”じゅうよんさい” いつかこの日が来ることを、心のどこかで分かっていたのかもしれない。
娘が十四歳になる日の朝。
妻の結と揃って送り出す、いつものルーティン。
「さて、今日は有給を取りましたから、料理は私がしますよ」
ありがとう、島崎。という返事を待つ。
同じ苗字になったのに、二人きりになるとそう呼んでくる。
料理をすると言えば、いつも感謝の言葉を口にしてくれる。
いつも家のことをしてくれて感謝しているのはこちらなのに。
…? なぜ黙っているのか。
「……あ」
何かに気付いたような声。
「結、どうしました?」
「………ちょっと、一人になりたい」
「え?」
こんなことは初めてだ。
夫婦の寝室に篭ってしまった結にどうすることもできず、亮は娘のために料理の仕込みを始めた。
「どうしよう、琥珀ちゃん」
少し震えた声。電話の向こうではきっと、泣いているのだろう。
「気持ち悪いの、島崎が」
「…そっか」
なんて声をかければよいのか、分からない。
幸せそうに婚約指輪を見せてきた思い出が脳裏に浮かび、結の泣き顔にかき消された。
今日はあの子の誕生日なのに……いや、誕生日だからか。
「同じ歳に、なったんだね」
「………ッ…うん…!」
聞いたことがある。
歳の差が大きい夫婦にある話だ。
「こんな子供に、手、出したって、おもったら、もう、ダメで」
「うん」
「すきだったのに、すきでいてくれてるのに」
「…うん」
「……琥珀ちゃん、たすけて」
「もちろん」
大好きな結からのSOSに、応えないわけにはいかない。
琥珀は自身が所属する組織のトップに連絡し、次に亮へと連絡をした。
「琥珀さん、話って何です」
カフェに呼び出され、亮は強ばった顔で琥珀に向き合った。
「端的に言う。結はお前が嫌いになった」
「………そう、ですか…」
なんとなく、そんな気がした。
そして、こうなる気もしていた。
「驚かないのか」
「……超能力者ですから。心のどこかで、分かっていたかもしれません。今日はあの子の誕生日で、ちょうど十四、ですから…」
「調べたのか。なら話は早い。家を出ろ」
「は…? なぜ? あなたにそんなことを」
「もう戻るな。結はお前が気持ち悪いんだ」
「ッ」
改めて言われると酷く傷付く。愛しているひとにそんな思いをさせてしまった自分がみっともなくて、みじめでどうしようもなく悲しくて、機能していない瞳がカッと熱くなった。
「うちのボスがなんとかした。荷物も新居に移した。明日からうちの組織で使ってやる。結のことを考えられないくらい仕事をさせてくれるらしい。よかったな、クソオス」
「……ハハッ…そこまで、私と結を引き剥がしたいのですか…?」
「お前のこと大嫌いだから」
「……感謝します」
琥珀は亮のことが嫌いだ。もちろん、結を取られたから。
しかし、結を幸せにして、家庭を築いて、普通の女としての幸せを与えたことには、感謝している。
亮も琥珀のことが苦手だ。嫉妬で殺されそうになった事が何度もあるし、クソオスと罵ってくるのが不愉快である。
しかし、結の幸せを願い、結が傷つかない方法で事を収めて、亮がこの先生活に困らないよう手配してくれた。
「感謝しなくていい。低賃金でこき使ってやる」
少し冷めたコーヒーを啜る。
苦くて酸っぱくて、これ以上は飲めなかった。
「お母さんただいまー! お線香買ってきたよ!」
「おかえり、ありがとう。おつりはお駄賃でいいよ」
「やった!」
島崎亮は、娘の誕生日に亡くなった。
脳の病気で死んで、今日で一年になる。
今週末には墓参りに行く予定だ。
「あれ?」
キッチンに立つ。
娘の大好物であり、彼の得意料理が皿に盛られてラップがかかっていた。
こんなの、作ったっけ。
『レシピを教えてもらったろう?』
「ああ、うん。教えてもらったと思う。曖昧だけど」
…? 誰の声? …いや、気のせいだ。
作ったのに覚えていないなんて、いつも料理しているから、無意識だったのかもしれない。慣れって怖いな。
「先お風呂入るねー!」
「はーい!」
元気な娘の声に負けないように返事をする。
島崎、私ね、なんだかんだ、母親やれてるよ。
「というわけで、君は死んだことにした。同姓同名の戸籍を用意したぞ。明日からも島崎亮を名乗っていい。君と関わりのある人間全ての記憶と、あらゆる記録を改竄した。君の存在自体を消した訳では無いから、混乱を防ぐために海外支部に配属する。異論は無いな」
「…はい」
世の中、理不尽だ。超能力を持ってしても、手に入らないものがある。
「災難だったな。だがうちは非常にラッキーだ! 安心したまえ。悪いようにはしない」
悪いようにされたら、歯向かうだけだ。
「…最後に少しだけ、うちの様子を見たいです」
「いいだろう」
空中にモニターのようなものが浮かび、結と娘が食卓を囲んでいるシーンが映った。
「…あ」
写真立てに自分の顔…遺影だ。
…ああ、もう、自分は、戻れないんだ。
「そうだ、もう戻れん」
「ッ」
「飛行機の中で泣いてくれ。ドラマティックで非常にそそる」
チケットを渡され外に出る。
黒塗りの高級車、その横に琥珀が立っていた。
「じゃあな島崎亮。結は私が幸せにする」
「ええ。さようなら」
車に乗り、空港へ向かう。ラジオから流れる、古い英語の曲。バラードはよくない。ドラマティックだ。
「結」
ごめんなさい、今までありがとうございました。
愛しています。さようなら。