味わいながら、季節の分かれ目という今日に、時の流れに想いを馳せる。

    「ええっ!? ゴコクさま、まだ食べるのぉ!?」

    頓狂声を上げたヨモギの横に立っていたミノトが「ゴコクさまですから」と冷静に告げ、ヒノエもくすくすと意味深に笑っている。
    ゴコクは茶屋席に座り、卓上に置いた大きな升から浴びるように次々と福豆を頬張っていた。それを正面からヨモギが呆然と見つめている。

    「も、もう豆だけでお腹いっぱいになれそうだね……!?」
    「まだまだゲコ! 歳の数ならたらふく食えるゲコ! そういえばカゲロウだってもっと食べられるはずゲコ、遠慮するなゲコ!」
    「そ、それがしは、もうこのへんで……!」
    「ええー! カゲロウさん、全然食べてないよ?」

    ほらほら、とヨモギが溢れんばかりに山盛りの福豆が入った升を目立たぬ片隅に立っていたカゲロウに押し付け、彼は札に隠れた顔の奥で苦笑しながら「ご勘弁を」と傘を持ったまま一礼する。

    二人を見ながら小さく笑い、とっくに豆を食べ終えたイオリが、不意に縁台に座っていたハモンの隣に歩み寄って行く。

    「おじいちゃんも、ちゃんと食べてる? ボクはもう全部食べたよ!」
    「何だ、突然。何粒食べたかなどもう忘れたわ」
    「ええ! ダメだよ、ちゃんと食べて! ボク、おじいちゃんにはまだまだ元気でいてほしいんだから!」
    「……分かっておる、ワシとて孫の成長をまだまだ見守っていたいからな」

    職人気質のハモンの性格を知り尽くすイオリが少し驚いたように目を見開いたが、すぐに「ありがとう」とあどけなく、端正に微笑む。祖父の素直な言葉はあまりにも貴重だった。

    里の人々の様子を眺めながら一緒に笑っていた娘だったが、不意に彼女は升も持たずにふらりと船着場の方へ足を運んだ。
    桟橋に立ち、星々を映してきらきら揺らめく海へ続く大河の水面を見つめる彼女の脳裏にはまだ、先ほどの青鬼面の子のことがぐるぐると巡っている。

    あれは誰だったのか、虐げられてきっと嫌な思いをしただろう、早く元気になってくれればと、今や当人には決して伝えられない想いが心の奥底に回り続けていた。

    「……愛弟子。はい、これ!」
    「! あ……」

    そんな娘の背中を決して見失うことなく追って来たウツシが、彼女の前に福豆で満ちた小さな升を差し出した。その表情は、福の神のように満開の笑顔が溢れていて。

    「俺、鬼役ばっかりしてたからさ!良かったら俺と一緒に最後に豆まきやろうよ! 」
    「……ふふっ、そうですね。良いですよ」

    両手で升を受け取った娘は、ウツシを見上げて小さな笑顔を返した。
    この言葉も行為も全て、彼が自分を想ってくれているからこそだと痛いほど理解できる。高らかに声を出せ、澱みを吐き出せと。

    笑顔のまま、ウツシは自分の片手の升から福豆を握りしめ、大きく腕を振り上げる。

    「鬼はぁああッ! 外おぉぉおッッ!!」

    天を揺るがし、大河の彼方、海の彼方まで届くのではと錯覚しそうなウツシの大声量。
    同時に彼の手から舞った福豆は天高く、星たちと調和した。

    茶屋に居た里の人々が「うわあっ!?」と驚声を重ねる中、彼の最も近くに居た娘は、鼓膜を揺るがし脳天までびりびり震えるような彼の声の振動に「ふふふっ!」と笑顔を零す。
    そしてそのまま、笑顔で彼から渡された升の中に手を突っ込んだ。

    「私だって! 鬼はーーーー外おぉおっ!!」

    ウツシの隣で同じように腕を振り上げた娘が、大河に福豆を解き放つ。

    彼譲りの呼吸法と声量、体内の酸素を全て吐き出す勢いで白息混じりに叫んで大きく息を吸った瞬間、寒空の中で自分自身が浄化されていくような感覚に娘は晴れやかに微笑んだ。
    微笑みながら、また升の中の福豆を握りしめて腕を振り上げた。

    「福はぁーーーー! 内ーーーーっ!!」
    「いいぞぉ!その調子だ、愛弟子!」
    「ね、教官もっ! 鬼はぁああぁー外ぉーっ!!」
    「福はぁああぁあッ! 内ぃぃいいいッ!!」

