ホームワークが終わらない 第四章【恋する文房具】
成長するにつれて男女の差は顕著になるけれど、それは持ち物にも表れると僕は思う。
クラスの女子がキラキラしたラメ入りカラーペンの虜になっている頃、男共はバトル鉛筆に夢中になっていた。鉛筆の表面に描かれたキャラクターによって最大HPが定められており、攻撃パターンや必殺技もそれぞれ違うので皆集めるのに必死だ。鉛筆を転がしては白熱するバトル。
しかし、僕は一本も持っていない。欲しいとねだる勇気もなかった。それはヒロも同じだったようで休憩時間は二人して蚊帳の外になった。
「ゼロはさ、バトル鉛筆欲しいと思う?」
いつかの帰り道、ヒロが聞いてきた。
「うーん、確かに欲しいけどさ」
あれって鉛筆削りで削ったら終わりなんだぜ、と気丈に振る舞う。どこかでクラスメイト達を羨む気持ちも確かにあった。ふでばこを覗く度にHBの鉛筆と赤鉛筆、消しゴムしか入っていない。虚しかった。だけどヒロも我慢しているのを知ったとき、薄情かもしれないけど嬉しかったんだ。
「バトル鉛筆よりもさ、すごい鉛筆見つけたんだ。今度一緒に買いに行こう」
あまりにも目を輝かせながらヒロが言うもんだから、二つ返事で約束した。
ヒロの言う『すごい鉛筆』というのは赤色と青色が一本になった鉛筆だった。両端を削って二色を同時に使える鉛筆だ。ヒロの言う通り、確かに画期的だと思った。
「ごめんください」
はいよ、と店の奥からゆっくりした声がする。街角の文房具屋のおばあさんは独りでお店をやっている。
「この鉛筆を一本下さい」
「僕も同じのを下さい」
「はいはい、五十円ずつね」
僕もヒロも百円ずつ手渡すと、おばあさんはクッキーの入っていた缶の中にちゃりんと入れた。皺くちゃの手から五十円玉が渡される。
「いつもありがとうね」とよく消しくずのまとまる消しゴムをおまけにくれた。僕もヒロもおばあさんが大好きだった。
「飴食べるかい」
四角い透明の容器の中からザラメのついた飴を取り出してくれた。ほっぺたが膨らむほどの大粒の飴。おばあさんも同じ様に口に入れたのでリスの頬袋みたいになっているのが可笑しくて目を合わせて笑った。
「坊や達はいつでも二人で来てくれるね」
「うん!仲良しなんだ!」
ヒロがそう答えると、おばあさんは「そうかい」と嬉しそうにさらに目を細めた。
「おばあさんはひとりで寂しくないの?」
「そうだねえ、全然寂しくないといえば嘘になるけど」
ヒロと走ってきてぐちゃぐちゃに崩れていた僕の前髪をそっと、直しながらおばあさんは言った。ほんのり香る、アロエのハンドクリームの匂い。
「寂しくないよ。坊や達が来てくれるからね」
おばあさんのお店で買った赤と青に分かれた鉛筆、通称・赤青鉛筆というらしいのだが、意気込んで買ってみたものの、いざ使うとなると赤ばかりが活躍した。宿題の答え合わせなんかは赤色しか使わない。青色の出番はないに等しかった。僕はそれを可哀想だと思った。
いつでも彼の芯は尖っていて丸みを帯びない。せっかく役に立ちたくて待機しているのにいつまでたっても必要とされない。
まるで昔の自分を見ているようだった。
「青色って見てると悲しくなる」と言ったらヒロはそうかなと言う。いつものようにヒロの部屋で宿題をしているのだけど、机を使っているのは僕だけだ。ヒロは畳に寝転びながら鉛筆を指でくるくると回した。
「僕は好きだな。綺麗な色だから。ゼロの瞳と同じ」
一点の曇りもない眼差しで見上げてくるからたじろいでしまう。何の恥じらいもなくこういうことを平気で言うんだよな。
「いいこと思い付いた」
「なになに、どうしたの」
「ナイショ。明日になったらわかる」
「えー、もったいぶらずに教えろよ」
ぽかぽかと腕を叩いたらさほど痛くないはずなのに、痛い痛いと泣き真似をした。
「明日のお楽しみに!」
ヒロはにんまりと笑うだけで結局教える気はさらさらないようだ。諦めて宿題の計算ドリルに再び取り掛かった。
「諸伏君、ちょっと」
下校しようとしているところ、ヒロが担任の先生に呼ばれた。「ちょっと待ってて」と僕にランドセルを預けて先生のいる職員室に走っていった。僕は気になって、ばれないように後を追った。職員室のドアの隙間からそっと様子を覗くと、しかめ面をした先生の顔が見えた。
「どうしてこんなことをしたの」
先生は計算ドリルのページを広げている。
あっ。
とても驚いた。
なぜなら、その計算ドリルには青色の丸が一面に散りばめられていたからだ。
