【ブラネロ家族】クッキーに思いを込めて。「んじゃ、ちょっと行ってくるからいい子に留守番してるんだぞ、ジュニア、ネリー」
「わかった! 行ってらっしゃい。ネリー、ほら、ネロにいってらっしゃいは?」
伴侶にそっくりの長男がニパ、と笑顔を見せてから、腹にしがみついている妹の頭を撫でる。
この魔法舎で最年少の少女は、ネロに瓜二つ。今日は緑色のフリルがついた赤いワンピースを着せられている。クロエいわく、苺をイメージしたんだよ!というそれは、なんとも可愛らしいデザインだ。
彼女はネロを見上げて、うりゅ、と顔を歪めた。
「ねよぉお……うぁやあああん!」
「おわ! ネリー、だめだよ、笑顔でいってらっしゃいしよって兄ちゃんと約束したろ? ネロ、大事なおつとめなんだから」
大好きなネロに両手を伸ばして本格的に泣きながらいやいやと首を振る妹に、ジュニアと呼ばれる兄はブラッドリーにそっくりな顔を曇らせて押さえ込もうとするようだ。
「なんだ、ネリーはまだネロ離れできないのか」
「シノ! しかたないだろ、まだ小さいんだぞ。でもどうしようかええと」
しゃがみ込んだネロの背後から、共に任務に赴くために揃っていたシノとヒースクリフが顔を覗かせる。
いつもなら二人の顔を見ると笑顔で駆け寄ってくるのだが、さすがに泣き止まないネリーに彼らは顔を見合わせて苦笑した。
「先生……あ」
どうしましょう、と振り返ったヒースクリフが、ファウストの隣に立ったシルエットに目を瞬かせた。
ファウストは、もう大丈夫だろう、と小さく笑った。
「ネリーは『父ちゃん』が大好きだからな」
「おう、ネリー、何ぎゃん泣きしてんだお前はよ」
「! とちゃ……」
「ブラッド」
手にしていた紙袋を魔法で空間に消し、ブラッドリーがしゃがみ込んだネロの背後からジュニアの頭をくしゃりと撫でてから、その手からネリーを抱き上げる。
「父ちゃん……」
どこかほっとした声でジュニアがブラッドリーを見上げた。
ネリーは小さな手でしっかりとブラッドリーのシャツを握りしめ、ねよがってらったいって、と一生懸命訴えるようだ。
涙でぐしゃぐしゃに濡れピンク色に赤らんだ頬に軽くキスを落として、俺がいるだろネリー、とブラッドリーが甘く囁く。ネリーは潤んだ黄水晶の瞳で大好きな父親を見上げ、うん、と頷いた。効果は絶大だ。
腰を浮かせながらう、とネロが気まずげに頬をじわりと朱に染めた。
「なんか落ち着かねえからやめてくんねえ? それ」
「なんだ、てめえも口説かれたかったかよ」
「うるせえそんなんじゃねえ!」
「どうでもいいけどそろそろ時間だろ」
シノが冷静に突っ込んで、ジュニアの頭を撫でた。
「ジュニア、戻りを楽しみにしてろ、最高にかっこいい俺の武功を報告してやる」
「うん!シノ待ってるぜ!」
「ネリー、お土産楽しみにしててね。なるべく早く帰れるように頑張るからね」
「ひしゅ、てらたい」
ようやく泣き止んだネリーが、ブラッドリーの肩越し、小さく手を振ってあいあい、と呟く。バイバイ、のつもりらしい。
もう大丈夫そうだな、と、ネロが頬を緩め、ブラッドリーに、後頼む、と笑った。
「三人ともいい子にお留守番しててくれよ」
「俺までガキの頭数に入れるんじゃねえ」
「ふは」
む、と唇を尖らせたブラッドリーを見上げ、ネリーが真似をしてむ、と唇を尖らせる。
ぶは、とふきだして、ネロはジュニアの肩をポンポン、と叩いた。
「ジュニア、ブラッドが悪さしねえように俺の代わりにしっかり見ててな」
「! おう!任せろ!」
「おいジュニアどっちの味方だてめえ」
ブラッドリーが笑いながら片手でジュニアの頭を戯れに掴む。
そうしてようやく、ネロは任務に出立したのだった。
東の魔法使い達を見送り、エントランスに戻りながらブラッドリーがニ、と口角を上げた。
「うっし、じゃあてめえら、ちょっと手伝え」
「何かすんのかよ?」
泣き止んだネリーを床におろしながらブラッドリーがジュニアにおう、と勝ち誇った顔で頷いた。ネリーはすかさず兄の手をぎゅ、と握る。
「クッキー作るぞ」
「クッキー? ネロいねえのに作れるの?」
「当たり前だろうが。俺様を誰だと思ってやがる」
「すげえ!」
ジュニアの目がキラキラと輝く。期待と羨望が入り混じったそれに、ブラッドリーは誇らしげに胸を張った。
「最初の頃は見た目があれだったが、あれから何べんかあいつに補助させて作ったからな、もう完璧だぜ。ネロ帰ってきたらびっくりさせてやろうぜ」
「うん! でも珍しいね、父ちゃんが菓子作るって」
お世辞にも料理に興味があるとは言えないのは、ジュニアも知っている。
むしろ、調理中のネロに絡んでは邪魔だと厨房から追い出されることの方が多いくらいだ。そんな父がどうして突然クッキーなんて作る気になったんだろうか。
もちろん、ジュニアとしては大好きな父と一緒にできることなら、大概のことは嬉しいのだけれど。
