はじまりは銀色な / クロアス 祭壇へと長く伸びる赤い絨毯を、アステルは歩いていた。天井のステンドグラスから注ぐ光は、淡い彩りで床に影を落としている。一歩、また一歩とそちらへ近づいていけば、永遠の愛を誓う相手の様子がはっきりと見えた。
着慣れない裾の長いドレスやこれからの一連の儀式に緊張しているアステルへ、『大丈夫だ』と言うように優しい眼差しが向けられる。とくんと胸が高鳴ると、張りつめていた気持ちは身体の奥から沸き上がる柔らかで温かい想いに解されていった。足が進むごとに、これから始まる未来への喜びと幸福が満ちていく。祭壇の前に着く頃には、頬が色づく理由は希望に溢れたものに変わっていた。そのまま、いつの間にか諳んじる事ができるようになった宣誓を終え、隣の男性と向かい合う。
目の前に立つクロービスは、穏やかな笑みを湛えアステルを見つめていた。
「という夢を見たんですけど」
「……本人に直接その話をする度胸だけは評価してやろう」
「ええっ、でも他の人に話すのは少し気恥ずかしいですし」
「なぜ他人に話す前提なのかね……!」
「すみません。起きてからずっと頭を離れなくてつい」
テーブルの対面に座る申し訳なさそうなアステルに、まったく、とクロービスは深い溜息をつく。話を聞いている間は手をつけることができなかったティーカップを傾ければ、適温を失った紅茶が冷たく喉を濡らした。ここ最近は勇者として実績を上げ、サミットでは世界の希望として存在を示したものの、それは魔王との戦いが着実に迫っているということでもある。グランスレイヤーが決定していないこの状況で他の者に同じ事を言ったら妙な勘違いをされかねぬぞ、と釘を刺そうとしたところで、アステルの口から思いもかけない一言が飛び出した。
「それに『悪い夢は人に話すと正夢にならない』って先生から教わったので」
ぴしり、とここまで和やかだった空気が一瞬にして固まる。クロービスは僅かに目を見開き、急速に温度を失った声を努めて冷静に絞り出した。
「くだらぬ迷信だな。それに不本意かもしれぬが、仕方がないであろう。夢とはそういうものだ」
「でも、放っておいて好きでもない人と結婚する事になるのは嫌なんじゃ」
「……人の夢の中にまで責任は持てぬよ。それほど不快ならさっさと忘れたまえ」
眉間のシワをいつになく深め、クロービスは紅茶を飲もうとカップに口をつける。空になっているそれに一段と溝を深くすれば、困惑した顔のアステルと目が合った。
「なんだ。まだ言い足りないことがあるのかね」
「ええと、クロービスさんが私と結婚するのは嫌なんじゃないか、というつもりだったんですけど」
語った内容の通り、アステルにとってあの夢は、ふわふわとした心地で落ち着かなくはあったが、決して嫌なものではなかった。ただ、恥じらいから心の内に秘めることと、万が一にもクロービスの意思を無視するような結果となることを秤にかければ、結果は言うまでもないもので。怒られるか呆れられるといった反応を覚悟して話し始めたのに、蓋を開けてみればそのどちらでもない少し困ったような色が瞳へと宿っていた。
そこから正夢の話をした途端に、暗く何かを思い詰めたような翳りが過り、瞬時に消えた。そのまま続いた会話にどこか噛み合わないものを感じてよくよく反芻すれば、アステルが嫌がっている前提であり、クロービスから否定的な見解は返ってきていなかった。
それなら、と変わった表情が指し示す答えが、夢と同じく頬を染めていく。困らせてしまうかも、という躊躇いを押しのけて、確かめるための質問がアステルの口から滑り出ていた。
「つまり、その。もしかして、話さない方がよかった夢ってこと、ですか……?」
どのような回答であれ著しく物事の順序を変えかねない問いに、クロービスは言葉を詰まらせる。火傷をしそうなほどの熱が、舌に乗り意味を持ってしまうのは時間の問題だった。