さわみずこおりつめる「いいから寒稽古じゃ!!!」
「は?嫌ですけど?」
明るい調子で叫ぶ太子とは反対に、寝起きの不機嫌な声で晴明はこう答えた。
だって、まだ外は真っ暗だ。寝る前に灯した、枕元のロウソクがゆらゆらと揺れている。まだ大分長さがあるソレは、就寝してからそんなに時間が経過してないことを示している。真冬は夜が明けるのが遅いといっても、この暗さは確実に夜中である。あと寒い。超寒い。
というか、ぐっすりと眠っていた最中で唐突に起こされたにも関わらず、即座に反論出来た僕を褒めて欲しい。
「…太子、今何時だと思ってるんですか」
「朝の3時じゃな」
「3時は朝とは言わないし、寒稽古もしないですぅ。さっさと帰れですこのばか」
そう早口で答え、あくびをしながらごそごそと布団に戻る。これは変な夢だ─そう思って寝直そう。せっかくだからまさかちゃんの夢でも見れれば──
「どっせい!」
「ギャーーー!!!」
いきなり布団を剥ぎとられた。
相手が友人であっても、この所業は割と殺意が湧く。あと、今更だけどなんで太子は僕のはった結界を越えてしれっと部屋の中まで入ってこれたんですか!?偉い人が不法侵入するなんて、どーかと思う。
「なーーにしやがるんですが!!!」
たまらず飛び起きて叫んだ。太子は布団を掴んだまま、勝ち気な顔で僕を見下ろしている。
「ん、眠そうだったから起こしてやろうとな。よしよし、目が覚めたようじゃな。いざ出発じゃ。安心せい、行先は我の所有する山だから行き方は分かっておる」
「だから、行かないってさっきも言ったですぅ!豊聡耳の名前持ってんだから、人の話を聞けです!!というか、いつものお供達はどーしたんですか!そいつらと行けばいいでしょう!」
「んー、山背がちと風邪ぎみでな。念の為に、殖栗を付かせておる。そんな訳で今日は1人じゃ」
いつも太子の横にいる二人の子供(といっても、僕より大分歳上ではあるが)がいないのはそーゆー訳か。どうせなら稽古自体休みにすればいいのに。
「…どうしん様を誘えば…」
「あやつは、今日、全国怨霊の集いがあるとかで、まさかと連れ立って出かけておる」
なにそれどんな集いなんだろう気になる。というか僕もそっちの打合せに混ざりたいんですが…いや僕別に怨霊ではないんですけど。あと、いつかどうしん様が、「太子は人の話をよく聞…いや聞かないかな」ってどこか遠い目で言っていたのを思い出す。
名は体を表す、とかいうけどあれはウソだと思う。目の前で仁王立ちしている太子に、うんざりとした視線を送る。というか、早く布団を返して欲しい。
「お主なぁ、自ら最強の陰陽師を名乗るからには、日ごろから自己研鑽に励まずにどうするんじゃ」
両腕で自分の体を抱き、行きたくないオーラ満載の僕を見て、太子があきれ顔で言う。
「う」
別にたまたま休んでただけですし、春になったら本気出しますし。
「それに、あの兄妹のゴタゴタの際、顔からいろんな汁出してたというではないか」
「そ…それは、それくらい大がかりな術式だったからですぅ!ていうか、アレちゃんと成功しましたし!」
「まさかの霊力のブーストがあって、じゃろ?」
「うう~~~…」
痛いところを疲れてぐうの音も出ない。さらに太子はこう続ける。
「あの術は確かに大層なものであった。現にこの世界の崩落も食い止めれておるしの。じゃが、逆に考えるんじゃ。あの術をもしまさかの助力なしで出来ていたら…?さぞまさかも感心するじゃろうなぁ」
腕を組みうんうんと頷く太子。そして僕の方をちらっと見る。
まさかちゃんからの霊力の供給と四聖獣のサポート(周りで応援してただけかもしれないが)があって、やっと発動させた巨大術式だが、これを汗一つかかずに行使できた自分を想像してみる。
『凄いではないか、晴明!こんな大術式を自らの霊力のみで起動させるとは!!』
瞬間、うっとりとした瞳で僕を見つめるまさかちゃんの幻覚が見えた。
「まさかちゃんが僕を尊敬の目で…?」
「もちろんじゃ!」
「そ…そして頑張ったご褒美なんかもらえたり…!?」
「当たり前よ!一番手柄をたてた者には褒美をあげんとのう。それが上に立つものの責務というやつじゃ」
「これはやるしかないですね!!!!!!」
「よう言うた!!!!!さぁ更なる高みに至るため、修行じゃ!修行!」
ばっ!と腕を広げた太子がそう応える。
その勢いのまま、僕達は太子の黒駒に跨り、極寒の夜明け前の空に飛び出していった。
*
「───で、どうするんですかぁこれ…」
「いやー-まさか今日がこんな冷え込むとは思ってなかったのう」
はっはっはっと白い息を吐きながら笑う太子、僕らの目の前には一面凍り付いた滝。
もちろん滝行など出来る訳もないほどにガッチガチだ。申し訳程度に、氷の隙間から白糸のような水が流れている。
さっきまでの謎の勢いが、この寒さで急速にしぼんでいく。自宅でもあんなに寒かったのに、ここは夜明け前の山の中だ。寒いというよりもはや痛い。まるで体中を針で刺されているようだ。
「もう帰りましょう、こんなんじゃ修行どころか凍死してしまいますよぅ」
「えー--せっかく来たのに勿体ないではないか。滝が凍っていても何か…いや、まてよ?海だと流石に一面が凍ることは無い!」
「は?」
「故に、今日は海で寒中修行なんてどうじゃ?どうせなら、蝦夷の方でも遠出してみるか??」
「ぜっっっったい、嫌ですう!!!!!!!!」
おもむろに命の危機を感じ、自宅へ帰還するための術式を編む。
「あっ!こら晴明!待たんか!!!」
──ぱしっと、しゃもじで手を叩かれ、もう少しというところで帰還の術式が解かれる。
「このまま帰れると思うな~!なぁに!寒さで倒れても、お主の得意の蘇生術でなんとかなるじゃろ!」
太子がぐいぐいと肩を組み、しれっと恐ろしいことを言ってくる。
「本人が死んだら蘇生しようがないですよ!!!やだぁ!助けてまさかちゃん!!!!」
インドア派の晴明が、日頃馬で辺りを駆け回っている太子に力で敵うはずもなく。
明け方の森の中に、晴明の悲痛な叫び声が辺りに響き渡るのであった。
*
「…ん?」
四国のとある屋敷の一室で、まさか殿は目を覚ました。昨日は、怨霊仲間の定期会合の後、当然のように酒宴になだれ込み、そのまま屋敷に一泊させてもらったのだ。どこかで、誰かが自分を呼んだような気がして、キョロキョロとあたりを見回すが、屋敷は静寂に包まれている。夜明け前の空気はあまりにも冷たい。
「気の所為じゃろうなぁ…」
と、ちいさなあくびをして、再びぬくぬくと布団に戻り、夢の世界に(ここも夢の世界ではあるのだが)再び旅立つのであった。