ブラッドリーはたくらみを打ち明けるように階段を上がりながらジュニアに囁いた。
「ひと月前にもらったからな、お前らとネロに」
「あ。そっか、おかえしの日? けんじゃゆってたやつ!」
「それだそれ、名前は趣味悪いがな。材料はメリトロを脅し……じゃねえ、メリトロに聞いて揃えてきたし」
今ならオーエンもカインに新しいケーキ屋がどうの、と誘われて外出中、ミスラは南の兄弟と朝から出かけている。今ならうっとおしい邪魔も入りにくいし、チャンスだ。
「くき!」
「おう、お前も手伝えよ、ネリー」
「んひひ」
兄の手をしっかり握りしめ、ネリーが嬉しそうに足踏みをして笑った。
「はあ……疲れた。もう夕方じゃん……」
「時間かかる割には地味な任務だったな。もっと俺やヒースが華やかに活躍できる任務はないのか」
「任務にわがまま言うなよ。どの任務も大事だぞ」
塔からエントランスへと向かいながら、ヒースクリフがシノを諫める姿を見守りつつ、ネロはファウストと並んで歩いていた。
シノの言うのももっともだった。正直なところ、賢者の魔法使いじゃなくても解決できるんじゃないか? と、いう案件だったのだ。
その上、人間と大いに絡む案件だった。さすがにファウストも言葉少なになっている。
「……今日の反省会は、夕食後にしよう。ちょっと休ませてくれ」
「あーわかる。そうしようぜ」
「じゃあ俺は森で鍛錬してくる」
「え、シノ今から?」
「暴れたりないからな。っと?」
誰か相手を頼もう、と言いつつ重厚な扉に手をかけたシノは、すぐに一歩引いた。
扉が内側から開いたからだ。
「おかえりシノ!」
「ジュニア。ただいま、迎えにでてくれたのか」
小さく開いた隙間からジュニアがシノに飛びついた。シノが笑ってポンポンと頭を撫でている。
その後ろから、ネリーを抱いたブラッドリーがひょっこりと顔を出した。
「おう、お疲れ」
「ねよ!」
「ただいま。珍しいな、全員そろって迎えてくれるなんて。……ん?」
出てきた三人から、ふわりと甘い香りがした気がして、ネロは首を傾げる。
笑ったブラッドリーが、ネリーをネロ達と向かい合うように抱きなおして、囁いた。
「ネリー、呪文言えるか?」
「!」
ネリーの顔がぱっと輝く。
シノから離れたジュニアが、悪戯をしかけた子供そのものの笑顔で、ネロ、みんな、見てて! と両手を広げた。
「ネリーが魔法使うから!」
「ええ⁈」
「へ」
「そりゃすごいな」
「ふふ」
ヒースクリフはもう魔法使えるの、と驚き、ネロは絶句した。そんなの聴いてない。今日できるようになったのか?
シノはあまり信じていないのか、それとも素直に感心しているのか、笑って見守るようだ。
ファウストは一人、優しい笑みで見守っていた。
大好きな皆に注目されたネリーが、んふー! と胸を張った。
「あどでぃすおむす!」
小さな声が、舌ったらずに聞き覚えのある呪文を唱える。
ブラッドリーが小さく口を動かして、トン、と右足で床を突いた。
瞬間。
「わ!」
四人の目の前にパッと小さな包みが出現し宙で静止した。
透明なパッケージに入っているのは、いろんな形の……
「クッキー?」
「だな。こっちは焦げてる。こっちは白いな」
「やったー! 成功!」
ジュニアが嬉しそうに飛び跳ねて、ブラッドリーとハイタッチ(ブラッドリーにはハイタッチにはならなかったが)をした。
「三人で作ったの! プレゼント! びっくりした?」
「びっくりしたよ、嬉しい、貰っていいの?ありがとう」
ヒースクリフが宝物を手にとるように、両手でそっとクッキーの包みを受け取る。
シノが無造作に片手で掴んで、早速食べよう、とリボンを解きながらジュニアとネリーを交互に見てニ、と笑った。
「ありがとうな、ジュニア、ネリー。これ、ひょっとして俺の魔道具か?」
「あっ、そう! 折れちゃったけど……」
「いや、ちゃんと鎌ってわかる。食べるのもったいないくらいだ」
でも美味そうだからいただくな、と、彼は小さな三角を取り出して口に運ぶ。
ファウストが、上手に焼けたな、と柔らかい声で褒めた。
「とても美味しそうだ。ありがとう。しばらく飾ってからいただくとしよう」
「これって」
ネロだけは驚きから戻れずに、呆然とブラッドリーを見た。
ブラッドリーはどこか恥ずかしそうに笑って、だいぶましだろ、と肩をすくめた。
「昔大笑いされたのより、全然ましだろうが。味は保証するぜ、なんてったってレシピは東の飯屋直伝だからな?」
「おれたちもいっしょにつくったし! ね、ネリー!」
「くき! ぽんって!」
「型抜き上手だったんだよ、ネリー」
ジュニアがネロに駆け寄って、嬉しそうに報告するものだから、ネリーもどこか誇らしげに両手をパチパチとしてみせた。
「ふは……! ありがとうな。凄く嬉しい」
ネロは破顔して、クッキーの袋を両手で包み込んだ。