幸せのお裾分け落ち着いた雰囲気の中で静かに酒を嗜むことができる、そんなこじんまりとしたダイニングバー。店内の光量も落ち着いておりよっぽど近付かないと他人の顔の判別も難しい。お忍びで酒を飲みたい芸能人やプロヒーローなどの界隈に重宝されているバーだった。ホークスもそこを何度か利用しており、ひとりで落ち着きたいときにはよく訪れていた。そして本日もまた、いつもの定位置に座る。しかしそんな隠れ家のようなカウンターの一番隅に今日はもう一人、連れがいた。
「おい、こんなに騒がしいとは聞いてないぞ」
「う~ん、ごめんごめん。いつもならひとり飲みやふたり連れのお客さんが多いような場所なんだけど、今日は団体予約が入ってたみたいだね」
声を顰めながら居心地悪そうに、けれどもどこか尊大な態度で不満をぼやいているのは指名手配中の敵〈ヴィラン〉だ。ホークスはこの敵の所属する敵連合に探りを入れるため、公安から放たれたスパイだった。まずは連合の仲間に加えてもらい、そしてボスに会わせてもらえなければお話にならない。ホークスはそのための窓口として何度か荼毘との密会を重ねていた。
この荼毘と言う男。なかなかに手強かった。幼い頃から学んできた公安仕込みの話術をもってしても核心に迫る話はのらりくらりと躱されてしまう。その上、こっちの足元を見てヒーロー側の情報だけは上手い事抜き取ろうとしてくる油断のならない奴だった。窓口に選んだ相手としては失敗だったと言わざるを得なかったが、いまさら別の人間を探すのも逆に怪しまれるだろう。
まだ数度しか会ってはいないが今度は自分のテリトリー内で話をしてみるかと、ホークスは場所の提案をした。荼毘は交換条件を出してきたがそれを呑むとこの話を了承した。
それが、この普段利用し慣れているダイニングバーだったわけだが、この日は女性ばかりの団体予約が入っていたらしい。店内が賑やかになる分、こちらの話が漏れ聞こえなるのはメリットと考えてもいいのだが、女性ばかりとなると、ホークスに目敏く気付かれ注目される危険性もある。これでも有名人だ。
「こんなとこで大事な話ができる訳ねぇだろ」
荼毘もそれを感じてか一旦帰ろうと席を立ったが、次の客が続けて入ってきて機会を逃してしまったらしく再び座って口元をマスクで隠した。
「ごめんって。タイミング悪かったね」
それが嘘ではないことは荼毘も分かってくれたのか、溜め息ひとつで許してくれたようだ。
「ま、どうせ今日は他にやることもないし話をするくらいいいだろう。酔わせて話を聞き出そうって魂胆なんだろうが、それなら逆にこっちもそのつもりで付き合ってやればいい」
「ねぇ、それモノローグのつもり? 全部口に出てるんだけど」
「おっといけね」
「ぜんっぜん信用してくれてないんだなぁ」
「当然。ま、大事な話はまた次回だな」
「やった、次があるんだ」
「……俺は口説かれてんのか」
「あはは、そうかも」
「んじゃあ、お断りだな」
「はやっ。俺の通り名、横取りせんでくれんかな」
「速すぎる男って? んなもんいらねぇよ。っと、そうそう欲しいもんは別にあったな」
荼毘が掌を差し出して指先でちょいちょいとそれを促した。ホークスはごく自然な動作でジャケットの内側から1枚のカードを取り出し、荼毘の手をすり抜け、コートのポケットに滑り込ませた。プリペイドカード。要は当面の軍資金の援助だ。とは言っても食費をある程度、と言ったところだったが。
「サンキュ」
「おまえ一人で使うなよ。未来のお仲間への投資なんだから」
「信用ねぇなぁ」
「お前が言うか。んじゃ、今日はちょっと飲んですぐ出ようか」
普段はゆったりとした雰囲気の店内も今日は適度にざわついていた。主に例の予約客の席の辺りからだが、非常に華やかで楽しそうだった。
そんな賑やかさに埋もれる様に声を顰めながらもホークスはよく喋った。それに荼毘が答えたり答えなかったり。食事も荼毘はあまり摂らない。「別に盛ったりしないよ?」と冗談めかして言えば「関係ないね」と返ってくる。とりとめもない事をこれでもかと話している癖にホークスはその背の羽の所為か耳ざとかった。今はいつもと違う大き目のブラウンのジャケットで隠してはいるが機能は変わらないらしい。
