助言の先にあるもの「先生に相談したい事があるんだけどさ」
そうタルタリヤに言われて、連れて来られた瑠璃亭の個室。食事が進んで一息付いたところを見計らい、鍾離の方から火蓋を切った。
「珍しいな、公子殿が俺に相談事をするなど」
「確かに、自分でもそう思うよ」
どこか疲れた様子で言うタルタリヤに、本当に珍しいなと内心驚く。本格的に聞く為に、鍾離は持っていた盃を音を立てずに卓上に置いた。
「内容によっては答えることは出来ないが、それでいいなら聞こう」
「まぁ、込み入った話じゃなくて…プライベートの事なんだけどさ」
「ふむ、私的な事?」
死闘を愛する彼の事だから手合わせの話だろうか?と考えたが、すぐに否定する。手合わせにしてはあからさまに様子がおかしい。いつものタルタリヤなら笑顔で躊躇いなく真っ直ぐに手合わせを鍾離に強請ってくるはずだ。
「うん…その、何て言うか」
「?…煮え切らないな」
「え…っと、璃月にいる…人に告白する場合どうすればいいか聞きたくて…」
「……は?」
「こう…出来ればプレゼントの選び方とかアドバイスが欲しいというか…」
「…すまない、もう一度言ってもらえないだろうか」
「だから、その…あー!もうっ!恋愛についてアドバイスが欲しいって話だよ!」
恋愛…恋愛…?
あの家族と闘争以外には何も興味を示さないタルタリヤが鍾離に恋愛相談?
相談の内容があまりにも意外すぎて、本当に相談内容がそれであっているのか訝しむ。そもそも、相談相手に鍾離を選んだ事も意味が分からなかった。何かの暗喩だろうか。
「…恋愛相談?俺に?…公子殿、相談する相手を間違えてはいないか?」
「別に、間違えてないよ」
「なら、恋愛というのは何かの符牒か?」
「シンプルにそのまんまだけど」
「………。」
どこかソワソワしながらも、即答してくるタルタリヤの様子に嘘は無いように見えた。内容が意外すぎて現実味のなかった言葉がようやく鍾離の頭の中に到達して、呆然とする。
まさか、想いを伝える前に失恋する事になるとは思わなかった。
最近自覚したばかりの鍾離の恋心がガラガラと音を立てて崩れていく。想いを伝えるのを躊躇せず、相談を受ける前に言っておけば何かが変わっていたのだろうか。そんな詮無いことを胸中で何度も呟いては意味もなく消えていく。
しかも意中の相手から現在、恋愛相談を持ち掛けられているときた。これはどういう因果なのだろうか。
「それで鍾離先生、この相談受けてはくれるのかな?もちろん相談料はきちんと払うよ」
「…その前に何故俺なんだ?適任者は他にもいるのではないか?」
「普通の人ならそうだね。けど、最初に言ったと思うけど璃月にいる…人なんだよ」
タルタリヤの歯切れの悪い含みのある言い方が少し気になるが、視線で続きを促す。
「璃月の歴史と伝統に詳しくて、心から璃月の事が好きな…もう人でいいか…人なんだけど、国によって贈ってはいけない物とか結構違うよね?だから、プレゼントに相応しくない物は贈りたくなくてさ…先生、そういうの詳しいでしょ?持ってきた物が贈れる物かどうか教えて欲しいんだ」
「…成る程」
途中、小さく呟いた箇所は聞き取れなかったが、理由は概ね理解できた。
ほんのり頬を染め、照れ臭いのか少しぶっきらぼうな言い方をしながらも目尻を緩ませながら語るタルタリヤ。彼が家族の話題以外の事でこんなに愛おしそうな顔をしているのは、鍾離の知る限り初めてだった。
完全にその人の事が好きなのだと、意中の人だからこそよく見ていた鍾離は悟る。
悟ったからには、もうこの恋は諦めるしかなかった。こんな顔をされては今更想いを伝えるのは無駄だろう。逆に、伝えて今の関係を崩すのは避けたい。恋仲にはなれなくても、友人として共に在ることは出来る。そこまで考えて、鍾離は僅かに躊躇った後に口を開いた。
「…大した助言は出来ないと思うが、それでもいいなら受けよう」
「本当?約束だよ先生?それじゃあ早速、明日からよろしくね」
「…ああ」
嬉しそうにそう言うタルタリヤのその顔が、鍾離に向けられたものでは無いという事実が複雑で、胸が痛んだ。
神として市井を見ていた時、凡人の営みの中でも失恋について幾つか見聞きしていたが、こんなに辛いものだったとは思いもしなかった。過去に見た人々のように、いつかこの痛みに慣れて前を向いて歩く日々が来るのだろうか。
