死人とダンスを ハロウィンとは本来先祖の霊を迎え、悪霊を追い払う祭りらしい。意味合いとしては日本のお盆に近いだろうか。今じゃこの国では、コスプレし、お菓子を配り食べるイベントと化しているが。
そんなわけで一人暮らししている三輪の家にも、本日は大量のお菓子が机に積まれている。三輪自身はハロウィンなぞに興味はほとんどなかったが、同じ隊である米屋はイベントがあればとりあえず騒ぐタイプであるので、三輪も巻き込まれたのだ。とは言ってもコスプレはしないでそれぞれが持ち寄ったお菓子を食べるだけという、ハロウィンにかこつけたただのお菓子パーティーではあったが。
今日の出来事をぼんやりと思い出していれば、何故かわからないけれどハロウィンの本来の意味を思い出した。それはきっと過去に大好きなあの人から教えてもらったからだろう。
姉は、博識な人だった。まだ幼かった三輪と一緒にクッキーを作りながら、楽しそうに姉はそれを教えてくれた。小さかった三輪には半分も理解できなかったけれど、姉と同じ知識を得られたことが嬉しかった。
一つ思い出せば、溢れ出すようにいろいろなことを思い出した。姉と一緒にクッキーを作ったこと。シーツを被ってお化けの格好をしたこと。手を繋いで踊っていればシーツを踏んで二人で転んだこと。それを母に見つかって怒られたこと。出来上がったクッキーは美味しくて、両親も美味しいと褒めてくれたこと。
何故今まで思い出さなかったのか不思議なくらい溢れ出したそれに耐えきれなくなって、三輪は机に突っ伏した。
『ハロウィンって本当はご先祖様を迎えるものなのよ。知ってた?秀次』
笑って教えてくれた姉の声を思い出す。それが本当なら姉は今来ているのだろうか。
「姉さん……」
ぽつんと落ちた言葉に返ってくるものはない、はずだった。
「トリックオアトリート」
三輪一人しかいない家に返事があった。それは昔ハロウィンの本当の意味を教えてくれたあの声と同じで、三輪は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「ね、えさん……?」
「トリックオアトリート、よ」
また返事があった。楽しそうに言うそれは昔聞いたものと変わらない。嗚呼姉だ。今後ろに姉がいる。本当に来てくれたのか。
「姉さん!」
「ダメよ」
振り返ろうとした三輪を察したのか、姉が制止する。魔法のように、身体の動きが止まる。理由がわからなくて、三輪は泣きそうになる。
「姉さんなんでしょう。どうして見ちゃいけないの」
「そんなに悲しい声を出さないで。意地悪しているわけじゃないのよ。トリックオアトリートよ、秀次。わかるでしょう」
その言葉の意味を考える。『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ』か。これが姉なりの悪戯なのだとしたらあまりにも意地が悪すぎると思った。
机に積まれたお菓子の山を見遣る。甘いものを好んだ姉ならどれを渡したって喜んでくれると思ったけれど、どうせなら一番喜んでくれそうなものを渡したかった。
「どうぞ。姉さん」
「……ふふ、ありがとう」
「ねぇ、もうそっちを向いてもいい?」
「いいわよ」
今己の後ろにいるのは死人だというのに全く怖くはなかった。あの日から一日も忘れることはなかった、ひたすらに求めていた最愛の人がそこにいる。三輪の内にあるのは歓喜だけだった。
そこに、姉はいた。黒いローブを身にまとった姿は初めて見たけれど、それ以外は全く変わらない。生きている時と変わらない姉が微笑んでいる。
「……姉さん」
「なぁに」
「ほんとに姉さんなんだ」
「そうよ。あら、泣いてるの?」
「泣いてない」
そうは言ったけれど、目の奥が熱くて痛くてたまらない。は、と零れた息は震えていた。これ以上何か言えばダメになってしまいそうだった。
そんな弟の様子に、姉は少しだけ困ったように笑ったが、生憎顔を伏せたままの三輪は気づくことはなかった。
「今日は何かあったの?お菓子がたくさんあるけれど」
お菓子の山を見つつそう言った姉に、三輪は今日のことを話し出す。三輪隊のメンバーでハロウィンパーティーをしたこと。まあただお菓子を持ち寄って食べるだけだったけれど。陽介が変な味のお菓子ばかり持ってきてて。俺と奈良坂はほとんど食べなかったけど古寺は一番被害にあってたな。それから月見さんは手作りのお菓子を持ってきてた。とても美味しかった。途中で太刀川さんが悪戯しようと乱入してきたけれど月見さんが追い払ったこと。その時の月見さん笑ってるのに何故か怖くてさ。あ、太刀川さんっていうのはね。
