鏡映しの桃と鬼 鬼のお話私は……あの桃を許すなんて事はできない。
あいつを可愛がるあなたの姿は、私の心を激しく揺さぶるの。
どうして……あんな奴を……。
私には、あなたという人が理解できない。
どうして?
なんで……あいつを可愛がるの?
あいつと笑い合えるの?
あいつは私の大切な人を奪った元凶。
私はあいつのせいで孤独になった。
悪い鬼と誤解されて、誰かと一緒にいる事すら許されなかった。
私は彼らに何も危害を加えていない。
それなのに……私の大切な人は……。
ついこの間だって、私の新しい友達や私を受け入れてくれた村の人を操って……。
……今でも思い出す。
初めて出会った時、あの人に抱きしめられた時の温もりを。
その温かさがとても嬉しくて、幸せで……この温もりは絶対に失いたくないって思った。
だから、私はあの人を守るために強くなったんだ。
一緒に遊んで……笑って……美味しいものをお腹いっぱい食べて……。
そんな当たり前の生活が、ずっと続くと思っていた。
だけど……それは突然に奪われてしまった。
私は我を忘れ、怒りのままにあいつのお供の命を奪った。
取り逃がしてしまったけれど……元凶であるあいつにも瀕死の重症を負わせた。
その様子を見ていたキタカミの人間達は、悪い鬼を彼らが命をかけて追い出してくれたのだと勘違いした。
深く傷ついた私は放心状態のまま、誰もいない冷たい洞窟へと戻っていったのだ。
あの桃は、私の大切な人を奪っていった。
あいつのやった事は“悪”だ。
無邪気な赤ん坊のような顔の下では、きっと孤独に苛まれていた私を笑っているんだ。
なのに、なんで……?
……ある日、今のご主人は私を連れてあの洞窟に連れてきた。
パルデアに行く事になるから、暫しのお別れを済ませてくるようにと、そういう事だった。
私はご主人の気遣いに感謝した。
あの人の面影はもうないけれど……それでも、ずっと過ごした思い出の場所だ。
……その時、ふと岩陰に何かが落ちているのを見つけた。
手にとってみると、それは文字がたくさん書かれた日記のようで……。
私は文字が読めないのでご主人に渡すと、ご主人は意図を理解し丁寧に内容を読んでくれた。
私と出会った日、森の中を歩いた日、魚を釣った日……あの人と共に生きた思い出が事細かに残されていたのだ。
二度と戻らない平和な日常……。
複雑な思いで聞いていると……ご主人はとあるページで動きを止めた。
どうしたんだろう?
そう聞くように鳴き声を上げると、ご主人は私の方をチラリと見た後……こう続けた。
『オーガポンと過ごすようになって半年が経つ。最近は村の物を盗んだり悪さをしないようになった。あの村にいた頃は寂しいが故にやんちゃをしていたが、私がいる事で少しでも孤独が満たされるようになったのだろうか。もしそうであれば私はとても嬉しい』
理解できない日記の内容。
私の思考回路がゆっくりと停止していくのが分かった。
……盗み?
……悪さ?
……人に、迷惑をかけていた?
……何を言ってるの?
私が、私は、そんな事……。
そんな、あの人の仇みたいな事を……私が……?
『いつもいつも食い物盗みやがっていい加減にしろッ』
『この村から出ていけこの鬼が』
『そいつの味方をするならお前も追い出してやる』
……あっ……。
『これからは私がお前のパートナーになってやろう……だからもう、悪い事はやめるんだ』
あの人と出会う前……私は一人だった。
家族も、仲間も、友達もいない。
私は、オーガポンというポケモンは、そういう種族らしい。
けれど、私は納得いかなかった。
一人は淋しい、誰かに構ってほしい。
だから私は近くにある村に度々やってきては食べ物を盗んだり、興味が湧いた道具は勝手に盗んだりした。
それを私と遊んでくれる事を条件としてポケモンや人間の子供にあげたりもした。
……もちろん、誰かから盗んできたものだ。
そうして日が過ぎて行き……私はいつからか村の人間から鬼と呼ばれ、姿を見られたら迫害を受けるようになった。
石や棒を投げられたり、罵声を浴びせられるようになった。
……そんな時に私を守ってくれたのがあの人。
あの人は、私が一人の寂しさからイタズラをしていると察してくれた。
これからは自分がずっと側にいる、だから悪い事はもうやめようと……そう言ってくれた。
理由があっても人のものを盗んではならない。
あの人は私に、私がしてきた事は誰かに迷惑をかける事だと教えてくれた。
私は話を聞いて、確かに身勝手な理由で盗みをするのはいけない事だと納得した。
ずっと村の人間達に迷惑をかけていたのだと自覚するようになり、盗む事をやめた。
“鬼”を庇ったとして、あの人は私と共に村を追われた。
その後、長い旅の果てにキタカミにやってきたが……私達はまたしても迫害を受けた。
それはそうだ、盗みばかりしていた鬼を連れた人間なんか、簡単に村に入れようなんて考える者はそうそういない。
当時のキタカミの人間達は自分達と姿が違うからと言っていたけれど……きっとそれは私の過去の悪行が原因であると思わせないための嘘だったんだろう。
でも、私達はお互いがいればそれだけで幸せだった。
村の近くにある山の洞窟で、二人穏やかに暮らしていたんだ。
そして、あの日……私はあいつのお供によってあの人を奪われた。
洞窟に残っていたのは争った跡と大量の鮮血、そしてあの人が命をかけて守ったであろう碧の仮面。
全てを失い、また孤独になった。
全てはあいつが私の仮面を奪おうとしたせいだ。
あの日から私は……物を盗むという行為を酷く嫌うようになったのだ。
……ずっと忘れていた記憶。
私の犯した罪。
私は、あいつと同じだった……?
