何気ない特別「なあ、エリク」
「ん?何か用?兄貴」
フォルカーが悩まし気に顔をしかめて、目の前にいるエリクに声をかけた。エリクはと言うと、自分の武器を手入れしていた。弓の本体を磨き上げるのは勿論、弦の張り具合も丹念に見ていた。自分の命を守る大切なものだという自分の教えを忠実に守る姿にほんわかとした気持ちがわいてくる。
いや、今はほんわかしてる場合じゃない。気になっているあれについて聞かないといけないんだ、と気を引き締めた。
「なあエリク…なんで俺の事、いまだに兄貴って呼ぶんだ?」
「なんでって…昔っからそう呼んでるから、じゃ駄目?」
「まあそんなところだろうなとは思ってたけどよ。その、せっかく恋人になったのに呼び方変わらないんだなー、て気になっちまったんだよ」
恋人、という言葉にエリクの顔が赤くなる。もう何度も身体を重ねているというのにこの反応とは、本当に可愛いと思ってしまう。だがそんな可愛い恋人の口から、自分の名前を呼ばれたい。ここ最近気になっていることであるそれをエリクに投げかけてみたが望んだ答えが返ってこなかった。やはりこういうのはストレートに伝えるべきだったと思いなおした。
「エリク、俺の事名前で呼んでくれないか?」
「な、名前でって、呼んでるじゃんフォルカーの兄貴ってさ」
「兄貴じゃなくて、フォルカー」
「な、なんで」
迫ってくるフォルカーに狼狽え、ついに抱きしめられる。自分よりもずっと逞しいその腕の中では勝手に鼓動を速めてしまうし、顔にも熱が集まってしまう。赤くなったことを気づかれたくなくて目の前の胸に顔を埋めようとしたが、顎を指で持ち上げられて阻止されてしまう。
「ほら、エリク」
「う、フ、フォル……カー…の兄貴」
促されて名前を言おうとするも、途端に恥ずかしく感じてしまい、つい兄貴と付け足してしまった。
最初は嬉しそうにしていたフォルカーが、兄貴と付け足された瞬間がっくりとしたのが伝わってきた。
「お前なー。何で付け足したんだよ」
「だ、だって。名前で止めたら急に恥ずかしくなって」
「はあーーー。この調子じゃ、名前呼びは当分先かね?」
エリクをぎゅうと抱きしめ、その首にぐりぐりと頭を押し当てる。その動きを少し可愛いと思ってつい頭を撫でてしまうと、不満げな目線とあう。
「おいエリク。今可愛いと思っただろ?」
「な、何で分かったんだよ?!」
「ふ、撫で方と顔が犬猫可愛がってる時とそっくりなんだよ。だから嫌でもわかる」
「う、うう」
「あーあー。こんな可愛い恋人のお願いを聞いてくれないなんて、エリクはひどい奴だな。このままここで泣いてやろうかなー?」
うおーいおいおい、とあからさまな嘘泣きをしながらエリクの首元に顔を埋め続けるフォルカーに、エリクはそっと溜息を吐く。こうなったフォルカーはてこでも譲らない、それを嫌でも知っているだけに、エリクは困惑している。望みをかなえてあげたいとは思っている。相手は尊敬している人で、誰よりも愛しい恋人なのだから。だが…
「…今更名前なんて、やっぱり恥ずかしいんだよ」
「兄貴っていうのを我慢すればいいだけだろ?なんでそんなに恥ずかしいんだよ」
純粋な疑問なのが分かる声で聞かれ、エリクがどもりながら答えた。
「そ、その…名前で呼ぶのって、恋人同士でよくあるだろ?」
「ああ、あるな」
「それでさ。兄貴の事、名前で呼ぼうとすると、その、恋人だって、急に意識しちまって」
「へえ。それで?」
「そうなると、一気に恥ずかしくなって、誤魔化したくなっちまうんだ」
「なるほどな」
エリクが伝えてくれた気持ちにくすぐったく思いながらその背を撫でた。なんとも可愛い理由だが
「慣れるために、今練習しようぜ?」
「な、な!」
「ほれ、呼んでみな?」
「う、ううう」
顔を真っ赤にし、目を潤ませて見返してくる
エリクにキュンとしたが、譲る気はないと伝えるようににこりと笑いながら見返した。観念したように眉を下げ、ゆっくりとフォルカーの耳元に唇を近づけると
「フォ…フォルカー…」
消え入りそうな声で紡がれた名前は甘美な響きでフォルカーの脳を揺らし、その顔を赤くさせた。
「な、何で兄貴が照れるんだよ?!恥ずかしいのは俺なのに」
「い、いやーー。普段呼ばれない響きっていうのは結構くるんだな」
も、もー!と顔を真っ赤にさせながら怒るエリクを宥めるために頭を優しく撫でる。この甘美な響きをどうやって聞かせてもらおうかと、フォルカーがひっそり考えていることをエリクは知らない。