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    SSR_smt

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    巡ちゃんと俄月SS

    捏造のミルフィーユ。二次創作の二次創作です。すべてを許して下さい。許さない場合は釘バットでお願いします。

    TRIGGER「待ちなさい!」

    女の走る足音を、追いかける。
    扉を蹴り飛ばし、荒々しく部屋に入った名塚巡は、埃が舞う中、息を切らしながら拳銃の照準をターゲットの体に合わせる。
    ターゲットの女は、鮮やかな青いドレスを着ていた。
    美しいブロンドがフリルのように肩で踊っている。
    巡に追い詰められた。というのに、女は笑っていた。
    その視線には憐憫が含まれており、巡は自然と眉間にシワを寄せる。
    今日の相棒であった男は、二手に分かれた為に此処にはいない。
    自分が彼女を捕まえねば。
    男の犬のような使命感で、巡はトリガーに掛けた指に力を込めた。

    パァンッと、銃声が響いた。

    確かに肩を撃ち抜いた筈だった。しかし、そこに女はいない。
    背中に冷や汗が伝う。
    埃っぽい視界に目を凝らそうとして、はた。と気付いた。
    此処は――。

    「思い出した?」

    女の声が真後ろからした。
    慌てて振り返ると、蝶番が外れた扉の前に女はいる。距離にして3m。
    女の異能だろうか。となれば、瞬間移動が妥当だろう。
    ViCaP隊員として長い巡は、サッとそう考えた。
    普段ならば、もっといろいろな可能性を探る筈だ。この仕事は命がけなのだから。
    それでも、出来ないのは。

    「貴方の家よ」

    女の真っ赤なルージュが怪しく光っている。
    巡は銃を強く強く握りしめた。

    「違います。私の家は此処なんかじゃない」
    「違わないでしょう。ずっとここで飼われていたんだから」

    目を塞ぎたくなった。けれど出来ない。
    目の前にいるヴィランをみすみす逃す訳には行かないから。此処から救ってくれた相棒の役に立ちたいから。
    トリガーを引く。耳をつんざくような銃声が響いた。

    「動揺しているの?怖かったものね」

    女の声が遠くなる。
    誰もいないはずの建物だ。静かなのは当然だ。だから嫌なくらいよく響く声がなんだというのだ。
    巡の顎先から汗が伝った。

    女は部屋の前の階段に立っている。
    目に入ってきたのは、

    「17年前、いたわよね。ここに」

    チャリ。と、金属の擦れる不快な音がした。
    女の手には見覚えがある首輪があった。
    心臓にグッと掴まえられたような痛みが走る。

    「知りません」
    「嘘が下手ね」

    女が首輪を巡に向かって放ると、パンッと銃声が鳴る。
    首輪は金属で出来ており、壊すことが出来なかった。
    そうだ、力付くでダメで、ナイフで切ろうにも失敗して、色々試したけれどどれもダメだったんだ。拳銃なんかじゃ、私なんかじゃ全然ダメで。

    女のブロンドが揺れる。彼女の、巡の周りは、見覚えがある景色があった。
    机やイスは撤去されて、もうないけれど。
    そこは確かに、名塚巡の空白の期間を塗りつぶした最悪最低の場所だった。

    「名塚巡」

    ビクリとした。
    巡の頭の靄が晴れようとしている。晴れてくれるな。と、巡は歯を食いしばる。

    「貴方は私立ちと同じように、過去に彼らに騙された被害者でしょう?」

    女は笑う。
    完全無欠の首輪のネームタグには、“梅本みどり”とあった。それは、資料で呼んだブロンドの女の名前だった。

    ――頭痛がする。

    そこには、ボロ雑巾のように地面に転がっていた梅本みどりがいた。
    それを、頭から流れた血を拭いながら見ていた。
    彼女は製薬会社のモルモットだった。
    彼女は巡よりも弱い立場で、何の資格も、異能ですら発動出来ない木偶の坊だった。
    だから、どす黒い色の液体を流し込まれ、のたうち、口から泡を吹いていたり、白目を剥いていたり、胃の中身をぶちまけたり、悲鳴をあげてガラスを叩いたりしていた。
    同じようにモルモットだった巡は、耳を塞ぎ、目を塞ぐことしか出来なかった。
    ViCaPと書かれた腕章の人間の前に盾として出されて戦わされた。何の罪もない一般人が吹き飛んだ姿を見ていた。

    ――頭痛がする。
    思い出したくない!心が拒否している。
    名塚巡という女は天真爛漫で、明るくて、前向きで、過去だって吹っ切れている筈なんだ。

    頬を伝った返り血を拭う。
    ぬるりとしていた。鉄臭かった。噎せ返って吐いた。

    「復讐しましょうよ」

    口から胃液を垂らした女がこちらを見ていた。
    血の気の引いた紫の唇が笑っていた。

    「あ、……俄月、さん」

    大きな黒い背中を探した。いるわけがない。彼はこの時いなかった。私が生き残る為に引き金を引いて頭をかち割られる前までは、彼は現れなかったのだ。

    はぁはぁ。と浅い呼吸を繰り返す。
    深く吸っては、薬品の臭い、血の臭い、刺激臭の臭いが入ってくるから。
    自由を手に入れなくては。
    転がる女に重厚を向けた。
    女の淀んだ瞳が、巡を見つめている。

    「ねぇ、私と一緒に来ましょうよ。自由になりましょう。そして、いよいよ豚箱から出てくる犯罪者の彼らをみんなぶっ殺すの。きっと気持ちがいいわよ」

    かつての私が思っていたことだ。
    あの人に尋ねたことだ。
    その時、彼はなんて答えたんだっけ?

    口を開く。喉がカサついて声が上手くでなかった。
    やりたかったことだと、伝えたいのに。


    「なんでソイツらと同じレベルになる。テメェはこっち側にいろ」


    肩を掴まれて、上体がのけ反った。
    顔上には、俄月がいた。
    埃っぽい空間で、いやに彼だけはっきりと見えた。

    「女と会う前まで自分の状態を戻せ」
    「あ、が、俄月さん?なんで、ここに」
    「よく聞け」

    頭がこんがらがっていてよくわからない。
    ただ回る視界の中で、俄月だけが自分を覗き込んでいた。
    饐えた臭いは、いつの間にか男のタバコと香水の匂いに変わっている。

    「巡、戻って来い」

    ほぼ反射的に、巡は異能を発動させた。
    めいいっぱいギリギリの24時間の巻き戻し。
    走り疲れてパンパンだった太ももの乳酸が消え、血が滲んだ手のひらは同室の麗奈がくれたハンドクリームの花の香りがした。

    ――霧が晴れる。

    周りは人がいないオフィスだった。
    慌てたように紙が床にバラ撒かれたり、打ち掛けのパワポが開かれたPC。倒れたイスがある。
    そこは医薬品の臭いもしない。倒れている人もいない。
    あの、ブロンドの女すらいなかった。
    その代わりに、肺いっぱいにタバコの香りと、僅かなバニラアイスクリームの匂いがした。

    「俄月さん」
    「ようやくお目覚めか」

    口をへの字に曲げた俄月が、巡を見下ろしていた。
    無理矢理首を向けさせられた為、体が悲鳴をあげている。
    が、文句は言えそうにない。
    男の額にはビキリと血管が浮いていた。
    怒っている。それもかつてないほどに。

