サマーフェア人で溢れかえった百貨店のコーナー、其処には大量の水着が陳列されていた。此の人混みの中に飛び込むのかい? と頭を抱えそうになるが、
「凄いですわ! この品揃え! 矢張り此処に来て正解でしたわね!」
隣にいるナオミは目を輝かせている。
そして私と同じく冷めた目をしている少女は反対隣に。
今日の面子は妾とナオミと鏡花の三人だ。探偵社の夏休みで来週海に行く。その為の水着を買いに行こうとナオミが言い出した。当の本人は学校の課外授業があって行けないのだが。「お二人にぴったりの水着を選んで差し上げますわ」と盛り上がっていた。
ということで、本日兄は不在だ。「ナオミが水着を試着する訳じゃないなら、僕の出る幕は無い。女性陣で行く方がいいだろうね」と笑っていた。いやはや、本当に困った兄妹だねェ。
鏡花は、水着の類等勿論持っていない。
其れを気遣い社長が小遣いを出した。流石の鏡花も嬉しそうにしていた。敦が顔を赤らめていて、太宰に随分揶揄われていたことは少し気の毒だったがね。
そして、妾は別に要らなかった。一着持っていた。随分前だけれど、国木田の入社の機会に一度武装探偵社は海に行ったことがある。其の時も社長が小遣いをくれて──勿論断ったが有無を言わせぬ顔だった──無難なビキニを買っておいた。あれから対して体型は変わっていない筈だ。だからナオミの提案を一度は断ったが、何故か社の全員に行ってきた方が善いと言われ、乱歩さんまでも「与謝野さんも行って来なよ」とラムネを飲みながら言うものだから決定事項となってしまった。
そして今、眼前に広がる人だかり。参っちまう。
「ナオミ、これは厳しいんじゃないかい? せめて日を改めて、」
「さぁ、お二人とも行きますわよ!」
鏡花と妾の手を強引に掴んで戦にでも行く様に催事場に突入していった。もう戻れないことを覚悟して、こうなったらまだ未成年の二人を妾が守らなければと気合を入れた。
「キャー! 最高に可愛いですわ!」
「うん、鏡花よく似合ってる。ナオミはセンスがあるねェ」
「お褒めに預かり光栄です」
ニコニコしているナオミとは対照的に、試着室のカーテンを開けた鏡花は居心地悪そうに立っていた。
「変じゃ……ない?」
「変じゃないさ。むしろ胸元のフリルが大きめだから年相応にお洒落だし、紐も首元で結ぶタイプだから鏡花の色白が映えるよ。それに其の花柄気に入ったんだろ? 自信持ちな」
「そうですわ、何も可笑しくなんかありません。この可愛らしさに少しエッセンスを足しておきましょう」
と言って、どこから持って来たのかナオミは鏡花の胸元にサングラスを差した。
「お、いいねェ。一気に大人っぽくなったよ」
鏡花自身姿見を確認し、頬がほんのり色づいて、口角が僅かに上がっている。気に入ったようで何よりだ。
「これで決まりですわ!」
「あ、あの、ありがとう」
恥ずかしそうに礼を言う鏡花の可愛さはとんでもない破壊力だ。妾には持ち合わせていない。
「どういたしまして、ですわ。あー、当日見られない事だけが残念」
悔しそうにするナオミを見て、少しくらいサボればいいのにと思う──普段は兄と気持ちがいい程阿呆でしかない──けれど、きっと根は真面目そのものなのだ。ナオミが兄絡み以外では確りした女であることを知ってる。恐らく将来探偵社に入ることになるとは思うが、彼女に夢があればきっと自らの力で道を切り開いていくだろう。ナオミには、それを支えてくれる兄もいる。
「さ、次は与謝野女医の番ですわね」
「妾しゃ、その辺ので構わンけどねェ」
「もう与謝野女医の分は殆ど決まっていますからご安心ください」
「ナオミは前に此処に来たことあるの?」
鏡花がキョトンとした顔で尋ねると、
「いいえ、決まっていることは一つ。色は黒一択ですわ」
人差し指を立てた。
「黒?」
何故? と思う暇もなく「こっちですわ」と連れて行かれる。
特に拘りはないから構わないが、ナオミが興奮している意味がよく理解出来なかった。
「「海だーーーー」」
声が見事に被った。それは太宰のものと、因縁の相手でもあるポートマフィアの中原中也の声だった。
「んな! 何で手前ェが此処にいるンだよ!?」