「あの子たち、あの、たぶん真ん中に座ってる子が今日お誕生日みたいだね」
そんな周りの話を聞きつけてそれをも話題に上げてしまう。そしてそれを情報収集に繋げていくのだ。
「あ、ねぇ、荼毘って誕生日いつ?」
「い……う訳ねぇだろ」
「い……う訳ない、かぁ。い、い~……1月かな?」
「さぁな」
ホークスのその状況判断の的確さと臨機応変な対応に荼毘は眉を顰めていた。誤魔化しては見たものの頭の切れすぎるヒーローはすぐに察してにっこりと笑う。
「俺は12月28日」
「知ってる。てめぇらヒーローのプロフィールなんて調べりゃすぐ出てくんだろ?」
「へぇ、調べてくれたんだ」
荼毘は小さく舌打ちをする。
「12月と1月なら近いね。真ん中バースデイとかやっちゃう?」
「なんだそれ」
「今、流行りなんだって」
「だとしても誰がやるか」
「あ、ちょっと静かにして」
「んだよ」
ホークスの視線の先を追うと、予約の団体客の元に店員が近付いていく。その手に持っているものは大きな皿。それに何が乗せられているのか、その後何が起こるのかなんて想像に難くない。10人程に囲まれた席の真ん中に置かれたのはホールケーキだった。随分と大きい。クリームやフルーツでふんだんに装飾があしらわれている。とてもカラフルでキラキラしていた。
「「「お誕生日おめでと~!」」」
店内を気遣ってか、声量は抑えられてはいるものの賑やかな女性たちの高い声がその言葉を口々に吐き出していく。拍手も控えめ。それでも身振り手振りは大きく、全身で祝福されているのが痛いほど伝わってくる。
「なんだ、花火とか、歌ったりするのかと思った」
「花火ぃ?」
「なんか、デザート用にあるんだって。店内暗くしてサプライズとかで歌いながら提供してくれたりするみたい」
「なんて迷惑行為だ? お前そんなもん見たかったのか?」
「え、別にそんなんじゃないけど……」
「ちょっと期待してただろ。おまえそんな風に祝われたいわけ?」
「いや、う~ん。どうだろう」
「どっちだよ」
「そもそも俺、誕生日とか……いや、まぁいいけど。あ、荼毘は? 誕生日の思い出」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
そう言い切ると、荼毘はホークスがお勧めだと注文したグラスを口に運んで一気に傾けた。飲み干すとベッと舌を出して顔をしかめる。もしかして酒もこういう場所も好きではないのかもしれない。ホークスは荼毘との密会場所候補からこの手の場所を削除した。
誕生日の思い出が馬鹿馬鹿しいと荼毘は言った。そこまでネガティブに捉えてはいないがホークスはそこに少しだけ共感する。自身の生まれた日などどうでもいい。ましてやその日を祝福しようだなんて思わない。
「ただ、歳を一つ、重ねるだけの日なのにね」
ホークスもグラスを顔の高さまで掲げる。ただ、アルコールを摂取してもよくなる日。ただ、免許を取れるようになる日。結婚が認められるだとか、ここまでが子供で、ここからが大人だとか。ただ、それだけの日。
荼毘がテーブルに片肘をついてその手の甲で頬を支えた。足を組んで「そういうことだ」と嫌味に笑う。気の合う片鱗が見えた気がした。
すると、コトリと二人の前に真っ白いプレートが差し出される。その皿に乗せられていたのは正方形に切られたケーキの欠片。
「え?」
「俺らは誕生日でもなんでもないけど?」
あちらのお客様方が、よろしければ皆さんにも——と、マスターは話した。店内を見渡せばどうやら他の客にも振る舞われているらしかった。その出所はあの女子の集団だ。
「ああ、そういう事」
「ったく、食い切れる量にしとけよな……ああ、幸せのお裾分けって? ハッ、自己ま」
「荼毘」
「なんだよ、モガッ」
一瞬のスキをついてホークスが荼毘の口にケーキをひと切れ押し込んだ。
