好きなタイプは元気な女と公言していたnnmt先輩の元に病弱な許嫁ができる話 七松小平太には許嫁がいる。
小平太に縁談が来たのは彼が数えで十になる年だった。相手方はさる大名の末娘で、歳の頃は小平太より更に三つか四つ下である。当時の小平太にはわからなかったが、縁談を持ってきた仲人というのがまたえらく身分の高い御方で、当事者たる両家に拒否権はなかった。
書状だけで決まった婚約だ。政治にはよくあることである。もちろんわからなかった小平太だが、大人たちから散々言い聞かされてきて、流石の彼も「結婚とはこういうものである」と理解せざるを得なかった。
そんな訳で結婚に夢も希望も持てない小平太だったが、忍術学園へ入学し、男所帯で暮らしているとそういう話は避けられないのである。中には小平太と似たような身の上の者もいたが、「夢くらい見たっていいだろ」と笑ったものだ。
はっきりいって小平太には、色恋に夢を見るほどの関心がない。い組のギンギン忍者、潮江文次郎のように三禁を守るというより、単純に、女体を思い描いているより裏裏山までいけいけどんどんしている方が楽しかったのである。
六年になったある日、実習の際にどこぞの屋敷からくすねてきた酒を、忍たま長屋の一室にて皆んなで回し飲みしていたときだった。あっという間に一升瓶の半分がなくなり、お互いに残りを牽制しながら塩を肴にちびちび舐めていた。そんな小平太の背に同級生の男がへらへら笑いながらのし掛かかる。
「おおい、七松」
「重いぞ」
「とか言って体幹ぶれねえし」
「鍛えているからな!お前も体育委員会に入れ!」
「絶対やだ」
きっぱり言われると寂しいものである。「そんなに?」心なしか肩を落とした小平太だった。
そんな様子に目もくれず、同級生はにやにやと笑って懐から大事そうにいくつかの冊子を取り出した。艶本である。「おお!」目敏い少年たちが沸く。
艶本は速攻でパラパラと捲られ、「これはあの子に似ている」だの「胸はもっと大きい方がいい」だの品評会が始まってしまった。
「これより大きかったらそれはもう化け物なんだよな」
「おっキャベツより安い喧嘩じゃん買っちゃお」
「顔はやめな!ボディにしろボディに!」
「俺はおっぱいがあれば何でもいい」
艶本を回し読みながら殴り合いを鑑賞する会にレベルアップしてしまった。やいのやいのの騒ぎの隙に、小平太はささっと酒瓶を掴んでラッパ飲みで全部飲み干した。部屋の隅に体育座りで死んだ目をしていた中在家長次が「もそ…」と小平太に声を掛けた。
「心配いらないぞ、長次!これくらいじゃ酔わん!」
やっと酒を奪われたことに気づいた同級生が「おい七松が全部飲んだ!!」と叫んだ。
「曲者じゃ!!」
「囲め囲めー!!」
いや俺ら全員曲者じゃね、誰かがゲラゲラ笑っている。
「なはは!みんなまとめて来い!いけいけどんどーん!!」
小平太は自分から混沌の中心に飛び込んでいった。
「ヒーローインタビューですぅ。七松選手、今回の勝因はずばり?」
「いけいけどんどん…」
殴り合いに参加しなかった同級生の一人が、仰向けに倒れて死に掛けている小平太を覗き込んだ。周りは死屍累々である。皆んなにとって幸運だったのは、保健委員会委員長の善法寺伊作がまだ実習から戻っていないことだ。いたら治療のために気絶させて来る。
小平太は鼻血を腕で乱雑に拭いながら身体を起こした。いつの間にか長次の姿がなくなっている。さては帰ったな。
意識のある者はよろよろ起きて片付けを始めた。外れて飛んでった戸を嵌め直し、寝落ちしている同級生の足を持って部屋へ引き摺り、壊れた箪笥は用具委員会委員長の食満留三郎(伊作と同じく実習のため不在である)の部屋に投げ入れた。ちなみに彼の同室は伊作であり、これの為にただでさえ荷物でごちゃついて狭い伊作のスペースはいつもの半分に圧縮されていた。不運である。
