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    ルチスパ お笑い芸人コンビをやっているふたりの話

     幼馴染たちに口やかましく誘われ、ついてはきたもののショッピングモールはやはり退屈しか売っていない。地下駐車場とショッピングモールを繋ぐエスカレーターが、利用者がいなかろうと健気に働いている姿を眺めながらオレンジジュースを飲んでいたとき、エスカレーターを挟んだ向こう側に備えられていたトイレから男が飛び出してきた。どこもかしこも紫がかった男だった。誰かが炭酸グレープを力強く振り回して躊躇いなく蓋を開けたのかと思うほどの激しさだったが、俺の目は霞むことなく、その男が泣いていることを見つけた。
     男は、その長身痩躯のどこから生まれるのかと首を傾げたくなるほどの膨大なエネルギーを発していた。大股でずんずんと歩き続けてショッピングモールをあとにするつもりだったのだろうが、自動ドアのごく僅かな段差に躓いて転び、歪な大の字の形になって少しの間動かなくなった。真面目で無慈悲なガラスドアが何度も男の足首を痛めつける。再び立ち上がったときには別人の背中になっていた。炭酸の抜けたグレープジュースがよろよろと出ていくのを、俺はオレンジジュースを飲み干しながら見送る。
     一時間前に一階のイベントフロアで見かけた色だった。雑に備え付けられた客席の前で、同じく雑に備え付けられたステージの上で身振り手振りをしながら何かをはきはきと喋っていた姿は覚えているが、両腕を掴まれながら歩いていたときだったので何をしていたのかは知らない。空き缶を潰してからごみ箱に入れ、エスカレーターに仕事を与える。一階に上がると途端に雑音が俺を襲ってきた。音楽、話し声、足音、笑い声。顰め面を隠さないまま、人と人の間を縫ってはほどいていく。
     パイプ椅子もマイクもなにもかもがなくなり、人が自由に行き来するだけのイベントフロアに残っていたのは撤収し忘れられたポスターだけだった。お笑いライブと大きな字で書かれた下には何人かの顔が映っている。全員が貼り付けたような笑顔をこちらに見せているが、どれも見たことのない顔だ。更に下のほうに目をやれば、いくつかの名前が羅列されている。小さい文字をひとつひとつ記憶しているときに、後ろから声がかけられる。
     俺をここに連れてきた幼馴染が勢揃いしていた。探したぞ化け猫、と怒りながら手首を掴んでくる。ポスターから引き剥がされる。一度記憶したものは忘れないが、俺は頭の中で何度も復唱した。きっとどれかがあの炭酸グレープの名前だ。
     みんなでアイスを食べるのよルッチはなににする、と尋ねられ、俺はバニラと答えた。



