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    sushiwoyokose

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    カのえおすて後 グラカイとボクロク

    夜のあと※カインEOSTのネタバレと色んな捏造が、あるぞ!


    どこか気怠さを孕んだ、けたたましい足音が聞こえる。友の足運びとしては珍しく乱雑だが、品をかなぐり捨てたそれはどこか懐かしくもあった。
    「――、ただいま」
    「ああ、おかえり」
    手にしていた携帯電話を置くと同時。がたん、と大仰な音を立てて扉が開いた。昼間、どこぞの暴徒が押し寄せた時とほとんど同じ轟音に思わず蝶番を眺める。俺の憂鬱を知ってか知らずか、疲れた顔をした親友はとどめといわんばかりに足で扉を閉めに掛かった。それなりの蹴りを受けて閉まった扉は文句の一つも上げない。大金をかけて建てた邸宅だけある、頑丈さは家主譲りのようだ。
    「荒れているな」
    「それはもう、寝ずに一週間働いたような気分だよ。疲れた、その一言に尽きる」
    吐き捨てるように戻ってきた言葉に偽りは無いらしい。白の目立つ気品ある上着はすっかり土と返り血に汚れ、面倒と言いつつ手入れを怠らない金糸も絡まってぼさけている。いずれこのセカンドサウスの支配者として君臨せんとする男は、それなりに身なりに気を使うほうではあるが、それは野望のための手段であって性格ではなかった。服など着られればそれでよく、見目とて自分が満足できればそれでいい。カインの本性はどちらかと言えば粗雑の部類である。
    「せめて服くらい脱げ。血染めの男をベッドに上げる趣味はない」
    「億劫だ」
    「カイン」
    汚れをそのままに、俺が腰を下ろすベッドまでふらふらと近寄ろうとする友を立ち上がって制止する。立ち止まりはしたものの、その場から動こうとしないカインにため息を送れば、切れ長の紅眼があどけない幼年の笑みに綻んだ。
    「鉄臭い寝床と言うのも、懐かしくて趣があるんじゃないか。幼い頃に転がって眠った道路は大概そういう香りだった」
    「それだけ口が回るなら着替えの一つや二つくらいこなせ。……ほら、世話なら焼いてやる。まったくお前は……」
    「ふふ、はは、やめろ擽ったい、自分で脱ぐよ、わかったから」
    身を捩ったカインは、シャツに手を伸ばした俺の手をひらりと躱して半歩後ろへ引き下がった。手櫛が長髪を梳き、宣言通り汚れた服がどさどさと床に捨てられていく。さて、この部屋に貸せる服があったかと戸棚を開けるやいなや、白い腕がひょいと適当な羽織をかっさらっていってしまった。
    「アベル」
    先ほどまでの億劫そうな足音はどこへやら。軽やかにベッドへ寝転んだカインは、幼い顔で笑いながらぼふぼふとシーツを叩いている。それは子供の頃、冬の寒さにやられた友が温もりを求めて俺を呼ぶのと全く変わらない合図だった。
    (まぁよい、か)
    欲を言えばシャワーまで突っ込んでやりたいところだったが、及第点ということでベッドへ戻る。端に座って珍しく手触りの悪い頭を撫でてやると、カインはのっそりと起き上がって俺の背中へ力一杯に寄りかかってきた。この仕草も、昔から変わらない。しかしここ最近は――具体的には凶弾を受けてから、あまり預けてもらえない重さでもあった。
    「ロック君が血に飲まれた」
    「ああ、ギースの気配に当てられたのだろう? 意識が戻らないがバイタルに異常はないと」
    「情報が早いな。ボックスか」
    「あれは存外連絡が細やかで几帳面だ。ついでにお前の左腕がどうも動いていないという大変有益な情報もついていたが」
    「大事ない」
    「いいから見せろ」
    後ろ手にカインの腕を掴んで眺める。被っただけの羽織はろくに身体を隠さず、目前に差し出されたのは酷く色の変わった肌だった。何か強いものに殴られた痕だ。それが誰の手によるものなのかは想像に容易い。
    「お前を手負いにするほどの強さ、か」
