ギブミー! 二月十四日がもうじき終わる頃、自室で勉強をしていた悟飯は窓がコンコンとノックされる音に気づいた。既に意識が夢の世界に落ちている弟を気づかうかのようにささやかな音。来訪者が誰なのか理解するのに時間はかからない。
窓を開けるとそこには予想通りの人物がいる。腕を組み仁王立ちしている。表情を伺うと眉間には立派でくっきりとした皺が寄っている。
「こんばんはピッコロさん。あの……怒ってますか?」
尋ねてみたが悟飯は確信していた。怒っている。いや正確には拗ねている。自分はなにかこの人にしてしまっただろうかと今日一日を振り返るが特に問題はなかった筈だ。
朝から夕方まで、長い間とある作業をしていた。慣れていない作業に苦戦しつつもなんとか作業を終わらせて、さぁ次は勉強をやるぞと夕食の後からはずっと部屋で缶詰状態だ。ピッコロを不機嫌にさせるようなことはそもそもできる状況でなかったのだ。
「わからないのか?」
質問が質問で返ってきた。わからないから尋ねたのに意地悪なことをするなぁと苦笑すると仕方のない奴めと言わんばかりの大きな溜息を口から吐き出した。組んでいた腕を解し、片方の手を悟飯に差し出して一言。
「オレに渡すものはないのか?」
なんということだ、謎はさらに深い謎に進化を遂げた。借りていたものでもあっただろうか?今日はピッコロさんとの記念日だっただろうか?どちらも違う。では何を渡せば良いのだろう。
「ごめんなさい、何を渡せばいいのかボクにはわから『ばれんたいん』」
言葉を遮るように告げられた単語。言い慣れていない単語の発音がたどたどしいもので愛らしい。口調に萌えている場合ではない。一つの単語を聞いただけでピッコロの不機嫌の理由がわかってしまった。まさかこのイベントを知っているとは思わなかった。今まで一度も指摘されたことはない。というより……。
「ピッコロさん、食べれないんじゃ……?」
ナメック星人は水しか口にしない筈。幼い頃に教わったからこそ今までバレンタインでチョコレートをプレゼントしたことはないし、それ以外の時も食べ物を渡すことはしてこなかった。
突然変異で食べれるようになったのか、しかしピッコロの姿をまじまじと観察しても変化はないように見える。
「『食わない』だけで『食えない』とは言っていない。仙豆は食べてるだろうが」
「あぁ……確かに……食べてますね……?」
一粒食べるとあら不思議、怪我と体力を回復させてくれる戦士御用達のカリン様栽培の仙豆。度々起きた戦闘時に確かにピッコロは食べていた。もぐもぐしっかり噛んで飲み込んでいた。
「ばれんたいんは恋人や大切な相手にチョコレートを渡す日だと聞いた。オレは恋人で、師匠だ。貰えないわけがない」
ほら寄越せと手を動かして催促をしてくるその姿はチョコレートが得られるという自信に満ちている。
「待ってください、なんで突然欲しがるんですか!?今までそんなことなかったのに……!」
昔、水以外必要ないと知っていたのに『お菓子食べたいですか?』と尋ねたことがあった。『興味ない』とても完結で分かりやすい返答を貰った。少し悲しくなったのを覚えている。だから今までもこれからもそういった贈り物はしないと決めてきたのだ。それなのに突然催促されれば悟飯とて不満の一つくらい言いたくもなる。
なぜ、今日に限って……。
「ただの菓子には興味はない。『お前が作ったオレへの菓子』なら話は別だ。さっさと持って来い。まだ残してるのだろう?」
「!?なんで……?」
ほんの気まぐれだった。前日スクールで女の子がお菓子を手に持ち恥ずかしそうに、それでいて幸せそうに相手に渡すその姿を見かけて自分も一度くらい恋人らしくそのイベントを楽しみたいと思ってしまった。
