休日B ぶんぶん手を振りながら近づいてきた男がデカい声でこっちに向かって「日曜日なのにすみませんー!」って言ったのに対して隣の遠野が「今日が日曜日なのは君のせいじゃないよ」と返した。それがどういう意味なのか咄嗟にわからなくて顔を見たら、なんか……外向けのうさんくさい笑顔だった。冗談のつもりなのか、もしかして嫌味なのか。知り合いだって聞いていたが、別に仲良くはないみてえだ。
相手は特に気に留めてないのか、担いでいたデカいバッグを地面に下ろしながら挨拶もそこそこに今日の段取りについてべらべらと話し始めた。それを話半分に聞き流しながらオレらは連れ立って、地下のライブハウスに入る。と言っても今日はステージに立つわけでも裏方やるわけでもなくて、オレは初対面で遠野よりは年上に見える彼は自主製作映画を撮っているらしく、急遽、今からでも内部を撮影に使わせてもらえるハコがないかって遠野に連絡してきた。それが今朝の、八時すぎくらいの話だ。昨晩から遠野の家に泊まっていたオレはその時点でこいつが少し嫌そうな顔をしていたのを傍で見ていた。なら断ればいいだろって思ったんだが、どうやらそうもいかない関係の相手らしい。
今日は一緒に出かける予定だった、つってもどこに何時からと決めていたわけでもねえし、じゃあオレはその辺で練習なりトレーニングなりしてるから終わり次第合流するか、って言ったら遠野の顔がほんの少しだけ、曇ったように見えたから、邪魔じゃねえならついてくけど……? なんて事情も知らないのに言ってしまった。
遠野が紹介したのはビビッドストリートじゃなくて隣町の、オレは初めて行くところだった。地下のワンフロアだけの小さなハコに、ずらずらと撮影機材を抱えて知らない奴らが五人くらい入ってくる。オーナーは鍵だけ貸してくれて立ち合いは遠野がやるって話になっている。オレはやることもなくて遠野の隣にただ突っ立ってるだけのヤツになってる。けど遠野も遠野で彼らの手伝いをするわけでもなく、終わるまで完全に暇だった。
午後にはこのライブハウスも営業が始まるから、撮影は急ピッチで進む。ステージに役者らしい人が立って、カメラを担いだ人と何か話している。ぶつ切れのアンビエントっぽい音を流しているが、ステージに立ってる役者は別に歌ったり演奏したりするわけじゃねえっぽい。
遠野はオレのキャップを目深にかぶって妙に静かにしていて、ただでさえ薄暗いところにいるのに表情もよくわからない。遠野の家に置いてたのを勝手にかぶってきてるんだが、今こいつが着てるセットアップにそれはまったく似合ってない。
少しはずすな、って遠野に合図して歩きはじめたら何も言わずにトイレまでオレのうしろをとことこついてきた。様子がずっと変だ。不機嫌なのか? 予定がつぶれたから? でもいつもなら不満もすぐ口に出すようなやつだから、黙ってるのは違和感ある。
さすがに心配になって、フロアの端に戻って顔を覗き込んだら、目が合った遠野は口の両端を持ち上げて首を傾げた。しゃべらねえ。顔を近づけて、「どうした?」って聞いたらやっと、手で口を覆って「あめなめてる」って舌足らずに答える。なんだよ、心配して損した。……こんなこと別に気にすることでも何でもないんだと思うが、普段は飴でもガムでもわざわざオレに一言断ってから口に入れるから、やっぱりいつもとは違う、ように感じてしまう。
遠野が「いる?」ってジャケットのポケットをごそごそしだしたのにどう答えようか、「いー、」と先に発音してしまってから、少し考えて、「る」に着地する。すると遠野は息で小さく笑って「うなぎ」とつぶやいた。「は?」……うなぎ味の飴? 手渡された小さい袋をじっと見たらいつも遠野の家にあるはちみつの飴だった。びびった……うなぎ? なんかの冗談か?
遠野はまた横を向いて黙ってしまったから、オレも黙って飴を口に放り込んだ。
撮影も終わって片づけて預かっていた鍵を出勤してきたこのライブハウスのスタッフに渡したらやっと解放だ、時間を見たらまだ十四時だった。
夜営業の店が多い通りだからそんなに人も歩いてない。遠野がオレの手を握って、そのまま「う~ん」と息を吐きながら上に大きく伸びをしたのに引っ張られてふらついて、遠野に寄りかからざるをえなくなる。「おい」って笑ってみるけど、わざと強引っぽく振舞うのもやっぱり珍しい。もしかして体調が悪いのかもしれない。
「どうした?」て今日何回目かで聞いてみるが、でも「ありがと」とだけ返される。答えになってねえ。やっぱりなんかオレに言ってないことがあるっぽい。
向かい合って顔を触ったら熱はなさそうだったから、そのまま伸びあがってキスしてみたら、驚いたみたいな顔になった遠野から「俺が悪かったけど理由わかんないうちから機嫌取ろうとしてそういうことしなくていいよ」、みたいなことをばーっと言われて、なんでオレが怒られてんだってイラっとした。なんなんだよこいつ今日。マジですげえムカついたから咄嗟にジャケットの内側に手突っ込んでくすぐった瞬間、わーって悲鳴みたいな声をあげて遠野は地面に膝をついた。勝った。こいつ、くすぐりに異常に弱いんだよな。
しゃがんだ瞬間ぽーんと飛んでいったキャップを拾い上げてやってる間もずっと笑いころげている遠野を見て安心して、やっと思い出したけど、ここ外だった。しまった。完っ全に忘れてた。視界の端で開店準備をしてるエプロンの店員がオレ達を見てなんか妙に微笑まし気に笑ってるのが目に入っちまったけど、見なかったことにしてえな……。