過去logワンライ「落ちる」「舌」(新彰) 今日は朝からなんか調子が出なかった。夜にはイベント、ってほどじゃねえけど知り合いの依頼で久しぶりにソロで歌う予定があるから、気合い入れないといけねえってのに。
何が上手くいかないかっつーと、妙に物を落とす。落としたものを拾おうとしてまた落とすなんてことも続く。授業中消しゴムを落として、拾ったらまたすぐ手に当たって吹っ飛ぶ。自動販売機に小銭を入れようとして落として、続けてお釣りを戻そうとした財布のほうを落とす。昇降口で靴履くときにタオルを落として、隣のクラスのヤツがわざわざ追いかけてきてくれもした。スマホは落ちた場所がちょうどジャージの上で助かった。いつもはこんなことめったにねえのにな。
情けねえけど連日の練習とバイトで疲れが溜まっているのかもしれない。朝から手元がおぼつかねえ。だが気分が悪いかって言うとそんなこともねえ、浮ついてるってのが近いかもな。
いちばん最悪だったのは、朝イチでトーストのジャムを塗ったほうが下になって床に落としてしまったことだ。どうしてよりによってジャムのときに、なってほしくないときに限って裏返るような気がする。昼休みに飯食いながらその話を冬弥にしたら、
「裏か表かの確率はあくまでも二分の一だから、裏返って落ちるときのほうが衝撃が大きくて記憶に残りやすい、ということなのかもしれない」
だと。
……まあ、納得できるような、できねえような?
っつー話を、夜、ライブハウスのスタッフルームに入った途端カバンの中身を盛大にぶちまいて、今日に限って教科書やらノートやらを持ち帰っていたから、先に来ていた遠野が拾い集めるのを手伝ってくれているときになんとなく世間話としてしゃべった。
「あはは、それわかるな」
しゃがんでいた遠野はプリントを揃えながら顔を上げて笑って、頷いた。
「俺も前ね、保湿クリームのふた開けたまま床に落っことしたらちょうどひっくり返って、テクスチャ固めのやつだったから中身半分くらいは無事だったんだけど」
ボゴ! ってすごい音鳴ってさ。手のジェスチャーつきのその言いかたが妙にツボにハマってって笑っちまった。ンはは。
「しばらく床がすべりやすくて大変だったよ」
滑って焦る遠野を想像してにやり。ふだん余裕ありげに振舞ってるこいつもつるつるの床には勝てねえってわけだ。そりゃそうか。
拾いおわったペンケースを手渡されて、悪ぃ、と顔を上げると「いいえ」、にっこり顔の遠野と目が合った。
「つかどっち先出るよ」
「じゃんけん」
「あ?」
「うそうそ、俺先のほうがいいかな」
雰囲気的に。と遠野は名ばかりのスタッフルームからフロア全体が見えるほど小さな箱内を見渡した。
今日はスタッフもいねえしリハも調整も自分たちでやる。機材から伸びる不必要に長いケーブルをバラけさせ、自分のマイクに持っていったら端子を差し損ねて手から落としてしまった。反射的に遠野のほうを見たら、にや~と口角を上げている。ばっちり見られていた。
「……マイクは絶対落とさねえから、いいんだよ」
「いいね、かっこいい」
自分でも意味わかんねえ虚勢を張ったら気に入られた。フン、と顔を背けてから気づいたが照れ隠しに見えていたら癪だ。
疲れが溜まってるかもなんて言ったがさっき声出しした感じじゃ喉の調子はかなりいい。よく言や変な力が入っていなくてリラックスできているってことかもな。
平日夜で出演者が少ないわりに客入りも良く、ライブは無事始まった。
なんて、殊勝なこと言ったけどオレと遠野が歌うんだからハコぱんぱんになんねえほうがおかしい。遠野が歌ってるのをステージ袖から見る。相変わらずついクソ……とか言っちまうくらいの歌声だ。ステージサイズ的に煽ったり踊ったりもなく歌を聴かせること重視のセトリで、腹の中から湧き上がる気持ちを押し殺しながら睨みつけた。
二曲続けて歌いおわり、遠野はMCで客にあいさつをしながらこちらに歩いてくる。つっても二、三歩程度の距離だ。ステージ隅に置いている水を飲もうとしてるんだろう。
かがんで拾い上げようとしたペットボトルを、遠野は取り損なった。あ、と思う間に、ペットボトルはポコンと音を立てて、落ちた勢いで床で跳ね返り、なんと遠野の手にするりと戻っていった。
偶然のことなのにカッコよくキャッチしたみたいになりやがって、なんなんだよ。
一部始終をぽかんと見ていたら、遠野はオレを見て一瞬、舌先をペロっと出して笑った。その遠野の照れたみてえな表情にオレはマジで無性にムカついたような気分になって、耐え切れずに舌打ちをして睨んだが、遠野はもうステージ中央に戻って涼しい顔で客に笑いかけていた。
まだ一曲も歌ってねえのに顔が熱い。