告白 トヨタにホンダ、いくつかスズキと日産。ちらほら外車。普通自動車と軽自動車が平和に並ぶ真夏の空港の駐車場で俺は涙ぐんでいた。でかくてゴツいアメ車がバンバン走る国で一年ちょっと頑張ってやっとの里帰り。全ての看板が一瞬で読めて意味がわかるだけで泣けてくる。ほら三井サン、あそこ「車高注意」って書いてあるよ。
「おう、わかったよ。お前とりあえずこれ飲んだら」
差し出されたひんやり冷たい緑茶のペットボトルにまた涙腺が刺激され、鼻をすすってありがたく飲む。うわおいし、これだよこれ。いや待ってこれ蓋開いてたな、三井サン飲んでるじゃん。え、間接キスじゃん。
俺が鼻をずびずびいわせたり顔を赤くしているのを横目に、三井サンは俺のスーツケースを奪って引きながらズンズン進んでいく。ちょこちょこと着いていくと前を向いたままの三井サンが声を上げた。
「駐車場の奥の方しか空いてなかったんだよ、悪いな」
これは早々にアピールチャンス? 慌てて涙をぬぐい、努めてにっこり笑って明るい声を出す。
「ううん、三井サンに会えただけでうれしい。スキ」
「おめー……かわいいやつだなあ!」
後ろをふり返った三井サンは、ぱあっと笑顔になった。輝かしい、純度100%の先輩スマイル。機嫌良くガラガラとスーツケースを引いていく三井サンをよそに、俺の脳内では桜木軍団が紙吹雪をばらまいて笑う。うるせーお前らどっか行け。まだ失恋はしてねーよ!!
高二のIH後にアヤちゃんへ告白しきっぱりフラれ、俺を湘北バスケ部に引きこんでくれた女神への恋は終わった。もちろん彼女の態度が変わるようなことはなく、告白されたくらいで揺らがない芯のあるところが好きだった。
さらば俺の恋心よ……。と選抜へ集中するはずだった俺の心にいつの間にか染みこんできたのは三井サンだった。部活に唯一残った三年で、目の上のタンコブ。きっかけなんかはなかった。いつも口うるさくてバテバテで、偉そうで必死な上級生。それなのに練習内容の相談とかこつけて三井サンと昼食を一緒に取ったり、体操着を忘れてわざわざ三年の階まで借りに行ったりする自分に戸惑って、ヤスに恋心を指摘されたらもう駄目だった。どうしても好きで、どうしても自分を好きになってほしかった。
安西先生みたいな落ち着きはとても持てない。でもあの人が後輩に頼られると弱いのは知っている。だから錆びついていた弟ぢからをフル活用して、部活の時間以外では意識的に生意気だけど甘えたな下級生の顔をした。
三井サンが何か読んでいたら後ろから背中に頬をつけて寄りかかる。名前を呼ぶときに袖口を引く。妹の雑誌のモテテク特集を読み込み、髪にゴミがとうそぶいて接触する。腹を決めたオフェンスに、ヤスやアヤちゃん含め部活仲間はもちろん、桜木軍団にまで生温かい目で見守られる始末でも俺は引かなかった。
俺のパス好きでしょ。ゲームメイクいいでしょ。俺もアンタのシュート好き、いてほしいところにいてくれる判断力が好き、チームメイトを鼓舞してくれる声がけが好き。失ったものを取り戻そうとする泥臭さが好き。笑顔が眩しくって、肩を組まれた時の体の熱さにドキドキする。遠くに姿を見つけるだけで嬉しくなる。アンタも俺を好きになって。
手応えはあった。目を合わせて笑ったり体をぶつけたりするたび、嬉しそうな声が返ってくる。冬には、廊下の端と端にいても三井サンは俺のことを見つけてニヤッと笑ってくれるようになった。絶対俺のことスキ。
「アンタも卒業できるとはね」
「なんだ宮城、おめーさみしがり屋か?」
「さみしーよ。俺、アンタのこと好きだから」
卒業式の後、人の少ない校舎裏。果たして俺の告白に、三井サンは目に涙を溜めながら笑った。うるんだ目が光を反射して輝き、俺の息は一瞬止まる。下を向いて、鼻をすすった先輩は目尻をシャツの袖でぬぐった。
「泣かせんなよ……。俺もさみしいわ。ま、練習見に来っからな。気ぃ抜くなよ!」
