overdoseとある先進国にある小さなクラブは日中問わずに大勢の若い男女がひしめき合い踊っている。
爆音が鼓膜を刺激して店内を照らすミラーボールは光の粒を生み出し、ネオンカラーの照明は踊る者たちの異常なまでに開き切った瞳孔をここに来る者たちの闇を照らしているようにも見える。
奇声を上げ狂い踊る人間たちのいる場所はダンスステージと呼ばれる場所で中央から少し離れた場所には食事や飲酒をするためのテーブル席が用意されており、その席の一つに長身で鼻筋の通った男が長い足を組み座っていた。
男の名前はトラファルガー・ロー
薬の売人だ。
このクラブには表と裏の顔がある
表は若者たちが屯するクラブ。
金を払えば貸し切りも出来るし、年に数回そこで結婚式やら婚活パーティーも行われているが、その裏ではヤクザと繋がりを持ち、他国から来る売人にヤクの売り場や客を提供して売り上げの一部を上納させる麻薬密売組織だ。
ローは踊り狂う男女を尻目に黒いパーカーのポケットから銀色の小さな箱を取り出した。蓋を開けると中には小さい注射器が3本並んでおり、その一本を慣れた手つきで取り出し針に付いている透明なカバーを取って針先を血管の浮き出た腕に突き刺した。
「…」
うっとりした表情でローはゆっくりと天井を見上げる。
注射器の中の液体は世間では麻薬と呼ばれるものだ。薬物使用者の例に外れず、ローも立派な薬物依存者で、薬物依存者の中でも上級者。ローは安い麻薬ではトリップしない
ローが常に常備している麻薬はPirates(パイレーツ)という名前のついた麻薬でPiratesは強い興奮作用と、LSD(強力な幻覚剤)
幻覚作用を併せもつのが特徴の麻薬だ。
しかし、ローが麻薬を摂取するのは気持ちいいからとか、ハイになれるから、そんな簡単な理由ではなかった。
麻薬による幻覚効果は薬剤を利用するときの精神状態により左右されるが、Piratesは強い幻覚作用を持ち使用してすぐにトリップ出来る代物だ。
Piratesを使用してトリップした先、いつも必ず黄色の潜水艦の上にローはいた。
今日は洗濯の日なのか甲板には白いシーツや揃いで着ている白やオレンジ色のツナギが風に靡いている。
「ー ーて、…ー… ン!」
「そんなとこにいたら落ちちゃいますよ
ー…ン‼︎」
「 …ン!今日の昼メシはシャケおにぎりですよ〜‼︎」
「ー…ン、今日もカッコイイっす!」
「ー …‼︎〜ン‼︎今日もイケメンっすね!」
シーツの間から数名の男たちがローに向かって満面の笑顔で声を掛ける。
中には最近発見されたゾウという国にいるミンク族のようなシロクマもいた。
小波の音、潮風をハッキリと感じることは出来るのに、俺に向かって笑顔を浮かべる奴らの顔は声はいつも靄がかかったように聞こえないし、見えなかった。
なぁ、お前たちは一体誰なんだ?
知らない場所、知らない人間たち
それなのにこの場所は現実世界よりも暖かくて、何よりも手放したくない場所で…
ずっといたい場所だった。
少し迷って揃いのツナギの奴らがいる場所に一歩踏み出すと、途端にその世界は爆音と耳障りな男女の声にかき消された。
「ッッ‼︎…はぁっ、はぁっ…っ」
(また、ダメだった…)
額から大量の汗が流れ落ちる。
被っていた黒のバケットハットを脱いで汗を拭った。
トリップした海の先、俺はいつもアイツらの場所に辿り着くことが出来ない。
薬を打って何度も何度も行こうとしたが未だに幻覚の中の奴の顔を見れたことはなかった。
「ローさん」
氷が溶けて味の薄くなったビールを飲み干していると後ろから声を掛けられた。
最近入ってきた新人売人のラッドだ。
モヒカン頭、耳に大量のピアス、昨日舌にピアスもしたとかよく分からない自慢をされた気がするが、コイツが俺のところに来たということは、新しい海外からの売人が来たということだ。
「ははっ!ローさんまたトリップしてたんスか?俺も毎日ヤクやってんすけど、ローさんの打ってる薬物は流石に打ったら1発病院か天国行きっスよ?」