     部屋のスイッチをつけると白くて小さな友人が嬉しそうに飛んでくる。置いていかざるを得なかったことを謝罪しながら、パソコンの電源を入れる。くすんだキーボードの表面を次々と叩いていく作業は三分で終わった。マウスに持ち替える。
     スパンダム、という芸人の名前をインターネットで検索しても引っかかる情報はあまりに少ない。ただそれはプロフィールや経歴の話で、どうにもこの芸人は疫病神として有名であることを俺にとうとうと語ってきた。
     右から読もうが左から読もうが悪印象しかない見出しを淡々とスクロールしていく。ふと目に止まったものを開いてみた。
     芸風は悪くない。むしろひとりで活動しているにしては相当面白く、ファンもいる。青年と呼べる年齢でありながら、非凡な発想力と機転の早さ、観察眼と愛嬌と話術、すべてができた。彼の一挙手一投足はまさに計算式だ。一見簡単そうにやっているが、実は綿密かつ途方もない試行錯誤が存在している。才能と努力の結晶だ。うつくしい数字の羅列は、いずれ彼を頂点へ導くだろう。あとは、運が味方になるだけだ。ドジを踏まなければいいだけだ。
     いかにも熱狂的なファンが書いていそうなブログを閉じれば、やはりあとは不穏な見出しの付いた検索結果だらけだ。ひとつをクリックすると、劇場の一つを焼け野原になった事件についてが書いてあった。平べったいが風情のある建物の写真の次に、青空を背景に柱だけが二、三本、これぞ辛うじてという体で立っている写真が並ぶ。どうやらこの有様は、男の仕業らしい。なにをどうすればそうなるのか、老朽化が進み廃業が決まっていた劇場を、ひと足早く更地にしたらしいことが様々な人間の証言により真実として語られていた。死人はなし。他の記事も似たようなことが書いてあった。どうやら、行く先々で大なり小なりこういうことをやっているらしい。これでは芸人ではなく解体業者だ。
     テレビや客席から見るだけの人間には面白いと手を叩く要素の一つになるだろうが、なるほど雇う側としては完全に疫病神だ。曰く、芸人としてとっくに成功しているはずの男を、このただの一点、圧倒的な鈍臭さが評判を下げに下げていることは明白だった。
     あの横顔を思い出す。
     俺に気づいた様子は全くなく、ただ怒りと悔しさを鋭く散らばす男の眦を濡らした涙を、思い出す。虚しさを奥歯で噛み締めているために唇は白かった。目元と鼻を覆う薄っすらとした黒では役に立たないほどの隠しきれない激情はしかし不思議と醜くはなく、整っていた。盛大に転けようが力を失おうが振り返ることはなく真っ直ぐに暗闇へ歩いていった足。皮の手袋に包まれた手は握りこぶしを作っていた。後ろになでつけていても柔らかくうねる夕方と夜の間の髪。すべてを思い出す。
     男は、ひたすらに紫色に燃えていた。きっと、自分が泣いていることにも気づいていない。
     なぜ、その道を選び続けるのだろうか。芸人という道は、心身がぼろぼろになってもやめられないほどに楽しいのだろうか。画質の悪い宣材写真と目を合わせる。問えば、相手が子供だからと答えてくれそうな顔だが、微塵も興味はない。崇高だろうと陳腐だろうと、他人の理由なんてどうしたって俺には理解できないことだ。
     ただ、人を笑わせて人に笑われている男は、泣いていた。今も、泣いているのだろうか。ひとりきりでいるのだろうか。味方もいないまま、紫色に燃え続けているのか。その火は熱いのか、冷たいのか。そればかりが延々と、気になる。




    「はじめまして、スパンダムさん。今日からあなたとコンビを組みます、ロブ・ルッチと申します。若輩者ですが、末永くよろしくお願いします」
    「誰だよお前は」
    「芸らしい芸といえば、小さい頃から鳩を飼っていまして、遊んでいるうちに腹話術の真似事ができるようになりました。自信はありますが、まあ、これはコンビ芸人には不要でしょう。かわりに、あなたに隣立つ相方として相応しいキャラクターを俺なりに考えてきました。俺はどうにも、目立ちすぎるので」
    「だから、誰なんだよお前は」
    「では、行きます。うはー、僕は服部ヒョウ太って言います!んふふ、スパンダムさん、よろしくね〜っ」
    「なあ、俺の声が聞こえてないのか?」
    「いかにも馬鹿でかわいげがあるでしょう。絶対に売れます。俺は、こう見えても体力と運動神経と喧嘩にも自信があるので、あなたのドジもサポートしてみせます」
    「お願いします、どなたか存じませんがどうか俺の話を聞いてください」
    「一番になりましょう。そして世界中の人々を笑顔にして、平和な世界にしましょうね」
     無意識に、壁につけた足の裏に力が入っていた。稲妻の形をした大きなひびが天井に向かって走っていく。いっそ壊した方がいい。俺とあなたのファンファーレに丁度いい、うつくしい音が響くはずだ。それにこのショッピングモールはもうじき改装工事が入る。一足先に解体してしまってもいいだろう。ここは地下駐車場だ。退屈しか売らないショッピングモールがジェンガのように崩れるのはさぞ見ものだろう。
     最初は、せっかく顔の窪みにはめ込んだ紫の硝子が飛び出そうなほどに目を見開いて俺を睨んでいたはずだった。今のあなたは、俺にも、自分の顔のすぐ横に突っ張った俺の長い足にも、肥大していくひびとも目を合わせず、ただ壁にべったりと背中をつけたまま足元に蹲る俺の影ばかり見ていた。俺は俺で、嵐の形をした紫色のつむじを見つめている。俺は些か大きくなりすぎたらしい。記憶より、テレビの中より、遠目に見る舞台の上より、あなたは小さく細くなっていた。それでも紫の炎は弱りもせず、くすみもしなかった。人を笑わせ、人に笑われ続けていた。ならばやはり、泣いてもいるのだろう。