「ウス」
いや伝わってないわ。
気合いが抜けてガクンと項垂れる俺に構わず、物陰から飛び出した桜木軍団がキラキラと紙吹雪を散らしてはやしたてる。感激すんな三井サン、それはアンタの卒業祝いじゃなく、俺を笑ってる紙吹雪だから……。
実家に荷物を置いてすぐ、一時帰国の歓迎会、とヤスが企画してくれた会のために三井サンと連れだって居酒屋に向かった。「俺、店わかんねえかも……。三井サン、一緒行こ」という子犬フェイスで瞬殺である。仕方ねえなあという嬉しそうな答えを得てガッツポーズを決めた腕にはぶっとい血管が浮いていたが、本人に見せなきゃいくらでも俺は子犬で通る。
オラ、主役の登場だぞ! と笑顔で声を張る三井サンと共に店に着いた途端にやわらかい拍手が鳴った。かつてのチームメイトや桜木軍団たちにやめてやめてと手を振りながら椅子に腰を下ろす。
向かい側に座るヤスが笑顔で目を合わせて、ちろっと三井サンの方に目線をやるのには黙って首を振った。机の上に乗せた手をぽんぽんと叩かれ、右隣の大楠にも肩に手を置かれる。うっせー帰国直後だほっとけよ、とは思うがなんたってこの恋も長い。
自分の高校在学中は部活の様子を見にきてとしょっちゅう連絡を取り、大学の練習見せてと見学しに行き、文化祭は一緒に回って焼きそばを分け合った。ありがと、やっぱり三井サンだよね、好きだよ。折に触れて想いを伝えても、三井サンは一貫してなんだなんだカワイイ後輩め的スマイルをよこしてくるばかり。なんだはお前だ大ニブ野郎。そうこうしているうちに俺はアメリカ行きが決まり、片思いのまま遠距離になった。こうして会うのもほぼ一年ぶりだ。
でも俺もこの一年と数か月、バスケの傍ら、この人をつなぎ止めようと必死にやってきた。出国前に取り付けた約束を盾に週一でビデオ通話したし、メッセージは三日に一回やりとりしていた。三井サンに恋人の影はなかったし、いくらなんでも俺のことをただの後輩以上に思っていないとできない頻度だろう。
日本滞在は一週間。一時帰国が決まった時には家族の次に三井サンに連絡した。どうしてもスケジュールを合わせてほしくて。勇気を出して「三井サンに一番に会いたい。迎えに来て」とねだれば、イチコロだった。
一年以上ぶりの帰国とはいえ、空港から藤沢までわざわざドライブしてくれたのは、無意識にでも、三井サンにも気持ちがあるからだよね? 隣でビールのグラスをあおる人を見つめる。視線に気がついて、飲むかあ? と肘でつついてくるのがかわいい。未成年だから、飲まねっすよ。
俺と同じように高校卒業後すぐアメリカに飛んだ流川以外、桜木世代までが集まった席はそれなりに盛り上がり、いろんな人にもみくちゃにされた。アヤちゃんは相変わらず大学でもビシバシとマネージャーをやっていて、赤木のダンナや木暮さんもそれぞれ大学でもバスケを続けて活躍しているのは通話で三井サンから聞いた通りだ。花道も推薦で関東一部リーグの大学に入り、さっそく試合に出たと鼻高々だ。
流川も元気にやってるみたいです、と石井が持ち込んだタブレットで動画を流す。アメリカの大学バスケNCAAの強豪校が現地で早くもスカウトに来た際の動画というそれは、確かに高校時の流川よりキレが増していた。花道はあのキツネ、どうせ英語ができなくて泣いているに違いない……と眉を寄せて笑ってアヤちゃんにハリセンで盛大にはたかれた。
「リョータは勉強大丈夫なの?」
ヤスが頭をかしげたところに三井サンが続ける。
「お前あれ誰だっけ、お前の友達。チ、チ……?」
「チェくん」
「そー、チェくん。宮城課題のたびに同じ留学生の子に相談してんだとよ。俺毎週通話してっから、こいつの友達覚えたわ」
覚えられてないじゃん、と言いたいけど周りの目が生温かい。そーですよ俺はまだ全然諦めてないし毎週三井サンと電話するの楽しみにしてるしこの人はそんなの全くわかってないんですよ。
