信じるは救いに非ず「よう、親友」
実に久しぶり、というより数ヶ月間ぶりに会った彼に声をかける。人が離れて久しい教会廃墟に残されたステンドグラスがキラキラと日光を反射させていた。
「貴方がこんな所にいるなんて明日は槍でも降るんですかね?」
癖っ毛の紫がかった青がゆらゆら揺れる。
キリスト教を信仰していれば“彼”を天使だとかいうんだろうけれど、生憎俺は無神論者だ。故郷の神の名を貰っても神なんてものになんの魅力も感じなかったが。
ディーディリヒなら…でもあいつじゃ顔真っ赤にするだけか。
「俺をなんだと思ってるんだ?」
分厚い本のページを雑にめくる。
文字を追えど大した情報はない。
「だって、あなたは無神論者じゃないですか?」
「っは、神なんてたいそうな名だが中身なんざないがらんどうだろ」
降参とばかりに両手を動かし鼻で神を嘲笑う。
「やっぱり」
ため息混じりの返答が返ってくる。
中性的な容姿、癖をうまく使ったウルフカット。紫色が目立つ“彼”。
ステンドグラスの光が彼を、神々しく演出していた。
「お前さんやっぱ綺麗だな」
あいつが見たら泣くんじゃね?と思いながらそう言った。
「なに当たり前のこと言ってるんですか?」
多分、“ティボルト”という役はそういう設定って事だろ。俺が好きなお前は人間のお前なんだが…
場所のせいで随分会っていない妹の存在がちらつく。
『神は私達をお救いになられます』
眩しすぎる光が目を焦がす。
その先にあるのは永遠の暗闇でしかない。
祈りに自己暗示以上の効果はない。
延命治療。
「神って人間にとって都合の良い存在だからな」
生贄。
そう程のいい生贄。
何かあれば神という単語を出せばそれで済む。
「悲しいねぇ」
嫌味ったらしくそう言う。
不思議そうな顔の親友にお前さんも知ってるだろと目で語りかけた。
フル回転した頭の中は宇宙誕生の瞬間とばかりに連想した単語が散らかってる。
「ヘルメス。もう少しわかりやすくしてくれますか?」
シャボン玉のようにふわふわした声で思考が一度リセットされる。
「神って存在は人間っていう存在がいないと確定しないって事だ。聖書曰く、人より先に神がいる。だが、人がいないと神は存在できない。矛盾してるだろ。」
できるだけ噛み砕いて話す。
「…たしかに。おかしいですね。でも、」
“今の人間はそんなこと気にしない”
そうだ。ただ祈りたいから祈る。
自己満足、一方通行でしかない。
なのに信仰と仰々しく言っている。
人は自己暗示が好きだ。
自己防衛機能がそうさせるのもあるだろうが。
それにしては過剰に思える。
「神は常に生きていて死んでる。」
これは仮定だ。
要するに、シュレティンガーの猫なのだ。神は猫と同じだ。観測しなければ結果がわからない。生きてるし死んでいる。
生かすも殺すも、人間の思考次第だ。
モルモットよりも簡単に捨てられる。
あまりにも弱々しく哀しい生き物だ。
「ヘルメスの考えは難しいですね。そんなこと誰も気にも留めないですよ。かくいう俺も、役でなければ考えようなんて思いませんし」
ふふっと清楚な笑いが教会で響く。
「結論を聞いても?」
社交界でダンスを誘うように優しい声が鼓膜を揺らす。
猫が遊んだ毛糸のように絡まった思考を一本にまとめて口を開く。
「呪いと願いと契約ってとこだな。」
「呪いと願いはわかりますが、契約ですか?」
「人間側が一方的に契約を持ちかけるのさ。これをやるからこれをくれってな。雨乞いとかがその例って訳だ。っま、神の存在うんぬんは星を殺すって事くらい不可能、悪魔の証明だからな」
そういえば、悪魔の認識が最近はズレている気がするが。それを言えば天使も違う。
時代に流されたとするには少しばかりもったいなく思う。
「お前さんは綺麗だが、人間だよな」
「話飛びすぎじゃないですか?いいですけど。」
「人間にとって優しい言葉をくれるのは悪魔って話だ。だから悪魔の方が人間に近い造形なんだ」
「悪魔は酷くないですか?!」
聞き捨てならないと頬を膨らます親友にそう怒るなよと仮定の話を続けた。
「天使は人の形じゃなくていいし、世界を終わらせるのも天使の役目であって悪魔の仕事じゃない」
悪魔は誘惑だ。堕落への誘惑。
「お前さんは言葉で言うならファム・ファタルだ」
運命を狂わせる人。
それは見方によってはとても悪魔的なものに思えないだろうか?
「そういう役ならそうしますよ」
「役じゃなくても狂わせてるから安心しろ」
先輩の顔を思い浮かべてそう言う。
「なにが安心できるんです?」
食い気味に反論が返ってくる。
二人きりの教会でキリストの教えを背くような話で笑い合う。
「やっぱり開拓者(ヘルメス)は異端者ですね」
優しい青が刺す。
俺が祈るならきっと
どうか、どうか神よ。我ら罪人に裁きを。
こんなんで神に縋ったらそれこそ滑稽だ。
神になる気なんてこれっぽっちもない。
だから人間臭く行こうじゃないか。
俺は取りこぼしたものに執着するほど優しい人間じゃないからな。
神は死んだ。
人の手だけで未来に行く。
方舟に乗せる人間ならもう側にいる。