リボンを解いて スティーヴンの住むアパートの前に着き玄関を潜る。エレベーターに乗りボタンを押してからポケットに入れてあったスマートフォンを確認した。
すると丁度スティーヴンからメッセージが送られてきた『もうすぐ?』と簡潔なメッセージがピョコン!と表示された。今中々大きなもので片手が塞がっているので右手でタプタプとキーボードを押して『今エレベーター』とだけ返した。それに直様『OK』の意味を示す手の絵文字が送られてきたのを確認して再びポケットにスマートフォンを仕舞った。
タイミングよくエレベーターが到着したのでそのまま降り、一番奥のスティーヴンの部屋を目指した。そろそろ通い慣れつつあるスティーヴンの部屋のベルを鳴らしドアが開けられるまでの十数秒を利用して身嗜みを整える。と言っても手櫛で髪を整える程度だが。
さして待ち時間もなくガチャリとドアが開かれチェーンの隙間からひょこりとエプロン姿のスティーヴンが覗いた。
「ジェイク」
俺の顔を見たとたんにぱりと笑うスティーヴンの何と可愛いことか。思わず釣られて頬が緩んでしまう。
「Hi、スティーヴン」
「Hi、ちょっと待ってね」
来訪者が俺なことを確認して一度ドアが閉められカチャリとチェーンが外される音がした。初めてスティーヴンの部屋にお招きされた時も今日のように予め来訪を知らせていたからドアの前まで来た時まさか相手も確認せずに開けたりしないよな?と心配しながらベルを鳴らした覚えがある。
だから思いの外慎重に確認するのを見て安心し、今後も続けてくれよと言ったのだがそれにスティーヴンはうんざりした様な顔して「散々言われてるから大丈夫」と言っていた。こればっかりは心配性の兄貴様々である。
「どうぞ、入って」
「お邪魔します」
再びドアが開けられ部屋に招き入れられる。そのままリビングへ進むとふわりといい香りがしてきた。食卓を見ると二人分のディナーが用意されていた。
今日は二月十四日。恋人たちの日とも言われるバレンタインデーだ。それに少し前に俺たちが付き合い始めて丁度半年を過ぎた。だからスティーヴンに十四日はどこかへディナーをしに行かないか、と誘ったのだが特別な日なのだしとスティーヴンの自宅でのディナーを提案されたのだ。
嬉しい提案ではあったがこの日は花を買う人間が増える。忙しいだろうし店を予約した方がいいのではと遠慮したのだがスティーヴンの「マークをレイラに貸し出すから大丈夫」という良くわからない案で納得させられてしまった。何なんだろうか、兄貴を兄貴の恋人に貸し出すって。
ともかくスティーヴンが大丈夫と言い張るのでそれなら、とディナーはこうしてスティーヴンの部屋で取ることになった。張り切って準備してくれたのだろう、テーブルには大皿で焼かれたグラタンや綺麗に盛り付けられたサラダにパン、ムードを気にしたのか小さなキャンドルまで用意されていた。
玄関から戻ってきたスティーヴンはエプロンを外し腕に掛けていて、本日の可愛らしい服装が良く見えた。真っ赤なシャツには鎖骨の中心辺りから長く垂れ下がるように細身のリボンがあしらわれている。下はタイトな黒の膝下スカートと珍しくシックに纏められている。普段と雰囲気が違ったが、どんな格好をしていてもスティーヴンは可愛らしかった。
「今日の格好も可愛いな」
「あ、ありがと」
もう何度も伝えてきた言葉なのにスティーヴンはいつまで経っても慣れた様子はなく直ぐにはにかんでしまう。そんな様子すら可愛いのだが。
「そうだ、これ。スティーヴンに」
「わぁ!ありがとう、ジェイク」
そう言って、抱えたままになっていた花束を手渡した。真っ赤な赤い薔薇だけで纏められた花束はこういう日だからと気合を入れて大ぶりの物を選んだせいで本数の割に中々の大きさがある。勿論この花束はスティーヴンの働く花屋で買ってきたものだ。店を訪れるとスティーヴンから聞いていた通り兄貴がスティーヴンの代わりに可愛い刺繍の入ったエプロン付けて働いててかなり笑えた。
だがそれにしてもあの兄貴、エプロンの似合わなさをちょっと鼻で笑ったくらいで仮にも客相手にあそこまで睨みつけてくるのはどうかと思うね。レイラにも諌められて、怒られたのが納得いかない番犬みたいにしょぼくれていた。レイラには「悪く思わないでやって」と言われたが。それに「後で分かるから」とも。一体何が?といった感じだが。
さてそんな私がおっかない花屋の番犬に睨まれながら買ってきた花束を両手で抱えるようにして受け取ったスティーヴンはサッと目を動かし本数を数えたようだった。
「……十一本?」
「十一本。ピッタリだろ?」
十一本の意味は『最愛』だ。俺にとってスティーヴンは間違いなく最愛の人なので、これ以上ない程ピッタリだ。
「……キザなんだから」
「好きじゃない?」