「…無駄話するつもりはねぇ
早く行くぞ新人」
「あっ、ハイ‼︎」
空になった注射器を一本閉まって店内の奥にある個室に向かった。
主に薬物の商談は商談用に作られた個室で行うことになっている。
商談部屋に向かっていると手が少しずつ震えてくる、薬物使用後に必ず出てくる症状だ。
今日の商談相手は東の海にある国からやって来た男で東の海にしか生息していない特別な葉っぱで作られた水で溶かして摂取するタイプの固形薬物だった。
男から手渡された固形薬物を迷わず口に放り込んで噛み砕く、向かい座る相手から焦ったような声が聞こえたが、生憎俺はこの程度の薬物ではトリップしない。
「…軽いな」
「アンタ、ソレをそのまま食うとかスゲェな⁉︎」
「あ?こんなモン、軽すぎて薬物にすら入らねェよ」
「いやいやローさんからしてみれば
どのヤクも軽いですって!」
「あっはは!この店の売人はヤバイ奴だとは聞いていたが、アンタ狂ってんなぁ!」
「…」
舌先に広がる薬物特有の味、頭が少しぼうっとする軽いタイプの薬物は俺のような上級者には物足りないが危ないことに興味のある若者に安く売りつけるにはちょうどいいと思った。
「✖︎✖︎高校近くに若者たちに有名な販売場所がある、お前の薬は若者くらいにはちょうどいいと思うぜ?刺激が弱くて、トリップ手前で切れる、この物足りなさが依存に繋がる」
スマホで販売場所の地図を見せてお菓子のような感覚で薬物を噛み砕きながら説明してる時だったー
「ロー‼︎ダメだ!」
「ッ⁉︎」
固形薬物を摘んでいた手が、暖かく大きな手に包まれる。
知らない声、それなのに何処かで聞いたような声に顔を向ければ、フワッとした金色の髪、ルビーのような紅い瞳、学生服に身を包んだ身長を2メートルは越した長身の男が俺の手を掴んでいた。
「これ、麻薬って奴だろ⁉︎
お前っ、なんでこんなもん平気な顔して食ってんだよ⁉︎麻薬は体に悪いって、お前医者の知識持ってるなら分かるはずだろ⁉︎」
「……」
「ロー!聞いてんのか!」
「……いや、俺医者じゃねェし」
「え⁉︎」
「というか、お前誰だ?
どっから入ってきた?」
「⁉︎」
俺の言葉に音もなく現れた学生は顔をクシャクシャに歪めて悲しみの表情を浮かべた。
知り合いでもないソイツの表情に俺は胸が苦しくなる、泣くなよ…よく分からねェけど
コイツの泣いてる姿は見たくない
学生の力なんてたかが知れている、振り解こうと思えば振り解けるのに掴まれてからずっと、掴まれた腕が熱くて体は石のように固まって動けない
「テメッどっから現れやがった⁉︎
ローさんを放しやがれッ‼︎」
俺よりも早く異変に気づいたラッドが長身の学生の胸倉を掴んだ。
学生は舌打ち一つ、腕を離し俺の手から奪った薬物を遠くに投げ捨てるとラッドの伸ばされた腕を掴み長い足を折り曲げて鈍く鋭い一撃をラッドの鳩尾に叩き込んだ。
その光景を見て後ろにいた売人が悲鳴を上げて個室から出て行く、ラッドは口から大量の涎を垂らしそのまま気絶、それは数分にも満たない間の出来事で俺は目の前にいる学生が見た目通りの人間ではないのだと、認識をした。
「…肋骨何本かイッたな」
すぐ後ろの席に腰掛け呟くように言えば、技を決めた学生が慌てたように倒れたラッドに駆け寄っていく。
「ぬあーっ!わ、悪い‼︎つい海軍の頃の癖が出ちまって思いっきり蹴っちゃった…‼︎
大丈夫かアンタ⁉︎
…ハッ…気絶してる⁉︎」
「肋骨の骨折、激痛による気絶だな」
「えっ、嘘だろ⁉︎俺、コイツのホネ折っちゃったのぉ⁉︎」
「だいぶ鈍い音してたぜ?
気づかなかったのか?」
裏世界に長くいるが、人体骨折の音を聞いたのは初めてかも知れない。
普通なら体験しないことになんだか面白くなって、笑いながらテーブルの上に残っていたモノに手を伸ばす。
するとすぐに「だからダメだって‼︎」とまた大きな手が薬を取り上げて投げ捨てた。
コイツは本当にさっきからなんなんだ?