    「暗黒の血に使われるだけの傀儡であれば、ああはならない。ギースから引き継いだ天性の戦闘センス、我々ハインラインの血が持つ野望の紫焔、そして暗黒の血。いずれも強大な力ではあるが、それぞれ単なる要素に過ぎないのはわかるだろう?」
    「ああ」
    「彼はそれ等全てを、束ねて繰って見せた。暴走というある種の無意識下においてな。手加減をする暇がなかった。急所を外す余裕も」
    「……」
    「気を緩めれば俺が死んでいた。同様に彼が一つでも俺の技を躱し損ねていたら――、彼が死んでいただろう。気を失わせるだけで済んだのは、一瞬……ほんの一瞬の好機があったからにすぎない。……あるいは、と思うと恐ろしくなるよ」
    覇気のない声音に、返す言葉を探す。背に掛かる愛しい重さから離れるのは惜しかったが、変色までしている怪我を放るわけにはいかなかった。幸いにして部屋には昼間、カインが置いて行った手当道具の一式が残されている。あやすように腕を叩いて、ベッドから離れると、戻るまでの間にカインはすっかり頽れてしまっていた。
    「カイン、手を」
    「こわかった」
    「……」
    「この期に及んで、身内さえ誰も。なにひとつ助けられないなら、俺は」
    力なく蹲っている背を撫ぜる。この男がこうして弱みを見せてくるのも、久方ぶりのことだった。悲痛に掠れる声音に安堵していると言えば、友を怒らせてしまうだろうか。末の子らしく甘えたがりの素振りも多かったはずの親友は、この身を慮っていつの間にやらしっかり者になってしまったものだから。こうして縋って泣かれると、正直なところ喜びが勝る。
    「お前でなければ、最悪の結果が現実になっていただろう。お前でよかったんだ」
    「……、そうだろうか」
    「そうだとも。数がいたといって雑魚の相手でかすり傷がついた俺では勿論。ボックスもまだ甘い。あれでいてあいつはロックを気に入っているからな、いくら裏社会育ちといっても手加減なしにあれを相手取るのは難しいだろう」
    「……」
    「お前でなければならなかったことだ」
    さぁ、ともう一度促してようやく、傷ついた腕が差し出された。強引に動かすと呻き声が聞こえるが、可動域が強張っていないあたり折れてはいないらしい。
    「ふむ。冷やしておくか。……せめて朝まで剥ぐなよ」
    「ああ……」
    湿布の類も包帯も、鬱陶しいと解いてしまう男である。忠告を先んじて押し込め、手当を始めるとぐずぐずに歪んでしまった顔がじっとこちらを覗き込んできた。
    「どうした」
    「ロック君、も……恐らく無事では、ないと思う。見に――」
    「ボックスが任せろと言っていた。構わなくていい。それに、その顔を若いのに晒せるか?」
    「それは……、やめておく」
    「ふ。晒せるようになってほしい、というのが俺の本心ではあるが」
    生成りの包帯をきつく止め、道具を降ろしてカインに向き直る。ぼうっと座り込んだ男を静かに抱き寄せてみると、存外長身の男は大人しく胸元へ収まってくれた。
    「今はまだ、俺だけのものでもよい」
    「……、うん……」
    ぐず、と鳴った嗚咽は聞かなかったことにしてやり、親友を抱き込んだまま横になる。風呂には明日連れ込んでやればいい。泣きじゃくった顔もどうせ盛大に腫れてしまうのだ、まとめて清めてやることにする。
    「――、まだ……。……、……ううん、おやすみ……」
    「ああ、おやすみ」
    舌足らずに幼児返りした口が、小さく祈りを叫ぼうとしてぐっと言葉を飲み込んだ。代わりに吐き出されたありきたりな夜の定型文に、悔しさを感じながら同じものを返す。
    まだ死ぬな、と、言いたかったのだろう。それが叶わぬ祈りであることを、カインはよくわかってしまっている。俺とて然りだ。目下、恐らくは全ての野望をかなぐり捨ててでも、彼が叶えたいであろう夢。それは、それだけは、叶えてやることができないものだ。
    (せめて、今のうちだ)
    身体を抱き込む腕に力を籠めると、擽ったそうに鼻の詰まった笑い声があがる。どうか、と碌に信じていなかった神を思い描いた。
    明日、己の前でだけ見せる幼い笑顔の「おはよう」という一言を、何事もなく聞くことができるようにと。

    ◆◆◆