    天に昇らんとする、炎の如き情熱と願いの雄叫びが、夜闇を貫き遙か彼方へ響いていく。
    船着場の師弟の様子に呆れたように顔を見合わせて笑いつつ、けれど二人を止める者は里の中に誰もいなかった。


    節分の賑やかさが嘘のように、夜の更けた里の中は風の音すら聞こえるほどの静寂に満ちていた。
    片付けを終えて豆まき、節分は終了。すっかり観光客の波が引き、里の人々も各々挨拶を交わした後に解散して帰路についた頃。

    月光満ちるたたら場前広場に居るのは、今や娘とウツシの二人だけ。

    「みんな帰っちゃったし……俺たちもそろそろ帰ろうか、愛弟子」
    「そうですね、明日もありますし」

    最もな現実を語りながら、娘の本心はどうしても名残惜しい。今日もたくさん助けてもらったのに感謝を伝えることはおろか、何もできていないことがもどかしくて。
    娘はウツシの顔を見上げ、彼の腕に手を伸ばした。

    「……あの、ウツシ教官」
    「うん? 何だ……いっ?」

    ぐい、と強めにウツシを引き寄せた娘は機敏に顔を近づけて、自分の唇で硬い帷子越しの彼の唇に押し当てるようにして触れた。

    珍しく不意を突かれたらしい、ウツシは瞬く間に耳まで赤くしながら大きく目を見開いている。
    そんな彼の顔が見られたことも嬉しくて、娘は悪戯っぽく、けれども深い感謝を月光の下で瞳に滲ませた。

    「……ありがとう、ございました。ウツシ教官。私……あなたと一緒に居られて本当に幸せです」
    「…… ま、愛弟子……!…………ッ!」

    自分自身の中の猛る何かを抑え込むように、ウツシがごくりと喉仏を上下させて息を飲むも、目の前で月白の光に煌めく愛する人はただただ美しく、愛おしくて。

    彼は片手で帷子を下ろすとそんな娘を抱き寄せ、金色の双眸を固く閉じると、その柔らかな桜色の二枚貝に食らいついた。

    「ん 、う……! ……ん……!」

    くぐもった声を漏らした娘だが、瞳はとろりと歓喜に満ちて、それをゆっくり閉じていく。暗闇で感じるウツシの唇は生き物のように蠢いて、何度も何度も啄むように娘の唇を吸い上げる。やがて彼の唇が微かに開き、間からぬるりと舌が伸びようとした時。
    はっとしたように目を見開いたウツシが、撃たれたように顔を離して抱擁を解いた。

    「あ、あ……! ご、ごめん、俺…… 」

    微かな震え声で明白な動揺を瞳に湛えたウツシに、娘は自らの意思でそっと抱きついた。
    鍛えられた分厚い体にしがみつき「謝らないで」と何度も首を横に振り、緩やかに顔を上げる。ウツシは睫毛を伏せ、力を込めてきゅっと唇を結んだ。

    「俺……俺の中に、まだ、鬼がいるのかも」
    「……鬼? ウツシ教官の中に、鬼?」
    「ああ。キミを欲しがってしまう、鬼がね……」
    「……ふふふっ……!」

    娘がふわりとウツシに微笑む。眉を下げ、金色の瞳を天満月の如く輝かせた彼の唇に、娘は優しく人差し指を添えた。
    先ほど重ね合わせて湿潤な唇は、可愛らしいほどぷるりとして煌めいていて。

    「……優しい鬼さん。お会いできて、とっても幸せです……」

    鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ウツシがぱちくりと目を瞬かせる。偽りなく響いた娘の鈴を転がすような声に、彼の心は救われるように凪いでいく。

    「……優しいね、愛弟子。俺の福の神さま。愛しているよ」
    「ふふふ、私もです。私の福の神さま。今日も、ありがとうございました」

    互いに視線を絡ませ合って、晴れやかな笑顔を交わして、互いに優しく抱きしめ合う。

    軽快に奏られる心音も蕩けそうな体温も分かち合い、相手を想えば想うほど、水面に波紋が広がる如く満ちた想い名残惜しさに切なく震えた。そんな二人を寒気が邪魔などできるはずもなく。

    やがて二人は半身を切り離すようにゆっくり、ゆっくりと腕を解き、体を離した。先にウツシが懸命に口元を綻ばせ、最後まで触れていたいとばかりに娘の頭を緩やかに撫で、目元に寂しさを残して微笑む。

    「……遅くなっちゃってごめん。また明日、だね」
    「はい。……おやすみなさい、ウツシ教官」
    「おやすみ、愛弟子。ゆっくり休んで、良い夢を見るんだよ」