最後に散らばった艶本の一つを持ち上げた小平太は、ぺらりぺらりと開いてみた。
「あらやだ小平太ちゃん、ついに精通しちゃった?」
「馬鹿言えとっくにしてる」
同級生のダル絡みを軽く交わしながら、小平太は艶かしい曲線で描かれた女の裸体をぼやっと眺めた。
「そういや七松って許嫁がいるんだっけ」
「ああ」
「可愛い子?」
「見たことはない」
「ええ……」
「そういうものだろ」
「まあ」
はは、と空笑いした彼は、どんな女だったら良い?なんて軽く聞いてきた。小平太はしばらく押し黙った末に、「尻がでかくて元気な子」と言った。次の日には普通に学園中に広まってた。何故なら忍者に人の心はないからである。
長期休暇でもないのに帰ってこいと実家から連絡が来たのはその後すぐだ。許嫁の家に挨拶へ行くのだという。元々輿入れは小平太が学園を卒業してからと決まっていたが、もう来年に迫ったこの時機に一度顔合わせしようとのことだ。
父と連れ立って大名の屋敷へ赴くと、大名とその奥方が並んで出迎えてくれた。しかし末の娘の姿はなく、挨拶もそこそこに父たちは内密の話があると小平太を放って話し合いを始めてしまった。つまり許嫁のことなどついでで、本命は政治の話ということだ。よっぽど天井裏に潜り込んで聞いてやろうかと思ったがやめた。未だ父に気配がバレなかったことがないし、ついでに先客もいたので。
小平太は手持ち無沙汰に中庭をぶらりと歩いた。よく手入れの行き届いた庭だ。
母屋から庭を挟んで向かいに離れがある。何とは無しにそちらを眺めていると、女中が一人出てきて手招きをしてきた。
「七松様。こちらの離れに白雪の方がおられます」
「しらゆき?」
「七松様をお通ししなさいとお屋敷様から言付かっておりまして」
小平太は招かれるままに離れに上がった。すると、奥の襖がからりと開く。そこから覗いた顔に、小平太は知れず息を飲んだ。
「だあれ」
青ざめた真っ白い顔に艶々したぬばたまの髪。鼻も唇も小作りなのに、垂れ目がちな瞳だけはやたら大きい。痩せて背も小さく、線の細い女だった。これは人形だといわれたら信じてしまいそうなほど浮世離れしている。
女が着ている小袖も上等だ。絹は萌黄色に染まって、刺繍も華やかに装飾されている。この身なりはどう見ても大名の娘か、はたまた囲いの女か…。どきりと跳ねた心臓を悟られまいと、小平太は平然と笑った。
「わたしは七松小平太だ!」
「ななまつ、こへいた、様……」
娘は口の中で繰り返すと、勢いづいて平伏しようとする。小平太は慌てて一歩踏み出してそれを押し留めた。
「あ、わ、私、とんだご無礼を…!」
「無礼なことなんかないぞ!そちら、名は?」
「私は、皆から白雪と呼ばれております」
「それとは別に名があるだろう。何という?」
娘は零れ落ちそうな大きな瞳を殊更に瞠いて小平太を見た。沈黙がしん、と降りた。聞いてはならなかったか、と小平太が後ろ頭を掻こうとしたとき、か細い声で応えがあった。
「◯◯、と」
「◯◯殿?もしや末の娘御の」
「はい」
「なんと!」
白雪ではわからなかったが、◯◯という名には聞き覚えがある。小平太はまん丸の目を剥いて仰け反った。
「わたしの許嫁ではないか!?」
しばらくの間、二人は言葉を失って見つめ合っていた。運命に落ちた男女、ではなく、山で熊と目が合ったような緊張感に包まれている。なんならお互いがお互いを刺激しないようジリジリ動くという、異様な事態に陥っていた。その空気に割って入ったのが、先ほど小平太を離れへ案内してくれた女中だった。