    どっと疲れた様子でギースタワーから降りてきたカインは、少しも動かないロックを大事に、だいじに抱えていた。口数の少なくなった彼は多くを語らなかったが、的確に与えられる情報に漏れはなかったように思う。かねてより危険視していたロックの中に眠る暗黒の血が覚めたこと、結果暴走したロックとカインが対峙したこと、カインが制圧したが、手加減はできなかったこと。俺からは一つ、「脈は?」と聞いた。ハッとしたようにロックの首筋に手を当てたカインが、「特に乱れていない」と答えたので、それで十分だった。
    出来得る限りの安全運転で屋敷に戻ると、カインはロックの身体をほんの少しだけ検めて、ふらふらとどこかへ去ってしまった。恐らくはグラントのところへ向かったのだろうと察しを付け、後ろから「ロックは任せて」と声をかけたが果たして聞こえていたかどうか怪しい。怪我でもしたのか、戻ってからずっと左腕を変にぶらぶらと揺らしていることだけ気になって、咄嗟に師匠に連絡を入れる。珍しく素直な礼の言葉が返ってくるのとほとんど同時に、電話向こうで扉がガタンッと乱暴に開く音がした。予想は当たったらしい、ならば問題はないだろう。
    「さて、じゃあ、お前だな」
    ひとまずソファに寝かせていたロックを、丁重に抱えて持ち上げる。耳元を擽る寝息は穏やかだった。カイン曰く炎を当てて気絶させたとのことだったが、苦しそうには聞こえない。あくまでもぱっと見ただけの判断ではあるが、服のほつれや汚れもロックのほうが圧倒的に少ないような印象があった。つまりはカインが、苦戦したのだ。俺が不意を打ってなお、髪の一糸も乱すことなく鳩尾を反撃してきたあのカインが。
    (ロックが化ければカインでさえ敵うかどうか判断がつかない。……前にグラントが言ってたの、まさかと思って笑ってたけど、あの人冗談言うタイプじゃないもんな。隣で戦うようになった今は猶のことわかる。こいつは強い、それこそ化け物みたいに)
    背負った男の息遣いを感じながら、自室の扉をそうっと開く。ロックの部屋も隣ではあるが、人の部屋に勝手に入るのは抵抗があった。
    「よ、っと」
    今朝、起きたままのベッドは乱れに乱れている。くしゃくしゃに丸まった布団を更に端まで蹴り避けて、空いたスペースにロックを寝かせた。上着くらいは脱がせるかとぐいぐいと身体を押してみるが、寝息は乱れることがない。随分深く意識を沈めているようだ。
    「脱がすよ。悪いことしないから、大人しくしててねー、っと……」
    恐らくは上等な品なのであろう革のジャケットは、皺が付かないように椅子の背中にかけておいてやった。年頃の青年にしては飾りっ気のないロックは、カインが駄賃代わりのプレゼントを用意しようとしてもあまり物を欲しがらない。どうしてもと叔父が粘ると、気まぐれに少し高めの(それでもカインが強請ってほしいであろう金額には、到底届かない可愛らしい価格であるのだが)レザー製品を強請ることがあった。この類のものは手入れで長持ちするのがいいんだと言っていたから、きっと物を大事にする性分なんだろう。
    「げ」
    露になった腕を見て思わず声を漏らす。一見して特に怪我のなさそうだった身体には、あちらこちらに火傷の跡が這っていた。カインの炎で焼けたのならば服も焦げているはずだ。おそらく、己が炎による傷だろう。もしかすると、外からの攻撃を防ぐために展開した炎が肌を滑った可能性もある。とかく、はっきりと言えるのはそれなりの手当道具がひつようということだ。
    「寝てても我慢強いのか、ほんと世話焼けるね。待ってなよ……、えっと……」
    すっきりとしているロックの部屋と違って、俺の部屋には物が多い。スラムで暮らしていた頃には物への執着など一切なかったはずなのだが、カインに部屋を与えられるや否や興味が向くものをあれこれ買い集めては飾っておきたくなるという蒐集癖が頭角を現し、俺自身も困惑している。服、アクセサリー、楽器にはじまりミニチュアや玩具まで、棚はおろか机、床にまで及ぶコレクションには分け隔てがない。
    「これだ」
    がらがらと物を崩しながら、薬や包帯の入った箱を探し当てる。滅多にないが、喧嘩で怪我をした時に自らを治療するための簡易的な買い置きである。仕事を終えて帰る頃には夜が更け切っていることが多いため、一応の保険として備えを置いてあるのだが、まさかこんな形で役に立つ日が来ようとは。
