初恋アザミにキスをする 7「……で、デンジにまんまと逃げられたのか。ウヌは本っ当に、デンジのこととなると、無能じゃのお〰︎〰︎!!!」
翌日パワーに思いっ切り嘲られて、アキは眉間に深い皺を寄せた。
「………………俺は、何でお前に相談してるんだ……?焼きが、回りすぎだろ…………」
「相談に来たのは、ウヌじゃろうがあ!!」
パワーは拳で机をドンと叩いた。コーヒーとパフェの乗った机が揺れる。だが、ここは個室なので周囲の客への影響はない。二人は有名人なので、奥の部屋に通されている。
パワーとアキは、今世とても早い段階で知り合った。二人とも記憶があったからだ。彼女はスカウトされるままにモデルとなり、絶大な人気を博していた。芸能人同士、接触するのは容易であった。
「だからワシも一緒に住むと言ったのに。どうせ二人きりで居たかったんじゃろ?それで手を先に出しおるとは!このムッツリめ!!」
「う。違う…俺だけじゃなくてお前までいたら、あいつが混乱するかもしれないと思ったんだよ!」
「甘いのお!!アキおぬし、デンジにはちと過保護すぎるわ!!」
「過保護、か……そうなんだろうか……」
アキは一気に淀んだオーラを出し、頭を抱えた。先ほどからずっとこうである。いつでも冷静沈着だった前世は、よほど自分の感情を抑えていたのだろう。
パワーはその様子に呆れながら、パフェを掬う。いちごのたっぷりのったフルーツパフェに、ワッフルのついたチョコバナナパフェ。今日の相談料として、前払いされたものである。
「俺は、多分『今』のあいつをちゃんと見てやってなかった。過保護なんて形容されるようなものじゃない……」
「……それじゃが。本当に、そうなのか?ウヌは十分すぎるほど、今のあやつを大切にしていたと思うがの。ウヌが好きなのは……本当に、『前世のデンジ』だけなのか?」
「それは違う……!」
これに関して、アキは丸一日考えて答えを出していた。
「俺は…あいつが好きだ。前世も今世も、デンジはデンジだと思ってるし、どっちも含めて好きなんだ」
まっすぐな目で断言した後、アキはまた頭を抱えて項垂れた。
「……でもそれじゃあ、あいつを悲しませるんだろうか……?」
デンジは『浮気』だと言った。これは不誠実なことなのだろうか。アキにはわからない。
しかしパワーは、あっけらかんと答えた。
「別にいいじゃろお!あやつは基本、超・適当じゃ!そんな細かいことを気にするタチでもあるまいに。ウヌ、どうせ……前世の話を、極端に避けていたんじゃろ?」
「ぐっ……それは、確かにそうだ……」
「あやつといる時に、前世を思い出して辛気臭い顔をしとったんじゃないか?多分デンジは、ウヌのせいで不安になったんじゃろうて」
「……っ」
思い当たる節がありすぎる。
パワーは大層な馬鹿だが、デンジの心の機微には敏感であった。IQ500だとは全く思わないが、悪魔は人の心をよく感じ取る生き物だ。人間に生まれ変わってもなお、彼女の指摘は鋭かった。
確かにアキは、前世の話をデンジにすることを極端に避けていた。できれば思い出さず、幸せに過ごしてほしいと思っていたからだ。
その一方で、デンジといると前世の後悔や未練を思い出してしまい、悲しそうな顔をしてしまう時があったと思う。キスをしている時は特にそうだった。キスは、前世の二人の"別れ"の象徴であったから。
アキのそういう態度がデンジに不安を与え、彼を思い悩ませたのだろうか。しまいには『前世のデンジ』の代わりにしている、とまで、考えさせてしまったのかもしれない。
「まあ、デンジは寂しがりで焼き餅焼きじゃから、拗ねたんじゃろ。前世の事情くらい、最初にきちんと話してやれば良かったじゃろうに!阿呆じゃのお〰︎〰︎。アキはだいたい、難しく考えすぎじゃ!!」
パワーはパフェスプーンでビシッとアキを指した。行儀が悪いと叱りたいが、今は相談に乗ってもらっている最中なので、アキはぐっと堪えた。阿呆と罵られても、ここは教えを乞わねばなるまい。
「そうなのか……?でも、あいつはもう俺の元を去ったんだ。これからどうすれば……」
「だぁから!そういうとこじゃあ!!このド阿呆が!!あいつは単純なんじゃから、ちゃんと気持ちを伝えれば良いだけじゃろうが!」
「だが、どうやって?俺にはもう、取れる手段がねえ……」
パワーは腕を組んでふんぞり帰った。その瞳が力強くアキを射抜く。
「ノーベル賞級の天才、パワー様が特別に教えてやる!!お前には、方法があるじゃろ!!……歌じゃ!!」
「歌……?」
アキは手を組んで考えた。確かに歌なら、メッセージを伝えられる。しかし。
「……あいつはネット環境ねえぞ、多分」
「街のいつどこにいても流れまくる、大ヒットにしろ!!!」
「…………!無茶を言う」
アキはそう零しながらも、希望を見出していた。デンジがどんな場所にいても。例え困窮していても。耳に入ってくるくらいの大ヒットにする。
今世のデンジは前の記憶がなかったが、既にアキの歌声を覚えた。それならば、少しでも耳に入れば気づく可能性が高い。
「ウヌならできるじゃろうが。目指せミリオンヒットじゃあ!!!」
「……今はCDの売上じゃねえ。再生数で競うんだよ」
パワーの知識は大分前世に引きずられ、アップデートされていない部分がある。
だが、その提案は的を得ていた。
「ありがとな、パワー。やってみる」
「うむ。はよくっつけ!!じゃないとワシが、一緒に住めんじゃろうが!!」
「……待たせて悪いな、本当に」
「全くじゃ。じゃあ、これとこれ、追加での」
パワーは季節限定のメロンパフェと、抹茶と桃のパフェを指差した。
――こいつ、モデルとしての節制とかないのか……?
