優しいあなたの幸せな夜 渋谷に未曽有の危機が訪れ、人知れずそれを阻止してから1年の時が流れた。
何の因果か知らないが、あの儀式に関わって失われた人たちは現世に還ってきた。KKも凛子さんも絵梨佳さんも。
麻里だけは帰ってこなかった。それはおそらく、麻里は本来火事で亡くなったはずだったのに、僕に言葉を伝えたい一心で彼岸に渡らず残っていたからだろうというのがアジトの人たちの見立てだった。
すごく言いにくそうに言われたけれど、あの世との境で父さんと母さんに麻里を託した時にきちんとお別れはできたからそのことを恨めしく思うような気は全く起こらなかった。
両親にしっかり生きていくと誓いはしたが、これからは本当に一人になるんだと思っていた僕にとっては他の何かと比べる事なんてできない絆を築いた人たちと再会できただけで怖いくらいの幸運で、それ以上を望めば罰が当たる気がした。
そんな非日常体験を経た僕はどうしているかというと、まだ学生の身だった。
別に特別不真面目な学生だったわけではないが、父さんが亡くなって、母さんも入院してという状況で、残してくれた遺産や受けられる補助は受けても決して余裕のある生活ではなく、可能な限りバイトをかけ持っていたり、麻里と分担していたとはいえ家事もあったりで単位はわりとギリギリだった。
そこに火事に伴う諸々の処理や手続き、麻里の病院の手続きなどもあって教授が何とか目をつむってくれる範囲では収まらず、いくつか単位を落としてしまった。だから、不足単位を補うために、半期だけ卒業を遅らせて9月末まで学生を続けることになったのだ。
幸い就職は決まっているので、空いた時間は事件の後アルバイトとして雇ってもらう事になったアジトに通う毎日だった。
本当にいろいろなことがあった。
そんな感慨に浸っていると、3月末に大学を無事に卒業して社会人として働いている友人から連絡があった。
『モラトリアム楽しんでるか?突然だけど、再来週の木曜空いてる?久しぶりに飲み行こうぜ。もうすぐ社会人になる伊月くんの為に、先輩がありがた~いお話してやるよ』
僕は家のこともあったからあまり飲み会には参加していなかったが、幸いなことに何かにつけて気にかけてくれる友人は何人かいた。
ざっと頭の中で確認するが、今のところ予定はなかったし、突然予定が入りそうな事柄もなかったと思う。
『久しぶり。予定空いてるよ。仕事大変みたいだし、愚痴ならいくらでも聞いてあげるよ』
僕はそう返信して、すぐに帰ってきたメッセージでとんとん拍子に場所と時間が決まった。
それから1週間後、アジトでのアルバイトの日。
その日、凛子さんは近々ある依頼について依頼主と相談に、エドとデイルは調査している現象に関する資料が見つかったとかで連絡のあった神社に、絵梨佳さんは学校にと出払っていた。
KKが先日の依頼の報告書作成を退屈そうにしている横で、僕はアジトの片づけや洗濯をこなしていた。もちろん、僕も調査や退治の依頼に同行させてもらう事もあったけど、まだまだ経験の浅い僕が一番アジトに貢献できているのは悲しいかな、住環境を整えることかもしれない。
一通り、ルーティン化した作業を片付けて、さて今日はまたいつの間にか築かれている資料のタワーでも片付けようかと思っていると、KKから声がかかった。
「暁人、来週の木曜空いているか?飯でも行こうぜ」
デスクワークがあまり好きではないらしいKKはさっきまで退屈そうだったのに、その声は少し機嫌が良さそうに聞こえる。最近は少し忙しかったせいか、一緒に依頼に赴いた後でも食事に行くことは少なかった。一緒に食事に行くことを良い事を思いついたと思っているなら僕としても悪い気はしない。
でも、生憎とその日には先約があるのだ。
「ごめん。木曜は友だちに久しぶりに飲もうって誘われてるんだ」
KKは断られるとは全く思っていなかったようで、少し気まずげな表情をする。
「…そうか。楽しんで来いよ」
その後は、特に変わったこともなくいつも通りの日常が過ぎた。
そして、飲み会当日。
待ち合わせの渋谷駅で友人と合流して飲み屋に向かう。友人と雑談しながら歩くと店に着くのはすぐだった。
翌日が平日なこともあり、そこまで混雑している様子はなかったが準備が良い事に友人は席を予約していたらしい。これが社会人というやつか。
従業員に案内されて席に向かうと、席には見知った顔が見えた。てっきり、2人だけかと思っていた僕は思わぬ展開に少し驚きながらも久しぶりに会う友人もいて思わず笑みが浮かんだ。
先に席についていた友人は奥に詰めてくれるのかと思ったが、おもむろに席を立って僕を真ん中に座らせた。
席に着いてまずは注文をと思う間もなく、頭に何かを乗せられた。
「伊月、誕生日おめでとー!」
「へ?」
呆れ交じりや、してやったりと言わんばかりの奴もいるがみんな一様に笑顔だった。
頭に手をやって触れたものを目の前に持ってくると、浮かれた三角帽子。
「やっぱりな」
「伊月って真面目なくせに、自分の事となるとすぐうっかり発揮するんだから」
「まぁまぁ、それが伊月くんのあざとかわいいところだろ」
呆然とする僕を他所に友人たちがやんややんやと盛り上がる。
今日は僕の誕生日だった。
口々に友人たちに祝われて楽しい時間を過ごしながら、僕はKKがわざわざこの日に食事に誘ってきたことの意味を察すると同時に、1年前のことを思い出していた。