姉に話したいことがたくさんある。紡いでも紡いでも終わらないそれを、姉は優しく聞いてくれた。
「楽しかったのね」
姉がそう言って笑うから、三輪の涙腺は遂に決壊した。突然泣き出した弟に、姉は驚いた様子だった。
「どうしたの、秀次。どこか痛い?身体の調子でも悪い?」
宥めるように背中を擦るその手のひらには体温がなくて、やはり姉は死んでいるのだと思った。こんなに生きていた時と変わらないのに、姉は死んでいる。
辛くて、悲しくてたまらなかった。姉の死を目の前で見て理解していたのに。姉が死んでから身を焼くような怒りと悲しみのために生きると決めたのに。それなのに、その生を楽しんでいることに。
ごめんなさい。震える喉から出た小さな声を姉は聞いた。ごめんなさい。姉さんがいないのに楽しんでいて。姉さんがいなくても楽しく過ごせていて。嗚咽に混じるその言葉は不明瞭ではあったが、姉は全て聞いた。身体は大きくなったけれど、たった17歳の子どもが抱えるにはあまりにも悲しくて辛いそれが、涙と共に少しでも流れて軽くなってくれればいいと願った。姉にはもう祈ることしかできなかった。
「姉さんは、秀次が楽しく過ごしてくれて嬉しいよ」
泣く弟を抱きしめる。昔は弟をそうやってよく宥めていた。背中をぽん、ぽんと擦る。そうすれば泣き声は少しずつ止み、最後は泣き疲れたのか眠ってしまうのだ。
「本当よ。秀次が楽しそうだと私も嬉しいの。いろんな人と出会って、貴方が笑って、そうやって生きてほしい」
耳元で姉の優しい声がする。嗚呼昔もこんなことがあった。俺が泣く度に抱きしめてくれた。冷たかった姉の手のひらが温かく感じる。
「姉さん、ありがとう」
小さな声だったけれど、姉にはちゃんと届いたらしい。
「私もありがとう。姉さんのことを思って泣いてくれて」
姉がより力を込めて抱きしめるのを、三輪もその背に腕を回して応えた。
「いつ帰るの?」
泣き止んだ三輪は尋ねた。照れているのか、その目は伏せられている。
「0時には戻らないといけないの。だから……あと15分くらいね」
「それだけ……」
絶句する弟に、ごめんねと頭を撫でてやる。ねぇ、秀次。お願い聞いてくれる?そう続いた言葉に、三輪は姉を見た。
「踊らない?昔ハロウィンの時はよくやったでしょう」
それは三輪が小学生の低学年くらいまでの時の話だ。互いにシーツを被った姉弟は、姉の歌に合わせて手を繋いで踊った。
ささやかで、温かな思い出。姉も覚えていたのか。
「ほら、ね。踊ろう、秀次。ハロウィンなんだもの、楽しまないと」
姉が三輪の手を引く。姉さんと慌てた声を上げる弟を楽しそうに見遣って、姉は歌い出した。
手を繋ぐ。回る。離れて、また繋いで。姉の動きに合わせて黒いローブがドレスのようにひらめいた。
「楽しい?秀次」
そう聞いた姉に、三輪は笑顔で答える。それを見て姉も笑った。
「私もよ。とても、とっても楽しいわ!」
生きた弟と死んだ姉は、手を取って踊った。最後くらい笑ってお別れしたいのは、二人とも同じだ。
姉の歌が終わる。静まった部屋に、二人の笑い声と小さな泣き声も混じる。
「もう行くの?」
「ええ」
「来年も来てくれる?」
「そうね、きっと」
姉が宥めるように三輪の頭を撫でる。それを甘受して、三輪はそういえばさと口を開いた。
「俺、忘れていたんだけど。ハロウィンといえばアレでしょ」
「なに?」
「トリックオアトリート、だよ。姉さん」
にやりと笑って言う弟に、姉もそうね、と笑った。じゃあ、とっておきのを。
突然姉がローブを三輪にかける。真っ暗になった視界を抜けた時には、姉はもういなかった。
「悪戯するのは俺なんだよ、姉さん」
泣きそうな声で言う三輪の目に小さな袋が映った。リボンでラッピングされたそれは、幼い頃姉と作ったものと同じだった。
手に取った三輪は、それを口に含む。幼い頃に一緒に作ったクッキーと同じそれに、三輪は泣きながら笑った。
来年は俺もクッキーを用意しよう。トリックオアトリートと言って、一緒に食べ合おう。きっと、来年も陽介たちとパーティーするだろうから、その時にも持っていこう。そして、姉に楽しかったことをたくさん話すのだ。
少しだけしょっぱくなってしまったクッキーを三輪はもう一つ口に運んだ。