そうだわコンビニ行こうかな「おぉい、もう酒が無いぞ」
台所から戻ってきた太子が、中身が空になった缶を軽く振りながら部屋の主に声をかける。
ここは東京、神田町。神田神社近くのアパートの一室が、まさか殿の住処である。築何十年と経った昔ながらのアパートに、同じ神田明神の祭神である大黒天とすくなの三人で、それぞれ一部屋ずつ分かれて暮らしている。大黒天は、国津神の長らしく出雲や時々インドなどを行ったりたりしており、今晩は不在である。ちなみに、すくなの部屋は、時々、常世の国と繋がってるらしい。なにそれこわい。
「む、多目に準備したつもりであったが、もう飲んでしまったのか、早いのう」
「太子がガバガバ飲むからですぅ」
「まあ、キリ良くここでお開きにしてもいいとは思うけど…」
「えー、まだ我飲み足りんのじゃがー」
時刻は午後10時を過ぎた頃。いろいろなお菓子やおつまみが載せられたちゃぶ台を囲みながら、太子、どうしん、晴明、まさか殿の4人が次々に口を開く。このメンバーで宅飲みをする時は、順番に場所を提供することになっており、今日はまさか殿の番だった。
「隣部屋のすくな様に、酒をもらえたりせんのか?お酒の神様じゃろう」
「んー、多分じゃが、今は出かけておるのではないかなぁ、夜行性みたいじゃし」
「それなら、近くのコンビニで買い足すのがいいかもね。でも流石都会だなぁ、歩いて行けるのっていいね」
「じゃあ、誰が行くかじゃんけんしましょ!僕は絶対に勝つ自信ありますからねぇ」
ほらほらと晴明が声をかける。
「いきますよ!最初はグー!じゃんけん」
ぽん
グーが3人でチョキが1人。その1人がまさか殿だった。
「よし、あと2回やって負けた回数が多い奴が買出し当番ってのはどうじゃ」
「いやいや」
「さらっと新ルールを足すでない。お主の一人負けじゃ。早う行って来い」
手をひらひらさせながら太子がせっつく。金は出してやるから、と懐からお札を取り出し、まさか殿に手渡す。
「おつりは返すんじゃぞー」
「む…妾は戦の神なのにの…仕方ない、晴明、伴をせい」
よっこらしょと立ち上がるついでに、隣の晴明の裾を掴む。
「なんでぇ!?僕、ちゃんと勝ちましたけど!?」
缶チューハイを飲んでる途中に、いきなり服を掴まれた晴明が素っ頓狂な声をあげた。掴まれた所を外そうとするものの、力でまさか殿に敵うはずもなく、ぶんぶんとかぶりを振るだけだ。
「まさか殿くらいの強さだと夜道も大丈夫そうだけど、やはり1人よりも2人の方が心強いんじゃないかなぁ」
その様子をみていたどうしんが、太子が持ってきた奈良漬をつまみつつ、のんびりと言う。ね、と晴明に目配せをし、その言葉を聞いた晴明は、ぴたりと動きを止めた。
「よーし!まさかちゃんいきましょうか、僕荷物持ちでもなんでもしますので!あっ、どうしん様何か欲しいものありますか?買ってきますよ!」
途端、勢いよく立ち上がった晴明がハキハキと声をかける。
おい、我には無いのかと太子がジト目で見てくるのには気づかないフリをしている。
ドタバタと玄関に向かう2人を眺めながら、いってらっしゃい、とどうしんが声をかけた。
「晴明のやつめ、急に調子付いたようじゃな」
「まあ、なんでも1人よりも2人のほうが楽しいからいいんじゃないかな。ほら太子、そこで涅槃像みたいに転がってないで、2人が帰ってくる前に少し部屋を片付けておこうか」
「それは我ではなくて丸まった布団じゃ。お前、結構酔うとるじゃろ。水飲んどけ水」
やれやれと息を吐いて、案外酒に弱い友人の為に水を汲もうと、太子は、再度立ち上がって台所に向かうのであった。
――――――
らっしゃーせーと間延びした声が、2人を迎える。
夜も大分更けているが、人工的な灯りに包まれた店内は真昼のように明るい。自分達が現世で生きていた頃は、夜というのは異界にも等しかった。闇夜に蠢く獣達や妖――そういえば、百鬼夜行なんてものいましたねぇと遠い昔を思い出したりしながら、晴明は店内用のカゴを持ち上げた。