    「なんかあったかな。……ああ、これとか火傷のだった気がする。ちょっと古いけど……まぁ、ないよりいいか」
    箱の底で眠っていた、使いかけのチューブを手に取る。グラントと修行を重ねていた頃は、紫焔の扱いを練習する中で何度も火傷を負っていた。それを慰めるためにと与えられた薬だった気がする。火傷と言って、単なる熱で負うものよりよほど深い傷ではあるのだが、それでも一応は効いた覚えがあった。
    「痛かったらごめんね~……」
    掌へ適当に絞り出した軟膏は、しっかりと薬の匂いがする。悪くはなっていないらしい。ところどころ水ぶくれになった傷に、そろりと撫でるようにして薬を乗せていくと、不意に穏やかだった寝息に苦し気な呻き声が混ざった。
    「う……」
    「……! ロック?」
    「……っ……、あ……、……。……、あ、れ……?」
    痛んだのだろう。手を止めて、名を呼んでみる。しばらく様子を伺っていると、長い金の睫が震えて紅眼がぼんやりと露わになる。
    「ロック?」
    「……、ボックス……? ……、っ、カイン! っぐ……」
    もう一度名を呼ぶと、ロックはこちらを振り向いてから唐突にがばりと身体を起こした。しかし、青年の身体はすぐさまよろよろと崩れ落ちてしまう。叫ぶように飛び出したボスの名も、噛みしめるような苦悶の声にとって代わられてしまった。
    「落ち着いて、大丈夫だから。たぶん、あんまり動かないほうがいいよ」
    「……っ、っぅ、カイン、は?」
    「ここにはいないけど、アンタよりはずっと元気だった。安心して」
    軟膏塗れの手で背を擦ってやるわけにはいかず、せめて汚れていない片手でどうどうと肩を叩いてやる。しかしロックは随分と取り乱している様子で、紅眼にありありとした不安を浮かべながら噛みつくような勢いで俺の顔を見上げた。意識して表情を和らげながら、安寧を与える言葉を選んで返す。何度も大丈夫を繰り返すと、ようやくロックは長く細いため息を吐いた。
    「な、ら……、いいけど……。……っ」
    「ロック?」
    落ち着いたか、と肩から手を離したその瞬間。ロックの喉からヒュっと嫌な音が聞こえた。反射的に腰を落として顔を覗き込むと、端正な顔立ちは明らかな苦痛に歪んでいる。口元を抑えているあたり、気分が優れないのだろう。再び肩に手を添えると、金糸が何かを拒むようにいやいやと左右に振り乱れた。
    「気持ち悪い? 吐いていいよ、シーツも布団もそろそろ変えよっかなと思ってたところだし」
    「……ッ、ふ、っぅ……っ、ん、っぐ」
    「変に堪えないで、喉に詰まる、出しちゃいな」
    「んん……ッ、ぅ」
    喉が震えている。到底抑えきれないところまで吐瀉物が上がってきているであろうに、ロックは頑なに口から手を放そうとしない。それどころかせりあがるものを奥へ飲み戻そうとまでしている。これは、多少乱暴に出なければならなそうだ。
    「……ちょっとごめんね。よ、っと」
    「はっ、っぁ、がっ……ぉ、ぇ、はっ、うぇえッ……」
    どうせ汚れると割り切って、ロックの掌を両手で力一杯に引きはがす。そのまま指を咥内に突っ込み、無理やり我慢をやめさせた。手の甲を生暖かい吐瀉物が滑って行く。大方が溶けかけた食べ物だが、中には血の赤も混じっていた。
    「はぁッ……、っぁ、ご、め……」
    「血はまずいなぁ、血は……。でも内臓からにしては色が鮮やかかも。口が切れてるのかな、これくらいなら朝まで様子見てもいいか……」
    「……。はは……、なんか……、お前ってほんと、たくましー……ってか……」
    「え、ごめん、なんか言った?」
    「なんも……。汚して悪い、って、言った……」
    吐き出された吐瀉物の分析に気を取られ、はっとロックに意識を戻す。絶え絶えではあるが言葉はしっかりとしていた。眠っていた時に比べると顔色はすこぶる悪いが、思いのほか意識ははっきりとあるらしい。言葉が出せるのなら、ひとまずは安堵してもいいだろう。