    「幻覚を見せられた挙げ句、民間会社のど真ん中で発砲とは大したもんだなァ?」
    「ヒエ……」
    「始末書楽しみにしてろよ」
    「ウワーッ!私、始末書なんて片手ほどしか書いたことないのに!」
    「良かったな、両手で数えられるようになる」
    「あ~~!!」

    巡の悲鳴が響いた。
    見れば壁や床に穴が開いている。
    顔を青くして、俄月の背中にしがみついた巡は離さんとばかりに喚いた。

    「建物元に戻しますから!ここにいる人の記憶も戻しますから!」
    「反省しろ馬鹿」
    「してます!もうめちゃくちゃ今世紀最大にしていますから!」
    「ダメだ」
    「そんな殺生な~!」






    反省文をたらふく書かされたあと、ヨロヨロと寮へと帰宅すれば「おかえりなさい」と声がした。
    体に力が入る。

    「梅本みどり。貴方、どうしてここに」

    記憶を遡る。仕事を終えた後、ViCaPから出ていない。
    つまり、帰宅途中、どこかで幻覚を掛けられた?
    慌ててもう1時間戻すが、目の前の女は消えていなかった。
    つまり、リビングのソファに腰掛けている女は実物であるということだ。
    ひっそりと、銃ホルダーに手を伸ばす。
    今度こそ、逃がすつもりはない。
    しかし、相手はまるで逮捕などされるはずないと涼しい顔をしている。
    どうにも余裕綽綽といった様子が気になる。

    「名塚さんに、これだけ渡しておきたかったの。知っておいてほしいわ。
    私達をズタズタにした奴らが外に出るということを」

    テーブルに広がった白。そこには刑期や判決など、裁判の履歴が残されていた。
    そして忘れもしない、あの組織のリーダーの男の名前があった。その幹部も、名塚巡を肉壁にした男や女の名前もある。
    急激に血が下がるような、強い立ちくらみの症状が巡を襲った。
    手足が冷え切り、心臓がバクバクと脈打っている。

    「殺したかったんでしょう。残念ね。彼らはね、あと一年でこの自由の世界に出されるの。なんでだと思う?貴方のような人間が代わりに殺されたからよ。
    実行犯である貴方と同じ立場の人間は、人を多く殺したということで、終身刑になっている」

    白が増える。そこには、殺した数、罪状、そして終身刑の文字が並んでいる。

    「おかしいと思わない?私達、被害者なのに。どうして、本当に悪い奴らはのうのうと生きてられるのかしら」

    ブロンドが揺れる。梅本みどりは背中を丸めて、まるで胎児のように膝を抱えた。
    助けられて間もない巡のように。

    「一人残らず殺したいの……力を貸してちょうだい」

    声が揺らいでいた。泣いているのかな。と巡は慮る。
    それでも、巡は首を横に振った。

    「ごめんなさい。それは出来ません。そして、私は貴方を逮捕します」
    「そう。交渉決裂ね」

    巡はホルダーから銃を抜き取って、照準を向ける。
    ゴリッ。と音がした。

    「え?」

    目の前には女の顔があった。
    女は銃口に額を押し付けるように立っている。
    いくらViCaPとはいえ、ヴィランを殺すことなどは出来ない。
    巡は振り払おうとしたが、ガッシリと手が掴まれていた。

    「殺すのよ」
    「い、嫌です!出来ません!」
    「殺して。彼らがいる世界なんてもうウンザリよ」
    「出来ません」

    子どもに言い聞かせるように、巡が語気を強めると、女の淀んだ目が細められる。
    グッと引き金を引く手に力が込められている。女が、巡にトリガーを引かせんとしていた。
    大きく目を見開いた巡は、渾身の力で女を突き飛ばそうとして。

    「たっだいま~!めぐめぐ~?いるの?」
    「来ちゃダメッ!」

    それは悲鳴に似た制止だった。
    一瞬、彼女に気を取られた。
    その刹那の空白の時間に、目の前の女は再び消えていた。
    巡が辺りを見回しても、影も姿もない。
    ソファはほんのりと温かく、確かに彼女がいた事を示していた。

    「めぐめぐ?」

    真剣味を帯びた同居人の声で、巡はハッと顔を上げた。
    テーブルに並べられた罪達をかき集めながら、「ごめん、ちょっとそこにいて!」と麗奈に声を掛ける。
    しわくちゃになったコピー用紙を自室に投げ入れて、慌てて玄関に向かう。
    そこには、心配そうにしている麗奈がいた。

    「めぐめぐ、大丈夫?」

    巡の顔を覗き込んだ麗奈を見て、呼吸をする。
    新鮮な空気に、血の流れが良くなるのを感じる。今の今までずっと息を止めていたような気さえした。

    「大丈夫だよ」
    「マ?顔色悪いよ」
    「そうかな?今日お化粧していかなかったからかも」
    「ウッソ!?あり得ないんですけど!?」

    オーバーリアクションの彼女に、嗚呼気を遣われている。と巡は勘付いた。
    彼女かて同じViCaPだ。巡のあの悲鳴のような制止を、不審がらない筈がない。
    けれど麗奈は踏み込まなかった。巡がそうしてほしくないと望んでいるように感じたから。
    ただ、仲良しの友達として、心配ではあった。

    「めぐめぐ、困ったらなんでも相談してよ」

    麗奈のそんな優しさに、巡は頷くほかなかった。


    「ねぇそういえばさ。キッチンにカレーが作ってあったけど、めぐめぐお手製?」
    「カレー?」

    罪の白を片付けていると、扉越しに声が掛けられた。
    開くと、カレーの匂いが僅かにした。
    キッチンに向かうとコンロの上には鍋が置かれており、蓋を開けずともカわかるスパイスの香りがした。

    「……私じゃない」
    「え?」
    「あ。えっと、……俄月さん用だから食べちゃダメ!今持って行こうと思って」
    「えっ!?なんで!?」

    俄月という名前に、一瞬顔を強張らせた麗奈だったが、年頃の乙女にエンジンが掛かったらしくパッと顔を明るくした。

    「どういうこと!?手料理を振る舞うってどういう関係なの!?」
    「ただの先輩と後輩だよ。あの人、普段お酒がご飯だから」
    「めぐめぐより酷い」
    「そう。だから持って行くね」

    巡は乙女の猛攻から退避とばかりに鍋を抱えて逃げ出した。
    鍋の蓋は開けられなかった。けれど、この鍋を不法投棄する訳にもいかず。
    結局、スマホを取り出した。
    どうしたってこういう時、頼らざるをえなくなる相手は、一人しかいなかった。

    「もしもし、俄月さんですか?今どこにいますか?」
    「家」
    「どっちのですか?」
    「広い方」
    「わかりました」

    どうやらセーフハウスにいるようだった。それは巡にとっては朗報となる。
    こんな危険物を同僚たちが集まっている場所に置いておけまい。
    今から行くと、相手の返事も聞かずに一方的に取り付けて電話を切った。
    手元からは未だにスパイスの良い香りがした。