床の上で薬が砕け散る。
肩で荒い呼吸をする学生は額の汗を制服の裾で拭うとゆっくりとした動きで俺に顔を向けた。
「…ロー、お前…本当に覚えてないんだな」
「…?」
また学生が悲しみの表情を浮かべる。
その顔を見たくなくて、バケットハットのつばを持ち目元まで下げた。
「…名前、何故お前は俺の名前を知ってる?」
「…っそんなの‼︎…昔から知ってるよ」
学生は嬉しそうな表情でトラファルガー・ローだろ?と言った。
俺は13で裏世界に入った。
学生時代に友達と呼べるような人間はいない、亡くなった両親か親戚くらいしか俺の名前なんざ覚えていない。
見ず知らずの男にフルネーム覚えられていることに多少は驚きながらも質問を続ける。
「昔から?…生憎、俺はアンタのこと何一つ覚えてねェ、どこで会った?名前は?」
「ドンキ…っ、いや、コラソンだ」
「偽名だな」
「偽名じゃねーよ‼︎」
「あーはいはい、わかったから
そもそもお前みたいな、いかにも真面目そうな学生はこんな場所に来ねェだろ?」
「?あぁ、初めて来た」
学生の言葉に俺はコイツと知り合いではないという確信を得た。
初めて来たなら俺と知り合いじゃない
それは何故か、基本的に俺はこの場所から出ないからだ。
クラブのオーナーとは紆余曲折あって知り合ったが、俺が売人になってから麻薬が飛ぶように売れたとか、可愛い女が沢山来るとかで今は組織の幹部の地位を与えられている。
そのおかげで俺は薬を切らすことなく毎日摂取出来ているし、悪夢に魘される日々は無くなって代わりにあの潜水艦の甲板の上で顔の見えない奴らを眺めているんだ。
「…なんで来た」
シガーケースの中から煙草を取り出す。
また咎めるように赤い瞳が眉を顰めたが薬物じゃねーし、いいだろうと構わず煙草に火をつけた。
「俺が言うのもなんだが、ココはアンタが来るような場所じゃねェよ、まぁ、ヤクがヤリてぇって言うなら話は別だが?」
「なんでって、そりゃあ…ローの姿が見えたから追いかけてきた。
薬なんざ興味ねぇよ。
昔の感覚が残ってるから、店入ってすぐにココがただのクラブじゃねェってわかったよ」
「へぇ…わかって入ってきたのか?
俺のために?…意味がわからねェな」
言葉を切り数回吸った煙草を指の間に挟んでテーブルの上に置いていた酒をゴクゴクと音を立てて一気に飲み干した。
するとそれを見ていた学生の顔が今度は悔しいとばかりに歪む。
「?どうした?」
「…お前…あの小さかったクソガキがなんでそんな、色男になってんだよ⁉︎」
「………は?」
「クッソ〜、天国行く途中でドジって地獄に落ちなければローより早く産まれて大人になれたのに!」
「…………アンタ大丈夫か?
薬でもヤってんのか?」
「はぁあ⁉︎薬なんてやるかッ‼︎バカ‼︎」
俺に掴み掛かる勢いで近づいた学生はバランスを崩して後ろにすっ転んだ
…コイツ、コラソンと言ったか?
全部が煩い、少しは大人しく出来ねェのか?
「イッテテ…っまたドジって転んじまった‼︎」
「ククッ…アンタ知らねェのか?
ドジっ子っつー言葉は今の時代
死語なんだぜ?」
俺はゆっくりとした足取りで倒れたコラソンに近づきしゃがみ込んで上からフゥーっと煙草の煙を吹きかけた。
「っゲホゲホ‼︎⁉︎ぅえーっ、いきなり何すんだよ‼︎煙が目に入ってイテェよ⁉︎」
「あっはは‼︎アンタ面白いなぁ」
「……」
「?」
コラソンは天井を見つめ
倒れたまま言葉を続けた
「…何も覚えてねぇお前には俺の行動は意味が分からないとは思うぜ?けど、俺はずっとお前のこと探していたんだ」
「…探してた?」
「あぁ、前のお前の人生は酷いもんだった…!俺は無責任に死んじまってお前の側に最後までいることが出来なかった…!