    「汚れるのは別に、洗えばいいし。あー、でも、このままじゃ休めないか。身体ももうちょい見ておきたいから、とりあえずバスルームに連行かな。いい? 連れてって。あ、まだ気持ち悪いならここで吐き切ってった方がいいと思うんだけど……喉押す?」
    「発想が一々物騒……。大丈夫、それから、歩ける……」
    「転んで頭とか打たれたら困るの俺なんだけどな~。大人しくしときなよ、ね」
    緩慢に動こうとする青年を制してじっと紅を見る。この数年、同僚ないしもしかすれば友人、押しつけがましく馴れ馴れしさを強調するのであれば兄弟のように過ごしてきて思うが、ロック・ハワードという男はあまりに不安定な人間であると思う。心身共に力に振り回されているような節があるのだ。強大の一言に尽きる力を複数抱え込んでいるとあっては致し方のないことなのかもしれないが、見ていて危ういと感じることが本当に多い。今日とて然りだ。暴徒に取り囲まれている最中にふらふらと動きを止めるものだから、気が気ではなかった。
    それでも百歩譲って、危ういのは良い。守ってやれば済むことだから。厄介なのはここからだ。そんな危うさを抱えながら、彼は他者の手を一切合切借りようとしない。支えてやらなければ立ち上がれもしなさそうな状況においてなお、支えを拒んで足を踏ん張ろうとする。大丈夫、平気だからとうっすら笑って無茶を通すロックは、意地を張っているというより何かを畏怖している雰囲気があった。
    その曖昧な顔は、どうしてか俺を酷く煽って苛つかせた。最初はカインに見込まれたと言う青年の、あまりの呆気なさに飽きれているのだと思ったけれど、多分違う。この苛立ちはもう少し穏やかなものだ。俺としてはらしくない、優しさか思いやりと呼ぶようなもの。
    「ほら」
    思いやりが半分、脅しが半分。若干の不機嫌を添えてわざとらしく目を細めると、ロックは困った顔をして、おっかなびっくりに手を伸ばして来た。どこまでいっても控えめなそれを、力強く引き寄せる。ここに手綱があるのだと、指先一つ一つに覚えさせるようにして。
    「あんまり揺らさないようにするからさ。車と違って」
    「……はは、頼むぜ。今あんだけ揺らされたら、流石にもっかい吐く」
    軽口を叩きながら、決して華奢とは言えない身体を抱き上げる。触れる肌がきちんと暖かくあることに、深い安寧を覚えながら抜き足差し足にバスルームを目指した。
    ◇◇◇
    「痛む?」
    「いや……、あんまり……」
    「うーん……、この見た目の怪我で? 痛覚がイかれてるか、それとも本当に見た目よりは軽いのか……。何とも言えないな。明日カインとまとめて朝一番に診てもらう算段つけたから、ちょっと早起きよろしくね。その前でも、なんかおかしくなったらすぐ言ってよ」
    「ああ」
    「……本当にすぐ言ってよ?」
    「わかってるよ、わかってる」
    汚れた寝具はひとまず全て引っぺがしたが、それでも片づけには時間がかかると踏んで手当てのやり直しはロックの部屋で続けることにした。シャワールームでは「一人で洗う」というロックと「洗い場でこそ転ばれてたまるか」という俺の対立でひと悶着があったのだが、物音が少しでもけたたましくなったら突入するという条件付きで和解に至った次第である。俺とロックの言い合いは往々にして長引く傾向にあるが、今日は解決策の提案が早かった。恐らくは疲労のせいだろう、手当を受ける青年は相変わらず、うっすらと顔色が悪い。
    「……ありがとな」
    「もっと言って~。……なんてね、冗談。別にこれくらいなんともないよ。俺が仕事でちょっとかすり傷とか作ってくると、アンタ飛んできて絆創膏貼るじゃん。あれと一緒でしょ」
    「いや、手当もそうだけど……今日、一日って言えばいいかな……」
    「ん~……?」
    軟膏を塗り直した腕を包帯で保護してやりながら、上目遣いにぼうっと座る青年を眺める。言葉を探すロックもまた、視線を迷わせることなく俺の方を見下ろしていた。
    「俺……、今日はずっと、力の様子がおかしくて……。たぶん、だけど、ちょっと飛んでるときもあったろ」
    「……」
    「そういえば、お前が守ってくれてたな、って……。だから、ありがとう」
    「……、どーいたしまして」
