夏の盛りの逃避行「ん……」
軽い違和感とともに目が覚める。
肌に触れるシーツの感触が、馴染みのないものだと気づくより前に、汗ばんだ肌の匂いに安心した。
まだ焦点が合わない意識のまま、誘われるように目の前の肌にちゅく、と吸い付けば、こら、今日はやべえ、と上からあまりやばくなさそうな笑い声が降って来た。
「どうせならついててもいい時につけてくれよ。流石に今日はマネージャーに泣かれちまう」
「んぅ……」
ふしくれだった指が柔らかく唇を肌から引き剥がして、感触を楽しむように下唇をなぞってくる。
ネロは覚醒しかけた意識の中で、ちゅく、とその指先を口内へ迎え入れた。
ちゅむ、と舌を這わせて夢中になってしゃぶっていると、あーくそ、と頭上で漏れた低い声に艶が乗った。
ブラッドリーの、欲が溶け込んだ声が好きだ。
掠れて、艶めかしく響くその声はいつだってネロを煽る。
「ネロ」
「ふ、……」
お伺いを立てるように背中伝いに腰へと滑り降りる手。
応と答える代わりに、ネロは腰を浮かせた。
「昼まで時間あるけど、どこ行きてえよ」
「……お前、いきなり呼んどいてそれを考える暇があったと思うのかよ」
朝から濃厚すぎる時間を過ごし、いつになくゆっくりとした時間に二人でシャワーを浴びる。
さすが、やり手芸能プロの双子社長の別荘だ。
常に管理会社にメンテナンスされているという三階建ては、埃ひとつなく、タオルやシーツに至るまで完璧な用意がされていた。
避暑地として有名なこの地は、来てみたいと思いつつきたことがなかった。
ネロはタンクトップの上からシャツを羽織りながら苦笑した。
「あんたのサプライズには本当、毎度驚かされる」
「楽しくていいだろうが」
ネロを突然バイクで拉致した張本人は、得意げに胸を張って見せた。
「今日のライブの後、次のライブまで少しオフもらったからよ、明日一日ゆっくりしてから帰ろうぜ」
夏休みの特別休業日をやたらと確認したがったのはこのためか、とネロは腰を抱く手を軽く叩き落としながら顔を顰めた。
不快感からではない。
くすぐったいような、落ち着かないような、それでいて高揚するような変な気分に襲われたからだ。
自分が「帰る場所」を持たないのをよく知っている男の、さりげなさが胸をつつく。
叩き落とした手を掴んで、すぐそばのテーブルに無造作に放置されていた革のブレスレットを巻き付けてやりながら、ネロは軽く首を伸ばしてブラッドリーにキスをした。
「んじゃ、昼からは明日どこ行きてえか調べとく」
「なんなら一緒に会場入りするか?スタッフに話通してやるけど」
「やだよ。開場したら一般で行くから」
BBのプライベートの関係者、なんて万が一知れたらと思うだけで恐ろしい。
この男は熱狂的な信者のようなファンが山ほどいるのだ。
いつもなら、こちらのことを考えて配慮してくれるのに、どうやらこの男もかなりうわついているらしい。
自分でも思い至ったのか、あー、と眉間に皺を刻んで沈黙したブラッドリーが、ちゅ、と唇にキスを返しながら、悪い、そうだな、と小さく囁いた。
「ここんとこライブ漬けでろくに顔見てなかったからよ」
「わかってるよ。だから、……ちゃんと嬉しいと思ってる」
「ん」
また落ち着いたら日帰りで県外行こうな、と嬉しそうに目を細めたブラッドリーに、あぁ、たまんねえな、とネロは甘いため息を吐いた。