夢「歌姫の肌ってどんどん綺麗になってくね」
ベッドで仰向けになった自身の内腿に頬を擦り付け男が囁く。アイマスクを外した生身の瞳で交わる目線はいつもと違って遥か下。この男にこんな体勢で見上げられることになるなんて思いもしなかった。ヒステリックだと子供のようにからかう同じ口から色気の混じった褒め言葉を紡がれても、たまに持つようになったこの肉体関係だけを意識して以前より増して美容に励むようになっただなんて口が裂けても言えない。
偶然の2人きりの飲みの席からなし崩しでこんな関係になってもう1年は経つだろうか。それでも後輩に同情でタダで抱かれるのはあまりに惨めったらしく、不健全さは増すがせめて金を払わせてくれとこちらから懇願して形式上"買っている"ことになっている。最近耳にするようになったパパ活という言葉に敏感になり口酸っぱく教師としてその身の価値と大切さを日頃自分に説かれている女生徒はこの関係を知ったらどう思うだろうか。
「ほらまた別のこと考えてたでしょ」
「あ、いや……ちがう」
図星のうえ突然耳に入った声は完全に不意打ちだった為思わずしどろもどろになる。
逆にこの男は一瞬でもこの関係が露呈した時のことを脳裏によぎらないのだろうか。呪術師というだけならまだしも互いに教職に就いている身だ。楽厳寺学長に部下として気に入られ信頼されている自負はあるが、天敵とも言えるこの男を失脚させる機会とあらば躊躇い無しに一緒に蹴落とされてしまうような気もする。
(ああ、駄目だ、また考えてる)
現実逃避のために始めた関係だがこうしていっそう普段よりも現実を考え意識するようになってしまう。これでは本末転倒だ。
「これは紐パンって口に出して言うには俗っぽくて下世話かな?すっごく上品で似合ってるよ」
五条はそんな歌姫の葛藤をよそに丁寧に左から蝶々結びにされた下着の紐をほどいてゆく。
色気と共に品の有るデザインをしているが下は弱々しく頼りない紐のみで固定され上のブラジャーも薄い布やレースで膨らみを覆っているだけなので機能性の面で考えるととても普段使いは出来ない。数年振りにデパートの下着売り場で諭吉をはたいて購入したこの薄ピンクのレースの上下セットの下着も後輩相手に金で買っているこの時間のためですよなんて勿論言えないが、他に着て見せる男がいないことも既に向こうにはバレているんだろう。
今はまるで王子様のようにもう30越えたこの身体を恭しく扱ってくれるが、それ以外で出くわすと仕事だろうがプライベートだろうが10年前からずっと変わらないおちゃらけた態度で接してくる。それはもはや演技や二面性を通り越して二重人格なのではないかと思えるほどに。チラリと目にしたタイマーは残り2時間を切っていた。金で買ってるのは向こうでなくこっちだ。きっと会うたびに新しいシワやシミが確認出来るような乾燥した肌で色気なんて微塵もない量産型のスポーツブラに無地のパンツでもお金さえ払えば同じように扱ってくれるはずだ。もっと言えば下着や美肌クリームは当然ながら自己負担な為無駄な出費ともとれる。それでも所詮夢だと分かっていても今の綺麗な私を今の五条に見て欲しい。その時間内のみでの対価が有ってこその優しさと最初から分かりきってるはずなのに。こうして馬鹿な男女はキャバクラやホストクラブにハマってゆくのだろう。それはこの関係性から抜け出せないどころかズブズブとハマって溺れていきそうな自分も同じだ。
「もっと楽しみなよ~こっちの方こんなにビショビショにしといてさ~」
「あっ、うっふぅ」
ゴム越しに優しく入ってくるモノに無意識にその手を握り返して脚を逃がさんとばかりにその腰に絡みつけて身体中が悦んで色めき立っているのが分かる。結婚願望も妊娠願望もないが男を欲しがる生理的欲求に忠実な自分の身体にこのときばかりは脱帽する。
「ごじょ…お金はいつものとこに…ほんとに」
「分かったよ、分かってるから、もうおやすみ"お姫"」
こんな台詞いつもの彼女なら防がれると分かっていても湯呑み茶碗のひとつでも飛ばしてきそうだが、そうとう体力を使うのか毎度情後はツッコミのひとつも無しにされるがまま幼子のように腕のなかで何かモゴモゴと言葉を紡ぎながらスヤスヤと眠る。
「え?普通にヤレば満たされてグッスリ眠れるんじゃないの?」
「……まぁ私なんかよりはるかに重いもん背負ってるアンタが言うならそうなのかもね」
最近何かと不眠ぎみだと相談されたとき返した言葉には案の定生真面目な彼女らしく"そんな考えは感心出来ない"といった様子で顔をしかめられたが、了承されたうえに返された言葉は想定外だった。
「え…重いの背負ってるって?僕が?」
「だってそうじゃない。同じ教師とはいえ特級で六眼無限下持ちに御三家当主なんてアイテム背負ってるのはこの業界世界的に見てもアンタだけでしょうが」
「そんなことは……あるけどさ」
「ここまできてイヤミ?」
「いやいや重くなんてないよ?マジで。むしろ歌姫の方が…」
「あーもういいってば、抱くときぐらい静かにして」
珍しく本気の疑問符だったのだが、からかいか嫌味だと捉えられてしまい、先の言葉はけむたそうに遮られてしまった。
