別に面倒なわけじゃない 好きという気持ちをモモに受け入れてもらえたとき、僕はそれだけで幸せだった。オレのほうがずっと前からユキのことがすきだったよなんて、顔を真っ赤にして、怒ったみたいにモモは言った。ありがとう、と言って嬉しくてその手を握ったら、モモは泣きだしてしまって、僕はうわついた気持ちのまま鼻水をティッシュで拭いてあげたのだ。
家で二人の時に、そっと肩を抱き寄せてキスした時もモモは泣いてしまった。確かに急にキスしてしまったけど、そんなに嫌だったのかと思い焦った僕に、泣きじゃくりながら違う、とモモは首を振った。
たまに僕やモモに会えて感動のあまり泣きだしてしまうファンがいるのだけど、そういう感じらしい。いまいちわからないが、モモは感激屋の泣き虫だからそういうものなのかもしれない、と僕は思うことにした。
僕はただモモがそばにいてくれて、僕のことを好きだと言ってくれて、キスもできて、満足だった。幸せだな、と思いながら泣いているモモの頭を撫でて抱きしめた。大好きだよ、泣かないで。モモはしゃくりあげながらオレだって、と返してくれる。嬉しくてもう一度キスをしたかったけれどモモがまた泣いてしまうかもしれないと思ったので、ほっぺにしておいた。
セックスについてはあんまり考えていなかった。確かに昔は女の子と関係をもったことが何度もあったけれど、相手のことはそれほど好きでもなかったし、そもそもモモは女の子じゃない。
だからモモが僕を好きで、時々キスもしてくれて、充分すぎるほど満たされていた僕はそんなことはさっぱり忘れていた。というより思いつきもしなかった。
思えばそれは僕だけの話で、僕と恋人になったモモはきっと、ずっと考え続けていたんだろうと思う。気づけなくて申し訳ないと思うけれど、本当に思いつかなかったのだから僕にだってどうしようもないのだ。
ユキはオレを抱かないの?と不安げな瞳で見つめられたのは久々に揃ったオフで二人で宅飲みしていた時のことだった。最初なにを言われているのか全く理解できず、僕はたっぷり時間をかけて思いを巡らせ、やっぱり思いつかなかったのでとりあえず落ち着こうとして手にしたワイングラスを煽った。
「無視しないでよ!」
「し、してない」
ちょっと待って、と僕はモモを制した。そんな急に言われたって頭がついてきてない。ましてやアルコールが入ってるんだ、少し待ってほしい。
怒ったように眉をしかめるモモの表情から目を逸らして考える。ユキはオレを抱かないの?なるほど、これはセックスのお誘いなのかもしれないと思った。
「抱こうと思ったことはないけど…」
口から素直に出てきてしまった言葉にモモの表情は固まった。その明るい瞳からすうっと感情の色が引いていくのを見て、しまった、と思うけれど遅い。
「魅力、ないかな、オレ」
すうと冷えた瞳に悲しげな影がかかる。
「ちがうちがう、そうじゃなくて」
「そりゃ女の子みたいに柔らかくもないしかわいくもないけど」
「モモはかわいいよ」
「お世辞はいいよ、ユキ女の子のほうが好きでしょ」
「女の子は好きだけど、それとこれとは別だ」
立て板に水のごとくモモの唇が言葉の濁流を生み出す。モモは口が上手いし頭の回転も早いから、とてもじゃないけど追っつかない。伝えたいことがあるはずなのに、僕の唇がしぼり出せるのはなんの力もない言葉だけだった。
「オレ、ユキに無理させてた? ずっと、無理してたの?」
「違う、話を聞け!」
思考が絡まって何から伝えたら良いのかがわからない。モモが傷ついていることはわかるのに。僕がうまくつたえられないせいで。
「だって、抱きたくないんでしょ」
「そうは言ってない!」
「じゃあ抱きたい?」
抱きたい? 苦しそうな声が耳に響く。悲しい瞳が僕を覗き込む。考えたことがなかったから、咄嗟に返事が返せなくて苛々する。そんなことわからない、僕はモモがそばにいてくれたらそれだけでいいのに。モモが僕をずっとそばに置いていてくれたらそれだけでいいのに。
「っ……」
怒りなのか戸惑いなのか、悲しみなのかわからない、感情が混ざり合って僕の中ではじけた。
「そんなに言うなら、モモが抱けばいいだろ!!」
「……はぁ?!意味わかんないんだけど…!」
目をぱちくりさせたあと、モモは困惑と羞恥を半々に載せた表情で言い返してきた。
「それとも僕なんか抱けないっていうのか」
「いやだから意味わかんないって…!」
「意味がわかるとかわからないとか、僕もわからないからどうでもいい。モモは僕を抱けるの」
「なっ、そ、そんなこと」
「自分にできない事を他人に求めるな」
「違くてっ…!!それは、そのっ…」
「モモがやるなら僕もする。これで平等だろう」
何を言ってるのか僕ももうわかっていなかった。
繰り返すけれど、僕は別にセックスしたかったわけじゃない。ただ、モモと一緒にいられたらそれでいいと思っていたから、考えたこともなかった。女の子を取っ替え引っ替えしていた頃の僕からすると信じられない話かもしれないけど、あの頃だって別にセックスがしたかったわけじゃない。寂しさとかやるせなさを発散していただけだ。
モモがそばにいると寂しさは癒やされるしやるせなさはほどけていく。セックスなんかにすがるまでもなく、言うなればセックスそのものよりよっぽどすごい。だからモモとどうこうするって考えに思い至らなかった。それってごく自然なことじゃないだろうか?
「で、モモは抱いてほしいの?」
一旦落ち着こう、とお茶を淹れて二人ですすり、一息ついて僕はそう切り出した。男女の駆け引きならまだしも、僕とモモの間で遠回しに聞いたって堂々巡りにしかならない。
「べっ、別にユキがどうしても嫌なら無理に抱いてほしいとかって訳じゃないけどさあ……」
なんとも歯切れの悪い返答が返ってくる。
「僕は別にどっちでもいい。誤解するなよ、モモに魅力がないとかそういう話じゃない」
「じゃあどういう話なの…? わかんないよ」
モモの顔が再び暗くなる。
「恋人とセックスしたいのは普通の事でしょ、したくならないならオレに魅力がないって事じゃ……」
「モモが僕を抱けばいいだろ」
「だから、それは」
この話になるとモモは歯切れが悪くなる。
僕だって別にモモを抱くのはやぶさかではないけど、めんど……体力的に、モモが僕を抱いた方が良くない?
「ね、モモ」
そっとモモの手を握って僕の胸元にぴたりと添える。
「僕の目を見て。ちゃんと答えて。僕を抱きたくないのか?」
モモの瞳が揺れながら、じわりと僕の瞳にひきよせられていく。
「抱いてくれないの?」
至近に迫った耳に届くように、低く甘く、誘う声が落ちた。