チェくんいいやつだよな~とのけぞる三井サンが通路側に伸びる。ちょうど通ろうとしていた女性のお客さんたちがたたらを踏んだのを見て、三井サンの背中を支えて戻す。スンマセン、と頭を下げればありがとうございます~と女性たちはくすくす笑いながら足早に進んでいった。やだかわいー、と酔って赤くなった三井サンを指しての言葉が聞こえる。本人は耳に入っていないのか気に留めていないのか、机に頬杖をついてとろんとした目でこちらを見上げた。
「はー、おめーかっけーな。惚れるわ」
「そりゃどーも。俺も三井サンスキっすよ」
「軽い! おい赤木こいつ軽いぞ!」
「なんだ宮城……お前チャラいぞ……」
「ダンナはそろそろお水飲みましょ」
おう……と力なくうなずく元主将と、ついでに何人か分のお冷やを店員さんに頼んでいると、湯飲みを手にした水戸が悠々と寄ってきた。未成年が堂々ポン酒かよと考えたのは見透かされたようで、「お茶だよ」と中身を見せて笑われる。
「スポーツマンたちに迷惑かけられないからね。いやはや、リョーちんはよく見てるなあ。面倒見がいい」
水戸は一瞬三井サンの方に目線を向けた後、ト書きを読むように声を張った。
「確かに。気遣いができるし」「ガタイもよくなったし」「しゃれてるよな」と桜木軍団がぽんぽんと後に続く。ニヤニヤと誰に向けてアピールしているのかは一目瞭然で恥ずかしいが、褒められればうれしくて口元が歪む。
そうやって明らかにこちらを盛り立ててくれようとした言葉も「だよなー。お前彼女とか彼氏とかいねーのかよ」という三井サンのヘラヘラした発言で台無しになった。
「いねーよ……」
「あれだろお前俺に毎週通話してくるからだろ。俺にかける暇あったらもっと交友関係広げろよ」
アンタと話したくてかけてんだよ。そう言いたくて唇がぴくと動いたのを、焼き鳥を口に含んでごまかした。濃いものを詰め込んだ口の中がしょっぱくてベタベタする。洗い流すようにウーロン茶を傾けるこちらをちらと見た木暮さんが穏やかに三井サンをたしなめる。
「三井、そういうのは個人の自由だろ」
「そりゃそうだけどよ。もったいねーだろせっかくアメリカにいるのによ。毎週だぞ、毎週」
「ちょっと、外の空気吸ってきます」
静かに立ったつもりが、思ったより椅子が大きい音を立てた。この人のこんなん慣れっこだから。だから皆、そんな心配した顔しないでほしい。
一歩外に出るだけで蒸した空気が顔に吹き付けてきて、店の脇でため息をついた。渡米後にリリースされただろう、耳馴染みのないポップスが店内から漏れ聞こえる。そのお気楽なメロディーと、夜にもかかわらず鳴きわめく蝉をぼんやり聞き流しながら薄明かりで爪の長さを確かめた。清潔なカーブを描くそこは、アメリカを発つ前にやすりで磨いたのだから伸びているはずもない。刈り上げの部分も刈ってきたし、眉毛も整えた。新しい服を買ってスニーカーも洗った。機内の狭いトイレで着陸の直前に髪を上げて、歯磨きもマウスウォッシュもして、汗ふきシートで体を拭いた。全身ピカピカに磨き上げたのは、あの人に会う前だったからだ。本人は、考えもしないみたいだけど。
「おい宮城だいじょぶか? 時差ボケ?」
ガラガラと引き戸を開ける音がして、今一番会いたくない人の声がした。
「飛行機の中で寝まくったからそれはヘーキ。戻っていいよ」
「俺ちょっと酔ったかも。外で話そうぜ」
ぬるい夜風にさらされた三井サンの頬は赤い。セットされていない素直な髪が揺れてまっさらな額が覗く。酒臭さや居酒屋の油っぽさをまとっていても、画面越しより直接見た方が何倍も生き生きときれいで、俺の心臓は勝手にきゅっと絞られる。
「恋愛とか、プライベートなことは聞きすぎるなって木暮に怒られたわ。わりいな」
「別に」