食事が再開する中考えても、今の鍾離には分からなかった。
✦✧✦
翌日から、怒涛の勢いでタルタリヤの相談が始まった。
手には贈り物であろう品を三つほど持ち、ほぼ毎日、往生堂に押しかけては瑠璃亭で言った通りの助言を鍾離に求めてきた。ファデュイの仕事とはそんなに暇なのだろうか。
そう考えて現実逃避するほど、鍾離は日々疲弊していた。
助言を求められるのはまだいい。失恋したとはいえ友人として相談を受けると決めたのは鍾離なのだ。約束も契約の一種であるし相談料も事前に受け取った。破るつもりは端から無い。
ただ、タルタリヤが相談時にする行動に問題があって、鍾離はそれに酷く困惑していた。
例えば、相談初日。
「鍾離先生、約束通り来たよ。早速で悪いけどこれを見て欲しいんだ」
「香囊か…素材はどれも申し分ないが、今の流行りの装飾は左の方だ。伝統を重んじるなら右の装飾の方。真ん中の物はあまり贈らない方がいい」
「ちなみに、先生はどれが一番好きかな?」
「俺の好みを聞いてどうする」
「先生は凡人なんだから璃月の人って事になるよね?だから、参考に聞きたくてさ」
「…しいて言うなら右だな」
そう言った後、そのまま右の香囊をタルタリヤに手渡された。鍾離が突き返そうとしても勿体無いからと言われ、最終的には受け取ってしまった。
その翌日。
「今日も来たよ鍾離先生。今回はこれを見て欲しいんだけど」
「漆器か、品質は悪くないが右のこの色はあまり贈り物としては好まれない。贈るなら真ん中の色の物がいい。左は…これは稲妻で作られた漆器だな。あまり入ってこない物だから、人によっては喜ばれるだろう」
「なるほどね。ちなみに、鍾離先生が贈られるとしたらどれが一番嬉しい?」
「右以外ならどちらでも良いが…」
「そう、じゃあこっちの稲妻の漆器だね。はい、これ。今日は急いでるから悪いけどもう行くね」
そう言って、今度は突き返す暇もなくタルタリヤが去ってしまい、鍾離と渡された漆器だけが残された。
さらに翌日。
「昨日はバタバタしててごめんね。今回見て欲しいのはこれなんだけど」
「櫛か、柄や色はこの三つの中からどれを贈っても問題ないが…よっぽどの覚悟がない限り贈るのはやめた方がいい」
「何で?」
「璃月では櫛を贈ると、白髪になるまで共に在るという意味が込められる。つまり結婚を申し込む時に贈る物だ…一つ聞くが何故櫛を贈ろうと?」
「髪が長くて綺麗だから手入れに使って貰おうと思ってさ…そっか、これはもうちょっと経ってから贈るか」
「…贈るつもりはあるのだな」
「そりゃあ、いつかはね?あ、そうだ…こっち貰ってくれると嬉しいんだけど」
そう言ってタルタリヤに手渡されたのは香油の入った小瓶だった。櫛と共に贈られる筈のそれが、片方だけ鍾離に渡される形になって…それが少し気になった。
といった風に、必ずタルタリヤは相談に持ってきた物を鍾離に一つ渡してくるのだった。
相談を受けていく毎に鍾離の手元に増えていく物。タルタリヤは最初に渡して来た時に勿体無いからと言ってた。つまり、これはタルタリヤの意中の相手に渡す物ではなく、余り物という事なのだろう。タルタリヤが持ってきた物は、どれも一級品と言って良いものばかりだった。捨てるには惜しく、誰かの手に渡るのは悪いことでは無いとは思う。
思うが…
タルタリヤの意中の相手に贈られる物ではない余り物。誰の手にも渡らず、もしかしたら捨てられていたかもしない物。それが、まるで失恋した自分と重なって見えてしまって…哀しかった。
それから数日重ねて鍾離の手元に益々物が増えていき、とうとう鍾離に限界が来てしまった。
渡される物に自分を重ねて見てしまってから、心苦しさが募るばかりだった。好いた人から貰った物だから捨てるにも捨てられなくて、物が増える度に雁字搦めになっていった。
失恋して間もなく好いた人の恋愛相談に乗ったのも悪かったのかもしれない。傷が癒える暇もないのに傷を重ねていくばかりで、息苦しかった。
もうこれ以上相談に乗る事は出来ないと、今日で断るつもりだ。約束の期間を特に決めてはいなかったが、幾日も助言をしたのだから反故にする事にはならない筈。後は、本人が納得するかどうかだろう。
自室の椅子に座って思案している内に、軽快な音が三度ほど扉の方から聞こえた。タルタリヤが来訪したようだ。