女中は異様な雰囲気の二人をそつなく縁側の方へ誘導し、お茶を出して下がっていった。小平太はついその足音に耳を傾けてしまう。一瞬の違和感に内心首を傾げていると、お茶を飲んでやっと心落ち着けた◯◯が小平太に話しかけた。
「お、お初に御目文字仕りまして…」
「こちらこそ、光栄の至り!」
「ええっと、その、ご趣味は」
「バレーを少々…」
縁側に並んで腰掛けた二人は所在なく俯きがちにしょもしょもとちっさい声で会話を続けていたが、ぱちっと目が合うと、今度はどちらともなく「えへへ…」なんて笑った。
「あの、七松様は忍術学園に通われていると」
「小平太でいいぞ。学園も来年には卒業だ」
「小平太様。どのような学問を?寺院で習うのとは違うのですか?」
控えめだった娘が瞳を煌めかせてぱっと身を乗り出すので、小平太はその分己の上体を後ろへ下げてやった。ふんわりと甘く爽やかな花の香りがした。──どこかで嗅いだことがある。
「寺院で習うようなことも一通りだな。それに加えて忍の技を……」
「忍!」
「これが多岐に渡るのでな!わたしなぞ六年目だがまだまだだ!」
「まあ、大変なのですね。やはり、手裏剣なんぞを、こう、シュッと投げたり、煙を出してどろんって消えたりするのですか?」
「…………、まあそんな感じだ!」小平太はにぱっと笑った。「苦無で塹壕掘ったりもするぞ!」
「苦無…塹壕…?」
「細かいことは気にするな!」
「……やはり、男性ばかりなのでしょうね?」
「いいや、女子もいる。くの一教室があるのだ」
「まあ、まあ!くの一!?」
◯◯は無邪気に歓声を上げて手を叩いた。青白いかんばせにほんのりと赤みが差している。そうしていると、小平太の小さな弟妹が思い出されるようで、彼はここに来て初めて自然に顔が綻んだ。
「女だてらに忍びを目指す者もいるが、行儀見習いも多いな。しかしこれがまた恐ろしい女傑揃いで」
小平太はそれくのたまに聞かれたら殺されるぞ、というようなことを面白おかしく話して聞かせた。初め人形のようだった印象とは裏腹に、◯◯は小平太のくだらない与太話を一字一句噛み締めるように聞き入り、よく笑ってよく驚いた。
一区切りして小平太は◯◯の様子に気がついた。
「すまない、話し過ぎたか」
「いいえ。小平太様、もっとお話を聞かせてくださいまし…」
「無理するな。女中を呼んでくる」
◯◯はまた紙のような顔色をして、ふうふうと肩で息をしていた。驚かさないようにゆるりと立ち上がった小平太の服の裾へ、女のなまっちろい指が追い縋るように伸びて、逡巡して、落ちていくのを、小平太は黙って見ていた。
「白雪の方とは話せたか?」
屋敷からの帰り道にて、小平太の父は素知らぬ顔で聞いてきた。この父の正体を小平太はまだ掴みきれないでいる。とにかく『耳』が良いのだ。
「◯◯は具合が悪そうでした」
「幼少のみぎりにはお転婆で手を焼いたと聞いているが」
「わたしには勿体無い娘御に思います」
父は「ごねても覆らんぞ」と笑った。
そんなつもりで言った訳ではなかったのだが。
小平太は女から香った花の匂いを思い出していた。あれは金銀花だったのだと、今やっとわかったのだった。
学園に戻って数日経った頃、小平太は一人呼ばれて学園長先生の部屋に向かっていた。襖を前に膝をつくと、すぐ「入りなさい」と声が掛かる。
「七松小平太、参りまし……!?」
中にいる人を見て、小平太は息が止まるほど驚いた。
「な、なぜ?」
「ほっほっほ、驚いておるな。無理もない」
「いえ、あの、学園長先生!」
「行儀見習いで今日から三ヶ月ほど在籍することになった。体があまり丈夫ではないでな、目を掛けてやりなさい。ま、わざわざ儂が言うことでもないじゃろうがな!ワッハッハッハ」
そこには、くのたまの忍び装束に身を包んで居心地悪そうにちんまり座る◯◯がいた。