「はい。食べた。食べたね。幸せのお裾分けを食べましたね~。これであなたも幸せになれます……ってね」
「くだんねぇ」
「美味しい?」
「……まずい」
「ええ~」
ホークスは大げさに驚いて見せて自分でもケーキを頬張る。「美味い」とか「荼毘、甘いもん得意じゃない?」とか食いながら喋るものだからお行儀悪く唾が飛び散る。汚ぇ、と荼毘はさり気なくマスターからおしぼりを受け取りテーブルを拭いた。そしてそのおしぼりでホークスの口元を拭う。
「んん、……拭く順番、逆じゃない?」
「細けぇこと気にすんなよ。で?」
「は、なにが」
「てめぇはどうなんだ? お誕生日の思い出ってやつ」
「俺? 俺は——……毎年ファンの子たちから【いっぱい】一杯プレゼントが届くよ」
頬杖をつきながらホークスはにんまりとした笑顔を張り付けた。
「そりゃあ、幸せなこったな。そのファンの子たちもてめぇが裏切りもんになろうとしてんの知ったらさぞがっかりするんじゃねぇか?」
「そのファンの子たちの為にも、この腐ったヒーロー社会をどうにかしたくてこうして荼毘といる訳じゃん」
「物は言い様」
荼毘の即レスにホークスはむぅと口を紡ぐ。信じてもらえないことを悲しむそぶりを見せながらも、次はどの方向から切り込めばいいのかを考える。考えながらも、どこか居心地の良さを感じてホークスはその日の情報収集をいったん打ち切ることにした。
そろそろお開きにしてもいい頃だろうと会計を済ませ、店の入口へと向かう動線の途中。ホークスは手洗い場から出てきたひとりの女性とぶつかった。女性はすぐにすみませんと謝り道をホークスたちに譲るべく後ろへと下がる。その顔を見てホークスは拳で掌を打って納得した顔をした。
「ああ、君はあの誕生会の主役の! おめでとうございます。ケーキ御馳走様」
ホークスは手をひらひらと振りながらウィンクまでしていた。本当にお忍びで来ているのだろうかと言う程の気安さだった。いくら誰にも気付かれなかったとはいえ、最後の最後でなに余裕かましているのかと、荼毘はとっさにホークスの首をその腕で囲い込んだ。少しでも早くその場から去ろうと、呆然と自分たちの姿を見ている本日の主役に「ハッピーバースデー」と一言残して、急かすように店をでた。
荼毘にされるがまま連行されたホークスは、外の空気に触れて深呼吸をした。その間に店内からひときわ黄色い声が上がる。もしかしたらホークスが来ていた事がバレたのかもしれない。荼毘はのんびりとしているホークスの腕を引いて早々とその場を離れた。
「酔ってんのか?」
「まさか。一杯しか飲んでないだろ」
「おまえって普段からそんななの? 愛想振りまいて、疲れねぇ?」
「ん~……荼毘ってさぁ、俺と同い年くらいかなって思って」
「さぁ……どうかな」
「同年代ならさ、肩を並べて飲みに行くとかするんじゃないかって……ちょっと友達っぽい事ができて思いの他、楽しかったからかなぁ」
そんな浮かれた発想が頭を過り、それをそのまま言葉に乗せた。けれども荼毘にとってはあまりお気に召さなかったらしい。
「オトモダチ、ねぇ。誕生日と同じくらいどうでもいい」
「じゃあお友達じゃなくてもいいよ、仲良くしよう」
「それはお前次第だな」
「ええ、なにそれ、どういう事?」
「考えとくってこと。それに本当に普段が静かならああいう場所も悪くはない」
ぴょこんとホークスの前髪が跳ねた。
「マジで? じゃあまた良さそうな店があったら紹介するけんね」
けん? ああ、方言か……と荼毘がもごもごと一人で呟いて納得する。そしてため息をひとつ吐いた。
「花火とか歌は勘弁してくれよ」
「あはは…………考えとく」
「やめろって言ってんだけど」
そう言う荼毘の語尾が少し笑っているような気がして、ホークスも自然と口角を上げる。こうやって少しづつ距離を詰めていこう。
ナカヨクなるために……。
そんな風に考えてしまっている自分にホークスは少しだけ嫌気がさした。
口の中にはまだ幸せの甘い味が残っている。