それから少ししてパルデアでピクニックをしている最中、私はあの桃のお供に聞いた。
何故私の仮面を狙っていたのか。
最古参であるイイネイヌの話によれば、モモワロウは昔子がいない老夫婦に拾われ、我が子のように可愛がられていたそうだ。
親代わりである二人に恩返しをしたかったが、自分に何ができるか分からない……。
そんな折にイイネイヌと出会い、餅を食べた事で望むものを与える事が出来たので、鎖餅……自らの毒には願いを叶える力があると勘違いしてしまった。
そして良かれと思い二人にも振る舞った結果、老夫婦は欲張りな人間になってしまったのだと。
無償の愛を有償の愛に変えてしまった事にすら気付けないまま……モモワロウはイイネイヌと協力し願いを叶え続けた。
全ては大切な人の役に立つため、ただただ愛されたい一心での行動だったらしい。
餅の毒の効果とは言え、誰かの願いを叶えるために動いていたモモワロウ。
ただただ自分の欲求を満たすためだけに盗みを働いていた自分。
そういう力を持ったポケモンとして生まれてきたために、それを間違いだと気づく機会すら手に入れられなかったモモワロウ。
それはいけない事だと分かっていながら、誰かに構ってほしい、遊んでほしい、そんな勝手な理由で悪さをしていた自分。
果たしてどちらの方が悪なのだろう?
どうして……忘れてしまっていたんだろう。
自分にとって都合の悪い部分は忘れて、彼らが完全悪なのだと被害者ぶっていた。
私だって、あの人と出会う前は同じ事をしていたというのに……。
全ての責任が彼らにあると、ずっと一方的に責め立てていた。
あなたの笑顔を守るために戦っていたはずなのに……その笑顔を曇らせていたのは私だった。
私の大切な人を奪ったのは、私自身だったんだ。
あの人は間違えてしまっていた私に善悪を教え、正しい道に進ませてくれた。
それなのに私はあの人が自分にしてくれたように彼らを諭すどころか、激情のまま命を奪ってしまった。
もちろん先に仕掛けてきたのはあちらだけれど……私も過去に同じような事をしていたのだから、文句を言える立場なんかじゃなかったんだ。
私が知らないだけで、私が食べ物を奪ったせいで飢えて死んでしまった人がいたかもしれない。
私が気に入った道具を盗んだせいで本来助かるはずだった命が助からなかったかもしれない。
私は運が良かっただけ。
一歩間違えれば、私も彼らと同じ悪に成り果てていたんだ。
私はこの時に気付いた。
あの出来事は因果応報だったのかもしれないと……。
だから私は……あの桃を、モモワロウを許そうと思った。
何かが違っていれば、私もモモワロウと同じになっていたかもしれない。
似た者同士。
だから……これからは私達もゼロからやり直せないかと、そう思えた。
モモワロウは未だ私が怒っていると勘違いしているようで、小さな体を必死に動かし美味しいサンドイッチを作る練習をしている。
確かに一度、あなたは私の全てを奪った。
けれど……私の忘れていた罪を思い出させてくれたのもあなただった。
“鬼”である私を……ゼロから再出発させる機会をくれた。
そういう意味では、確かにあなたは悪者を退治する桃太郎だった……私は心からそう思えたのだった。