アキは心底呆れながらも、黙って注文にオーケーサインを出したのであった。
それからアキは、寝食を忘れて曲を作った。
これまで作ったアキの曲は、だいたいがデンジのためのものだったが、今回は初めてのラブソングだ。
最初で最後のラブソング。
必ずヒットにしなければならない。デンジに届けなければならない。彼がどこにいても――例え地の果てにいても見つけ出すための、ラブソングだ。
アキは、諦めの悪い男だった。
血を吐くようなストイックさで周囲を驚かせながら、彼は最短で曲を作り上げ、すぐにレコーディングに入った。
――デンジ。
どうかこれを聴いて、俺の元に帰って来てくれ。
♦︎♢♦︎
デンジはホームレスに戻った。
けれど一度手にした温かさを一気に失うことで、身体をすっかり壊してしまった。結局、学校でできた友達のレゼと吉田の助けを借り、体調の悪い時は匿ってもらいながら生活をしていた。
アキを突き放したくせに、結局アキがしてくれたことの恩恵を受けてしまっている。それに、彼らに聞くところによると、学校は休学扱いになっているらしい。退学になっていないのは、アキがそうしてくれているからだ。
――アキは、まだ俺を捨ててない。
そう思ってしまう自分が、デンジは惨めだった。
アキに見て欲しくて彼を傷つける一方で、アキがまだ自分を捨てていないと確認して喜んでいる。結局自分がどこまでもガキであることを、デンジは改めて突きつけられていた。
それでも、アキの元へ戻るつもりはなかった。
あんなに傷つけておいて、デンジには戻る資格がない。
それに、平気な顔をして一緒に暮らしていくことは、多分もうできなかった。
本当は――ずっと一緒だった半身をもぎ取られたかのように、辛くて苦しい。
夏の空みたいな青い目を見たい。
駆け寄ってその匂いを嗅ぎたい。
タバコの味がするキスをされたい。
料理をする魔法の手に見惚れたい。
優しい歌声に浸りながら眠りたい。
アキのことがどれだけ好きであったのか、今になってまざまざと思い知る。
デンジは毎日ポチタを抱き締めて、外の凍える寒さに耐えていた。
そんなある日のことである。
デンジがふらふらと街を歩いていると、あの大好きな歌声が聞こえてきたのだ。
デンジが聞き間違えるはずのない、歌声だった。
目を見開いてぎしぎしと振り返ると、ビルの巨大電光掲示板に、澄み渡る青い目が映っていた。
「きゃー!早川アキだ!」
「新曲良いよね。『初恋アザミにキスをする』」
「アキのラブソングなんて初めてだもんね。ほんとカッコいい〜、もう無理」
「再生数マジでやばくない?」
「今年のレコ大、ぜったい取るよね」
隣で女性達が黄色い声を上げている。けれどデンジは、それどころではなかった。
しっとりとして切ないギターリフにのせて、アキの歌声が流れてきたからである。電光掲示板には歌詞が表示されており、デンジの目はそれに釘付けになった。
♪
君に二度目の恋をした
見つめる瞳が可愛かったから
鳥になって飛びたい
そしてまたキスがしたい
君のことをもっと知りたい
だからどうか戻ってきてくれないか
俺の初恋アザミ
初恋で俺は一度死んだんだ
痛みはまだ残ってる
けど俺はずっと見てた
君のことをちゃんと見てたよ
君のおかげで生き返った
もう二度と君を置いていったりしないから
だからどうか戻ってきてくれないか
俺の初恋アザミ
………………
デンジはそこに縫い付けられたみたいに、一歩も動けなくなってしまった。
両目からは滂沱の涙が落ちていく。
「俺は一度死んだんだ」のフレーズで、デンジは自分の全身の血の気が引いていくのを感じた。
フラッシュバックのように、さまざまな光景が脳裏に蘇ったからだ。
殴り合った痛み。
三人で食べたアイス。
アキを殺した匂い。
悪魔たちの悲鳴。
ただいまと帰る家。
開けてしまったドア。
三人から、ひとりぼっちに戻った、前世。
そこで、「もう二度と君を置いていったりしないから」とアキが歌ったので、とうとうデンジはしゃくり上げ始めた。
――何で。
何で忘れてたんだよ。
あんなに大事だったのに。
前世から、アキしか好きになれなかったのに。
せっかく今、アキが生きてんのに!!