    鍋の蓋を開ける?▼
    開ける
    開けない







    ▶蓋を開けない


    とりあえず蓋は開けないで、俄月さんに見てもらおう。
    巡はカレー鍋を抱え直して急いだ。

    チャイムを鳴らせば、暫くしてガチャリと金属音がした。
    巡がドアノブに手をかける前に、扉がひとりでに開いた。顔を上げれば、俄月が扉を押えている。
    早く入れ。という事だろう。
    巡は自然と肩を下げる。ヴィランの物と思われる物を公道に持ち出すのは、それなりにリスクがあることだ。

    「俄月さん」
    「それは」

    玄関に入ると、男の匂いがする。
    香水と……8割はタバコの匂いだ。
    そこに、異質なスパイスな香りは、相当目……否、鼻についたらしい、
    怪訝そうな顔をされた。

    「今日取り逃したヴィランが置いて行ったようです」

    取り逃した。というワードは、巡の顔を渋くさせた。唇が自然と薄くなる。
    対して俄月は眉を顰めたまま変わらない。予想済みだったらしい。まぁそうだろうな。と吸いかけの煙草を再び咥えた。実際、あれ程取り乱した巡を見たのは、久方振りであった。報告された内容から、精神を削られる内容であることは、救出した当本人の彼にはよく理解出来ることなのも要因だった。
    変わらぬ俄月に、巡も少し不安が和らぐ。なんというか、男があまりにも不動過ぎて、妙な安心感があるのである。
    動かぬまま、俄月は来客用のスリッパも出さずにリビングに向かった。
    勝手知ったる巡は、自分が買っておいた来客用のスリッパに足を入れ、追いかける。
    ソファに座り、テーブルに置かれたカレーを一瞥して俄月は口を開いた。

    「テメェの家か」
    「はい。侵入経路は不明ですが、瞬間移動か、転移系の異能の可能性があります」
    「……幻覚という線は」
    「戻しても変わりませんでしたので、恐らく本体かと」
    「……」

    すぅ、はぁ。と深く煙を吸った俄月は、今度こそ面倒くさそうな顔をした。

    「そんな顔しないでくださいよ」

    ぴえん。と言わんばかりにウルウルな目を煌めかせた可愛い後輩も、全て無視である。俄月はまた煙を吐きながら、天井を見ている。
    巡も何かあるのかと見上げたが、シーリングファンがゆっくりと回っているだけだった。
    何か言ってほしい。アドバイスとは言わないが、指示的なものが。
    巡は忠犬よろしく、偉大なる先輩の御言葉を待った。

    「中は」
    「まだ。1人で開けるのは、ちょっと」
    「懸命だな。
    離れてろ」

    俄月は手袋を取って鍋の蓋に手をかける。
    巡は一瞬私が、といい掛けようとして、大人しくソファの後ろに隠れた。
    刺激臭だろうが、毒物だろうが、俄月に接地していれば最後、全ては箱になるのだ。
    大抵の罠はどうにかなる。

    カンッと、金属の軽い音と共に鍋の蓋が開かれる。

    「俄月さん、どうですか?」
    「……」

    巡が背もたれからひょっこりと顔を出す。鍋を覗いた俄月の目が僅かに開かれていた。

    「俄月さん」
    「見るな」

    巡が踵を上げる。
    それと同時に、静止の声が掛かったが、残念ながら彼女の好奇心の方が勝ったようだ。否、見てしまった。とも言える。

    「う、」

    蓋を開け全貌が晒された事により、スパイスに誤魔化しきれない魚が焼けたような臭いと、鮮魚コーナーのような、血の混じった生臭さが鼻をついた。

    中には頭部が浮かんでいた。
    巡はその人を知っている。
    かつて、私を肉壁にした男だった。
    白く濁った目が、巡と合った。

    「あ」

    巡は思わず口元に手を当てた。
    何百の悲惨な体を見てきたはずだった。
    しかし、薄い黄色の液体に使ったその顔は。

    「ぅ、」

    思わず嗚咽が漏れる。この場はマズイ、と思っているが、胃を鷲掴みにされたようにグッと内容物が喉をせり上がってくる。背中を丸め、結局ふらつく足元に視線を落とすしか出来なかった。

    「おい」

    俄月はとっくに閉めた鍋の蓋から手を離す。
    彼が彼女の体を抱えることは叶わず、苦しげな巡の声と、床に落ちる水音が響いた。



    「すみませんでした……」

    仕事でとんでもないミスをした。とばかりに、巡は目に見えて落ち込んでいた。体は小さくなり、背中を丸めて頭を下げている。
    胃の中身を全部ぶちまけ、手遅れながらも手洗いから戻ってこれば上司が呼んだViCaP隊員により、鍋もゲロも全て片付けられていたのだ。その時の羞恥と罪悪感と後悔ったらなかった。
    知り合いの隊員が巡の口から出た物を片付けながら爽やかに「お気になさらず」と片方からしか見えていない青緑の目を細められた時は、穴があったら入りたい。と思ったし、彼とバディの己の弟が「大丈夫か?」と気遣って来た時なんかは、なんならブラジル辺りまで穴を掘り進めて入りたいとすら思った。白衣の天使が可愛い後輩達にゲロを片付けられてどうするのか。
    平謝りするばかりの彼女を完璧な笑顔と仏頂面で宥めた後輩が鍋を持って出て行ったのが、さっきの事だ。

    「次やったら分解する」
    「はい」

    しょぼしょぼとしながら俄月にコーヒーを入れる。

    「俄月さん夕飯は」
    「カレー」
    「俄月さんっ!」

    何より上司に今後弄られるのかと思うと、もうブラジルの途中経過でマントルに焼かれて無くなった方がマシなのかもしれない。と思った。



    結局、鍋を見ると思い出すという理由でトンカツになった。

    「験担ぎです」
    「何の」
    「ヴィランに勝つ」
    「勝負じゃねぇだろ」

    呆れた顔をしながら、俄月はトンカツを口に運ぶ。
    何も無かった冷蔵庫に、巡が悲鳴を上げた急拵えの割にはよく出来ている。味噌汁が無いのは些か不満だが。

    「……なんで、あんなもの置いたんでしょう」
    「見せしめ」
    「……」

    鑑定の結果、巡の思い浮かべた人物とDNAが一致した。首を切断した後煮込まれたとされるその首から下は、未だ見つかっていない。
    巡は無意識にお椀を持つ手に力を込めた。

    「俄月さん……あの、少し話をしていいですか」

    俄月からの返事は無い。良いという事なのだと解釈して、巡は1人持ちきれなかった事を彼の前に出した。
    自分の過去のこと、人体実験のこと、諸悪の根源達がもうすぐ出所すること。そして、梅本みどりのやろうとしていること。

    全て話せば、胃の中身同様、胸が空っぽになったような気がした。
    俄月は相槌も打たず、黙々と食事を続けていた。相変わらず一方的な会話だが、巡は彼がきちんと聞いている事をわかっていた。
    彼女が一息ついた時、俄月は茶を一服した後ようやく巡の方を見た。話している間ずっと興味なさげに箸だけ動かしていたのである。

    「で?梅本のいそうな場所は」
    「……わかりません。
    俄月さん」
    「なんだ」
    「梅本みどりを捕まえて、元悪い人が外に出て、それは別に仕方ないと思っているんです。だって他でもない国がそうあるべきとしているので」