    素直な感謝をどう受け取るべきか考えあぐねる。胸を擽るこそばゆさに、反射的な軽口が出そうになるのを抑え込んでどうにかありきたりな言葉を返したが、声音にはこらえきれない不真面目が滲んだ。
    「できれば倒れる前に、おかしいって言えるようになってほしいんだけどね。報告連絡相談、組織に属するならできて当然……いや、アンタは組織に属してねーのか。でも大事なこと。カインもきっと肝冷やしたよ、今回は。後で謝るか、礼言うかしといたほうがいいんじゃない」
    「ああ、勿論……。……頭じゃわかってんだけどな……」
    言葉尻を窄めたロックが、辛うじて座っていた身体をふらりと横に投げた。反射的に手を差し出して肩を受け止めると、穏やかに紅眼がはにかんで瞼が降りる。カインをそのまま少し幼くしたような顔立ちは、言わずもがな整いきっていて恐ろしいまであった。特に目を閉じると、妙に人間味がなく人形のように見える時がある。
    「人に頼るのが怖い?」
    「……いや……、……うん、そうだな……怖いのかもしれない」
    「どうして? これ、アンタを馬鹿にしてるとかそういうわけじゃなくて、素直な俺の意見なんだけど。アンタの周りには、アンタに甘い人間がごまんといるように見えるんだよね。どうしたのって声かけてくるような奴、狼は勿論あのビリー・カーンだってそうするでしょ。カインだって。取れる手は山ほどあるのに」
    「……、母さんが死にそうになったときの話ってしたっけ」
    「メアリー様の?」
    あらかたの手当は済んだ。道具を適当に箱に戻して、邪魔にならない場所まで避けておく。それからどうするか少し迷って、ベッドの隅に腰を下ろした。ぐったりとベッドに沈んだロックの頭を、手持無沙汰に撫でてみても文句は返らない。カインと同じ色だが、彼より少し癖のついたこの髪は触り心地がよかった。普段、ふざけて撫でると大概振り払われるのでここぞとばかりに堪能しておくことにする。
    「俺がまだガキの頃……、母さんの病気が悪くなって、ギースに会いに行ったことがあるんだよ。あの趣味の悪いビルを、一人で駆け上ってさ」
    「……ギースタワーに? ひとりで?」
    「そう」
    「ただの子供が? 警備とかどうやって突破したわけ?」
    「普通に、走って。今思うと笑える。……ガキって怖いもの知らずだよな」
    喉を鳴らすロックに何とも言えず、曖昧に笑う。「ガキ」の頃からアサシンだった俺は、ギースの首を狙う為に同じくあのビルを駆けあがったことがあった。だが追手の手は幼子にも容赦なく、かなり厳しかったと記憶している。殺し、逃げるという経験値が少しでもあった自分に比べてロックは本当に、ただの一般的な子供だったはずだ。殺意のあるなしを大人が遠目で判断していたのか、それともロックが誰であるのかが知れていたのか、条件の違いはあるにしろ、彼の胆力が存外強大であることに感服を覚える。押し殺したはずの殺意を目ざとく気づいて警戒していたのも然り、穏やかに見える青年はやはり戦いの宿命に愛され過ぎているのだ。カインが手放したがらないわけである。
    「実を言うと、ギースの話は母さんから山のように聞かされてたんだ。街で流れている帝王の噂とは、似ても似つかない人らしい話を……。だから、会いに行こうと思った。まぁ、何もしてもらえなかったんだけど。いや、母さんが生きてたってことは、俺の知らないところで何かしたんだろうけどな。少なくともガキの俺には、冷たい目をした化け物に睨まれて追い返されたって記憶が残った」
    「ああ……恨んでるって言ったっけ?」
    「昔は。今はなんとも。……気持ちはよくわからないままだ、父親だって実感もあんまりない」
    それは、そうだろうと思った。他人の俺が聞いたって、この気優しい男が非道なる帝王の子であるなど想像もつかない。生まれついて天涯孤独だった自分にとって、家族の話と言うのは最も縁遠く共感の難しい話ではある。しかし淡々と紡がれる過去の話が、ロックにとっての深い傷跡であるというのは理解することができた。大切な家族を喪う感覚も、いずれは――味わわねばならなくなるものだ。考えたくもないが、ひとつ、別れの近い絆がある。きっとその時、俺は彼の抱える痛みをもう少し深く知るのだろう。だから今は、ぼんやりとした理解でいい。まだ、それでいいはずだ。