だから当日である今日、朝からずっと作っていたのだ。好きな人へあげる為のチョコレートを含んだ甘いお菓子。シンプルな料理ならサバイバルで培った技術で簡単に作れるのだが分量、温度が細かく決められているお菓子作りは上手くいかなかった。
チョコレートをうまく溶かせなかった。生クリームを入れすぎて形を作れなかった。やっと生地が出来たと思ったら丸める工程で潰してしまった。
何度も何度も失敗して、それでも諦めることはしたくなくて、やっと完成したそれはこの部屋にある。贈るつもりなどなかったのだ。食べれないものをプレゼントして困らせたくはない。ただの自己満足。夜食にでも食べようと思って机に置いてある。
「寄越せ。それとも、他に渡すやつがいるのか?」
「いるわけ、ないでしょう……!」
そんな風に言われたら差し出すしかない。机に置いてある不器用にラッピングされたそれを差し出した。
柄にもなく手が震えている。スクールの女の子達はあんなに楽しそうに渡していたのに、怖くてどうにかなってしまいそうだ。
「多分不味いですよ、ボクお菓子作り苦手みたいです」
「構わん、技術面での味などオレにはあまりわからん」
丁寧に包を解いて箱を開くと歪な形のチョコレートが姿を表した。
「…………トリュフです」
「とりゅふか、ふむ」
二本の指で潰さないように慎重に摘んで口へと運ぶ。舌の上で溶けていくチョコレートの味の良さはやはりピッコロにはいまいち理解できない。だが。
「お前のオレへの気持ちが籠もっているのだろう?それが不味いわけがない。美味いぞ、最高に」
あっという間に完食した姿を見て、もっと上手く作りたかった、食べてくれて嬉しい、好き、大好き、沢山の感情で悟飯の頭の中はぐちゃぐちゃだ。突然こんなことされて、驚きの連続だ。だから、瞳から何かが溢れそうになるのも仕方のないことだ。ボクは悪くない、ピッコロさんが悪いんだと誰に対して言っているのかわからない言い訳をしている。
「来年も作れよ」
「ハイ……あの、お身体に異変とか……大丈夫ですか?」
食べる必要のない物を食べさせてしまった為何かしら症状が出てもおかしくはない。ピッコロが自ら望んで食したとはいえ何かあったら悟飯は一生自分を許せなくなる。見た目に変化はない。なら内面的な変化が起こっていないかと予想をしたのだ。
「異変、とまでは言わないが、変化ならあるぞ」
「!早くデンデに診てもらいま……んん……!」
悟飯の口はピッコロの口により突然塞がれた。僅かに開いた隙間からぬるりと長い舌が侵入してくる。
「んむ……ふぁっ……!」
ピッコロの舌が口の中で暴れる度に広がるチョコレートの味。ピッコロのイメージで甘さ控えめのチョコレートを選んだ筈なのに、とても甘い。
寝ているとはいえ弟が部屋にいるのにと文句を言いたいのだが、絡まる舌がそれを許してくれない。静かな部屋に響く水音で弟が起きてしまったらどうしよう。自分達の関係を知っているとはいえ、こんな姿を見られたくはない。
ピッコロの胸を何度か叩くことで行為への文句と静止の懇願を示した。意思はきちんと伝わったらしく舌の動きは止まり口は離れていく。
「変化はある」
口についたてらてら光るものを自身の長い舌で残さず綺麗に舐めとって、ピッコロは先程の言葉の続きを口にした。
「ナメック星人全てがそうかは知らん。オレは少し勝手が違うからな。食べることは出来るが水だけで十分な身体に過剰なエネルギーが入ってくるんだ。つまり、溜まる。色んな意味でな」
先程と同じように手を差し出すピッコロ。違う点は求めているもの。先程は悟飯からの気持ちのこもったチョコレート。今求めているものは……。
「お前を寄越せ、余すことなく食ってやる」