    さきほど来た褐色の後輩のような強い正義感程は、巡には無かった。
    確かにこんなに沢山の人間を苦痛に遭わせ、ViCaPも市民も何人も亡くなった根源の人間達を手放しに喜べるほど人間出来ていない。彼らが心の底から更生したとも思えない。
    でも、それは私達市民が作った国がやる事だから。反発するつもりは無い。でも、梅本みどりの気持ちだって分からない訳はなかった。
    当然不安だ。完全無欠の首輪を見ると、鳥肌がたつくらい。
    それでも、受け入れるしかないのだ。

    「私に出来ることは、同じ様なことが起こらないようにすること。起こってしまったら、被害者をすぐに助けてあげること」

    唇を噛み締める。
    乾き始めた米粒が茶碗に張り付いていた。

    「梅本みどりの気持ちは少しは分かります。でも、だからって、殺していい事にはならない。それは、彼等がやってた事と変わらない」
    「わかってんじゃねぇか」

    薄い紫の瞳と、赤い目がかち合った。
    巡は奥歯を噛み締めている。この世は仕方ない、で済まさなければならない事が多過ぎる。

    「あっち側に行くんじゃねぇぞ。
    間違えそうな奴は救えるが、間違っちまったら救えねぇ」
    「……はい」

    梅本みどりはもう救えない。
    ガツンと効く言葉だった。
    同じモルモットだった彼女。こちら側に来られなかった彼女。
    どこか重ねていたのかもしれない。私が目の前の人と出会っていなければ、ああなっていたかもしれない。と。
    動機もわかる、思想もまぁ理解は出来る。どうして、こんなにも違ってしまったのだろう。
    芽生えそうになった情を、無理矢理飲み込んだ。間違いを犯してしまったら、結局は彼等と同じヴィランになるだけだ。
    煮込まれた肉を思い出す。アレはもう、取り返しがつかない部類だ。

    「吐くならトイレ行け」
    「……はい」




    結局ロクに食事も摂ることが出来ないまま、与えられたベッドで横になった。上司のベッドを自分が奪う訳にはいかない。と、巡は抵抗したものの、「戦力外」と首根っこを掴まれてそのまま放り投げられたのである。ガーン!とショックを受けた巡は、結局自分の体力を回復させることに努める他なかった。食欲が湧かなければせめて、睡眠は摂ろうと。
    戦力外など早々言われたことはなかった。何せ白衣の天使と言われているレベルだ。あっちでもこっちでも引っ張りだこで。特に、人が死ぬような場面に立ち会った。

    「……」

    絶対に、気のせいだ。
    巡はゴロリと横を向いて背中を丸める。
    あの死臭混じりのスパイスの臭いが、まだ肺に残っているような気がした。
    スン。と鼻を鳴らせば、飛び込んでくるのは上司のタバコと香水の染み付いたシーツの匂い。血だらけでダストボックスに突っ込まれていた時、自分をすくい上げたあの時嗅いだ匂い。
    ベッドを譲ってもらって良かった。
    布団に包まっていれば、やがて瞼が重たくなってくる。重たい鉛の扉が開かれるのを感じた。




    「ハッ!今何時!?」

    飛び起きると、直射日光が顔面に突き刺さってきた。それに目が!と呻きながらも、ベッド上に放ったスマホを手に取る。良かった、まだ朝日が昇ってすぐのようだ。
    はぁ……と一息ついたところで、ふと、見慣れない部屋であることに気付いた。
    嗚呼そうだ。先輩の家に泊まったのだった。
    昨日の失態に悶えつつ、巡はいそいそとベッドから足を放り出した。
    挽回する為にも、朝ご飯くらいは用意せねばと。

    音を立てないように部屋を出て、そろりそろりとキッチンに向かう。
    家主がまるで料理をしないというのに、男の身長に合わせて作られたキッチンはかなり広いし、高い。
    さて何を作ろうか。と腕まくりしたところで、シンクにコップが1つ。水を張って置いてあるのに気が付いた。俄月が夜に水でも飲んだのだろうか。と思うと、わずかにコップの底が茶色い。
    慌ててリビングを出ると、ソファには誰もおらず。玄関に飛び出せば、いつも彼が履くロングブーツはなかった。

    「寝過ごしたッ!!!!」

    天使も裸足で逃げる声量で、巡は慌てて昨日洗濯機に突っ込んだシャツに袖を通しながら昨日にズボンを脱ぎ捨てる。
    乾燥機に掛けられた服はやや皺になっているが、どうせ上着で隠れるので問題ないだろう。
    ものの30秒で服を着替えた巡は、洗濯カゴに衣服を突っ込んで、寝室に放置していたカバンを引っ付かみ部屋を出た。
    キッチンに朝食べようとして買った食パンを掴んで口に突っ込みながら、髪を梳かし、食べたと同時に洗顔をして歯磨きをする。もはや朝の支度RTA。洗練された無駄のない女っ気のない動きで身支度を整えると、
    「メイク……は、捨てよう!」
    と、同居人が聞いたら卒倒しそうなセリフを吐いて、今度こそ家を飛び出した。



    ViCaP本部に到着すれば、丁度昨日ゲロの始末なり何なりしてくれた後輩がラフな格好で出るところだった。

    「泉魅君、逢ちゃん!」
    「お疲れ様です、巡先輩」
    「姉さん、おはよう」

    折角梳かした髪もボサボサのままの巡に、青緑の目がパチクリと瞬きをした。弟の方は何も気にしていないようである。

    「急ぎですか?」
    「そう……っはぁ、俄月さん、見なかった?!」
    「ああ。俄月先輩なら会議室に」

    口数の少ない弟が喋りきる前に巡は再び走り出す。
    その様子に流石の逢千も驚いたようで、パチ。と瞼を動かしたあと、爆走する後ろ姿を見送る。

    「なんだったんですかね」
    「さぁな」

    2人ともフクロウのように首を傾け、巡が起こした旋風で乱れた髪を泉魅は手櫛で整えていた。




    しまった。どの会議室か聞くのを忘れた。
    更衣室からコンマで出た巡は、早歩きで会議室がズラリと並ぶ廊下を見回した。
    使用中の会議室は4つ。こんな朝からご苦労な事だ。
    爆速出社中に俄月に連絡を入れたものの、既読すらついていない。基本的に報連相がほぼない先輩なのだ。期待するだけ無駄だろう。
    とりあえずノックしてひとつずつ回るか?
    と拳を握ったところで、手前の扉が開いた。

    「思ったより早かったな」

    そう言って出てきたのは、探し人である先輩だった。

    「巡?」
    「名塚さん、予想より30分早かったですね」

    ここで意外な2人が俄月の後ろから顔を出す。
    嶽守そして夕凪瑚夏。

    「今回は俄月先輩に呼ばれて来たんだ。だから、君がそんな急いで来ることは無かったんだぞ」

    嶽守が巡の乱れた髪を手で整えると、困った様子で眉を下げる。
    慌てて巡は頭の形を確かめるように髪を撫でつけ、衣服を整えた。

    「白衣の天使でも、なりふり構わずいることもあるんですね」

    興味深そうに眺めていた瑚夏は、席へと戻って行く。それに頬紅も塗っていないのに朱が差した。
    嶽守に促され、巡も会議室へと入れば、ガチャンと重たい扉が閉じる。

    「今回の任務の話ですよね?私も入れてください」

    席に着くなり、巡が口を開く。
    そうするだろうと予想していた嶽守は、チラリと俄月の方を見た。
    俄月の返事が〝視える〟と、嶽守は頷いて彼の代わりに答える。