8月22日の夜に起こった諸々から現世に戻った僕は、感傷に浸る間もない毎日だった。麻里との別れを済ませたといっても、現実に人一人が亡くなればそこには様々な手続きなどやらなければならない事が発生する。役所の手続きに、麻里の在籍していた高校の手続きやお悔やみに訪れてくれた人への対応など。
それらが落ち着いたころに、計ったように1本の電話がかかってきた。相手は抑揚の乏しいボイスレコーダー。
そこからは、想定外でさらにバタバタした日々だったように思う。
本人たちもあの世に行くものだと思っていたのに、現世で目を覚ましたKKたちはさすがに無事とはいかず、衰弱のため数日入院することになっていたらしい。そこからエドたちと合流して、名前くらいしかわからない僕を見つけ出しコンタクトを取ってきたそうだ。
退院したKKや凛子と再会して生還を喜び合い、エドたちにあの夜の仔細を説明して、適合者である僕がこれからどうしていくのかなど時間はあっという間に過ぎた。
そして僕はKKたちに勧誘されて、アルバイトとしてアジトの仲間に加わることになった。
これもまた予想外だったが、幽霊やその他心霊現象なんてものを相手にしながらもこの組織は当たり前に現実的な面も持っていて、僕はアルバイトとして雇用契約を結んでいた。エドが用意してくれた書式を確認し、諸々の事項を記入して提出した。
書類に不備が無いか確認していた凛子さんがある項目に目を止めた。
「あなた、一昨日誕生日だったの」
自分でも忘れていたので、そういえばそうだったくらいに思っていると、近くで過去の資料をあさっていたKKが声を上げた。
「あ!?オマエ、言えよ」
「いや、別に大した事じゃないし」
結局、遅れてケーキも難だということになり、その日はみんなで焼き肉に行ってささやかなお祝いをしてもらった。
その帰り道でKKが言った。
「来年は絶対、当日祝ってやるからな」
翌日も平日で仕事のある者も多かったもあり、惜しみながらも余裕を持った時間で友人たちとの誕生会は解散になった。
それぞれが帰路に着き1人になったところで、僕はたまらずスマホを取り出した。
数コールのあと電話がつながった。
『おぅ、どうした?ダチと飲み会じゃなかったのか?』
特にいつもと変わりない様子で、KKが問いかけてきた。
「明日も仕事の奴もいたから、もうお開きになった。ねぇ、KKが今日誘ってくれたのってもしかしてお祝いしてくれようとしてたから?」
お酒が入っていたこともあって、いつもより大胆に言ってしまった。
KKからは返事がなく、答えあぐねている様子が感じ取れた。
「ごめん。僕、誕生日だってすっかり忘れてて」
『あー、気にすんな。祝ってくれるダチがいるなんて幸せな事じゃねぇか』
「でも」
『別に、明日もアジトに顔出すだろ。そん時に飯でも奢ってやるよ』
KKは何でもないように言ったけど、僕はKKが言ってくれたことを茶化した自分のセリフも思い出していた。
「KKって、誕生日とか気にするタイプなんだね。ちょっと意外」
「気にしてたって、守れないことのが多かったけどな。息子の誕生日も結局仕事で遅くなっちまって、嘘つきってへそ曲げられたよ」
「KKは噓つきじゃないよ」
KKが息をのむ気配がした。やっぱりKKは自分が言ったことをちゃんと覚えていて、守ろうとしてくれていたんだと、後悔の念が押し寄せた。
「噓つきは僕の方だ」
『…オマエ、もう家か?』
「ううん。さっき解散になったとこだからまだ渋谷」
電話の向こうで何やら音がする。
『今からアジトに来い』
「え?」
『酒も入ってるだろうから、ゆっくり歩いて来い。いいな』
その言葉を最後に電話がプツリと切れた。
呆気に取られてスマホの画面を見るが、終話画面からあっさりとホーム画面に切り替わりうんともすんとも言わない。
KKの言葉をゆっくりと咀嚼しながら歩き出す。目的地は幽玄坂のアジト。
最初は言葉に従ってゆっくりと歩いていたが、だんだんKKの言葉が飲み込めてくると自然と足が速まった。
通い慣れた道を進む足はどうしようもなく軽かった。見えてきた古びたアパートの階段を足取り軽く上る。
そして、2階の奥の部屋のドアノブをひねる。
ガチャン!
期待にはやる気持ちで引いたドアはあえなく鍵に阻まれた。
思わず、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっていると背後から足音が聞こえてきた。
「ゆっくり来いって言っただろうが」
コンビニ袋一つ下げた相棒が、しょうがない奴だという顔で笑っていた。
「ほれ。誕生日おめでとう」
ちょっぴり傾いたスイーツが何よりすばらしい宝物に見えた。
それから、また1年。9月8日。
台風で大荒れの天気の中、僕はわざわざ職場を訪れていた。
今日は職場の人たちに、誕生日を祝ってもらう事になっているから。
少し、約束の時間には早いかもしれない。でも、社会人として早め早めの行動を心がけるべきだろう。…というのは、ただの言い訳。
古びたアパートの2階のドアを開けると、その音を聞きつけて奥から職場の先輩が顔を出す。
「ゆっくり来いって言っただろうが」
呆れたようなその声が、とてもとても幸せだ。
END
Happy Birthday to AKITO