酔った酔ったとTシャツの胸をパタパタあおいで三井サンは息をついた。ビデオ通話で姿を見てはいたけれど、隣に立つとやっぱり体格がよくなったのがわかる。それは俺も同じようで、分厚くなったじゃねえかと肩を組まれ目を逸らした。あちーなとこめかみの汗をぬぐう三井サンは俺の動揺に気づくそぶりもない。何の気負いもなしに、目をやわらかく曲げてこちらを見つめてくる。
この人の卒業から、何回好意を伝えただろう。真剣に、冗談交じりに。何度言ってもこの二年以上、この人は俺の恋心を1ミリも理解しなかった。帰国の知らせを喜んでくれた姿を見てもしかしてと思ったのも、ただ後輩をかわいがってくれていただけのようだ。諦める気もないけれど、たまにしんどくなる。この先輩の鈍感さが。
「あのよ、俺も通話楽しーぜ。それにしてもよ、お前毎週俺と話すことねーんじゃねえの」
「だから俺はいーんだって。三井サンのことスキだし」
「嬉しーけどよお、恋人とか……じゃなくても、留学先で友達作るの大切だろ」
「チームメイトいるし、友達だって少しはいるし」
「ほんとかあ? 俺との通話、逃したことねーじゃねえか」
「約束してるでしょ」
「週末、別の用事あったりしねーの」
「んん……」
ふつふつと腹の底に苛立ちが溜まってつばを飲む。うつむいた視界に入るスニーカーが、頼りない街灯の下で汚らしく見えた。
「俺も大学のチームメイトによ、宮城ってお前の彼氏かよとか言われて、」
「彼氏にしてよ」
腹の底から吐き出すような声が出た。その重さに、ギクッと反射的に手首を握る。
ゆっくり瞬きをして、べたついた手を恐る恐る手首から剥がして手のひらを広げた。沈黙に、今度こそきちんと相手に伝わった手応えがあった。息を細く吐いてから隣の三井サンを見上げる。かっちりと目が合い、薄暗がりの中、深い色になった目がまんまるに開かれる。
してよって、とつぶやき、呆けた顔の三井サンは素直に口を開いた。
「お前俺のこと好きなの?」
「好きだよ馬鹿あほちんこ!!!!」
ガキみたいにキレて叫んで、ぽろっと涙がこぼれる。息を乱れさせながらそれを肩口で拭った。相変わらず三井サンはぼけっと目を見開いてまぬけ面をしている。そんな顔でもかわいいのが嫌だ。
「好きだから、毎週電話してんの!」
「マジ??」
「大マジだよ! アンタが卒業の時も、スキって言ったやし!? その後も、何回も……」
「な、泣くなよ。そんなにか?」
下を向いて頷いた。視界がぼやけて本格的に泣き出しそうだ。ちくしょうカッコ悪い今までの努力が全部パア。何ゼンゼン気づきませんでしたって声出してんだ、このニブチン。もういいよ知らねー嫌うでも気まずくなるでも勝手にしろよ。うそ、フるなら優しくフって、何年好きだと思ってんの……。
頭の中ぐちゃぐちゃのまま鼻をすすった時、あー……と相変わらず緊張感のない声が伸びた。
「あ〜………りかも、ありだわ、ありだな。よっしゃ付き合うか」
「は……?」
今度はこっちがまぬけ面で三井サンを見上げれば、大きい手が上から振ってくる。両手で覆うようにして濡れた目元を拭いてくれる長い指に呆然とするうちに、泣くなよ、と困ったように言われて喉からかすれた声がこぼれた。
「ありって……」
「おう。お前かわいいし、俺のこと好きって言うし。それ嬉しかったから、付き合おうぜ。遠距離かー、初だわ」
のんきな声を出す三井サンに、俺の作戦間違ってなかったんだなとか、今かよとか、今までの俺の苦悩返してよとか、付き合った瞬間に過去の経験匂わすんじゃねーよとか、色々な考えが駆け巡る。でも何より速い衝動が右手を動かして三井サンの腕を掴ませた。がっしりしたスポーツ選手の腕。きっと俺の手のひらは汗で湿っている。けど今はどうでもいい。
「やっぱなし、とか言ったら俺わんわん泣くからね」
「言わねーよ」
ニヤっと笑う三井サンの手が俺の両方のほっぺたをぎゅっと挟む。バカみたいな不細工面で涙ぐみながら、俺は色とりどりの紙吹雪を盛大にまき散らす桜木軍団の幻を見た。