リュウジさんのものさし 超進化研究所名古屋支部の指令室。僕は背もたれがあるゲーミングチェアみたいな椅子に座って大きなモニターを見上げている。
モニターには僕のドクターイエローがたくさんの整備士にチェックされているのが映っている。この機体にはカッコいいのにかわいいところがある。なんて改めて思っていた。
今日はドクターイエローの試験運転だ。僕も後で搭乗するが、今は待機している。作業場の方が少し遅れていて指令室は軽い待ち時間なのだ。
ふと、手元にある映っていない真っ暗なモニターが目に入る。ガラス素材のそれはピカピカに磨き込まれていて、黒い画面に僕の顔が反射している。ふと気になって自分の顔を覗き込み、大きく跳ねた前髪を触って少し横に流す。
「ん?シマカゼくん、髪型が気になるお年頃ですか?」
隣に座っていたスルガさんになんだか嬉しそうに話しかけられる。
「……そういうわけじゃないです」
なんだか恥ずかしくなってスルガさんをちょっと非難する気持ちで見る。
「大丈夫シマカゼくんはかっこいいよ!」
サムズアップで言われて苦笑する。
「僕って眉が太いなぁって思ってたんです。」
それを聞いたスルガさんがふっと吹き出してから、ちょっと咳払いする。
「ううん?そうかな??」
あ…やっぱりちょっと太いって思ってるんだな…?と思って顔がちょっと赤くなる。
「いや、太い細いという基準とは何かという話だ。」
後ろから意思の強そうな声がして、僕は椅子に座ったままそっと声の方を振り返る。
なぜかプラスチック製30㎝ものさしを右手に持って、腕を組んでいるリュウジさんが背後に立っていた。このものさしはリュウジさん愛用のもので、だいぶ使い込まれている。ちょくちょく長さを測ったり直線を引いたり手持ち無沙汰にペチペチしていたりするのを僕は見かけているし、見かける度になぜかちょっとドキドキしてしまう。
「対象化のための比較検討は重要だぞ」
ちょっと小学生の僕には難しいことを言ってくる。
困ったようにリュウジさんを見上げていれば、少し口元に笑みが浮かぶ。そして、ものさしを右手に持って左手の平をペシペシと軽く叩きながら僕の前に歩み寄ってくる。
僕が座っている回転椅子をくるりと回して、僕と向かい合わせになると、ギシッと椅子の肘掛けにものさしを持ったまま両手をついて顔を寄せてくる。
じっと眉を見られている。
「!!!」
距離がグッと近くなって、僕は息を止めてしまう。
……顔が……良いっ…っ!しまった思わず本音が。だって、通った鼻筋が目の前にあるのだ。ちょっと緊張してもしかたない。
「対象化っていうのは、簡単に言えば客観視することだ。シマカゼの見ている世界の一歩外に出て、クリティカル考えるんだ。」
そう言って、かっこよく右手に持ったものさしで僕の前髪をかきあげてくる。ちょっとピクリとしてしまう。
ドキドキする心臓を押さえてちょっと視線を逸らす。
「眉毛ひとつでリュウジくんもよくそんな色々指導できるねぇ」
スルガさんが苦笑して僕たちの様子を見ている。でも、正直僕はリュウジさんのものさしで髪の毛に触れられて気が気じゃない。
と思っていたら、眉にものさしをあてられる。冷たくて軽いプラスチックの感触。それと、血の通った少し暖かいリュウジさんの指の感触。
「リ…リリリリっゅうじさんっ?」
思わず体を引こうとすれば、
「まて測れないだろ?」
そう言っておとがいを掴まれる。
「…!!」
言葉が出ないとはこのことだ。
僕はされるがまま、少し屈んだリュウジさんに、リュウジさんのものさしで左の眉の縦幅を測られてしまう。
「2.29」
呆気に取られてリュウジさんを見つめる。ものさしを僕の顔から離したリュウジさんは、振り返ってスルガさんを見る。
「測っていいですか?」
スルガさんに尋ねると、返事も待たずにスルガさんの眉の縦幅を測っている。
「…1.45」
スルガさんが笑いを堪えている。
「シマカゼの方が0.84㎝太いな。」
数値にするとなんだかはっきり太いと言われたようでちょっとガーンとする。
「リュウジくんなんでそのものさしで小数点二桁目まで測れるの?!」
スルガさんが小さく笑っている。
「このものさしは小学生から愛用しているもので、なんとなく…数値が見えるんですよ。」
「ふ…ふ〜ん?」
笑いをこらえたような変な顔でスルガさんがリュウジさんを見ている。
「やっぱり太いですか…」
僕はリュウジさんを縋るように見上げてしまう。
リュウジさんは僕を見下ろすと、ふふっと鼻から堪えたような笑いを漏らす。
「いや、いいんじゃないか?オレは好きだぞ。」
そう言ったリュウジさんは僕のこめかみに左手を添えて、親指で、僕の右の眉をつつっとなぞる。
「へっ…!?」
心臓がドキリと鳴った。じわっと顔が赤くなるのがわかる。
「下がってるときなんか、犬みたいで可愛いぞ。」
リュウジさんが、僕のこめかみから手を離す。そして、ものさしをいつものようにペシペシしながら、微かに笑みを浮かべてちょっと楽しそうに僕を、僕の顔をじっと見ている。
「…っ!そっ、そういう冗談はやめてください!」
僕は赤くなった顔を隠すように椅子をくるりと回して前を向く。
………なんだか揶揄われたような気がする。
「作業場の準備がそろそろ整いそうだぞ。」
リュウジさんの声が後ろから聞こえる。
リュウジさんのものさしで測ったのならそれは本当のことだ。真っ暗なモニターに映った僕の顔はまだちょっと困惑していた。
そっとリュウジさんがなぞった眉を僕もなぞる。
僕の眉はちょっと太いけど、リュウジさんはそれを良いと言った。まぁ犬みたいだとも言われたけど。でも僕はそれだけで自分の眉を少し好きになれるのだ。
少し振り返って、何かの書類を確認しているリュウジさんを盗み見る。
僕はきっとリュウジさんが寒中稽古をやると言えばきっとやるし、もし悪の道に走っても、とりあえず着いていくんだろうな、とぼんやりと考える。
リュウジさんが捉えている世界と、判断した理由を僕はありのまま受け止めたい、ときっと思ってしまうだろう。
結局僕はリュウジさんのものさしをもっと知りたいのだ。
「シマカゼ、待たせたな、搭乗だ。」
「はい!」
リュウジさんから声がかかって立ち上がる。
僕はリュウジさんがお尻のポケットに突っ込んだ使い込まれたものさしをチラッと見てから、ドクターイエローのもとに向かうのだった。