    「母さんは……ギースを信じていたから。その話を聞いていた俺も、あいつのことを、多分、信じてた。けれど頼って、切り捨てられた。その記憶を……引きずってんのかな、と、思う。……テリーなんて断るわけもないだろうにさ、それでもうっすら嫌なんだ。振り払われることを考えて、手が出ない」
    うっすらと紅眼が開いて、こちらを見た。月のように欠けた瞳は笑みを描いているけれど、その表情はあまりにも哀しい。この笑みは、俺を苛立たせる笑みだった。たった一つではあるが年上、それを俄かに信じがたく思わせるあどけなく無垢な笑い顔のほうがよほど見ていて心地がいい。
    それが生ぬるい慈愛の類であることに、俺はもう気づいてしまっている。
    「絶対助ける、って、約束してもダメ?」
    「ん……?」
    「俺だけは絶対、何があっても手を解かないって。もし振りほどいたらそこで腹切るみたいな、そういう約束をしても怖い?」
    「なんだ、それ。別の意味でこえーだろ」
    「えぇ、そっか。……じゃあどうするかな」
    「……、頼られて―の?」
    「うん。危なっかしいから、アンタ。カインやテリーはまぁ、思うところもしがらみもあるでしょ。でも俺はぽっと出の同僚、ちょっと良く言えばダチ。気軽じゃない?」
    本音を言えば胸の奥はずっしりと重苦しい。心配、それから愛しさが産む苛立ちは複雑怪奇で到底表に出せそうになかった。表情を取り繕うのが得意でよかったと思う。飄々と笑いながら首を傾げて見せると、ロックはふっと微笑んで「くすぐったい」と俺の手を振り払った。
    「……、弟」
    「は?」
    「もっと、良く言っていい。お前は、なんてーか……弟みたいなもん。気軽、ではないし、強がれないのは親しさじゃなくて、その逆。わかるか?」
    「……えー、っと、待って」
    「努力する、って話だよ、俺が。……お前には……、お前にだけは、色々言えるようにする。黙って押し込んで、今日みたいに飲まれてちゃ、却って迷惑ってのは身に染みたから」
    振り払われた腕を、熱っぽい掌に捕まれる。そのままぐっと力いっぱい身体を引かれて、油断していた俺はあまりにもあっけなくロックの傍に引きずり倒されてしまった。
    「う、わ……! 何、すんの」
    「ここに居ろ、このまま、寝て。力に飲まれる時って、眠って意識が落ちる時とちょっと感覚が似てるんだ。目を閉じて暴れまわったらって考えると、それも怖い。だからここに居て、ボックス。お前も俺を、止められるだろ」
    なぁ、と細められた瞳は、言葉より軽やかに笑っていた。信頼の微笑みだ、あどけなさが戻っている。
    「……りょーかい、安心してよ、おにーちゃん」
    「やめろ。みたいなもんって言ったろ、そのものじゃねーから」
    「やだ、気に入った。世話の焼けるお兄ちゃん」
    「……感謝撤回してやろうか」
    「それもやだ。ふふ、ははっ、わかったやめて、怒んないで。ごめんロック、脇腹抓んのは流石に、ふふっ、はははっ」
    小さな反撃に笑い転げると、ロックはじっとりと俺を睨みつけたあと、また柔らかく笑って目を閉じた。ふっと肩の力が抜けていく気配がある。もう意識も限界なんだろう。そうっと頭に触れ直すと、金糸をあやす指先はまた好きにさせてもらえた。
    「おやすみ、ちゃんと見てるから」
    「……、うん……」
    「俺がなんとでもするからね」
    約束、と続けると、ロックの口角が上がって、下がる。聞こえてくる呼吸が深くなり、返事はやがて寝息に変わった。身じろいで金糸に鼻を埋めると、薬の匂いが鼻腔を満たしていく。ロックの匂いは本来爽やかに甘く、もっと愛らしくて美しいものだ。薬の匂いは不安を連れてくる。できれば、長く続かないでほしい。
    「おやすみ」
    返事の期待できない独り言をもう一度。安心したような寝顔は俄かな歓喜を胸に呼び込みこんでくる。ほんのりとした温もりは、長い夜をついぞ飽きさせないなかなか愉快なものだった。

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