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    でりん

    成人。いろいろ。

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    でりん

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    天上天下三井独尊4、開催おめでとうございます!
    大学一年生の三井、高校三年生の宮城の三月の小話です。

    春に すっかり食いでのある男に育った。
     強火の上がるコンロでフライパンを温める男を後ろから眺め、改めて感心する。貸してやったTシャツの襟から覗く肩は厚い。小柄なわりにしっかりした背中、中身の詰まった胴。その反面、裾をまくったジャージから覗く足首はきゅっと絞まって色気がある。
     じろじろ見つめるこちらを気にも留めず、宮城はふっくらした唇を尖らせてフライパンに卵をひと筋垂らした。じゅっと卵がすぐに固まったのを見て、すっと息を吸うと勢いよくボールの中身をぶちまける。じゅわじゅわ音を上げるフライパンと格闘する後輩は一生懸命で、かじってやりたいと歯がうずく。一、二年の頃より格段に体格のよくなった宮城は、肩口に歯を立ててやると目を底光りさせる。その目がまたぞくぞくしていい。記憶を反芻しながら残念に思う。明日は練習だから今日はそういうことはお預けだ。

     やたらに真剣な顔で卵をかき混ぜたかと思えば、不格好にへらを使って皿に盛り付け、フライパンをこそいでいるうちにトースターが鳴る。せこせこ動き回る宮城をぼーっと見ていると「俺の分ね」とトーストを渡された。目の前のリビング、兼寝室に運ぶよう促され、三歩ほど歩いたところでいい具合にとろけたスライスチーズの匂いに我慢できなくなる。一口かじれば即座に宮城が抗議の声を上げた。

    「おい。今焼いてるのアンタに譲るつもりで、俺のって渡したんですけど」
    「一口だけ。後は待つからよ」
    「まったくもう」

     一緒にいただきますしろって言ってきたのはアンタだろ、と文句を言いながら宮城がスクランブルエッグの皿を運ぶ。白身が混ざりきっていないけれどきちんとふわふわに膨らんだそれは、最初に比べればかなり上達した。またトースターの音が鳴る。トーストと、その横で焼かれたソーセージの匂いが狭い部屋に満ちる。人の家の台所で、宮城は我が物顔で振る舞う。

    *

     料理の練習をするぞ、とひとり暮らしのアパートに宮城を呼び出して、一番最初に手渡したのは袋麺だった。お前も親元を離れるんだから、多少の生活力が必要だと忠告した俺を宮城は鼻で笑った。こんなの簡単っしょ、と言い張った料理初心者は、鍋からどんぶりに麺を移そうとしてラーメン汁を調理台にドバドバこぼした。ふてくされた顔を散々笑ってから、二人でティッシュを使って汁を拭いた。
     カップ麺、ゆで卵、スクランブルエッグ、オーブントースターでアルミカップを使って焼くソーセージ。乾燥わかめをたっぷり入れたインスタントの味噌汁。とにかく野菜をコンソメで煮たスープ。
     俺だってひとり暮らししてそろそろ一年というところで、難しい料理なんて作れない。それでも今まで母親に頼りきりだった宮城が満足に作れるのはトーストくらいで、めいっぱい先輩面して一緒に料理をした。火を扱う時には必ず換気扇をつけること。冷蔵庫から出したばかりの卵と、時間が経った卵ではゆで卵にした時の火の通り具合が違うこと。自分が一年かけて覚えたシンプルな事実を聞く宮城はいつも少し感心したような顔をしていた。
     家に呼ぶたびに宮城は新しい料理を覚え、元々の器用さも相まって今では俺よりうまく作るメニューもある。泊まりの翌日は朝食を作らせて、後ろから茶々を入れるのが習慣になりつつあった。

     二人分のカップに牛乳を注いでいると宮城がトーストと、昨日買った菓子パンをいくつか持って席についた。口々にいただきますと言う。最近だいぶ温かくなってきたからか、二人してたっぷり寝坊してもう昼に近い。空腹を訴える腹がうるさく、この量で晩まで持つかなと考えて忘れる。持たない時はその時だ。
     卵にほんの少しケチャップをかけて頬張る。宮城のスクランブルエッグは塩気が多いので、ケチャップは少しで足りる。牛乳のカップに手を伸ばしたところでカシャッとシャッター音が鳴った。
    「食ってる時には集中しろ」
    「一枚だけ」
     ジャカジャカとダイヤルを回した宮城はテーブルの端にインスタントカメラを置く。

    「親がカメラ持ってるんだけど、俺あんま使ったことなくって。フィルム駄目にしちゃったらもったいないから、使い捨てで」
    「まあ確実かもな」
    「ねえ、食べたら1on1しようよ」
     穏やかな声で誘った宮城がトーストを食む。チーズがだらんと伸びたのを追いかける口が小動物のようだと思う。

