ホームワークが終わらない 第五章【ノストラダムスのいうとおり】
ノストラダムスの予言した通りだと、もうすぐ世界は終わるらしい。
『一九九九年七の月 空から恐怖の大王が来るだろう』という予言から、人類滅亡説が囁かれた。彼の大予言はテレビ番組でも盛んに取り上げられ、関連書籍もたくさん発売されていた。
僕はというと、ヒロと呑気に過ごしていた。僕たちはカセットテープにお互いの音声を録音しては交換することにハマっていた。ヒロはよくラジオ放送のように、トークの後に曲を流す。それがまた聴いていて楽しかった。彼には人を笑わせるユーモアがある。
『こんばんは。DJヒロミツです。ノストラダムスの予言した七月に入りましたが、僕の学校では変わりなく毎日授業があります。台風で学校が休みになるように、ノストラダムスの予言も警報扱いになって学校が休みにならないでしょうか』
寝る前に、ヒロの録音したテープを聴くのが好きだった。僕は話すのが苦手だから、テレビの歌番組を録音することが多い。テレビの後ろに回ってタイミングよく録音するのは難しくて、下手するとCMの音が入ってしまう。今回は上手く出来た。ヒロの好きなバンドの曲が録れたぞ。
翌日の朝一番にカセットテープをヒロに渡す。
「ヒロの話、今回も面白かったよ」
「ありがとう。ゼロは何を録ったんだ?」
「聴いたらヒロ喜ぶよ」
「ほんと?期待してる」
今日は日直だったので、朝から大忙しだ。同じ日直の前田さんが皆の宿題ノートを集めているのがふと目に留まった。
「前田さん、僕が持っていくよ。重たいでしょ」
「え、でも」
「いいから。貸して」
前田さんは、降谷君ありがとう、とはにかんだ。以前の僕ならこんなことしなかったと思う。でも人との歩み寄り方が少しずつわかってきたつもりだ。
クラスメイトから話しかけられることも多くなった。ヒロのおかげだ。
職員室の先生の机にノートを置いて教室に戻ると、ヒロを中心にクラスの皆が大勢集まっていた。
「なー、ゼロはテレビを録音するの上手だろ」
「これメルクアンピエルの新曲だよね」
「いい曲ね!」
目を疑った。
ヒロが僕の渡したカセットテープを皆の前で再生していたから。
わなわなと怒りに震え、教卓に置いているラジカセごと奪った。
「ゼロ!?」
「見損なったよヒロ」
「ゼロ、これには訳があって」
「二人だけの秘密だと思ってたのに」
ヒューっと誰かがふざけて口笛を吹いた。耐え切れなくなってその場から走り去った。
ヒロは追いかけてきた。渡り廊下を走り抜けて下駄箱で追い付くと、僕の手を掴んだ。
「待って、ゼロ」
「……嫌いだ」
「え?」
「ヒロなんて大嫌い!絶交だ!」
「絶交だ、なんて……」
ヒロは黙り込む。
「僕は嫌だよ、ゼロと絶交なんて」
急にしょげてしまったヒロに、良心が痛んだ。だけど僕はもう一度はっきりと言う。
「絶交だからな」
ラジカセを職員室に返しに行くと、先生にもう用は済んだの?と聞かれた。
「諸伏君が借りに来たのに降谷君が返しに来るなんて。相変わらず仲良しね」
先生の言葉に上手く笑えたかはわからない。僕たち喧嘩したんです、とは言えなかった。
ヒロとは一言も口も利かないまま、終業式を迎えた。僕は退屈な夏休みをやり過ごさなければならなかった。ヒロは夏休みには長野に帰ると言っていたから、当分顔を合わすこともないだろう。
毎朝ちゃんとラジオ体操に行った。住んでいる地区にある民営プールにも通ってみた。これ以上真っ黒になりたくないので日焼け止めクリームを塗った。ヒロは、日焼け止めクリームを塗ってもすぐ肌が赤くなったな。去年ここのプールでどっちが早く泳げるか競争して僕が負けたっけ。プール帰りには駄菓子屋さんでアイスを食べたな。ふとした瞬間に思い出すのはヒロのことばかりだった。
「ねぇ知ってる?今日で地球が滅亡しちゃうんだって」
「えーほんと?やだぁ怖い」
浮き輪に乗っかり無気力に浮かんでいると、女の子二人組の物騒な話が聞こえてくる。
「今日がノストラダムスの予言の日って、うちのお兄ちゃんが言ってたもん」
そうか今日は七月三十一日。七月最後の日だ。
予言が本当なら今日中に何かが起こる。一説によると隕石が落ちてくるとか……。まさかほんとにそんなことが起きるのか。
家に帰り、おばさんがゆがいてくれた素麺を食べる。プールから家まで歩いて汗を掻いたのでシャワーを浴びた。自分の部屋でごろりと横になる。扇風機の回る音だけが聞こえる。
長い休みは嫌い。ヒロが長野に帰ってしまうから。一度だけ長野に連れていってもらった時のことを思い出す。膝の下まで埋まるほどの雪に驚いた。信州そばの美味しさにも驚いた。長野なら夏でも少しは涼しいだろうか。
これ以上寂しくなる前に、何か音楽を聴いてみることにする。ラジカセのスイッチを入れる。僕がヒロのために録ったメルクアンピエルの新曲が流れる。あの時はわからなかったけど、僕のテープを皆の前で流されたから怒ったんじゃない。
僕はヒロだけに聴いてほしかったんだ。なんて、今更気付いても仕方ないけど。
胸が苦しくなってテープを止めようとした時、ガチャリとB面へ移る音がした。
「あー、あー。聞こえますかー」
これはヒロの声じゃない。クラスの奴の声だ。どうして他の奴の声が。確かB面にはヒロのラジオ風トークが入っていたはずだ。
「降谷。いつも僕が宿題忘れたら内緒で見せてくれてありがとう」
「降谷君。あんまり話したことないけど、前に私がハンカチなくした時に名推理で見つけてくれたよね。ありがとう」
「ずっと前、絵の具かけてごめんなさい。ひろみつには、いや虫には参りました」
どっと笑い声が起こる。なんだこれは。クラスメイトのコメントが続く。
「降谷君、びっくりした?では諸伏君に種明かしをしてもらいます」と前田さん。
「ゼロ、今どんな顔してるか僕にはわかるよ」
せーの!