デンジは駆け出した。泣きっぱなしで鼻水が垂れているとか、道行く人が驚いて避けているとか、とにかくどうでも良かった。
無我夢中で走る。前へ前へ前へ。
――アキが辛そうな顔して、当たり前だろ。
前世でアキのことを殺したのは、誰だよ!
アキは多分、ずっと自分を責めてた!
俺に自分を殺させたこと。
俺を置いてったこと。
きっとキスのたびに、思い出してた!
何も知らねえで、つまんねえ嫉妬して、馬鹿みたいだ。
「何で忘れてたんだよ、俺ェ!!!」
大声で叫びながら、しかしデンジはふと思い至った。
前世を忘れていた原因に。
前世の……喪失。絶望。苦悩。
――ああ、そっか。
デンジは進む足をゆるめ、自分の心臓を押さえ込んだ。
そのままぐしゃりと顔を歪める。
――多分俺は、またアキしか好きになれなくなるのが怖かったんだ。
だから、前世を思い出さなかった。
本気で好きんなったアキを喪うのが、あんなに辛かったから。
また置いてかれんのが、すげえ怖かったから。
そんで結局……今度は自分から、アキを置いてったんだ。
最低だ……!
♦︎♢♦︎
デンジは河原で待っていたポチタを抱え、さらに走り続けた。
そうして、息を切らしながら走って走って、ようやくアキの家に辿り着いた。
駆け出したのは昼間だったが、もうとっぷりと日が暮れて夜になっている。ポチタはデンジの足元で、気遣うように見上げていた。足が疲れすぎて棒みたいになっていて、身体じゅうは汗だく。多分髪も顔も、何もかもぐちゃぐちゃだ。
でも、それでも良かった。
一刻も早く、アキに会いたかった。
――アキは置いてかれても、俺のことを諦めないでいてくれたんだ。俺のために曲を作ってくれた。
だから俺は、ちゃんとアキに謝る!
そんで、そんで…………
「デンジ!?」
慌ててドアを開けたアキが叫んだので、デンジはその胸に勢いよく飛び込んだ。
アキ。
アキだ。
「アキ!!」
デンジはそのままアキの胸元を掴んで引き寄せ、思い切り下手くそなキスをした。がちりと歯がぶつかる音がする。
「アキ!俺、また、アキと!キスしに、戻ってきた!!……今度は、俺がアキを置いてっちまってさあ!ごめんなあ……!!」
アキはその青い目をさらに見開いて、デンジの頬を両手で掴む。ひどく慌てた様子で、その顔を覗き込んだ。
「デンジ…!?まさか、思い出しちまったのか!?」
「アキの歌聴いたらさあ、思い出した!!俺……たぶん、思い出さないようにしてた。アキにまた置いてかれんの、怖かったから。なのに、つまんねえ嫉妬して、ごめん……」
デンジがぐしゃぐしゃの顔で泣きながら笑うと、アキはまるで、ナイフで刺された痛みを堪えるみたいな顔をした。
――ああ、そんな顔して欲しくない。
笑ってて欲しいんだ、アキ。
デンジは必死に言い募る。涙は制御を失ったまま、止まらない。
「でもさあ!俺、またアキのこと好きになったぜ!忘れてても、関係なかった!だから今世はさ、もっともっと………………いっぱい、キスしてくれよ!!」
それを聞いたアキの目からもまた、涙がぼろりと零れた。彼もまたデンジを引き寄せて、勢いよくキスをする。
「ん!ぅ…………っ」
「…………デンジ…………っ」
お互いに食み合うみたいに、激しく口付け合う。
一つになりたい。
もっと、二度と離れられないくらい。
「デンジ、俺も。お前のこと、また好きんなった。今度は……一緒に、生きてくれ」
「おー。俺な、アキ。俺、ずっと……ずっとこうしててぇ……」
アキは堪らずといった風に、くしゃりと顔を歪めて言った。
「俺も……お前の全部に、一つ残らずキスしたい」
美しい涙を滝のように流しながら、冷たい唇を耳につけてアキは囁いた。デンジを抱き寄せるその腕は、小さく震えている。
「お前を抱きたい……デンジ」
デンジは泣きながらもなお、幸せそうに笑って了承した。すっかり冷えたアキの身体を、温めたいと思ったから。
「うん。いーぜ。してくれよ……アキ」
それは冷たい風が吹き荒ぶ、寒い冬の日のこと。
二人と一匹は抱き合いながら、暖かな家の中に入って行ったのだった。