    *

    「三井サン、いつから3Pシュート練習したの?」
    「小5かな。ミニバスは3Pねぇじゃん。チームで連れられて見に行った中学の試合で昔の先輩が決めててさ、憧れた。かっけーから」

     桃か桜か、ピンクの花びらがコートに散らばっていた。滑るほどじゃないね、と呟く宮城のパーカーの紐を温かい風が揺らす。
     ひとり暮らしをするにあたって、ストリートバスケのコートが近くにあることは条件のひとつだった。宮城と勝負する場が欲しくて。それを口に出したことはないが、最初にコートが近場にあると誘ってから、泊まりの翌日、宮城は毎回コートに行きたがる。

    「背も伸びて、だんだん遠くからでも入るようになってきて。楽しかった。試合じゃやらなかったけどよ」
     持ち込んだ野外用のボールをコートについて、3Pラインから一歩外へ下がる。グッと地面を踏んで跳んだ、一番高い地点でボールが指から離れる。どんぴしゃだ。大きく弧を描いてゴールネットに落ちるボールを見て、口元に笑みが出たところでカシャとカメラの音が小さく鳴った。
     音の聞こえた方を振りかえれば、パーカーにうずもれるようにしゃがんだ宮城が、コートの端から写真を撮っている。大学の広報誌やら部の宣伝資料やらで撮られることもあるが、後輩にカメラを向けられるのはおかしな気分だ。んだよ、と不満を口に出せば、何が面白いのかそのしかめ面も撮られて、気恥ずかしいやらムカつくやらで小さなカメラに手を伸ばして揉み合いになる。ケラケラ笑う宮城がカメラを鞄にしまい、パーカーを脱いだ。トンと軽くボールを浮かせてこちらの腕から奪う。

    「明日練習だよね」
    「おう。来年の一年が何人か参加してきてよ、けっこうイケてる。強くなるぜ」
    「……すげーんだろね」
    「おー」
     互いに腰を落として様子を窺い合う。会話が途切れたタイミングで、ふっと笑いを引っ込めた宮城が右手でついたボールを脚の間に通し、左手に持ち替えた。そのまま低く踏み込み、体をねじ込むように荒っぽく抜かれそうになる。すんでの差でルートを塞ぐと小さく舌打ちが聞こえた。
     急にスイッチが入った宮城相手にオフェンスとディフェンスを交代して繰り返した。新入生って何人いるの、どんなやつが入るの、希望のポジションどこなの。合間にそっけなく質問され、遅まきながら何が宮城のスイッチを押したのか理解する。勝手なやつだ。でも懐いてくる後輩も嫉妬する恋人もかわいい。こちらがシュートを決めるたびに、悔しいのと感心するのと半々の目になるのもいい。

    「お前の一番すげーとこは、ドリブルでもパス回しでもなくて、すげーやつをすげーってちゃんと思えるとこかもな」
     何度目かの宮城のオフェンスで、笑いながら告げた。一瞬きょとんとした宮城が、乗らねえぞとばかりに踏み出そうとしたのを止める。一筋降りた前髪をうざったそうに払って、宮城がゆっくりドリブルする。こちらの話を聞くふうで、活路を探しているのがわかる。抜かせねえと体で示すとつまらなそうに話し続ける。

    「だってすげーやつはたくさんいんじゃん。まあ俺もスピードなら負けないけど」
    「自分が敵わないって思ったら逃げ出したり、卑屈になったりするやついるだろ。お前はそうじゃない。すげーやつに、すげーって思ってもちゃんと立ち向かおうとするし。同じチームならそいつをうまく使おうとする」
     会話しながらボールを奪おうと伸ばした手は軽く避けられる。無愛想な顔のまま宮城は肩をすくめた。
    「深津にはびびってたけどね」
    「でも食らいついてただろ。そういうところだよ。だからチームメイトにすげーって思ったら、そいつにすぐ言ってやりゃいいんだ。試合以外でもよ。そしたらこの先ずっとお前うまくいくだろ」
    「自分ではそんなやんないくせに」
    「俺は自分がすげーって言い張るタイプだからいーんだよ。パスだけじゃなくて口でも、もっとノセてやれ」
    「……アドバイスどーも」

     互いにここしかないというタイミングで、飛び出してくる体を迎え撃つ。ボールにこちらの手がかすめたところで宮城がターンする。ボールは従順に宮城の手に従う。追いかけるこちらとほんのわずかな差で身軽な体が鋭く跳ぶ。すっと伸ばした右手からネットへ向けてボールが浮く。

     ゴールから落ちるボールを拾って、袖口でこめかみの汗を拭いた。もう一回。口には出さなかった要求を目線から汲み取って、生意気な後輩がニヤリと笑う。生ぬるい風がまた吹いて、どこかから花の香りがする。Tシャツ一枚でも動くと汗をかく。もう春がやってきている。