まさかとは思いつつ返ってくるだろう言葉が聞きたくて態と尋ねる。
「うぅん……好き」
それから俺は背を屈め、スティーヴンは少し踵を上げて二人の間にある花束を潰さないよう気をつけながら触れ合うだけのキスをした。ちゅ、とキスは一度だけに止めて冷めない内にディナーにしようかと言おうとしたタイミングでスティーヴンがあっ!と声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってて」
「え?あぁ……」
俺が小首を傾げる間にスティーヴンは花束とエプロンを手にサッとキッチンに走り去ってしまった。何だ?と思っているとガチャと冷蔵庫を開けたらしい音と直ぐに閉める音、それから何やらヨシ!と気合を入れるスティーヴンの声が聞こえてきた。
何に対して気合を入れてるんだ?とさっきとは反対側に首を捻っているとエプロンと花束はキッチンに置いてきたらしいスティーヴンが後ろでで何かを持って戻ってきた。
「あのね、これ……お返し」
そう言うとスティーヴンは後ろ手に隠していた物を前に持ってきた。スティーヴンが持っていた物は片手に乗るくらいの小さな箱で、紺色の箱に赤いリボンが掛けられていた。手渡されたそれは軽く、見るからにお菓子の箱といった物だった。
「お返しって……ディナーを準備してくれただけで十分だったのに」
「あぁ……実はね、毎年レイラとバレンタインのお返しにチョコを作ってたんだ。でも今年はマークには上げられないし……」
なるほど、漸く点と点が繋がった感じがした。あの兄貴は恋人にプレゼントを用意するのに合わせて妹にも何か買い与えていたのだろう。だがそれにしてもあの兄貴、幾ら何でもシスコン過ぎやしないか?まぁアイツは二度とスティーヴンからバレンタインのお返しを貰えない訳だし精々吠えてればいいさ。
「なぁこれ、明けてもいいか?」
「いいよ。……リボンが付いてるのは全部君へのプレゼント」
お許しを貰ったので早速中身を確認しようと箱のリボンを解こうとしてふとスティーヴンの物言いが引っかかった。開けていいよだけで済むのに態々“リボンが付いてるのは全部”と付けるその意味は?
そこまで考えてはた、と気がつく。パッと目線を箱からスティーヴンに移すとスティーヴンはすっかり俯き、その旋毛しか見えない。だがモジ、とリボンの下の方で指先を弄るスティーヴンのショートヘアの先から覗く耳が真っ赤に染まっている。これは、意図を取り違えてはいないだろう。
「なぁ、スティーヴン」
「……」
「このリボンも外して良いのか?」
箱のリボンから指を離し、シャツのリボンを軽く引っ張る。緩く結ばれているリボンは後少し強く引っ張ればば簡単に解けてしまいそうだった。
「ぃ、……いぃ……よ」
か細く紡がれたお許しの言葉にサッとリボンを解こうとして、それより早くスティーヴンの両手が俺の手に重なった。スティーヴンの手は燃えるように熱く、如何にスティーヴン緊張しているのか伝わってきた。
「ディ、ディナー!ディナー食べてからねっ」
「後でちゃんと食べる」
「だ、駄目!頑張って作ったんだもん!」
バッと顔を上げたスティーヴンの顔は赤らみ薄ら涙が滲んでいて、正直唆るものがある。堪らなくなってリボンを引っ張る力に少し力が籠り、それを阻止しようと俺の手をぎゅっと握るスティーヴンとで戯れのような綱引きになった。力勝負なら負ける筈もないが古今東西、惚れた方の負けという言葉がある。
「ジェイク……」
困ったような顔で懇願されると折れない訳にいかなかった。俺はハァ〜〜と深い深いため息を吐きリボンを手放した。
「分かった、分かったよ……。先ずはディナー」
「う、うん」
「で、それからスティーヴン」
あからさまにホッとした顔つきになったスティーヴンだったが続いた俺の言葉に目をまん丸にさせ口をハクハクとさせた。
「だろ?」
顔が真っ赤なのと相待って餌を求めて口をパクパクさせてる金魚みたいに可愛いスティーヴンのちっちゃな下唇に親指を這わせると唇が一度ふるりと震えてそれからきゅっと引結ばれた。別に二人でベッドに行こうってのが初めてって訳でもないのに、よっぽど自分から誘ったのが恥ずかしいらしかった。
「そ……ぅ、だけど……」
「よし。じゃあサッサとディナーにしよう」
「ちゃ、ちゃんと味わって食べてよ!?」
「勿論、“全部”ちゃんと味わって食べるさ」
「なら良いけど……」
意図が上手く伝わっていないらしいスティーヴンを伴って席に着く。並べられていた食事はどれも美味かったしデザート代わりに食べて欲しいと請われたお返しのチョコレートも甘過ぎないところが口に合った。だが如何せん、これまでのデートで過去一落ち着きのないディナーとなってしまった。だが最高のバレンタインとなったのは間違いない。