「偶然さ、今日は探偵社の夏休みなのだよ」
「あん!? 何でそンなとこが被んだよ!」
きっとこの場にいる全員が思っていることだ。
こンな日までやり合う心算は互いに無いようで空気は休暇其の物で穏やかだが。
其れよりも互いに普段とは異なる雰囲気で気恥ずかしさの方が勝る。
「嗚呼、君達も夏休みだったのかい?」
「一寸待て、手前ェ。何でそンなもの持ってやがる」
「あ、これ? これは勿論……」
成程、太宰は全て知っていたわけか。海に行くなど絶対に嫌がると思ったのにすぐに挙手した太宰は、ずっと水鉄砲を持っていた。子供じゃないンだからと、道中舌打ちしそうだったが合点がいく。
中原中也への嫌がらせに全力を注ぐ為だったとは恐れ入る。
「畜生、スイカで手前ェの頭カチ割るぞ」
「やれるものならやってみ給え〜」
そんな会話を他所に各々行動を始める。
何方も二人を気にする様子は皆無だった。
国木田は説明書通りパラソルを人数分確り組み立てる。敦は禍狗から向けられる熱い視線から逃げるように国木田の手伝いを始めた。恐らく、海に行く太宰と同行していることに対しての視線だろう。背後が禍々しい。
賢治は「皆さーん、準備体操はしっかりしてくださいねー」と態々マフィア側の方まで気にかけて呼び掛けていた。
「おや、鏡花。その帽子どうしたンだい?」
水着を買いに行った日は、ナオミが選んだサングラスと妾が選んだ桃色の羽織りだけで帽子は買っていなかったようだった。勿論、其れだけ買っても社長から貰った小遣いはお釣りが来た。
「えっと……あの……敦が、くれた。その、暑いからって」
「ふーん」
あの新入りがそンな気が回るとはねェ。鏡花のお気に入りの白い花の髪飾りと同じく、白いリボンが巻かれた麦藁帽子はとても似合っていた。賢治がいつもぶら下げている物とは違う。お洒落で、どう見ても女の子向けのものだった。鏡花は恥ずかしいのか帽子を両手で掴んで下を向く。
是れは後で追求しないといけないねェ、なんて考えていたら、
「与謝野さん、悪い顔してるよ」
「乱歩さん、聞いたかい? 是れは楽しみが出来たよ」
「敦もそこそこ男になってきたってところかな? ま、僕には遠く及ばないけどね!」
今も棒飴を舐めながら言う辺り説得力に欠けるけれど、妾は、知っているから、「そうだね」とだけ呟いた。
「じゃ、僕達は彼処にお邪魔するとしよう!」
マフィアから一番離れたパラソルを指差す。ほら、乱歩さんはそういう人だ。
社長と乱歩さんと妾は場所を同じにすることにした。
「社長さー、その格好暑くない訳?」
「心頭を滅却すれば火も亦涼し、だ」
社長の格好は何時もと相違ない。普段よりは薄手の生地のようだが。……それって結局暑いんじゃないかい。妾と乱歩さんは笑った。
何だか、昔を思い出す。あの時は慥か乱歩さんに水着のセンスが無いと言われ少し落ち込んだ。「与謝野さんは自分のこと判ってないよね」とまで言われ、国木田が慌てて間に入ってきた。あの頃はショックを受けたが今なら判る。
ナオミが選んだビキニは妾にとても合っていた。自分で言うのも恥ずかしいが、此れだ、と思った。
紐は前から首でクロスされ、アンダーバスト部分のみフリルになっているから派手さは無いもののアクセントになり、腰辺りに透かしがあったが、特段卑猥なものでなく意匠を懲らしたデザインだ。黒一色のため先日買った大ぶりの金のイヤリングが似合うだろうと思った見立てに間違いはなかった。
一つ誤算が或るとすれば、
「乱歩さん、せっかくだけど此の羽織脱いじまってもいいかい? 暑いンだ」
水着に着替えて真っ先に乱歩さんは「与謝野さんこれあげる」と白の羽織を着せてくれた。いや、水着が黒だから白の羽織は有難いのだが、鏡花のメッシュ素材と違って普通に着る羽織で、まあ一言で言ってしまえば暑い。
冷感素材だから、と言われてもこの太陽の下では冷感涼感等無に等しい。
「ダメー。僕、かき氷買ってくるね」
「珍しいねェ、妾が行こうか?」
「ダメ。与謝野さんは社長から離れちゃダメだよ」
何度もダメと言われ拍子抜けする。普段は人を容易に扱き使う乱歩さんが自ら動くとは。何事だい?