    *

     1on1を繰り返し、途中で現れたガキどもにコートを譲り、3on3にヤジを入れているうちにシュートを教えろとねだられ。
     気がつけば日が傾き始める頃、軽めの朝食兼昼食では満たせなかったお互いの腹がぐうぐうと文句を垂らした。俺が俺がとシャワーの順番を争ってもつれ合うようにアパートに戻り、結局靴を脱ぐ速さで宮城に負けた。シャワーの水音に混じる鼻歌が恨めしい。ベタベタする体をごまかしながら水を飲んで、カラスの行水で上がってきた宮城と交代で湯を浴び、ついでに髪も体も洗ってしまう。
     適当に髪を乾かし洗面所のドアを開けると、小さいシャッター音が聞こえた。何かを煮ている鍋の前、キッチンから、なんでもない狭い部屋を宮城が写真に撮っている。静かな部屋にインスタントカメラのダイヤルを回す音が落ちる。カメラをポケットにしまった宮城が鍋の火を調節する。

     袋麺、スクランブルエッグ、ゆで卵。肉と適当な野菜の炒め物。簡単な料理の数々。バスケ以外に宮城に教えてやれることはそれくらいしかなかった。
     この春、宮城は高校を卒業した。あと二週間でアメリカに出発する。

    「三井サン、何食べたい? ここからカレーかシチューか肉じゃができるけど」
     こちらに気づいた宮城が、鍋からアクをすくいながらのんびりした声を出す。平気な面しやがって、とムカついて後ろからぶつかるように宮城を覆った。くせ毛に鼻をすり寄せるとワックスを落とした髪はやわらかく広がって、シャンプーの香りがする。肉付きがよくなって、ちょっと体重をかけたくらいじゃびくともしないのがささくれた気持ちを煽る。少しはふらつけばいい。余裕に見えるのがつまらなかった。
     ゆっくり呼気に合わせて膨らむ胸が頼もしくて苦しい。言葉が見つからずにただ温度を味わっていると宮城が静かに言った。

    「俺の考えてることわかる?」
    「知らん」
    「あのさ、うちのリビングのテーブルに写真飾ってあるでしょ。あんな感じでアメリカの俺の机にも飾るから。うちの家族写真と、三井サンのと」
     胴に回した腕に相手の手が重なる。肘をぎゅっとつかまれ、目に水分を感じてまばたきを繰り返す。
    「手紙を書くよ」
    「お前一人で盛り上がって長い手紙書いてきそう」
    「ア? 絵はがきにしよ」
    「笑ってやるから手紙にしろよ」
    「ゲロ泣きさせてやんよ」

     鼻から長く息を吸う。情けない顔をしている気がして、くるっとふり返った宮城の目元を手で覆った。なに、と笑いながら宮城は抵抗しない。手探りで腰に手を回される。
    「俺の写真も撮っていいよ。それか、アレあげるよ。パスポート用に撮った証明写真の残り」
    「いらねー、お前の写真なんか。目の前にいないやつの写真とか、意味ねえよ」
    「なんで? 俺アンタがどこででも、元気でいてくれたらそれでいーよ」

     指の下で宮城の眉が寄り、まぶたの裏の目がくるっと動く。
    「アンタ心配だな。飲み会で酔ったぁとか言って寄っかかってくる女とは距離取って。ダチで男でも同じベッドで寝ないで。人の目ぇ見て話さないで」
    「会話できねえだろうが」
    「アンタの見つめ方、強すぎるんだよ。そんなふうに見なくてもいいだろ」
     どんなだよ、と鼻をすすると手首に指をかけられ、宮城の顔から手を離す。真剣な目つきが手の裏から現れる。
    「そういう目だよ」

     うなじに熱い手を添えられて、目を合わせながら屈む。宮城の目こそ、じりじりと焼けるような熱を持っている。あの屋上で、この男のことを壊せなくてよかった。こいつが今まで傷つきながら、芯まで損なわれず、ここに行き着いてくれてよかった。俺だって、お前がこの先自分のいない場所で、きっと折れないでいてくれたらいい。それだけでいい。
     それは嘘ではないのに、口をついて出たのは違う言葉だった。

    「機内で手紙書け。空港着いたらそこで送れ」
    「うん」
    「分厚いのにしろ。送料で泣きゃいいんだ、お前なんか」
    「うん」
     頬を合わせて抱きしめられる。宮城の睫毛がこちらの目尻のあたりで羽ばたく。足りねえ、と宮城の耳に吹き込む。うん、と穏やかな返事に合わせて抱きしめる腕が強まる。細く開けた窓から湿った春の匂いが入り込む。くつくつと静かに鍋は煮える。

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