カランカラン。
美容室の入口の扉に取り付けられているベルが軽快な音を鳴らす。床に落ちている髪の毛を掃いていたデンジはモップを壁に立て掛け、そそくさと入口へと向かう。
「いらっしゃいませ!お名前を伺っても良いッスか?」
「17:30から予約している早川です。」
「ハヤカワさんっすね…、予定表に名前はっと…お、あった。それではあそこにあるロッカーに荷物を入れちゃってください!」
「わかりました。」
早川、こと早川アキは指し示されたロッカーへと足を進め、その内の1室を開け、コートと鞄を起き、鍵を閉める。そのタイミングで丁度、デンジが後ろから声を掛けた。
「んじゃ、こちらへ!」
所定の席へと歩いていくデンジの後ろを、アキは付いていく。デンジは椅子をアキの方向へと回転させた。
「どーぞ、お座りください!」
「失礼します。」
「今日担当させて頂くデンジです。シャンプーとカットのご予約っすよね。今日はどれぐらい髪切りますか?」
そう聞きながら、デンジは丁寧にアキの首にタオルを巻き、その後防水用のクロスを着せる。
「あーっと、2cmくらい切り揃える感じで」
「りょーかいでーす。じゃ、まずはシャンプーから!」
デンジがそう言い、2人揃ってシャンプーブースへと移動すると、アキに更に防水用のタオルが巻かれる。アキは、今日は髪は下ろしたままで来店した。結んで来ると変な跡がついてしまい切り辛いだろう、と美容師の負担を考慮していたが、シャンプーをするので、跡も気にしなくて良かったのではないか、と今更になって考える。
「背もたれ下げますね〰」
ゆっくりと仰向けの体制になり、天井とにらめっこをする。かと思うと、目元にタオルを被される。
「じゃ、シャンプーしてきまーす」
そうデンジが告げると、ぬるま湯が頭にかけられる感覚。髪が全体的に湿ると、続いてシャンプーの華やかな香り。常時アキが用いているものとは違う、花を想起させるような、でもどことなく爽やかな匂いが鼻孔を擽る。
「痒いところないですかぁー?」
「大丈夫です。」
デンジの指がアキの頭を柔く、しかし時に気持ちの良い強さで押していく。少し微睡みを感じた刹那、デンジの指は離れ、代わりに再度ぬるま湯がかけられる。泡が落ちきったのだろう、その後タオルでまるで壊れ物を扱っているかのように優しく髪、項、耳の水滴を拭き取られる。
「シャンプー終わりましたぁ!カットするんで、移動しまーす!」
「わかりました」
手際良く防水用のタオルを取り、カットブースへと移動するデンジの後を、アキは追いかけ、椅子に座る。
「カットしていきますねー」
その言葉を機にデンジはハサミを取り出し、アキの髪を切っていった。アキが何をしようか、雑誌でも読もうかと考え、鏡台の上に置いてある雑誌を一瞥した時。
「おにーさん、すげ〰髪サラッサラっすよね。イケメンだし、スタイルも良いし。もしかしてモデルとかやってます?」
アキにそんな質問が降り掛かってきた。答えない訳にもいかないと思い、無難な答えを頭から捻り出す。
「いや、俺は只のサラリーマンですよ。モデルとかやったことないです。」
「えっ、マジ!?おにーさん、スカウトとかされないの?」
「元々田舎出身で、大学生になってこっち来たんで…そういう流行りにも疎いですし」
「ひぇ〰、一般人のイケメンだぁ!嘸かしモテるんだろうなぁ〰」
「いや、そんなことはないですよ」
「謙遜しちゃってぇ!それにしてもこのサラッサラでツルッツルの髪は美容師からすると羨ましい限りっすよー!何か特別なことしてます?」
「シャンプーとコンディショナーだけで、それ以外は何も…髪染めしたことないのが吉と出てるのかもしれないです」
「なるほどねー、あっ、あのさ、俺多分おにーさんより年下だから、というか絶対!だから、敬語使わなくていいよ!俺も敬語使うの苦手だし。不快にさせたらゴメンな」
アキは薄々、デンジが時々敬語を使っていないことに気づいていたが、それを直すことは、こいつの上司な訳でもない俺の管轄外であると判断し、特に何も言っていなかった。それどころか、デンジの言動を見て、現在も故郷に住んでいる弟のことを思い出していた。長らく会っていないが、元気にしているだろうか、なんてアキは考えていた。
「大丈夫だ。けど、他の客の時は気をつけた方が良いかもな」
「気をつけてるんだけどぉ、難しいんだよなぁ…」
そこで一旦会話が途切れ、アキの耳には、チョキチョキ、とデンジがアキの髪を素早く切っている音が届く。アキは鏡越しにデンジの顔を見ると、思っていた以上に真剣な顔してるな、なんて感じた。
そこから、また他愛もない話を織り交ぜつつ15分。ドライヤーのスイッチが切られ、デンジが鏡を見て満足そうな顔をした。鏡台の下からバックミラーを取り出して、それを開いて鏡越しにアキに見せつけた。
「こんな感じになりました!どうっすか?イケメンが更にイケメンになったんじゃないっすか?」
「あぁ、いい感じですね。ありがとうございます」
「大丈夫そうっすか?そしたら会計するんで、椅子から降りてもらって、移動しましょ!」
「はい」
アキはロッカーから荷物を取り出し、会計コーナーへと移動する。そこではデンジが何かを準備しながら待っていた。
「じゃ、お会計は5000円になりまーす」
「これで」
アキはそう言って5000円札を差し出す。
「ありがとうございまーす!あと、これ、シャンプーとコンディショナーの試供品っす!もし良かったら使ってください!」
只1度髪を切りに来ただけなのに、こんなものを頂いてしまっていいのだろうか、しかし、ここは有り難く受け取ろう、とアキは考える。
「では、どうも」
「あと!おにーさんインスタやってます?」
「やってますけど…」
アキはインスタのアカウントは持っているが、あくまでそれは閲覧用で、何も投稿はしていない。
「俺、このアカウントでインスタやってるんだけど、もし良かったら繋がってよ!髪を更にキレーにする方法とか、この店のクーポンとかあげてるからさ!」
別に、アカウントをデンジに公表しても何か恥ずかしいことがある訳でもないし、フォローくらいいいか、とアキは決断する。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「ありがとうございま〰す!」
そうして、アキとデンジはインスタで相互フォローをしている仲となった。
「暗いんで、気をつけて帰ってくれよ!ありがとうございましたー!」
そう言って、デンジは店の外に出てまでお見送りをしてくれた。
デンジ、だっけか、案外話しやすかったし、腕前も良かったな、とアキはこの1時間程を振り返る。またこの店に来よう、次はデンジを指名してもいいかもしれないな、なんて。アキは何時もお金を散財するタイプではないから、月1で、500円かさ増しなんて、余裕だろ、と思う。
帰宅してから、早速デンジのインスタをチェックしてみると、彼の投稿は、本当に髪を中心とする美容に関する情報や、今日行った店に関する情報しかなかった。そこには、彼の年頃であれば投稿する人も多い外出時の写真や、自撮りの写真は含まれていなかった。案外、いや、デンジは仕事熱心なんだな、とアキはスマホを片手に頬を綻ばせた。