    「……まずは俺を笑わせてくれ」

     拍子抜けとはこういうことなのか、と十八年生きて初めて知った。この日のために、あなたの好みそうな台詞とあなたの好みそうなキャラクターを五年を費やして考えてきたというのに、結局はそのままでよかったのか。足を下ろし、かわりにスラックスのポケットに突っ込んでいた両手を抜き、ゆっくりと壁についた。手のひらが、コンクリートの悲鳴と冷たさを覚える。
     俺の影が膨らんだことで、あなたはようやく顔を上げた。
     怒りながら天へと手を伸ばすかつてのあなたも、怯えて小さくなる目の前のあなたも、同じ夕闇色の目をしてまっすぐを向いている。あの日と変わらない。違うのは、俺を認識していることだけだ。
     あなたは、そっと目を伏せる。まつげすら紫色をしていることに、今ようやく気が付いた。
     眉根を寄せたかと思えば眉尻を下げ、薄い唇が淡い息を吐く。快活に言葉を紡いでは人々を笑わせるはずの喉は、今は震えて汗を浮かせるばかりだ。青白いばかりの肌で、耳たぶだけがわずかに赤い。それが、本当のあなたなのだろうか、ふと思い至る。強く、折れることを知らない人だと思っていた。本当は弱く、脆く、そういう顔で泣いてしまいたいのだろうか。……なんにせよ、苦労しそうだ。見本を見せるように、俺は分厚い唇をそっと吊り上げた。



     コンビニで買ってきたシュークリームをもぐもぐと頬張るあなたの姿を肴に酒を飲んでいる。カスタードが垂れでもしなければ、話しかけない。ソファーに浅く腰を掛け、角が取れて丸くなった手帳と睨んでいるときのあなたに他愛のない話をするほど、俺は愚かではない。
     一口いるか、と不意に持ちかけられ、哀れにも差し出されたシュークリームに遠慮なく犬歯を見せた。それは三口分だろ、と即座に隠される。あなたは笑っていた。
     再び差し出されたシュークリームはあなたの歯型をつけており、乾いた皮の奥になめらかな卵色を仕舞い込んでいた。そっとかぶりつき、歯型を奪い取る。チープだが無性に恋しくなる、そんな甘い味がべっとりと口に広がる。
     俺からシュークリームを取り返したあなたは俺の歯型の端に柔く噛みつきながら、右の指に挟んだペンをくるりと回した。こういうことは、器用にできる人だった。シュークリームの食べ方も相当に上達した。開いたページのある部分をペンの後ろでとんとんと叩きながらシュークリームを食べ尽くしたあなたは、カスタードが残っている口で話しかけてくる。
    「来月で十年目だろ。ドキュメンタリーを組みたいって話が来てるんだけど」
    「断ってください」
    「即答かよ。まあ、いいけど」
     特に気を悪くした様子もなく、きたる来月のその日を、あなたはじっと見つめている。
    「十年も経っちまったぞ。今、世界中のどれだけの人を笑わせられてると思ってる?」
    「九割方は笑顔にできているかと」
     頼もしすぎるぜ、とあなたはくつくつと笑う。
     俺の指している世界にはあなた一人しか住んでいないので、間違いではない。グラスの中に浮かぶ氷を一度だけ鳴らして、口をつける。
     右肩にゆっくりと体重をのしかけられたので、腕を伸ばしてグラスをテーブルに置いた。
    「もう調整してるから、二日は休める。どうする、なにかしたいことはあるか?」
    「二日も休めるならやることはひとつしかないでしょう」
    「やるってなにを」
    「それ、本気で聞いてますか。ねえスパンダムさん、僕に言わせるの?恥ずかしいよ。いじわるしないでよぉ〜」
    「やめろって、真顔でヒョウ太やるの。一番面白えんだからそれ」
     楽しそうに、嬉しそうに、笑うあなたを見るたびに俺は満たされる。食事でも仕事でもセックスでも得られないこれが、俗に言う、幸せというのだろうか。聞いたことはなかった。致命的なまでに鈍臭いが俺が知る誰よりも賢いあなたは、大概のことをわかっているし知っているが、わからないふりをすることもあるし、やはり鈍臭いので俺の取り扱い方を間違えて時々俺と喧嘩をする。方や俺はあなたの取り扱い方を間違えて一度だけあなたを泣かせてしまった。否、かなり泣かせた。否否、ベッドやソファーの上、浴室だのホテルでのあれやそれやは、カウントしなくていいだろう。
     口端につけたままのカスタードを、舌先でそっと拭ってやる。くすぐってえ、と文句を言いつつもあなたはやはり笑っている。柔らかく抱きしめる。部屋着越しだとしてもあなたの体温はいつも心地よかった。
     腕の中の炭酸グレープがしゅわしゅわと何かを言っている。こうしていれば炭酸が抜けていくことを俺は知っているし、そうなっても笑っているから、俺はもう、気にはしない。