「お誕生日おめでとう!」
ぱちぱちと拍手の音が聞こえる。
「ゼロが夏生まれだってこと去年は知らなくてさ。今年は盛大にお祝いしたかったんだ」
もうすぐ誕生日だもんな。早くこのテープを聴いてほしいよ。ヒロが言う。
「それでは、皆で合唱します」
「なんだよ、これ……」
僕は馬鹿だ。ヒロはいつだって僕のことを思ってくれていたのに。ちっぽけなヤキモチでそれを台無しにしてしまった。後悔しても遅い。
時間はテープのように巻き戻せない。
畳に涙のシミを作っていく。ヒロ、ごめん。本当にごめん。
そのとき、窓ガラスにコツンと何かが当たる音がした。昼間の女の子たちの話を思い出す。もしかして隕石が。ぐっと身構える。
「ゼロ!開けて」
窓にぼんやりと浮かび上がったのは、一番会いたかった人の顔だった。
「ヒロ!」
「良かった、間に合った」
ヒロだ。ヒロがいる。僕は夢を見ているんじゃないか?
あまりの嬉しさにまた涙が出そうになる。
「どうして長野は」
「お年玉のお金使い果たしちゃった」
高明兄ちゃんが新幹線のチケット手配してくれたんだ、とヒロは答える。
「なんで来てくれたの?僕、ヒロに酷いこと言ったのに」
「だってゼロが泣いてると思って」
ノストラダムスの予言が怖くて泣いてたんでしょ、と笑う。ゼロのことは何でもお見通しだよ。そう言ってヒロは腕時計を見せる。
「もし今夜、世界が終わるなら。僕はゼロといたいと思ったんだ」
「ヒロ……」
「でも、まだ生きていたいよ、ゼロと。だから一緒にお祈りしよう」
ヒロの腕時計はまもなく23:59になろうとしている。あと一分のうちに何も起こらなければ。予言は外れ、世界は救われたことになる。
「十秒前。じゅう、きゅう、はち……」
呼吸を合わせて数字を唱える。
「さん、にー、いち、ゼロ!」
「どっかーん!」
「わああああ!」
日付を越えた瞬間、ヒロが大声を上げたので驚きのあまり抱きついてしまった。
「もう!ヒロっ!」
「あはははは!ごめんって。何も起こらなくて安心した」
「本当だ。心配して損した」
「絶交したまま世界が終わったら、僕はノストラダムスを恨んだよ」
「ヒロ、ごめん。聴いたよテープ」
「……ううん、僕もごめん」
「ヒロがせっかく誕生日お祝いしてくれたのにごめん。ありがとう、嬉しかった」
「ゼロが喜んでくれたならいいよ」
ヒロは鼻を掻きながら照れている。僕も照れくさくなって微笑む。
トントン。襖を叩く音がする。
「零?誰か来てるの?話し声が聞こえたけど」
おばさんだ。まずい!
「ヒロ、隠れて!」
急いでタオルケットを被る。視界は暗闇に包まれる。だけど、ぴたりとくっ付いた体からはヒロの体温が直にはっきりと伝わってくる。吐息がかかるほど顔が近い。落としきれなかった僕の日焼け止めの匂いがほんのり香る。
心臓の音がやけにうるさい。ドクドク。ドクドク。
「ゼロ」
ヒロの声が微かに聞こえたと思ったら。額に何か柔らかいものが落ちてきた。
ほんの一瞬のことだった。
それがヒロの唇だとわかるまで数秒はかかった。
「零、入るわよ」
襖が開けられる音がする。「寝てるの?」とおばさんの声が聞こえたのでタオルケットから顔を出した。
「お、おばさんおかえり」
「……寝てたの?」
「ううん、今から寝るところだったんだ」
「足、四本出てるわよ」
「え!?あ、あれえー……」
焦る僕に対し、おばさんは関心なさそうに言った。
「早く寝るのよ」
再び襖が閉められると、もぞもぞとヒロが顔を出した。
「バレてたな」
「……だな」
そういえばヒロ、さっきのって……。聞こうとしたけどやめた。お互い顔が真っ赤だ。
「ゼ、ゼロの部屋あっついね!」
「ごごごめんね、扇風機しかなくて」
ノストラダムスの予言は当たった。とんでもないものが落ちてきた。
僕の胸をかき乱すには充分すぎるほどの、魅惑の隕石が。