    「梅本みどりの心理的な観点から、居場所を割出せないかって話をしていたんだ。
    同時に、次に起こすことは何か」

    ゴクリ。と、巡は生唾を飲み込んだ。
    人の心が覗ける男と、過去を覗ける男。2人とも人間の心理に詳しい男だった。だから巡は、いつも人の心など関心のない俄月との取り合わせに事件の匂いを嗅ぎとったのだ。
    私に出来ることは、しなければならないことは、もし次に被害者が出た時。いち早く助けること。
    巡は続きを促すように頷く。

    「梅本みどりは、現在精神的にかなり不安定で、復讐心に駆られている。こういった人間は視野が非常に狭くなる。だから、ミスもしやすい」

    そうだ。昨日だって、突然本体が私の所に来た。そして、自暴自棄すら垣間見えた引き金を引くような真似。
    彼女は追い詰められている。もう彼女を縛るものは何も無いというのに。彼女は私と同じで、自由だというのに。
    巡がうんうんと頷いていると、指先でペンを回していた瑚夏が資料から顔を上げる。

    「名塚さんは、〝かりーとぴあ〟ってお店知っています?名前の通り、カレー屋みたいなんですけど」
    「かりーとぴあ……なんか、聞いた事、あるかも」
    「うん。梅本みどりが人体実験を受けていた企業のすぐ近くのカレー屋さんなんですよ」

    そこまで言われて、パッと情景が浮かぶ。よく外回りをした時に、上司に連れて行ってもらったカレー屋だ。企業は最悪だったが、美味しいご飯屋さんが近くにあったことだけは救いだった。

    「……ラッシーが美味しくて、」
    「そうなんですね」


    興味深そうに瑚夏は頷いた。なんなら更に追求しようと前のめりになったところで、嶽守の咳払いが響く。
    渋々と言った感じで身を引いた瑚夏は、

    「恐らく加害者と被害者で行った事がある所じゃないかと思う」

    と顎に手を添える。
    巡は流石に梅本みどりが、元上司とカレー屋に行っていたかどうかまではわからない。巡が見ていたのは、苦しそうに呻く女の姿だけだ。

    「匂いって、記憶と結び付きやすいんですよ。それと、感情も」

    「……」

    「梅本みどりは、カレー屋にアルバイトしていたんだ。たぶん、唯一楽しかった記憶があった場所だったから」

    クルクルとペンが回る。
    器用なことに、落ちそうで落ちない軌道をしたペンを、巡はぼんやりと見つめていた。

    「そこへ、関連付けられた人物が現れた。それも、強力な負の感情を持った人間が」

    かりーとぴあ、と書かれたガラス扉を開けて入ってくる男。口元は笑っていたが、目元はいつも笑っていなかった。目元の涙袋がナメクジのように見えて、いつも不気味で……。

    「巡、大丈夫か」

    肩を揺すられる。
    ハッと見上げると、嶽守がこちらを覗き込んでいた。眉尻を下げた彼は、心を読まずとも心配の色を滲ませていた。
    巡は先程までのありありとした情景を消し去るように頭を横に振った。

    「ごめんなさい、ちょっと色々思い出しちゃって」

    「ん」

    俄月が空になったコップを巡に差し出した。
    巡は頷いて「お砂糖たっぷり入れてきます!考え事には糖分がいりますから!」と口元だけ笑みを浮かばせて部屋を出た。
    扉を閉めて、自然とため息が溢れる。足を引っ張るつもりはなかった。こんなに感情の振れ幅が大きくなるなんて。
    どうしたのだろう。
    汗をじっとりと掻いた額を手の甲で拭った。



    扉が完全に閉まり、会議室には静寂が訪れる。
    カラカラと、ペンが机に滑る音が響いた。
    嶽守が瑚夏は人の話を聞いている時、ペンを回すなんて失礼な行動しなかったと記憶している。首を傾げて、そして、確信に近い疑問を口にした。

    「殺害された被害者の癖か」
    「はい。癖というか、サインですかね。特定の行動をすることによっえ、記憶を思い出すようにしているんですよ。
    一般的に知られている暗記方法ですね」
    「巡の心情でペン回しについて思うところはなさそうだった。
    無意識に覚えていたという訳か」
    「恐らく。今回の事件、名塚さんと強く結びつきがある人間が関わっているんだと思います。
    過去に何があったかまでは、見えませんでしたけど」

    瑚夏は俄月をジッと見た。
    名塚巡の過去について知っているのは、上層部とそして直接関わった俄月しか知らない。
    聞きたいことはズケズケと聞く男だ。その俄月が聞かなかったということは訳知りだと踏んで、瑚夏は視線を寄越したが、生憎そういったサービスをする男ではない。

    「本人に聞け」
    「言うと思いました。それに、俄月さん、俺のようなタイプ好きじゃないでしょう」
    「どうでもいい」

    本当にどうでもいいと、資料から視線を寄越しもしない俄月に、残念とばかりに肩を竦めた瑚夏は、嶽守に諌められる前に口を閉ざした。引き際をわかっている男である。

    「じゃあ、俺は任務があるので行きますね」

    瑚夏は席を立つ。
    率先して喋る人間がいよいよ居なくなった重たい空間で、嶽守は残り少ないコーヒーを飲み干した。

    「巡の過去について存じ上げませんので、これは憶測なのですが、」

    堅いどこか緊張した声が響く。
    俄月は黙って資料を捲っている。
    嶽守が戸惑うと「続けろ」とだけ返事があった。
    ホッとし、嶽守は言葉を続ける。

    「梅本みどりの単独犯ではない。幻術と、転移系の異能が見られた」
    「ああ」
    「鑑定の結果、梅本みどりの異能は香りの強弱の操作。適合率は3%、ランクはI」
    「……」
    「昨夜運ばれたカレーは、蓋を開けるまではスパイスの匂いしかし無かったんですよね」
    「そうだ」
    「ランクIは、ほぼまぐれでしか使えないし、異能を蓋を開けるまで匂わせない。なんて、そんな器用に扱えない筈です」
    「……」

    「梅本みどりは、貴方が蓋を開けた瞬間、死んでいる」

    「――で?」

    珍しく興味深いらしく、俄月が顔を上げて嶽守を見た。嶽守は背筋を伸ばして、視線を返す。

    「巡と接触した際、梅本は死ぬことを選ぼうとした。作戦には無いことでしょう。
    遠回しでアプローチする奴等です。みすみすリスクが上がるような事をさせる訳がない」
    「トカゲの尻尾切り」
    「ええ。まさにその通りです。リスクを孕む梅本は切り捨てられた。
    なぜなら……」




    「お待たせしました!ってアレ?瑚夏君は?」

    扉が開く。
    お盆を持った巡の目がキョロキョロと動き、所在無げに1つ余ったコップを手に持った。
    嶽守はいなくなった男の代わりに、コップに手を伸ばす。

    「ありがとう。瑚夏は任務に行ったんだ」
    「ああ!そっか。遅くなって悪いことしちゃったかな」
    「気にしなくていい。私もそろそろお暇する。夜町先輩が書類に埋もれるといけないから」
    「あ!じゃあこれ、ちよ姉に」
    「ああ。渡しておく。ありがとう」