    娘も同じように微笑み、軽く手を振って踵を返す。明日また会えると頭では分かっているのに彼女は『別れ』が苦手だった。だから急いで歩き出す。たまに振り返って、見送ってくれているウツシに笑顔で手を振りながら。

    水車小屋に戻ると、娘は玄関引戸の前にこんもりとした小さな影の山を見つけた。

    (? あれ……何だろう……)

    駆け寄って見れば、そこにはぼろぼろになった皮袋に入った大量の古びた金貨と、氷に包まれた大きなグンカンガキが山盛りに積まれていた。

    「え? ええ? 何これ、一体誰が……」

    思わず独りごちて、娘の言葉はぴたりと止まる。
    みっちりと金貨が詰まった穴の空いた袋の傍らに、見慣れた手袋を見つけたから。
    瑠璃色の生地の中、手首の一輪の桜の刺繍が愛らしい娘の手袋。

    「……これ……。…………まさか…………」

    夕暮れに路地裏で出会った、青鬼面の子の姿が鮮やかに蘇る。手袋を先に拾い上げ、娘は思わずその場で体ごと回転させながら周囲を見回した。
    すると、よく知る気配が急接近していることを察知する。

    「おーい、愛弟子ー! さっき挨拶したばかりなのにごめんよー!」
    「ウツシ教官?」

    短距離でも翔蟲で軽やかに娘の前に舞い降りたウツシは「ごめんね」と申し訳なさそうに眉を下げた後、次第に凛と表情を引き締めていった。

    「今さっき、報告があってね。里の近辺でゴシャハギが確認されたそうなんだ」
    「え、ゴシャハギ? め、珍しいですね、里の近くでなんて……」

    普段は寒冷群島など寒いところに生息している彼らがわざわざこんなところにまで降りて来ることは非常に稀だ。
    娘の言葉にウツシが「そうなんだよねえ」と怪訝に同調しつつ、緩やかに腕を組む。

    「そのゴシャハギ、報告によると子連れらしいんだ。一直線に寒冷群島方面へ向かっているそうだから、近辺に危害を加えることはなさそうだけど……まあ一応、警戒はしておいてねって話のようだよ」
    「そうでしたか、ありがとうございます。……でも……」

    ちらりと娘が玄関引戸前の山盛りの金貨とグンカンガキの山を一瞥すると、それにウツシも気付いたようで「うわあ!?」と素直に声を上げた。

    「凄いじゃないか! まるで宝の山だね!? どうしたんだい?それ」
    「帰ってきたら置いてあって……多分、お礼です。……この子からの」
    「え?」

    不思議そうに目を瞬かせるウツシに、娘が手袋を見せる。瑠璃色の桜刺繍、夕暮れに出会った青鬼面の子に彼女が渡したはずのもの。

    ウツシも覚えていたらしく、彼は「えっ」と先ほどよりも驚いた様子で声を漏らしながら、改めて『宝の山』を確認する。

    「その金貨に、グンカンガキ……。どちらも寒冷群島にあるもの、だね……? ゴシャハギは寒冷群島に普段生息していて……」
    「…………え? じゃあ、まさか、もしかして、あの子……」

    娘とウツシが、呆然として顔を見合わせる。
    白いふさふさとした外套に帽子、ぴったりと青鬼面を着けて、二人の少年たちに危害を加えることもなく決して喋ることもなく。確認されたゴシャハギは一直線に寒冷群島に向かっていて、尚且つ、子連れ。

    (まさか、あの子の手が冷たかったのって)

    そもそも人ではなかったとしたら。
    娘はそこまで考えて「ふふっ」と笑みを零し、思考をやめた。鬼の顔をしたモンスター、人よりも優しき無垢な心。

    「…………。ウツシ教官。グンカンガキ、こんなに食べきれないので少しどうですか?」
    「……え、いいの? 」
    「もちろん。……あの子、きっと教官にも持って来たかったはずですよ」
    「そうかな? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」

    朗らかに、娘とウツシが笑顔を交わして『宝の山』の前にしゃがみこむ。

    氷塊のように凍りついたグンカンガキはどんどん溶けて、地面に大きな水溜まりを作っていった。

    息は白いが、以前と比べて夜も随分と温かくなりつつある。
    節分が終われば、明日から春のはじまり。

    「そうだ教官、明日一緒に牡蠣鍋とかどうですか」
    「いいねえ、去りゆく冬を名残惜しんでやろうか」

    ひゅう、と音を立てて凱風が吹き、笑い合う二人を撫でていく。

    たたら場前広場の地面に残っていた福豆がころころと風に転がって、やがて見えなくなっていった。
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