たのしいサーカス『おいで、おいで。良い子、悪い子、よっといで。』
頓珍漢な小太鼓のリズム、調子外れのラッパの音、低い男の声、高い男の声。
色々な音が混じりあって、奇妙で不気味な旋律を奏でる。
『おいで、おいで、楽しいサーカス。良い子、悪い子、よっといで。』
10人ばかりの男達が、チラシと紙吹雪を撒き散らしながら、小さな田舎町の大通りを練り歩く。
怪しい男達は皆一様に道化師の化粧を施し、その目元を仮面で覆っている。
赤や黒の派手な衣装、白塗りの顔、もじゃもじゃの黒い髪の毛。
『おいで、おいで、みーんなおいで。』
街の人々は彼らを遠巻きに眺め、ある者は興味本位でチラシを拾い上げ、ある者は窓の隙間から盗み見、ある者は慌てて子供を連れて家に帰った。
『おいで、おいで、楽しいサーカス。おいで、おいで、みーんなおいで。』
彼らを物陰から眺めていた少年は、恐怖と好奇心の狭間で足が動かず、かと言って目を離すことも出来ず、その場に立ち尽くしていた。
ふと、少年の目が集団の中心にいた人物を捉える。
一際鮮やかな赤色の衣装を着たその人物は、怪しい集団の中で唯一の女性だった。
上半身のラインにピッタリ合せた赤色のスーツに下半身は大きなパニエで膨らませたワンピーススタイルの彼女は、カツカツとハイヒールの音を響かせ、手にしたステッキを振り回しながら気怠げに歩いている。
美しい金色の髪を結い上げ、真っ赤なシルクハットをその頭に乗せた彼女は、男達に守られるように町を練り歩く。
町の男が彼女に声をかけようとしても、すぐに仮面の道化師達がその間に滑り込み、チラシを押し付けて通り過ぎる。
『おいで、おいで、楽しいサーカス。』
少年の目の前を、集団が横切る。
ぱちり、と女性と目が合う。
真っ赤な唇に笑みを乗せると、彼女は少年に軽く手を振る。
「(おいで、おいで。)」
彼女の唇が、たしかにそう動いた。
少年は、ぼんやりと彼女達の後ろ姿を眺める。
足元のチラシには、『たのしいサーカス』の文字と、簡単な地図、赤と黒のストライプのテントのイラストだけが描かれていた。