    コップを両手に持った嶽守が扉から出る。
    同時にガタンと音がする。
    巡が音がする方へ目を向ける前に、横に俄月が立っていた。

    「行くぞ」
    「え?あ、はい!いや、待ってお茶をせめて!」

    朝から全力疾走してきた巡からすれば、もう一息つきたいところだった。が、それを待つ甲斐性は俄月にない。さっさと部屋から出ていってしまった彼を、零れないように小走りで追いかけるしかないのだった。



    向かった先は〝かりーとぴあ〟だった。
    巡の記憶よりも色あせたコンクリートの壁の黄色、汚れたガラス扉が出迎える。

    「潰れてますね」
    「ああ」

    カレー屋は巡が保護された後、1年も経たずに潰れていた。ヴィランの隠れ蓑だったという風評被害により、客足が遠のいたのが原因とされている。
    俄月はポケットから鍵を取り出すと、中に入った。
    潰れて3年経とうとするというのに、僅かにスパイスの香りがする。
    それは明らかにおかしな点だった。
    俄月は眉を顰め、神経を研ぎ澄ませながら足を踏み入れた。

    ブンブンと蝿の羽音が聞こえてくる。キッチンだろうか。
    俄月がゆっくりと歩みを進める度に、スパイスの香りが強くなっていく。

    ――白く美しい足の甲が、俄月の目の前にあった。

    折れそうなほど細い足首、筋肉などついていなさそうな脚がカーブを描き、血管の浮いた手がある。
    その先には、筋肉の繊維が残る皮膚が翼のように2つに分かれて天井に固定されていた。
    俄月の眉間に皺が寄る。
    同じように皺を寄せ苦悶の表情浮かべた梅本みどり。
    彼女がやはり、そこには居た。
    蝿に集られた彼女は、既に流れきった体液が皮膚に痕を残していた。

    「ゔ、」

    俄月の後ろでガタンッと大きな音がした。真っ青な顔の巡は、蝿の集るソレに釘付けになっている。

    「トイレ行け」
    「大丈夫、です」

    ハンカチで口元を抑えながら、巡はスーハーと大きく息をした。どう見ても大丈夫そうではないが、巡は持ち前の根性でなんとかせり上がる胃液を押さえ込んでいた。
    巡が落ち着くのを待ちながら、俄月はViCaPに連絡を入れた。
    間もなくしてViCaP隊員達が入ってくる。

    「うわ!」
    「マジかよ……」

    青い顔の隊員が、俄月に会釈をして遺体の回収を進める。

    「あーやばい、トイレどこだっけ」
    「知らねぇよ!吐くなら外行け!」
    「それなら、こっちよ」

    白衣の天使が、奥の扉を指す。まさに啓示。隊員が天使に導かれ、苦しそうな声と慌ただしい足音が聞こえる中、俄月が辺りをグルリと見回した。
    天井で固定されている方法は杭。脚立が近くにあり、わざわざ脚立に登って死体を打ち付け固定したのだろう。ご苦労な事だ。
    コンロには頭が入っていたものと同じ種類の鍋が並んでいる。蓋を開けると、カレーが僅かに入っていた。
    見たところ腐っていなさそうだ。今の季節的に早々外に放置していい物ではないだろう。となると……。
    床に目を凝らす。僅かに引きずったような線が2本走っている。上を見れば、梅本みどりの足には脱げかけのヒールが張り付いていた。
    移動させられたと見て間違いないだろう。その線を辿る。
    ソファ席の一角に辿り着いた。テーブルには食べかけのカレーと、吐瀉物が乾ききって放置されていた。

    「毒ですね」

    口元をハンカチで拭いながら、巡が現れる。
    顔色はあまり良くないようだ。
    俄月は彼女をチラリと見ただけで、テーブルに再び視線を戻した。
    しゃがみこんでテーブルを水平に見る。
    埃の被った窓から僅かに差し込む光の反射で、テーブルに半月のような痕が残っている。それも、2つ。

    「グラスが2つ……1つは梅本みどりそして、」
    「共犯者だろう」
    「確認した異能の数と合いませんね」
    「ただの駒を労う必要はねぇだろ」

    同じように腰を屈めた巡が、口をへの字に曲げる。

    「そんな言い方……」
    「肩入れするな。
    梅本みどりはただのヴィランだ」
    「……わかって、ます」

    グッと拳を握りしめる。頭では分かっている。梅本みどりは指名手配されているヴィランだ。指示があったとはいえ、成人男性を1人殺している。
    それでも、同じ境遇で救われなかった彼女に、何も思わないのは難しい。
    それを分かっているからこそ、俄月は巡を見下げていた。
    いつもなら「な、なんですか?」と見つめてくる瞳は向けられない。
    不安が残りながらも、俄月は彼女を任務から外さなかった。否、外せなかった。
    嶽守の言葉を思い出した俄月は、面倒くせぇと内心ごちた。
    壁にはNo Smokingというステッカーが貼られている。自然と舌打ちが響き、隊員達が「こわ」「え?俺?」と震えている。そんな隊員を哀れんだ天使が、救いの手を差し伸べた。

    「次はどこに?」
    「……研究所」

    ゴクリ。と巡の喉が上下した。





    「ええ。まさにその通りです。リスクを孕む梅本は切り捨てられた。
    なぜなら……

    彼等は梅本の代わりを見つけた。異能も強力で使える〝名塚巡〟という人間を」






    フロント企業であった製薬会社のビルは、かりーとぴあと同様に寂れていた。
    人気もなく、鍵が掛けられ、立ち入り禁止のテープが貼られている。
    事件が収束してたからかなりの年月が経っているのだから当然だろう。
    玄関の扉をこれまたViCaPから支給された鍵で開ける。
    扉を開けると風圧でホコリが舞い散った。そのホコリは瞬く間に無数の小さな箱に変えられ、床にパラパラと落ちていった。俄月の異能である分解が発動したのである。
    こんなくだらないことに使っても良いんだ。と、巡が思いながらもそれは口にせず、俄月の後を追った。

    ――靴底が床に接地した。途端だった。
    ぐるりと視界が一回転したような気がし、平衡感覚を失いかける。慌てて上司の上着をひっつかもうと顔を上げるも、目の前に上司はいなかった。
    ――なんで。
    巡の綺羅星のような赤い目が見開かれた。
    ペタンッと尻もちをつき、膝を床に引っ付けながら空を切った手から恐る恐る視線を持ち上げた。

    天窓から光が差し込みエントランスには受付嬢がにこやかに微笑んでいた。
    見慣れた光景だった。見慣れ過ぎていた。ありえないことだった。
    だってそれは17年前の光景そのものだった。

    「あ」

    巡の背中が嫌な汗を垂らす。道中で会議室から持ってきた飲み物をチビチビと飲んで潤した喉が、カラカラになっている。
    浅い呼吸を繰り返す巡の横を、怪訝そうな顔でエントランスに入ってきた客人が通り過ぎて行った。
    知った顔ばかりが行き交っている。まるで生きているようだった。
    警察の前に突き出された人、ViCaP隊員の異能で倒れた人、実験で亡くなった人、狂った人、逃げ出して消息不明になった人。
    知っている。彼らはもうこの世にはいない。
    この諸悪の根源だって逮捕されている。
    理解っていても、巡の心は掻き乱された。当然だ。あれは凄惨な事件だった。非人道的な行為はメディアがこぞって取り上げたのだし、連日テレビはそれでもちきりで、巡は保護されている間テレビを見ようという気が起きなかった程だ。

