酒気に惑う恋心アジトの一角、バーカウンター。珍しく暇を持て余し、常連の酒飲み連中に混ざって雰囲気を楽しんでいたアンドラスはグラスの中身を一口飲むや否や、「おや」と呑気な声を出した。カウンターの内側にいるパイモンを呼び止める。
「ねえ、これ間違ってない？ エンゼルジュースじゃなくて酒だと思うんだけど」
「マジか。あ〜…悪い、カスピエル達に飲ませようとしたのと取り違えたみたいだ。…にしてもオマエ酒強いんだなあ。それ結構度数高いヤツなのに全然顔色変わってないじゃないか。——そっちの彼女と違って」
「うん…俺もまさかこんなにデカラビアが酒に弱いとは思わなかったよ」
　アンドラスの隣に目をやれば、そこにはカウンターに丸い頭を突っ伏しているデカラビアがいた。部屋に籠りきりというのは肉体的にも精神的にも健康によろしくないとアンドラスが少しばかり強引に連れ出してきたのだが、同じように間違えて出されたアルコール度数の高い酒を飲んでしまったようだ。
ほんのりと赤く染まった頬、夢見るような蕩けた瞳にふわふわと緩みきった微笑みは普段のデカラビアからは想像もできないほど柔らかいものだったので、アンドラスは思わず心臓が高鳴るのを感じた。アンドラスの顔がわずかに色付いたのを目の端で捉えたパイモンが訳知り顔に笑みを浮かべる。からかうような視線を無視して、デカラビアの体を軽く揺らし声をかけてみる。返ってきたのはすうすうという安らかな寝息のみ。完全に眠ってしまったのを確認すると、アンドラスは席を立ってデカラビアの体をふわりと抱き上げた。
「おっ、酔い潰れた女の子をお持ち帰りかぁ？ せいぜい上手くやれよ！」
「…そんな素敵な状況に見えるなら是非とも視力の検査をお勧めするよ。このままほっとく訳にもいかないし、酔っ払いを部屋まで送るだけさ」
アンドラスとデカラビアが恋人…に近しい関係であることはアジト内の恋愛事情に敏い者たちには知られていることだった。けれど、流石に酔った状態の相手にどうこうするつもりは無い。何かといえばパイモンやバルバトス、ゼパルらは押しの一手も必要だとアンドラスを煽るが、殻の固いデカラビアに性急に迫るのはきっと悪手だ。本気だからこそしくじりたくはない。
しかしそんな慎重に振る舞うアンドラスに対し、パイモンは呆れ顔でため息をついた。
「送り狼という言葉が…というのは置いといてもだな。オマエは全然女心が分かってないぞ」
「はぁ…」
「考えてもみろ。いいか、女性が――特にデカラビアのような警戒心の強い子がいくら酒に弱いとはいえ、欠片も好意を持ってない男の前で醜態を晒すと本当に思うのか？」
「えっ……。いや、でもそもそもキミがジュースと酒を間違えたのが原因なんだけど…」
「それはマジですまん！だが口つける前に匂いで分かるだろ。つまり……あとは彼女が起きたら聞くんだな、健闘を祈るよ」
　ぱちりとこなれたウィンクを投げられ、アンドラスは滅びがどうのと寝言を宣うデカラビアの軽い身体を背に乗せて大広間を追い出された。バーの落ち着いたざわめきから離れ、しんと静まり返った廊下を歩いているともぞもぞと背中の酔っ払いが頭を動かす。柔らかな黒髪がアンドラスの首筋をくすぐる度に、ぞくりと身体に震えが走る。パイモンに煽られたのを真に受けたわけではないけれど、これはつまり…『そういう事』だと思ってもいいのだろうか。好意を抱く相手を前にした男の自分と、酔った人間を介抱する医者としての自分が悪魔と天使の格好で脳内を飛び回る。
　そんな悶々とした考えに耽っていると、もう既にデカラビアの自室の前だった。危うく通り過ぎるところだった…と背負った少女を落とさないよう気を付けながら、片手で鍵を回してドアを開ける。殺風景な室内の片隅に置かれたベッドにデカラビアを寝かせ、その側に腰を下ろしたアンドラスは意外とあどけない寝顔を眺めて呟いた。
「酒に酔えないのも困りものだな…酔った勢いで、なんて言い訳もできないよ」