キャンディタフトは甘やかに揺れる / クロアス----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
その名の通りに飴で出来ているかのように、小さな白い花は甘く香っていた。
「クロービスさん。頼まれてたもの持ってきましたけど、どこに置いておきますか?」
「ああ、机に空きがあるだろう。そこに頼む」
「はーい」
年代物の深緑の図鑑から目を上げ指示を出したクロービスは、すぐに意識を机に戻すとリストへチェックを入れる。本日この時間のクロービスの業務は、実験室での魔法薬の調合だった。王城に併設された植物園から運んできた花の色と香りに、何かを思い出したアステルはなんの気なしに口にする。
「そういえば、小さい頃にこの花を探してる魔道士様に助けてもらった事があったなぁ……」
「……ほう、それはまた貴重な経験をしたな」
「思えば、あれが私の初恋だったのかも」
初恋、という単語にクロービスの手は僅かに作業を止めていた。
そろそろ宵にも差し掛かろうという頃合い。薄暗い森の中で青年は佇んでいた。視線の先には、カンテラを掲げて不用心にも一人歩く少女の姿がある。不安げにきょろきょろと辺りを見回しながらも、足取りからして付近の村とは別の方角へと向かおうとしているようだった。
青年の経験則から言えば、この少女は無視するべき存在である。話しかけたところでまともに会話もできず、泣かれるだけ泣かれて迎えに来た親にこわごわと遠巻きにされるのが関の山だ。気にはかかるものの、ここに来た目的はそれではないしすぐに保護者も来るだろう。そう静観を決め込んだ青年は、気取られぬよう踵を返そうとした。
「ガアアアアッ!」
「きゃあああああっ!」
獣の咆哮と少女の悲鳴が辺りに響き渡り、一気に緊迫した光景が広がっていた。どこかの茂みから飛び出てきた思しきウルフが、獲物を見据え闇に爛々と目を光らせている。少女は驚いた拍子にぺたんと尻もちをついており、逃げ出すことも難しそうだ。咄嗟に杖を構えた青年は、目標を正確に見定め、手に籠めた魔力で簡易魔法を放った。
「ファストマジック!」
数発放たれた魔法は個々の威力は低いものの、急所を的確に捉えて相手を怯ませることに成功する。身の危険を感じた魔物は怯えたような鳴き声を上げると、そそくさと退散していった。
「……大丈夫か?」
行きがかり上、助ける形となった青年は、少女に駆け寄ると恐る恐る無事を確認する。初歩の初歩として長年鍛え抜いたこの魔法を青年が外すはずもなく、万一掠ったとしても怪我をしない程度へと抑えてはあった。だから、目下の問題は、被害の状況ではなくこの話しかけるという行為そのものである。顔は生まれつきだから諦めるにしても、殺生は可能な限り避け、なるべく優しく話しかけたつもりではあった。ただ、悲しい事にそれでも今のところの勝率は0%だ。
幾通りもの悲観的な想定を胸に、青年は身構える。そんな緊迫した空気とは裏腹に、少女はにっこりと笑っていた。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
確かに自分へと向けられた笑顔に、青年は瞠目する。里を出てから初めての白星がついていた。
わたしアステルっていうんだ、から始まった根掘り葉掘りの質問タイムが幕を開けている。
「お兄ちゃん、どこから来たのー?」
「ねえねえ、そのきらきらはなぁに?」
「見たことないぼうしだー! わたしもかぶってみてもいい?」
この辺りでは旅人は珍しいのだろう、アステルは答えも待たずに思い付いたことをぽんぽんと投げていった。これは全てに答える義務はないな、と若干うんざりしつつ、青年は要点にのみに絞って会話を行う。
「君の村はどっちだ?」
「んとね、あっちー」
アステルは青年が頭に入れてきた地図通りに付近の村、タントリーベの方角を指していた。このまま迎えが来るまで保護するよりも連れて行ってしまった方が手っ取り早いか、と方針をまとめる青年に、アステルは更に問いかける。
「お兄ちゃんは何してるの?」
「……この花を探しに来たんだ」
使い込まれた緑の表紙の図鑑を取り出すと、ある一ページを青年は指差す。魔道の研究に必要なその花が、グランロットではここでのみ採取できると聞き、青年は遠路はるばるこの地を訪れていたのだった。
「あっ、わたし、このお花をつみに行くんだよ!」
「何?」
「あっちの方にいっぱいさいてるんだー」
無邪気に示された小さい指の先には、獣道すらなく鬱蒼と植物が生い茂っている。ここで方向だけ聞き出せたとしても迷うであろうことは明白だった。折角の手がかりを有効活用するために青年は取引を持ちかける。
「では、護衛してやるからそこまでの案内を頼めるか?」
「ごえい?」
「……報酬に君を村まで送ってやろう」
「ほうしゅう???」
「…………」
話せば話すほど、なぁにそれと言わんばかりに首の傾きが大きくなっていくアステルに、青年はむうと顔を顰める。青年は敬愛している両親の教育の賜物で、隠れ里の暮らしにしては訛りの薄い発音を会得していた。王国務めとなってからは、気の合わぬ同僚の指導にも耐えて完璧に矯正されているのだから、発話の基本的な技術は遜色ないはずである。
だとするならばやはり言葉選びの問題か、と青年は見当をつけ、可能な限り要望を噛み砕いた文章を構築した。そのまましゃがみ込みアステルへと目線を合わせると、最大限に譲歩した意思疎通が開始される。
