鬼に衣──ねぇ小鬼達、随分と暇そうだね?
じゃあひとつ、思い出話をしてあげようか。
実は女の子の姿をしていたひとりの女の子の話。
僕がその子と初めて出会ったのは、そう、ちょうど今と同じくらいの血のように赤い夕暮れ時だったかな。ん、お前達も一緒にいたから知ってるって? まぁ黙って聞いてよ。
鬼域と人の世の境目にある不安定な場所。普通の人の子は寄り付かないような区域に、彼女は暮らしていた。何でも彼女は余所者の流れ者で、近くのまともな村には住まわせてもらえなかったんだってさ。
変わった子だったなぁ。
特別な力もないただの人間のくせに僕を恐れる様子もなくて、真っ直ぐに僕を見るその眼には警戒も媚びも宿していなかった。
と言っても最初は他の人間と同じで僕の目には腐肉にしか見えなかったんだけど、何だか瞳だけは綺麗だったんだ。きらきらしていて、それが眩しくて気持ち悪くて、抉り取ってしまおうかと何度も考えたくらいにね。
ただ初対面の時に彼女がたまたま口遊んでいた歌に聞き覚えがあったから、だから何となく殺さずに構ってあげたら嬉しそうにしてさ。まぁ爪弾き者同士、それなりに通じるものもあったのかもしれない。
何度か他愛のない話をしているうちに少しずつ、本当に少しずつだけど普通の人間みたいに見えてきて、もしかしたらいつか腐肉でない彼女の本当の顔が見れるのかも……なんて期待をし始めた。
でも、そんな変わり者だったからかな。
ある日ぼろぼろになって死んじゃった。
そうそう、殺されたのさ。それも鬼や獣にではなく同族であるはずの人間に。
当然といえば当然の結末だよね。臆さずに修羅鬼と何度も会って喋るような余所者の人間が、他の人間の目にどう写るかなんて考えるまでもない。
正確に言えば、残酷なことにあんなボロ雑巾みたいだったくせに僕が見つけた時にはまだかろうじて息はあったんだけど。苦しそうだったし「終わらせてあげようか?」と話しかけたら少しだけ口の端が笑ったように見えたから、最期は僕の手で終わらせてあげた。
そうしたら息絶えて初めて、ようやく彼女が完全な姿に見えるようになった。皮肉な話だよね。綺麗な姿で見えるようになった頃にはもう彼女の笑った顔は見られないなんてさ。
僕が子どもの頃に出会った女神さまのような神々しさはなかったし、多分とびきり美人というわけでもないのだろう。でも、あんなに白い肌をしていたなんて今までわからなかった。もし笑ったら、可愛いと、きっとそう思えたんじゃないかな。
うん。それでおしまい。
それだけのつまらない話。
別に仇討ちなんて望むような子じゃなかった、と思う。そんなことに興味もないだろう。だから、これは僕のただの暇潰しの延長ってわけだ。
ほら、見えるかな。あそこで善良な人間の皮を被ってのうのうと酒盛りをしてる奴らが彼女を死なせた張本人。
自分と違うから、自分には理解できないから、恐怖したから、だからとどめを刺す勇気もないくせに彼女を殺した卑怯者の集まりさ。
彼等が彼女を壊したおかげで僕はどうにも手持ち無沙汰になってしまったからね。小鬼達の芸にも飽きてきたし、今度は彼等に暇を潰してもらわないと。
せいぜい頑張って逃げ回ってくれて、少しでも遊びがいがあるといいなぁ。……さぁ、今日の狩りを始めようか。
◆ ◆ ◆
天も地も赤く染まった夕暮れ時。一人の少年とその連れの小鬼達だけがそこにいた。
無実の少女は既にこの世になく、異端の者を排除した「正義」の村人達はあっけなく物言わぬ肉塊と化してしまった。
少年は狩りたての獲物には興味を持てないようで、近くにあった手頃な岩に腰かけて上着の裾をぼんやりと眺めている。鬼の皮をふんだんに使って仕立てた禍々しい衣装の内側に不格好な肌色が一か所だけ浮いていて、それが小さくも異質な存在感を放っていた。
人間の皮は鬼のそれと比べるまでもなく脆く、他の部分と違ってきっとすぐ朽ちてしまう。使える面積も少ないから単独で衣装にすることもできない。
そんなことはわかっていたが、もう少しだけ彼女と一緒にいたくて、彼は自らの手で引導を渡した少女の一部を剥ぎ取った。せめて摩擦の少なそうな部位に彼女の一部だったものを縫い付けて、それであっという間に新しい衣装の完成だ。
だけれど彼女の一部を身につけてもそれだけではまだ何かが足りないような気がして、少年は彼女の肉を口にした。喰らったところで何の力も得られない、どうしてか妙にしょっぱくて水っぽい肉だったけれど、それでも喰らった。
ただ顔だけは何となく傷をつけることができなくて、あんなに何度も抉り取ってやろうと思っていたはずの眼もそっくりそのまま残して、彼女が好きだと言っていた花のそばに横たえた。
「ねぇ。君を壊したアイツら、すぐに死んじゃってつまらなかったよ。……僕、君のこと、思っていたより気に入っていたのかもしれないな」
安らかに眠る彼女の「顔」に話しかけたところで勿論反応はなく、少年の言葉は誰に届くこともなく空に消えていった。
──彼女の皮も、肉も、眼も、存在すらも、何もかもが草葉の露。だけれど少年の記憶力であれば、少女の名残が朽ちてもきっと覚えていることだろう。
何者でもない、少女の姿をした少女は、今も人知れず彼の心の中にいるのかもしれない。