社長がふっと笑う。
「乱歩はああ見えて嫉妬深い処が或る」
「嫉妬?」
元々言葉数が少ない社長はそれ以上語らなかったから、妾も話題を変える。
「社長、呑まなくて善いンですか? 生麦酒なら有りますよきっと」
「与謝野くん、気遣いは有り難いが、今日は目を休めることが出来ん。従って呑むのは止めておく」
「そンなに気にしなくてもマフィア側は何も為てきませンよ。社長が一番空気で判るでしょう?」
「ああ。其れより私の仕事が増えないよう乱歩から貰った羽織は着ていろ」
「ん?」
話が判るようで判らない会話に遂に顔を顰めてしまった。社長、若しかして暑さにやられてるんじゃ……
「ハイ、お待たせ」
乱歩さんが丁度帰ってきた。かき氷三つ抱えて。
「乱歩さん、善いところに。社長がさっきから可笑しいんだ。迅く冷たい物を」
「与謝野くん、私は何も可笑しくない。至って冷静だ、今尚。如かし、氷は有り難く頂戴しよう」
「社長は日向夏味ね」
「へぇ、今は洒落た味が在るんだねェ」
「与謝野さんはブルーハワイ」
「おや、乱歩さんは気が利く。有り難う、定番だ」
受け取る時、手が重なり、妾は乱歩さんをじっと見つめる。
「乱歩さん」
「何?」
「……先に食べただろう」
「あはは、バレた?」
「バレるよ、舌が真っ青だ」
「あとで与謝野さんにも苺味あげるからね」
大して隠す心算もない癖に。私は「絶対だからね」と素直に受け取った。
かき氷は冷たくて、三人でシャクシャクと食べると本当に昔に戻ったような気持ちになる。
「大きくなったねェ」
「何がー?」
「武装探偵社」
「嗚呼、然うだね」
「社長も大変ですね、こんな個性豊かな人間ばかりで」
個性豊か、聞こえは善いが、その実、面倒臭いとも言える。妾含め。
「皆息災で或れば其れで善い」
こンなときでも律した声を放つ。
「社長も随分丸くなったよねー」
「お前のお陰で鍛えられたからな」
「其れは善かったよ!」
是れはおそらく、妾が二人に出会う前の話だろう。
社長と二人で呑みに行ったとき、一度だけ聞いたことがある。其れはもう散々だったと。だが、如何しても放っておけなかったと。二人の絆は強い。現に乱歩さんが本当に信用しているのは社長だけかもしれない。
「あ、与謝野さん。今考えてることは結構正しいよ」
「へ?」
名探偵は何時も突然だ。
「じゃないと社長がこンなとこ来るわけないじゃない」
「どういうことだい? 話が見えないよ」
「ま、社長も娘みたいに思ってる節があるからね」
「……何を?」
社長を見ても何も言わず、シャクシャクと食べ進めている。
「あ、社長! 僕の分も取っておいてよ! 其れはまだ食べてないんだから」
「判っている」
判ってるのかと突っ込みたくなるが、微笑ましいことだ。乱歩さんも満足気。
国木田と賢治のラヂオ体操をする音が聞こえる。態々ラヂオを持ってきたのか。
「与謝野さん此れ食べたら海入る?」
「腹が冷えちまったから、もう少し時間を置いてから入るよ」
その為に乱歩さんは浮き輪を調達したンだろう?