「…入るといい」
「こんにちは、先生。今日は…」
「公子殿、その前に話したい事がある」
「?」
黒い小さな箱を一つ持ち、いつも以上に笑顔を浮かべたタルタリヤが扉を潜る。慣れたように机を挟んで鍾離の対面に立ち止まり、手に持った箱をそこに置いた。
「それで、話っていうのは?」
「…これ以上、公子殿の相談に乗る事は出来ない」
「…理由は?」
笑顔から一転、顔を曇らせたタルタリヤの表情に鍾離の胸がざわめいた。
理由を話そうとして、自分勝手な理由で断る事に今更気付いて鍾離は黙り込んでしまう。何かそれらしい理由はないかと探したが、焦った頭ではそれらしい言葉が見つからず冷や汗が背を伝う。
そうしている内に、先にタルタリヤの方が口を開いた。
「…ちょっと薄々勘付いてたけどさ」
「……。」
「先生、もしかして…」
「…っ…」
「俺の気持ちに気付いて無いね?!」
「……?」
ガクリと肩を落としながら盛大に溜息をつくタルタリヤの姿に、鍾離の頭に大量の疑問符が舞った。
途中の言葉に、もしかしたら鍾離の考えている事がバレてしまったのかと思って息を呑んだが、どうやら違うらしい。タルタリヤの気持ちとは一体何の事だろうか。
「あー、その顔、可愛いからやめて…首を傾げないでよ…全く…」
「…公子殿?」
「何でもないよ……うん、そのまま言っちゃうよりこれ見せてからの方が早いかな…先生、これ開けてみてよ」
手渡されたのは、今日タルタリヤが持ってきた小さな箱だった。黒い漆で全体を塗った至ってシンプルな物。蓋をパカリと開けると、石珀で出来た品のいい櫛が一つだけ、そこにあった。
「これは…」
「結婚を申し込むなら櫛なんでしょ?」
「…ああ、そうだな。おめでとう公子殿」
「……は?」
どうやら、鍾離が断るまでもなく今日で相談役は終わりだったようだ。結婚を申し込む段階まで行ったのなら、もう鍾離はお役御免だろう。今日、変に何も言わずにそのまま耐えていればよかったのだ。
凡人になって堪え性が無くなったのかもしれない。そう櫛を見ながらぼんやり考えていると、タルタリヤが急に身を乗り出してきて鍾離の体がビクリと跳ね上がった。
「そうだけど、そうじゃない!」
「…品質は問題ない、質のいい石珀だな。よく見ると表面に龍が彫ってあるのか、これは喜ばれるだろう。流石だな公子殿」
「それも違うけどさ、うん、ありがとう…だから」
「…?」
「今日はそれを鍾離先生に受け取って欲しい」
「…っ!?」
タルタリヤの放った言葉にヒュッと鍾離は息を呑む。今、タルタリヤは何と言った?櫛を鍾離に受け取って欲しい?言われた言葉は分かるのに理解出来なかった。
もう一度、渡された櫛を見る。以前、タルタリヤが持ってきた事のある櫛のどれよりも値が張り、どう見ても贈答用として作られた一点物だった。鍾離ほどの知識がなくても開けたら誰でも分かる、そんな物。
それでも、引っかかるものがあって鍾離は心の底から信じる事が出来なかった。何故なら…
「…いつも余った物を、俺に渡していたのではなかったのか?」
「なるほどね…なんで伝わってなかったのか、ようやく分かったよ」
机の対面から鍾離の右側の方に回り込んできた。急に近くなった距離にドキリと鼓動が跳ねる。そっと見上げると眉尻を下げた瑠璃色の瞳と視線が合う。
「回りくどい事なんてせずに、最初から普通に言えばよかったね。今までの全部、先生の為に用意した物なんだ…誰かに贈った余りなんて一つも渡してないよ」
そう言いながら、鍾離の手の中にある箱をタルタリヤはそっと取る。やはり、こればかりは受け取ってはいけないものだったのだろうか。そう寂しく思いながら箱の行方を見送っていると、急にタルタリヤが跪いた。驚いて体ごとタルタリヤの方を向けば、目の前に先ほどの箱が差し出される。
「勘違いさせちゃってごめんね。俺は鍾離先生の事が好きだ…だから、先生さえよければ受け取って欲しい」
そこまで言われてようやく、鍾離の中で引っかかっていたものがスルリと解けた。
タルタリヤに言われた言葉が真っ直ぐ届いて鍾離の顔が熱くなる。震える手をそっと箱を持つタルタリヤの手の上に重ねる。いつもなら回る口が今はまったく動いてくれなくて、困ったままコクリと頷くと、花が咲くようにタルタリヤが笑った。
それを見て、鍾離もやっと笑顔を返すことが出来たのだった。