帰りたい話「待ち合わせしません?」
毎日ラボに引きこもりっぱなしの恋人が突然らしくないことを言うので驚いた。なんでも、ネットで面白そうな古書店を見つけたんだとか。
「先輩こういうの好きだろ」
モニターに映し出された木造の蔵のような建物。いわゆるリノベーションと言われるものらしく、使われなくなった古い蔵をまるっと古書店にしてしまおうと企画されたものらしい。正直、興味ドストライクなお出かけ先を提示されてしまい、断る気も起きなかった。元より断る気などさらさらなかったが。
しかしこうやって外に出ようとクルルくんから誘われる日が来るなんて思ってもみなかった。自分が引っ張ってもてこでも動かないくせに。何の思惑があるのかは知らない。が、その思惑に乗っかってみるのもありかもしれない。案外自分はこの非日常にわくわくしていた。
何もかもがいつも通りじゃないデート。どんなことが起こるのか、そんな不確かなことに興奮している。
「いいよ。行こうか」
「やりぃ」
「何時にここに来ればいいかな?」
「待ち合わせっつったろ。ここの駅前な。十一時」
モニターに大きく地図が示され、カーソルがとある駅をぐるぐると囲んでいる。ここからでもそう遠くない駅。最近改装が施され、緑が豊かになったところだ。
「分かったよ」
「じゃあ明日。待ってるんで。俺」
去り際のクルルくんの言葉はなんだか歯切れが悪かった。顔もよく見えなくて、でも心なしか照れているような気がする。上機嫌だった僕はそんなことも気に留めず、ラボを後にする。
お外デートなんて初めてだ。しかもそれをクルルくんに誘ってもらえるなんて。そう考えているとき、ふと何の服を着ればいいか分からず不安に思った。
「(だめだわかんないや・・・好みもさっぱりだし・・・)」
とはいえ、考えても埒が明かないことだってある。変に考えるのはやめにしよう。どんな装いをしていたって僕は僕だし、クルルくんはクルルくんだ。
「(緊張するな・・・)」
その日はあまりよく眠れなかった。ワクワクとドキドキで、まるで遠足の前日のようだった。
昼間の駅前は人でごった返していた。平日であるというのに、サラリーマンや子供連れなどでいっぱいだ。
約束の十五分前に余裕をもって到着した、はずなのだが。
「あれ?」
ベンチに座る見慣れた黄色の髪。瓶底眼鏡。そこまではよかったのだ。シックな黒のブラウスと白いスキニーズボン。オレンジのラインの入ったハイカットスニーカー。それと薄黄色のバケットハット。
「(どうしよう)」
なんだか急に帰りたくなってしまった。こんなにも格好いい恋人の隣に、こんな格好で立っていいものか分からない。なるだけ落ち着いた優しい雰囲気のものを選んだが、隣に立つには不釣り合いというか、とにかく自信がなかった。
「(なんでそんなにかっこいいの)」
いつもはあんなにダルそうなのに!
「何難しい顔してんだよ」
「えっ!?」
変に悩んでいる間に、気づけばクルルくんは隣に立ってしまっていた。顔を直視できず、下を向いたまましどろもどろに答える。
「は、はやかった、ね」
「まぁ・・・な」
気まずい沈黙が流れるばかり。耐えきれずに服の裾をきゅうッと握って唇をかむ。
なんて言おう。なんて言ってくれるだろう。クルルくんの目をまだちゃんと見れていない。どんな顔をしているのかな。あぁでも、いま目を合わせたら、死んでしまうかも。まぶしくて、かっこよくて。
「(誰にも見られたくないかも)」
そんな風に思ってしまう僕もいる。どうして彼はこんなにギャップを秘めた御人なんだろうか。
おずおずと顔を上げ、クルルくんの顔色をうかがう。
「あっ」
耳まで真っ赤なクルルくんの顔。バチっと目が合った瞬間、視線を逸らされ
「あんま、見んな」
と一言。
しばらく、僕らは何も言えずにいた。付き合いたての学生みたいな、そんな空気だった。
クルルくんの宙ぶらりんの右手を優しくとり、手の甲をなぞる。
「いこ、っか」
「・・・おう」
古書店に着くまでに、このドキドキが無くなってちゃんと話せるようになればいいな、と頭で考えていた。つながった手はずっと熱いまま。昼間から何を考えているんだと、そう言われてしまいそうだけどこのままキスしてほしかった。思いっきり抱きしめてほしかった。でも今は外で人目もある。
だからせめてもの代わりにつないだ右手を思いっきり握ってみた。
古書店はここから徒歩十五分である。