もう結構な付き合いになるこの先輩は知る限りの人間のなかで一番生真面目でそういったことに潔癖なイメージがあったはずなのだが、こうしてアッサリと後輩である僕の手によって抱かれてしまった。
グッスリと無事眠ったのを腕の中で見届けるとベットから抜け出し身支度をしてリビングのリンゴの形をした陶器製の物入れから入っていた3万円を取り出した。今までの回数を考えるともうかれこれ彼女のひと月の給料ぐらいの額はいっているはずだ。
仮にこれがいつもの気に食わない保守派ジジイの奥さんや愛人との関係からのお金なら帰りの交通費と買い食い代にでもするのだが、相手が歌姫だとそんな粗っぽい使い方は出来ず、慎重に自身の財布に入れた。
割とマジで嫌いらしき自分をわざわざ呼ぶほどの不眠とストレスに陥った時の彼女は死相までみえるほど疲れ果てていてとても普段のようなからかいは出来なかった。
その姿は流行りの可愛いアニメーションのプリンセスなどでなく、残酷で容赦のない童話本の少し薄気味悪い押絵の中に出てくる声を失い泡となって消えてゆく姫のようだった。
(今日も肩ガチガチに凝ってたな)
聞かされる愚痴も問われる疑問も何ひとつぶっ飛んだ所がなく至極まっとうなことばかり。何度目かで今更ながら気が付いた。彼女はマトモ過ぎるのだと。本来呪術師になるような人材のようにイカれておらず頭のネジもぶっ飛んでいない。
とはいえ、呪術師も教職も辞めて補助監督なり窓になりなればいいのではないか。その提案はとても出来なかった。
「…ッチ、余計なことを」
医務室にて硝子に歌姫のことをかいつまんで説明するとクマを作ったその眼で睨み付けられた。勿論身体の関係はボカしたが勘のいい彼女のことだからすぐに察しただろう。
「呑み友達の硝子はさぁいつから気づいてたの?」
「一緒にするな。気付くも呑むもなにも高専で会った最初からだ」
そう言いながら苛立たしげにバックをまさぐり財布を取り出すと入ってる分のお札をなんと全部僕に差し出した。
「なになに?ひょっとして硝子ちゃんも僕をご指名しちゃう感じ?」
「ふざけるな縁切り代だ。もう今後一切仕事でも先輩とは関わるな」
あの綺麗な新札3枚とは違って、バラエティ豊かで久々に見る二千円札や真ん中に思いきり折り目の入った千円札なんかも混じっており、それらを抵抗する間もなく握らせられる。
「……別にいいけどさぁ硝子。そうなったらいよいよ壊れそうだよ?僕らの大事な大事な歌姫先輩は」
「壊れさせるかよ勝手言うな。先輩からは私が念入りに言い聞かせるから」
「でもさ…」
仲の良い同期は普段の面倒くさがりな顔と違って鬼のような形相をしていたためこれ以上返せずに気まずい空気の中僕は逃げるように医務室を後にした。
自分がこんなに情けない男だとは思わなかった。
「お、お見合いですか…」
てっきり仕事関連での呼び出しだと思っていたため口をパクパクとさせて言われた言葉を復唱する。
「儂が古くからの付き合いのあるお孫さんがな、大層お前に興味があるらしくてな」
自身の動揺を想定していたかのように楽厳寺学長は続けた。
「庵、お前ももう若くはない。幸い向こうさんは教職は続けてもよいと仰られておるし、色々と若い頃面倒見て下さった方でな。少しは顔を立ててくれんか。」
なんと断ろうかとアタフタ思案しているうちにデスクに返されてしまい、数分遅れで怒りの波がやって来た。
この仕事を続けられるのは有り難いが、後半は完全に学長の私情ではないか。いや、というか何故見ず知らずの奴に勝手に続けてもいいなんて言われなければねらないのだ。若くないことだって言われなくても自分が一番知っている。
気づけば学校という場所だと考慮もしないで指で覚えたあの番号をタップしていた。
「もしもし五条?あのさまた…」
「あーゴメンね歌姫。もう僕そういうの無理なんだ」
「え」
「なんていうかさ、僕が言うと変だけどもうお互い若くないし教職って身を考えるとやっぱり不健全で良くなかったよ。お金も使わず置いてるし今度返すよ」
「なっ、それは…」
教職とか不健全とかそれは私が散々心配して来てたことだろうが!
「出来るだけ仕事でももうさ…仕方ないのもあるけど…」
「は、はい?」
なにやらモゴモゴと呟いたあと電話を切られてしまった。あまりの自分勝手さにボーゼンとする。
(…というか最後に関係だけじゃなくて仕事もどうこう言ってなかった?)
キチンとした相手が居るからケジメをつける。という答えにたどり着くのは難しくなかった。
考えればそうだ。自分からしたらただの生意気な後輩でも業界からしたら多少の反感を買っているとはいえ次世代を切り開いてゆく存在。
(勝手に夢見て…馬鹿みたいね私ったら)
こんな惨めな方法で自分の想いを知りたくなんてなかった。
何かまだ言いたそうにしていたがこっちが耐えられなくなって一方的に電話を切った。
これで良かった。すぐに僕のことなんて忘れるだろうし、きっと未だ純潔を感じさせるあの清楚な身に合う男がそのうち見つかるだろう。硝子に言われなくてもそうなればオカシクなってしまうのは自分の方だ。御三家当主の五条悟がただの娘にそれぐらい惚れ狂っているのが知れ渡れば歌姫はどうなるか。
(告白ひとつ出来ねーなんてなー)
ここから先は夢だ。こんな自分に振り向いてくれる彼女と何も邪魔するものがない世界を夢みながら過ごしてゆくのだろう。