「お兄ちゃんが、アステルを、守ってやる。ここまではいいな?」
「んーと……。うん」
不慣れながらも子供向けの翻訳は功を奏したようで、アステルはややあって肯定を返す。どうにか通じたような反応に安堵しつつ、青年は話を続ける。
「その代わり、アステルは、お兄ちゃんを、お花のところまで、つれて行く。そういう契や……やくそくを、したい」
これでどうだ、と青年が祈るような気持ちで見つめる中、アステルは小首を傾げ目を瞬かせる。何度かの反芻の後、突如内容が繋がったようで、わかった!と元気な声が返ってきた。
「ようやくご理解いただけたようで助かるよ……」
「ご理かい?」
「……それはもういい。では、出発だ」
「うんっ、こっちだよ!」
教えられることが嬉しいのか得意げに駆け出すアステルに、青年は転ぶなよ、と忠告をして見失わぬようついて行く。こうして即席のパーティーは、暗さをいっそう増した森の中を進んでいったのだった。
しばらくアステルの先導で道なき道を進んでいくと、キラービーが行く手を遮るように飛んでいるのに出くわした。こちらに気付かれぬうちに牽制して追い払うか、と青年が杖を構えようとしたところで少女はカンテラを足元に置く。青年が何事か問う間もなく、見ててね、と少女は魔物へと何かを放り投げる。
「くりえいと!」
にぱぁっと慣れた手付きでアステルが両手を叩くと、キラービーを閉じ込めるように瞬時に結界が出現した。驚いた魔物が右往左往するうちに、すかさず赤、緑、青、黃、紫のカラフルで小さなタライが多段ヒットする。その中の赤のタライがタイミング良く弱点をついて、きゅうと目を回した魔物はそのまま昏倒した。青年は転がるタライに桜や向日葵、兎の模様を見止めると、この魔道具の製作者の徹底ぶりに戦慄する。
「ふふっ、すごいでしょー」
「……これは、誰かからもらったのか?」
「うん! 先生はすごいんだよ!」
こんな辺鄙な土地にこれほどの術者がいるのか、と世界の広さに驚く青年に、アステルはいっそう得意げに話を続けていく。そうしてこのあとの道中は、たっぷりと『先生のすごいところ』を聞くことになったのだった。
生い茂る草花をかき分けて、木の根に気を付けて進んでいると、急に開けた場所が見えてきた。
「ここだよ!」
アステルの指差す先には、求めていた白い花が一面に群生している。近くに寄ってみれば、特有の甘い香りも漂っていた。
「お兄ちゃんもだれかにあげるの?」
「いや、あげるわけでは……」
「もしかして、お兄ちゃん、お友だちいないの?」
真っ直ぐで無垢な瞳が、幼さ故の容赦のない質問を投げかけていた。青年がどう答えたものか返事に窮していると、無言を肯定と取ったアステルはきっぱりと宣言する。
「じゃあ、わたしがお友だちになってあげる!」
「……軽々しくそういうことは言うものではないぞ」
「? どうして?」
「お兄ちゃんは、悪い人かもしれないだろう」
「わたしを助けてくれたのに?」
「……君を守った力は、君を傷付けることもできるのだ」
随分と懐かれてしまっているが、青年にとって現実は現実である。殊更に自身を卑下するつもりはないが、良い面ばかりを伝えて事実を誤認させるのも正当ではなかった。帰り道にもし本格的な戦闘にでもなって泣かれたら面倒だ、という想像は行きよりも気を重くさせている。
青年の言葉にアステルはううんと首をひねり、考え込む素振りをみせていた。青年を見て、指折り数え、また何かを考え始める。そうした幾度かの繰り返しを経て答えを見つけたアステルの瞳には、きらきらとあたたかな光が宿っていた。
「やっぱりお兄ちゃんはいい人だよ?」
「……なぜそう思う」
「お花のことを聞く前に、わたしのお家を気にしてたもん」
だからほら、やくそくね、とアステルはいっとう綺麗な一輪を選んで差し出す。青年は躊躇いがちにそれを受け取ると、ありがとうと小さく呟いたのだった。
懐かしい記憶を辿っていたアステルは、それから私はしばらくしたら疲れて眠ってしまってこれ以上は覚えていないんですけどね、と話を締めくくる。村まで送ってもらったらしいですし思い出せるといいんですけど、と当時を振り返る様子には、正解に迫る気配はなかった。
「ああでも、そういえばそのあと、村で『魔道士さまごっこ』が一時期ブームでしたよ」
「……『魔道士さまごっこ』?」
「自分で考えたかっこいい呪文を唱えながら、くっつく植物の種を相手に向かって投げ合うんですよ。確か種が多くついた方が負けだったかなぁ」
スラッシュが物凄く強かったんですよね、と懐かしげにアステルは話す。思わぬところで新たな郷土の遊びの誕生を知ったクロービスは、子供の逞しさに複雑そうな表情を隠せていなかった。
「うーん、お名前を聞きそびれたので難しいですけど、グランロットの魔道士団の人だったりしないでしょうか」
「……見つけてどうするつもりだ」
「当時は言えなかったお礼を言って……。約束もしましたし、お友達になれればなって」
「その者は自分の役割を果たしたに過ぎないだろう。……もう七年も前の事を覚えているとも思えぬがな」
あれ、何歳の頃だって言ってたっけ、とアステルの心にほんのりと疑問が浮かぶ。クロービスは図鑑へと栞を挟み、おもむろに立ち上がった。
「休憩にするぞ。アステル、執務室に茶を頼む」
「あっ、はい!」
足早に移動を開始したクロービスに、アステルはぱたぱたとついて行く。二人の去った室内で、色褪せた約束の印はページの合間に静かに揺れていた。