    「ようこそ」
    「……貴方、は」

    背後から、声を掛けられた。
    気配も足音もなかった。ここの人たちはそれが全てない。幻覚なのだ。そう、これは幻覚。
    首を横に捻る。
    手を後ろに組み、踵を揃えて立っている40過ぎの男がいた。
    男に見覚えがある。
    同じモルモットだった――。

    「覚えてくれていて嬉しいよ」
    「新藤……さん?」
    「ああ、そうだよ。名前まで覚えてもらっているなんて光栄だ」

    爽やかな笑顔。見たことがない。
    彼はいつでも血まみれで苦痛に喘いでいた。

    「ここは嫌なことばかり思い出すだろう?申し訳ない。
    ただ、貴方のお連れの方がいると面倒なことになりそうだったからね。少しご退場願ったんだ。
    悪いようにはしてないよ。ここは貴方の……夢の中のようなものさ」
    「幻覚を見せる、異能を持っていたんですね」
    「幻覚。まぁそれに近いかな。
    私の話は良いとして、今日は勧誘に来たんだ。
    梅本みどりがしたと思ったんだけど、上手に出来なかったみたいだから」

    赤いネクタイが利いた黒のスーツ。
    物腰柔らかな態度に、コントラストの激しい服が少し似合わないなと思った。
    酷く優しい言い方を通り越して、幼稚園児でも扱っているかのような口ぶりに、巡は眉を顰める。

    「出来ません。私はViCaPだから」
    「ViCaPは続けてもらって構わないよ」
    「出来ません。どんな事があっても、人を傷つけて良い理由にはならない」
    「嗚呼そうだ。貴方はそういう性格なんでした」

    ポリポリと頬を掻いた男は、下がった目尻を更に下げて見せる。困ったなぁ。なんておとぼけな表情の先は黒い瞳がジットリと巡だけを見つめていた。
    口を真一文字にキュッと結んだ巡は、もう一度首を横に振る。

    「ごめんなさい。貴方も彼らと同じになる前に早く」

    助けたい。
    と、思った。
    巡はViCaPで白衣の天使と呼ばれている。それは彼女がナースのコスプレもどきのような格好をしているからじゃない。我が身を削ってまで人を助けるために尽力するその精神に由来する。
    眼の前の、悪の道にもう何歩も進んでしまった男に、それでも手を伸ばした。

    「同じ?」

    ビキと。男のこめかみの血管が浮き出る。
    巡はハッとして長い睫毛を伏せた。

    「同じになるって言った?ああ、いや。そうだな。理解っているよ。
    人を傷つけたら彼らと同じ刑罰になるって言いたいんだろう?」
    「そう、です。彼らのように罪人になってほしくない。
    私は、貴方達と同じように酷い目に遭ったから。余計にそう思います」

    表情は完全に怒っている。血走った目が巡の一挙手一投足をジロジロと監視していたが、それでも声色だけは取り繕えている男。更にアンバランスさが加速されている。
    巡のどこか憂いを帯びた表情に、男は赤いネクタイを整えながら、男は気取って微笑みを貼り付けた。
    巡の額に薄っすらと汗が滲む。

    「復讐は何も生まない」
    「はい、その通りです」
    「だが、やったほうがスッキリする。そうだろう?」

    バンッとブレーカーが落ちたような音。
    一瞬視界が真っ暗になり、再び明るくなった時。
    一面のガラスケースが並んだ通路。その真ん中に、巡は座り込んでいた。
    ペットショップを彷彿とさせるガラスケース。
    助けを求めるようにガラスに手をへばりつけて泣く女。全てを諦めて壁にもたれている男。ぐったりとして天井を見つめている男。
    胃の内容物を床にぶちまけて床に転がっている梅本みどり。

    「貴方だって、敵に立ち向かっただろう?」

    次に画面が変わる。
    血塗れの床や壁、散乱した部屋。倒れている人。
    それは巡が反逆した際の光景そのものだった。
    手には血まみれの銃が握られている。
    ドクンッと心臓が強く脈打ち、拍子に体から血が吹き出した。
    そうだ、反逆しようとして、1人じゃ結局数人倒したところで返り討ちにあって。
    ぬるりと額から血が垂れ顎先から滴り落ちた。
    そうだ、ここで。

    新藤の横をすり抜けて駆け込んできた、あの煮込まれていた男。
    五体満足ある男は、巡に向かって怒鳴り声を上げながら頭を鷲掴みにして馬乗りになり、何度も何度も殴って来た。
    ――このままだと殺される!逃げないと、逃げないと!
    生存本能に従ったまま銃底で男のこめかみを殴りつけ、そのまま窓から身を投げた。

    そして、そこで会ったのだ。

    「遅い」

    全身真っ黒な男が不機嫌そうに立っていた。
    ダストボックスに埋もれた体は、全身痛くて寒くて、使い物にならない。ぼんやりとした頭を働かせて巡は少し微笑んだ。

    「すみません……異能のからくりが把握出来ず」

    巡を引っ張り上げた俄月は、巡を道路に放った。もう少し丁寧にしてほしい。

    「痛い!またお尻をぶつけました!」
    「うるせぇ」

    お尻を擦りながら巡はのそのそと立ち上がる。相変わらず全身が活動限界だと悲鳴をあげていて、これが自分の見ている幻想の中だというのに言うことを利かない。

    「まさか私の異能を逆手に取るとはね」
    「幻覚じゃないって、ヒントをくれたのは貴方ですよ」

    巡は鼻血を袖で乱暴に拭いながら、俄月の横に立つ。
    ジットリと背中が濡れている。

    「貴方の異能は完璧じゃない。行使する相手の想像力に左右される力。
    その人が見たい光景を見せる異能。だから、貴方は強烈な感情を思い出させる必要があった。嫌悪してようが、その人が浮かべた情景が幻になるのだから。
    そのトリガーとして臭いが強いものを使った。違いますか?」
    「――……この短期間でよくも推理したものだ」

    パチパチと拍手をしながら、男は窓からゆっくりと降りてくる。
    どうやら幻術に関与出来るのは、行使された人間と、そして術者だけのようだ。
    優雅に立っている男は余裕の表情を浮かべている。

    「愛している反対は何か解かるか?
    ――無関心だ。
    貴方が過去に無関心でいられない限り、この桃源郷からは出られない。
    現実の世界が見たいと思えば、現実の世界が反映された夢の中に閉じ込められるんだからね」
    「ええ、そうですね。私は出られない。でも、」

    俄月を見上げる。見上げた俄月は巡を男から庇うように立っているだけで何も言わない。
    不審がって新藤が組んだ手を離したその時。

    「ガッ!?なに!?」

    新藤の体が崩れてゆく。それと同じように周辺の景色がオーロラのように揺らぎ始めた。
    巡はホッと一息ついた。どうやら間に合ったらしい。
    崩れ始める桃源郷の中で、同じように巡の前に立っていた男が崩れてゆく。

    「巡」
    崩れている俄月だった男が振り返る仕草をした。もう顔も見えないから、捻られた上体だけで判断するしかない。

    「よくやった」
    「!」

    男の手が巡に伸び触れる寸前。
    蜃気楼のように男の指先から揺らぎ、そして消えていってしまった。
    後に残ったのは、ホコリまみれになった床に立ち尽くす巡だけだった。