っだから今世こそは幸せに、自由になって欲しいって…お前が幸せな姿だけ見れたら俺は満足だったのに…
ロー…俺は今日、お前み見つけて
お前を追いかけて…お前が慣れた手つきで薬やってる姿見た時に、すぐにわかったよ…
お前、今、幸せじゃねぇんだろ?」
「⁉︎」
「ロー、お前が薬をやる理由はなんだ?」
「……」
「クソガキだった頃よりもヒデェ隈しやがって…‼︎ちゃんと寝れてるか?メシは?ちゃんと食べれてんのか?」
「…ッ」
コラソンは下から手を伸ばして、優しい手つきで俺の頬を引き寄せる。
しゃがんでいた体制が崩れてコラソンを跨る格好になったが、目の前の男があまりにも綺麗な涙を流すものだから抗議の言葉が出なく見惚れてしまった。
なんで…なんでアンタは見ず知らずの他人のためにそんな綺麗な涙を流せるんだ…
「お前の肌はこんな綺麗なのに…
お前を苦しめていた白い斑点はもうねぇのに…なんで自分から体に悪いもん入れようとすんだよ…っ、ろぉー」
「………悪夢を、見るからだ」
「悪夢?」
誰にも言うつもりがなかった言葉が、まるで息をするように自然と出てきた。
自分のことなのに他人事のように驚いていた。
それでも言葉は止まらない
「両親が…妹が…俺のせいで殺されたんだ…」
犯人は俺のストーカーだった。
中学生の頃の同級生の女で同じ医者を目指していたこともあって、軽く会話をするくらいは仲良くしていた。
入学してから彼女を作らない、作る気もない俺の側にいたことで女は俺と付き合っていると勘違いをしていたのだろう、クリスマスの日に家族と過ごすと俺が楽しげに話すと女は何故自分を優先しないと怒り出した。
その出来事があってから俺は女と距離を取り、話を掛けられても無視をするようになった。そんな俺の態度が許せなかったのだろう、女の怒りの矛先が向けられたのは、俺が世界で一番大切で愛してる家族だった。
家族が殺されたのは俺の誕生日の日だった
学校から帰宅した俺が見たのは、赤を通り越したドス黒い色の包丁を持って笑う女と血溜まりの中に倒れる息絶えた家族の姿だった。
「あの日からずっと…眠ると、あの日に…戻る…血塗れのケーキ…割れた風船…血溜まりの中に倒れる…父さま…母さま…っラミ…っ!」
「ロー!もういい、もう…っ」
コラソンは泣きながら俺を力強く抱きしめた。
「辛かったなぁローっ‼︎ごめんなぁ、俺ドジっ子だからよぉ、また遅れちまって…っもっと早くお前を見つけること出来ればこんなことに、ならなかったのに…!」
「…」
大きな手が癖の強い黒髪をクシャクシャに撫でる、その手が凄く暖かくて俺はコラソンの胸に頬を擦り付けた。
硬いブレザー生地の向こう側から聞こえてくる心臓の音が酷く心地良い…
「…コラソン」
体を起こしてコラソンの顔を見れば、どうした?ローとまた暖かな手が目元を優しく撫でた。暖かい手に導かれるように四つん這いの体制のまま、上半身を屈めて真下にいる優しい笑みを浮かべる男の唇に触れた。
何故、男にキスをしたのか自分でも不思議だった。俺が今まで相手にしてきたのは女で恋人は作ったことはない。全員性欲処理のようなものだった。
「ッン…⁉︎」
しかしコラソンの唇に触れた途端に全身が、脳が、甘く心地良い痺れを起こしトリップ手前…いや、ヤクを打つよりも気持ち良く満たされる感覚に陥った。
何度薬を打っても、ハイになった状態で女とSEXしても時間制限のある心地良さの後に残るのは虚しさだけだったのに…
一度触れるだけでは物足りない…
自然と口角が吊り上がる。
今の俺は酷く悪い笑顔を浮かべてるのだろう、コラソンからヒッという短い悲鳴が上がる。
俺は何もしてねェさ。
アンタから、コラソンの方から
俺に飛び込んで来たんだ
だから、逃がすつもりはねぇ。
アンタは俺の手の中にある日常を無理矢理奪って投げ捨てた。
欠けた場所を何で埋めるか…
そんなの決まってんだろ?
「なァ、コラソン…アンタは俺にヤクを辞めて欲しい、要求はそれで合ってるか?」
優しく問いかけながら顔中にちゅっちゅっとキスをする。男が男にキスされて普通なら嫌がるはずが、コラソンにとっては俺がヤク辞めるということが重要なようで「えっ、やめてくれんのか⁉︎」とキスを受け入れながらニコニコした表情を浮かべている。
2メートル超えの大男なのに不思議とコラソンだけは可愛いく見える
「アンタ、可愛いな」
「は?俺が可愛いぃ⁉︎ロー、お前薬のヤリ過ぎで視力落ちたのかぁ⁉︎」
「生憎、両目とも視力は落ちてねェよ
薬は止める…俺を見たってだけで店の奥まで来るような奴だ、止めなかったら止めるまでしつこそうだしなぁ」
「当たり前だ!俺ぁ、ローが止めるまで何度だって来てその薬を何回だって捨ててやる!」
「アンタならそう言うと思ったよ」