藍色インシデント(仮)「お兄ちゃん、誰……?」
「父………いえ、斯波先生に言われて、お迎えに来ました。」
父が“教育する”という目的で孤児院から引き取ったという男の子に会ったのは、それが初めてだった。
就学年齢を越えていたので、とりあえず学校に行かせたものの、即日連絡があり、手が離せないという父の代わりに講義を切り上げ迎えに行ったら、担任の代わりに校長がいて、話を受け流しながら一時間ほど神妙な顔をしつつ丁寧に頭を下げ通す羽目になった。
「学校はやめとくよう、先生にお伝えしますね。」
「学校って何?」
お父さん、必要のない教育が杜撰すぎるでしょう。
俺の時以上にひどい。
「今、いたところです。」
「ああ。馬鹿とカモが群れになって偽善者気取ってたあそこね。」
くっくと肩を震わせながら、いかにも馬鹿にしたように笑うさまはさながら小さな父のようで、見た目がただの子供だけに実に面白い。
あっという間に起こったというクラス崩壊。
ちょっとその手腕を見たかった。
悪魔の降臨した子供の地獄絵図なんて、なかなかお目にかかれるものではない。
「先生は夕方まで戻られないので、それまで私が暇つぶしに付き合いますよ、友一君。」
目の前の可愛らしい悪魔に言うと、
「お兄ちゃんの名前は?」
「私は普段ここにはおりませんので、“お兄ちゃん”でいいですよ。」
情報はつかませない。
父が俺の事をこの子に話さないのも、たぶん似た理由だろう。
「……分かった。ねぇ、お兄ちゃん。銃使える?」
「少しは。」
「やってやって。このあいだ使ってる人を見たんだけど、バーンって前に何かいじってたんだよ。知りたい。」
人殺しの道具に嬉々として興味を示す。
言われるままオートマとリボルバーの仕組みをモデルガンで見せ、撃てるかと言われたので普段通りダブルタップ(同一ターゲットへの二連射)で撃ってみせたら理由を聞かれ、致死率が上がるからと説明すれば、じっと考え込む。
見ないで弾交換が出来るかと聞かれたのでやってみせたら、自分もと言い出し、最初はボロボロとこぼしたが、十分くらいで出来るようになった。
手先が器用だ。
ミスディレクションをしながら相手の銃に細工する、くらいは難なくこなせそうだ。
意識してモデルガンを遠ざけ、動きを制限するために抱っこして膝に乗せた。
俺の専門が父と同じ詐欺ではない、と勘づいたのか、そこから先の質問は“暴力”の分野だった。人体の急所について、苦しまずすぐに死ねる方法やら逆に出来るだけ長く苦しみながら生き残る方法、動きだけを奪う方法。
膝に抱きながら、おとぎ話でも聞かせるように血なまぐさい話をし続けた。
「お兄ちゃんも、お金は大事?」
「大事ですよ。」
「お兄ちゃんは、お金で買える?」
小さな柔らかいてのひらを、誘うように俺の頬にそえてくる。
「私に値段はついていません。ついでに言えば、私は自分を売りたいとも思っていません。」
「先生が言ってた。お金で買えるもの。“値段がつけられているもの”、“人が売りたいと思ってるもの”、あとは……」
「お金でなくても、“暴力”で人を動かすこともできますよ。」
にっこりと笑ったら、
「……俺には、暴力は合わないかな……。だから、お兄ちゃんがそばにいれば面白いかなって思ったんだけど………」
無邪気な、満面の笑みを向けられた。
こんな笑顔が“作れる”なら、きっと、この子はあっという間に父を越えるだろう。
携帯が鳴った。
「……そろそろ先生が戻られるようです。もう行きます。」
「そう?残念だな。……ねぇ、お兄ちゃん。」
「何ですか?」
「今度会った時はゲームをしよう。考えておくから。お兄ちゃんが負けたら値段をつけてよ。」
「……友一君が大きくなった時に、また会いに来ますね。」
それでも心残りがあるのか手をぎゅっと握って来たので、いたずら半分、その小さな手に軽く口付けるとびっくりしたように慌てて手を離した。
あの手でこれからどれだけの人間を地獄に送っていくのだろう、どれだけの絶望の呻きを作り、血を流していくのだろう。
そばにいるのも良いけれど、父を潰して敵になってくれても愉しそうだ、と、本心から、楽しみにしてます、と手を振った。
□
あの時の細いやわらかな指先の感触は、未だ色褪せない鮮明な記憶。
「真次、まだ寝ないのか?」
「今、本がいいところなので、先に寝ていて下さい。」
「ふーん………」
ずかずかと近付いてきて、膝の上にどすっと勢いよく座られた。
「………友一君。本が読めないのですが。」
「今、ちょうど座りたい気分だったから。」
睥睨するご主人様を無視して、右手で本を高めに持ち上げ続きを読もうとすると、
「おい。俺以上に、大切なものなんてあるのかよ。」
がっしりした手のひらを、誘うように私の頬に添えてくる。
「………私の時間を何で買いますか?」
本を読みながら問うと、小さな声で、あ、と息を飲んで目を見開いた。
「どうしました?」
「いや、……なんでもない。………なんか前にさ………いや、気のせいだな。」
友一君は軽く首を振ると、私の左手をとりその甲にキスをした。
「俺からのキスで、買える?」
そのまま指を一本ずつ舐めていく。舌を出して、それはもう丁寧に。
しばらく好きにさせてから本を閉じ、
「いいですよ、売りましょう。」
上からこちらを見下ろす艶やかな瞳も、にやりと笑う濡れた唇も、もうすっかり大人のもので、あの時の小さな手に思いを馳せ指を絡めた。
《終》