    俄月が通信機越しに言った階まで駆け上がり、社長室だった部屋へと向かう。
    扉を開けると大きな箱に座って一服している俄月の姿があった。

    「俄月さん!」
    「遅い」
    「すみません。ホコリが羊みたいに自分についてて、掃除してたら遅くなっちゃういました」

    あの後しばらく立ち尽くしていた巡だったが、すぐに尻もちをついたり転がったりしていたせいで全身ホコリというホコリを吸着させていた姿に絶叫した。
    が、彼女はすぐに時を戻した為、正直言えばぼんやり立ち尽くしていたのが原因だと言える。
    言うと俄月に有り得ないとばかりに冷めた目で見られる為の嘘であった。
    ちなみにその嘘はバレている。

    「その箱が新藤ですか?」
    「ああ」
    「そうでしたか。やっぱり探してもらって助かりました。
    私の作った俄月さん、上手く動かせなかったので」
    「そうだろうな」

    しょんぼり。と巡は肩を落とした。
    崩れ落ちた俄月は、あの桃源郷の中で作った幻だったのだ。
    座られている哀れな箱になった男は、それを本物だと思った。
    新藤は本来、強烈な感情を植え付けた俄月諸共、桃源郷の中に引きずり込もうとしていた。
    巡が俄月の元にカレーを持っていくだろうというのも織り込み済みだったのである。
    新藤の異能のトリガーは強烈な感情。故に、頭丸ごと入りのカレーや、背中を剥がした遺体などの負の感情を臭いと共に植え付けようとした。
    が、失敗した。
    なにせこの男、あまりにもドライ。
    とんでもない遺体を見ようが、恐怖や不安や怒りなど、負の感情など覚えなかったのである。
    思い出すためのトリガーの臭いの元カレーですら、差し出されたら平然と食べられるだろう。そういう図太い男なのだ。

    巡が生み出した俄月を本物だと思い込んだ男は、俄月を操作しようとしなかった。
    おかげで操作権がある巡が本物のように動かそうとしたのだが、俄月という男があまりにも奇っ怪な男だったので最終的に棒立ちになっていた。
    元々口数が少ない男で良かった。と今だけは彼の性質に感謝する巡なのであった。

    そんな四苦八苦している巡を他所に、本物の俄月は座り込んで動かなくなった巡を放置して、会社内部を調べていった。
    併設された研究所まで見て周り、ようやく社長室で異能を使用する男を見つけたという訳だ。問答無用で分解した扉が床に散らばり、なんなら踏み潰されている。量的に元に戻すことはおそらく不可能だろう。
    そして同じように桃源郷の景色を見ていた男は敢え無く御用となり、現在俄月の椅子になっている。

    「あと数分で隊員が来る」
    「わかりました。現在地の経路を送っておきます」

    端末を操作している巡を視界の端に捉えながら、俄月はタバコを分解し消す。

    「……」

    不安の種があった。それは、犯人はもうひとりいる。ということだ。
    瞬間移動の異能持ちの人間が。
    俄月は新藤から拝借した端末を開いた。
    メッセージのやり取りがされ、この場所で作戦を決行しろという旨のメッセージを最後に途絶えている。
    おそらくこの近くにはいないだろう。

    「俄月さん、すごい皺」
    「元からだ」

    自分の眉間を指した巡は、真似っ子。と、寄せて見せた。
    普段そんな表情をしない彼女がやると違和感しかない。
    それに更に眉を顰めたところで、外でサイレンの音が聞こえてくる。仲間たちだろう。

    残りの実行犯を逃す気はないが、現状出来ることはない。
    精々端末から拾える情報があれば良いが。
    駆け込んできた隊員に端末と、箱を明け渡してようやく巡にとって因縁の地から脱出した。
    外に出ると空気が美味しい。ハウスダストがないって最高だ。
    もうカレーの匂いもしない。

    「俄月隊員、名塚隊員。足取りが掴めるまでしばらく待機とのことです。
    お疲れ様でした」

    青いネクタイをしたスーツの嶽守がそう告げる。
    現場に出るなど珍しい。否、わざわざ訳知りの彼が派遣されたのだろう。
    巡は俄月の分まで返事をした。

    「よく頑張ったな、巡。
    今日は飲みにでも行くか」
    「え、行く!俄月さんも行きましょう!」
    「……」
    「無言は合意としますからね!」

    巡がキャッキャッとはしゃいでいるのを、嶽守はホッと胸を撫で下ろし報告する。
    今回巡は囮役としてかなりの精神的負担があった筈だ。
    彼女に降りかかる任務を軽減してほしいという旨の報告書を提出し、嶽守は再び現場へと戻って行く。
    それを見送った巡は、青いランプが光るViCaPの車両を見ながら息を吐いた。
    ――戻って来れた。ちゃんと、此処に。
    ViCaPと書かれた腕章に指先を滑らせる。
    自分はヒーローだ。
    ヒーローの私が出来ることは、事件が起きないようにすること。そして起きてしまったら被害者をいち早く助けること。それから、加害者である彼らがもっと危ない道に行く前に止めること。

    「俄月さん」
    「あ?」
    「私、ちゃんとやりましたよね」

    男を見上げる。巡より40センチも大きい男は、逆行で表情が見にくい。
    嗚呼、今。めんどくさいって顔したな。
    巡は苦笑を漏らす。
    桃源郷の中の俄月は、既に崩れて見えなかったがこんな顔をしていたのだろうか。そうかもしれない。彼がにこやかに微笑むところを、想像出来ないから。

    「なーんて!かなり頑張ったと思いませんか!?人の幻覚を作るなんて初挑戦で……」

    綺羅星のような目が一瞬揺らいで、瞬いた。
    大袈裟な身振り手振りで巡はグルグルと犬のように俄月の周りをウロチョロとしながら、褒めたって良いんですよ!なんて冗談めかした。

    「鬱陶しい」
    「可愛い後輩になんてこと言うんですか!?」
    「止まれ」

    ピシャリと言われ、巡はこれ以上やったら分解されるかも。と止まる。もはや恐怖政治である。

    「飯」
    「ああ、もうそんな時間ですね!近くのお店に入りましょう!何か食べたいものでもありますか?」
    「カレー」
    「……良いですよ!受けて立ちます!」

    一瞬絶句したような顔が見えたが。
    チラリと巡を見れば、躍起になって拳を握っている。
    冗談のつもりだったのだが。と俄月は口を開きかけてまた閉じた。
    カレーの匂い程度で左右されては、今後たまったものではない。
    丁度いい克服の機会だろう。

    近くにあったインド料理屋に入ろうとした時。
    グシャリと、巡の髪がかき混ぜられた。
    大きな黒い手はすぐ離れて行き、とっとと店の中へと入って行こうとしている。
    それを、呆然と立ちすくんで巡は俄月を5度見ほどした。
    撫でられたのだと自覚すれば、じわじわと頬が緩んでゆく。

    「へへへ……待ってください俄月さん!ありがとうございます!」

    へにゃりと破顔した巡は、俄月の横に今度こそ立った。
    自分は今恩人の横に立てている。
    この先も、ずっと、立つのだ。






    終わり?


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