「とりあえず酒じゃな。適当に買ってしまうか」
そういいながらまさか殿がドカドカと手当たり次第に缶や瓶をカゴに投げ入れていく。缶ビール、チューハイ、日本酒、梅酒…
途端にカゴの重みが腕に伝わり、落とさないようにぐっと腕に力を入れる。
「まさかちゃん……これ持って帰れるんですかぁ……」
「荷物持ちをすると言ったのはお主じゃろう、ほれ頑張れ頑張れ」
うう……テンションが上がって、おもわず出てしまった先程の言葉を撤回したくなる。
どうしようもなくなったら、式神に運んでもらいますかねぇ、と晴明はひとりごちた。
そんな晴明を横目に、まさか殿はお菓子コーナーに向かっていく。おつまみ系から甘いものまで、これまた大量にカゴに入れていく。
「いーんですかぁ?そんなに入れて」
「金だすのは太子じゃし、大丈夫じゃろ」
口に手を当てながら、二人で目を合わせてにししと笑う。
そう言いながらも晴明は、ちゃっかりと「期間限定!」と書かれたスイーツをカゴに入れている。どうしん様にはこれがいいですかねぇ、と涼しげな水ようかんを、積み上がったお菓子の隙間にそっと置いた。
ありあとーやっしたー
入店の時と変わらず伸びた声を後ろで聞きながら、自動ドアが開き、途端、生ぬるい風が頬をなでる。先程まで空調の効いた店内に居たため、不快度が急に上がるのを感じた。
隣にいるまさか殿も同じだったのだろう。一瞬うんざりした表情を浮かべ、ゴソゴソと袋から缶ビールを取り出す。
プシュ、と軽快なプルタブ音の後に、キンキンに冷えたビールを一気に煽る。爽やかな苦みと炭酸が喉に心地よい。不快度が途端に和らいでいく。
「は〜〜……やはり夏はビールじゃな。お主も飲むか」
ほれ、とまさか殿は、飲みかけの缶ビールを差し出す。
「ももも……もしかしなくてもっ!これは間接キッ……」
「うわ、やっぱ止めた」
ひょいと差し出した手を引っ込めて、まるで虫を見るような目でまさか殿は晴明を見る。自分の失態に気付いた晴明は、分かりやすく落ち込んでその場で頭を抱え込んでいる。その様子が妙におかしくて、カラカラと笑い声を上げた。
コンビニの軒下にぶら下がった、青白く光る捕虫灯。時折バチっと音を鳴らしている。隣にある灰皿からかすかに漂う、誰かが吸っただろうタバコの残り香。手の中で露を浮かべるビール缶。隣には、なんだかんだ腐れ縁の晴明がいる。
ふと、まさか殿は、この夏の夜の一瞬の風景が、自分の記憶の奥底に残るのだろうな、と確信した。
特になんでもない日なのに、可笑しいの。
ぐいっと、缶に半分ほど残っていたビールを一気に飲み干し、再度袋に手を突っ込む。取り出したのは、2本セットになっている、チューブ型のアイス。繋がった容器を外して、その内の一本をまだ座り込んでいる晴明の首筋に当ててやる。
ひょわっ!!と晴明が情けない叫び声を上げ、まさか殿が声をあげて笑う。
「なんじゃ、その気の抜けた声は。それが最強の陰陽師サマの姿かぁ?」
「い…いきなり首に冷たいの当てられたら誰だってびっくりしますよぉ!って、これ、アイスですかぁ?」
「買出し途中に食料に手をつけてしまったゆえ、太子に小言を言われそうじゃしの。お主も共犯じゃ」
「ちょっとお!僕を巻き込まないで下さいよぉ〜!」
そう言いつつ晴明は、容器を開封してアイスを口の中に入れる。チョコ風味のなめらかな氷菓が火照った体を少しずつ冷ましていく。
この気だるい空気の中、アパートまでの帰り道が憂鬱に感じていたが、少しは気力が戻ってきたようだ。
「まあ、2人も待ってることですし、そろそろ帰りますかねぇ」
「お、袋は妾が持たずともよいのか?」
「……途中で力尽きたらまさかちゃん、よろしくおねがいします」
「うむ、承知した。今宵の妾は機嫌がいいからの」
2人でアイスを食べながら、アパートに続く緩やかな坂道を上がっていく。空には薄雲のかかった月が浮かんでいる。夏の夜はまだ続きそうだ。
ちなみに、おつりが小銭数枚しかなかったことに対して、太子にあきれ顔されたのは、その後のお話。