「二人乗りだからね! 僕と乗ってよね!」
「はいはい」
此の人は、何時もこうだから。慣れたもンだ。最初は心臓が壊れるかと思うこともあった。如何してそンなに善くしてくれるのか──それこそ入社当時なんてまだ幼く勘違いしてしまいそうで──何度も顔が紅くなっては耳が紅くなっては揶揄われたもンだ。
若かし、是れだけの付き合い。もう慣れた。乱歩さんは期待を持たせるというより、素で是れなのだ。人誑しというのは往々にして存在する。
「じゃ、此れあげるね」
「え?」
手に乗せられたのは、南国の赤い花。
「今日は髪飾りしてないだろうと思ったから、今日は此れ付けてなよ」
思わず、頭を触る。慥かに、今日は何時もの蝶の飾りが無い。海で無くしたら幾ら名探偵でもどうにも出来ない筈だから外してきた。
そして、其の事実は妾を落ち着かなくさせていた。
「前回の海でも付けてなかったからね。今回も部屋に置いてくるだろうなと思って」
付けてあげる、と再び赤い花は乱歩さんの手に戻り、右側の頭部に取り付けてくれる。
「うん、似合うよ与謝野さん。ほらね、僕は何だって判る」
妾は、年甲斐も無く、顔が紅くなった。だって、乱歩さんが笑うから。妾を見てとても満足そうに。照れたら善いのか泣いたら善いのか。社長以外全く興味が無さそうな乱歩さんが、妾の為に。
しかし、其処で一つのことに思い当たる。
彼の、蝶の飾りを見つけてくれた乱歩さん。
妾が其れを手放すことは決して無いと理解している乱歩さん。妾がそれを付けない日は落ち着かないことなど簡単に見抜くだろう。
嗚呼、また、甘やかされてしまった。
此の人は、とても頼りになる、男の人だ。
「社長が羨ましい」
此の人から是れだけの信頼を得ている人。
「僕も社長が羨ましいよ」
「如何してだい?」
「社長にしか出来ない任務を現在遂行中だからね」
よく意味が判らなかったが、社長も頷くようにかき氷を口に運び、頭を押さえた。冷たさが脳裏を刺激したのだろう。
それで妾と乱歩さんはまた笑った。
後日、ナオミに礼を言った。ナオミが選んでくれた水着のお陰で楽しい休暇を過ごせたのだから。少しばかり高級な菓子も渡して。
すると、
「だって聞きましたわよ、前回は値切り品の横縞模様の水着を適当に購入されたそうですね。乱歩さんが同じ過ちを繰り返さないようナオミをご指名くださったんですの」
ナオミは心底幸せそうに語る。慥かに、あの乱歩さんに頼み事をされたら社の誰だって大喜びするだろう。
だが妾が余裕の笑みを浮かべていたのは其処までだった。
乱歩さんが言ったことを聞くまで。
「黒だね! 黒一択! 与謝野さんに合うのは絶対に黒! あちらさんと同日のようだけど、あちらさんは逆に黒を着ないはずだ。だって普段が黒いんだからね! アハハ! まあ、被ったとしても太宰に心酔してる狗君くらいじゃない? え? 綺麗な与謝野さんを見られてもいいのかって? 其処は僕と社長の出番だ! 気にすることは無いよ! 社長が目だけで在らぬ視線は破壊してくれる筈だし、僕は与謝野さんの水着を堪能できるし、何の問題もない!」