「赤色の鉛筆がなかったの?」
「ううん、違うよ」
「じゃあ、なぜ」
「青色が好きだから。赤丸じゃないとダメですか、先生」
「いけないってわけじゃないけど……普通は赤鉛筆で丸をするものよね」
「誰が最初に決めたんですか?」
「そう言われると……先生もわからないけど」
「じゃあ青鉛筆で丸してもいいよね」
「うーん……まぁ、確かに諸伏君の言うのも一理あるかもしれないけど……」
先生は考え込んでしまった。こちらに気付いていたのか、ヒロは後ろ手でピースサインをした。先生を黙らせてしまうなんて。とんちを利かせる一休さんみたいな奴だ。
その日からヒロはありとあらゆるモノに青色を駆使した。宿題の答え合わせも持ち物の名前の記入も、音読カードの「上手に読めました」という保護者のサインさえも青々としている。(ヒロのおばさんが不服そうに青色の鉛筆でサインしているのを想像すると少し笑える)
そのうちクラスの誰もが認識するほど「諸伏景光は青色が好きだ」というのが定着した。まるで彼のイメージカラーのように当たり前になっていった。
僕はあまり赤青鉛筆を使わなかったが、頻繁に使うヒロの赤青鉛筆はすっかり短くなってしまった。新しいのを買いに、おばあさんのお店を何度か訪ねてみたけどシャッターはずっと閉まったままだった。
「文房具屋のおばあちゃん、急に心臓が苦しくなってこの間救急車で運ばれたみたいでねえ。そのまま病院で……」
ヒロのおばさんが気の毒そうにそう告げると、ヒロは「そっか」と言った。あまりにもあっさりしていたので、何だよショックじゃないのかと僕が言うと、
「今からお花を買ってお店まで行こう」と言うのだった。
商店街の花屋さんでおばあさんが好きだった白いひなぎくを花束にしてもらった。
文房具屋さんの前まで来ると、そっと花束を地面に置いた。
「おばあさん、ゼロとまた来たよ」
ヒロは、まるでお店の奥におばあさんがいるかのように話しかける。
「寂しくないでしょ。これからも来るからね」
ひとしきり話し終わると、肩を落としてぽたぽたと涙を零した。僕もその時、やっと泣くことが出来た。
そんな思いやりのある優しいヒロはとても女子からモテた。手紙を女子からもらっているのを何度も見たことがある。クラスで一番可愛いと人気のあるリカちゃんもヒロのことが好きだという噂だ。クラスのマドンナの心を射止めたヒロを男子は妬んでいた。特に苛めっ子の山田。山田はリカちゃんが好きだった。好きなら優しくすればいいのに、山田はいつもリカちゃんに意地悪をして泣かせる。ぼろぼろと泣き出す彼女にヒロはハンカチを貸してあげたこともあった。だから余計にヒロが気に入らないのだろう。
ある日、事件は起こった。
「お前の鉛筆、貧乏削りしてるじゃん」
三時間目を終えた休憩時間、ひょいとヒロの赤青鉛筆を掴み、頭上に掲げた山田。ヒロはちらりと山田を一瞥したが、涼しい顔で再び読みかけの本に視線を落とした。
「おい、聞いてるか。貧乏人」
「返せよ」
耐え切れなくなったのか、本をバタンと閉じて山田を睨みつけるヒロ。それでも山田は動じない。
「お前の家、本当の家じゃないんだろ」
「……。」
「表札の名前が違うって話だぜ。授業参観に来てるおばさんもお母さんじゃないんだろ」
「だったら何だっていうんだよ。返せよ」
「そんなに大事なら返してやるよ。こうしてな」
バキッ。
目の前でへし折られた鉛筆の音。その瞬間、文房具屋のおばあさんの顔が浮かんでくる。
『寂しくないよ。坊や達が来てくれるからね』
くしゃくしゃになった皺だらけの顔、遠い遠いあの日の笑い声。アロエの匂い。
気付けば、動いていた。ヒロより先に。山田に飛び掛かり馬乗りになると、首元を掴んだ。
「ゆるさない」
「な、なんだよ降谷!別にお前に関係ないだろ」
「関係ある!」
「わ、悪かったよ。弁償するからさ」
「ゆるさない」
一度溢れ出した怒りは収まらなかった。こいつを八つ裂きにしてやりたい。
「ゼロ、もういいよ」
「ヒロ、なんで止めるんだよ」
「もう、いいから」
すっかり縮こまった山田から僕を引き離すと、ぎゅっと手を握った。
「落ち着いて。僕は平気だから」
「落ち着いてられるかよ!おばあさんの鉛筆をあんなにされたんだぞ!」
「ゼロが代わりに怒ってくれたから、怒るのも忘れてびっくりしちゃった」
「なんだよそれ」
「ありがとうゼロ」
正直まだ腹の虫が収まらなかったけど、ヒロが悲しい顔をしていなかったので何も言えなくなる。
