エンジョイ勢vs過激派② その日、◯◯は事務職員主任の吉野作造に声を掛けられ、伝蔵へ渡す書類を預かった。とにかく伝蔵への届け物は◯◯に任せておけば大丈夫、みたいな不文律が出来上がりつつあるのだ。毎日コツコツ積み上げた実績(ストーカー)のおかげだ。◯◯は喜んで拝命した。
伝蔵なら今日の戌の刻から出張のはずで、今の時間は授業を終えて職員室だろう。いつだって伝蔵のスケジュールをがっつり掴んでいる◯◯なのだった。
◯◯はルンルンと足取りも軽くスキップして、なんなら鼻歌まで口ずさんだ。物陰に隠れず大手を振って堂々と山田先生に話し掛ける機会など、こんなときにしかないので。
しかし、職員長屋を突っ切り目当ての部屋の近くまで来ると、◯◯はすん…と足音を忍ばせた。──クセになってんだ、音殺して動くの。
来客だろうか?妙に弾んだ伝蔵の声が聞こえる。もう今すぐ天井裏に飛び込みたい。だって今絶対あんまり見たことない顔で笑ってる!声でわかる!これは身内に対しての遠慮がないやつ!なんで私スキップなんかしてたのこの距離でわからない訳ないじゃんバカバカバカ〜!
「失礼します、◯◯です」
「入れ」
部屋の中には伝蔵と半助、そして伝蔵の息子の利吉がいた。◯◯は深く一礼する。
「吉野先生より山田先生宛の書簡を預かって参りました」
「ご苦労。下がって良いぞ」
「はい」
「ちょっと待って、◯◯」
「はぇ」
予想外に声を掛けられて、◯◯はへっぽこ事務員の小松田秀作みたいな声を出した。見ると半助がにっこにこ笑っていた。嫌な予感しかしない。
「◯◯、こちら、フリーの売れっ子忍者、山田利吉くん」
「どうも」
突然紹介にあずかった利吉は、急なことでも調子を崩さず爽やかに◯◯に笑いかけた。
「で、こちらが、くの一教室六年生の◯◯。山田先生の大ファンで」
「大ファン???」
「」
利吉は意味がわからんという顔をしたし、◯◯の顔色はみるみるうちに真っ青になった。
ガクガク震えながら半助を見ると、片目をぱちんとウィンクしてきたので、◯◯は内心半狂乱に陥った。今のはあれだ、お前の断頭台はここである、という意味だ。きっと。誰かあの片目にレモン汁飛ばしてくれないかな。
「死にとうない…!」
「お前は一休さんか」
「面白い子だろ?」
「授業の邪魔をしなければねえ」
「くの一教室で学んでいるのでは?」
「なぁんでか私の授業に潜り込んでるのよ」
「ワ……ァ……!」
「泣いちゃった」
泣いてる女子生徒をちょっと悪い顔して覗き込んでいる半助の姿は、客観的に見て、まあまあ、よろしくなかった。というかほぼアウトだった。しょうがないから伝蔵はその間に割って入ってやることにした。
「こら、生徒を泣かすな」
「泣かせたの山田先生じゃないですか」
「私が何をしたって」
「。山田せんせは悪くありません!」
女と男が伝蔵を取り合って(?)ギャアギャアやっているのは、利吉にはかなりキツかった。それも一年は組のよい子たちがコロコロと戯れるようなのであれば全く問題ないのだが、六年生のくのたまと二十五歳の独身男性でこれやられたら厳しすぎる。この絵面は問題しかなかった。しょうがないから利吉はこの空気を壊しに行った。
似たもの親子なのだ。
「わっ、私の父上なんですけどっ!」
「ウッ!」
わざとらしく頬を膨らませてぶちかました利吉である。
半助と◯◯は崩れ落ちた。致死量を超えたてえてえを浴びて文字通り死にかけた。わかっているのだ、プロ忍者の茶番であることは。罠でもいい。罠でもいいんだ。
ぶるぶる震えながら悶え苦しむ不審者二人を見下ろして伝蔵は溜め息を吐く。ゆるりと腕組みして息子の顔を見た。そこにはいつもの生意気な若造はなりを潜め、口元をへの字に結んだ赤ん坊がいた。
「利吉。お前な。もういい歳なんだから。そろそろ親離れしなさい」
「してますっ」
「キャッチボールでもするか?」
「しませんっ」
年頃の子はわからんなぁ、と伝蔵は思った。
足下では変質者二人がもう一度「ヴッ!!」と叫びながら胸を抑えてごろんごろん転がっていた。
もうなんもわからん、と伝蔵は思った。