    (20230204)
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    Replies from the creator

    copperzipper

    DONEヒョウスパ♀小説
    !女体化  先生とJKの話
    (読んでいただけるのなら ひとつ前に上げた話を読んでからのほうがいい…かもしれない)
     この学校ではバレンタインの名目で行うチョコレートの譲渡が禁止されていない。生徒間は勿論、生徒が教師に贈ることも、教師が教師に贈ることも許されていた。その寛容による被害を、男は一等受けていた。あらゆる学年の生徒や教師は勿論、日頃我が子が世話になっているからというもっともらしい理由を携えた保護者までも、男に甘い菓子を渡しにくるのである。しかし男は嫌がらない。いつも通りの笑顔に困惑を一匙加えた顔で頭を掻きながら丁寧に受け取っては即座に愛らしくラッピングされたマシュマロを渡し返した。最早周知のことで、男からの間のない返答を誰も悲嘆しないし怒りもしない。皆、答えがわかりきっていてなお、男に何かしらの好意を贈らずにはいられない。四方へ去った人間の数だけ四方から人間が増えるこの慌ただしくも複雑な環境の影響もあるのだろう。身なりはやや悪いがとかく愛嬌のある若くて穏やかな男は安直に好かれるはずだし、反して男は誰のことも好きにならなかった。生徒の悩みもくだらない世間話も等しく丁寧に耳を傾けたし、教師同士の飲み会にも参加するし、保護者の愚痴にもうんうんと頷いて付き合う。だが、蒲公英を分解してスケッチをし、あらゆる細胞を顕微鏡越しに観察し、猫とじゃれ合っては引っかかれ、拾った蜻蛉の羽を空に透かしている方がよほど好きという男だった。
    1778

    copperzipper

    MEMOヒョウスパ♀小説
    !女体化  双子ダブルカプの話
     彼らは一時間に一分間だけの口づけを許されていた。それが終わると何事もなかったように十二時の方向へと淡々と進んでいく長針を、取り残された短針が時々震えながら見つめている。恋人たちを引き裂き、二十二時が今日も無事に生まれたのを確認しておれは席を立った。あらかじめ話してあるので、誰も引き止めはせず、また来週だのお疲れさまですだのごちそうさまですだのを口々という。じゃあ、の一言で一括返信する。現時点の会計を支払い終えて外に出るなり寒さに身震いした。けれども身をすくめるよりも先に恋人を見つけたので嬉しくなる。
     おれが駆け足をするよりも恋人がやる大股歩きのほうが早い。飛び立つ前の烏のように腕を広げ、挨拶よりも何よりも先におれを抱きしめた黒いコートの冷たさに驚いた。飲み会を、十時に抜けることは事前に伝えていたし、早まることも遅くなることもないとわかっていたはずだ。なのに恋人の体は天然の冷房によって一時間分は冷えていた。名前を呼ぶ声が呆れと喜びで震えていた。ばかだな、とは続けない。仕事のため、体裁のため、交流のため、どれが理由でも人と飲み食いをし談笑をする機会はおれにとっては貴重で楽しくて嬉しい。それでもお前が嫌と言えばおれは行かない。昔のお前はおれ以外の人間ともセックスしていたが昔のおれは別にいいと許したし今も気にしていないから今更負い目を感じる必要もない。我慢しなくていい。我儘を言っていい。だというのに恋人は、嫌そうな素振りを見せないままいつも通りの笑顔でおれを送り出したあと、リビングの壁と向き合いながら寝転がってしばらく静かにしているほうを選ぶ。兄と、恋人の兄から苦情が来ているが、おれに言われても困る。恋人の決めたことだ。
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