それから四時間目の授業は取りやめになって、担任の先生に根掘り葉掘り経緯を聞かれたが、一部始終を見ていたクラスメイト達は皆ヒロの味方をした。
「聞いた?山田君が諸伏君の鉛筆折った理由」
「えーなになに?しらなーい」
「あれってリカちゃんが諸伏君のこと好きだから、山田君がやきもち妬いたらしいよ」
「えーそうなの!」
「リカちゃんが消しゴムのおまじないしてるのを山田君が見ちゃったらしいの」
「そのおまじないって消しゴムに好きな子の名前書くやつだよね」
「そうそう、その消しゴムを使い切ると両想いになれるっていう」
「リカちゃん可哀想……」
そんな噂が女子の間で飛び交う。人の席の近くで話しているから嫌でも耳に入ってしまう。女子はおまじないとか占いとか心理テストとか好きだよな。あんな非科学的なモノ。
あれから、バトル鉛筆は学校全体で持ち込み禁止になった。休憩時間だけならまだしも、授業中隠れてこそこそやる奴がいたからだ。ざまあみろ、と思った。
ある日。国語のテスト中、解答欄に答えを書こうとして漢字を間違えてしまった。ふでばこから消しゴムを探すが、ない。もしかしたら昨日ヒロの家で宿題をしていた時に、部屋に忘れてきたのかもしれない。どうしよう。
もぞもぞしていると、試験監督をしている戌井先生に睨まれた。戌井先生は僕のことをよく思っていない。地毛の金髪を黒く染めろだとかいちゃもん付けてきたし、前もカンニング扱いをされて騒ぎになったことがある。正直に消しゴムを忘れました、と手を挙げて言うべきなんだろうけど、また何の疑いをかけられるかわからない。
途方に暮れていると、机の上に突然何かがひゅっと飛んできた。ころんと転がったのは、願ってもない消しゴム。
驚いて、飛んできた方向にそっと目をやると、ヒロがウインクしている。口パクで「つ・か・え」と言っているようだ。同じく口パクでサ・ン・キュと伝える。よく見ると、前におばあさんにもらった新品の消しゴムだった。綺麗な四角を一番最初に使うのは申し訳ない気もするがありがたく使わせてもらおう。
使い終わってふと。よく見ると消しゴムが何か汚れている。そう思ってさらに目を凝らしてみると消しゴムケースの下からちらりと黒い点のようなものが見えた。もしかしてこれは……汚れではなく何か書いてあるのか。……女子達が噂していたおまじないの話を思い出す。ヒロの好きな子の名前が書いてあるのかもしれない。
見てはいけない。やめるんだ。
いや、たまたま見てしまった、ということにすればいい。
二つの感情がぶつかり合う。そうだ、何も知らない素振りで消しゴムを返せばいい。
後ろめたい気持ちより好奇心のが勝ってしまい、ケースから引っ張り出した。するとそこには。
『なんだ……』
もろふしひろみつ、と書かれているだけだった。僕はすっかり拍子抜けした。どっと汗が噴き出る。良かった、女の子の名前が書いてなくて。ふう、と安堵の溜息を吐く。
なぜこんなに安心するのか自分でもわからなかった。あれだ。ヒロが恋にのめり込んだら僕なんか後回しになって遊び相手がいなくなるからだ。つまらなくなるから、それだけだ。うん、そうだ。そうだよな。
「これ、ありがとう」
テストも無事終わり、休憩時間に入るとすぐヒロに消しゴムを手渡す。
「どういたしまして」
「それにしても僕が消しゴム忘れたのよくわかったな」
「わかるよ。ゼロのことだもん」
「あっそう」
「でももう絶対貸さないからね」
「はいはい」
優しいかと思いきや、ぴしゃりと金輪際ごめんだなんて言う。そのくせにやけに機嫌の良い様子でにっこり笑うヒロ。なんでだろう、テストがうまくいったのかな。僕は気にも留めなかった。
「ねえねえ、リカちゃん知ってる?新しい消しゴムのおまじない」
「ううん、なあにそれ」
「新品の消しゴムにね、自分の名前を書いて……最初に好きな人に使ってもらうんだ。それでその消しゴムを最後まで自分だけで使い切れば両想いになれるの」
「わぁ今度やってみようかな」
「うんうん、リカちゃん頑張って!」
「でも好きな人にどうやって消しゴムを使ってもらえばいいのかな」
「そうだよね……難しいね」
「いまの話、本当?」
「わ!諸伏君、聞いてたの!?」
「ごめんたまたま聞いちゃった。それ詳しく教えて」
自分の持ち物には必ず名前を書きましょう。そうすれば人に間違えられることも、人に取られることもありません。
なくしたくないものは、人に見せびらかさず大事にしまっておきましょう。
そう、学校で教えてくれましたよね?先生。