心の辺心の辺
卒業の時に告白するのは、私にとっては良くないと思うことでした。
なぜ良くないのかと誰かに問われたら、そうですわね。きっと責任が取れないからと答えるのでしょう。
レースの世界を悔いなく終えて、卒業式を終えた私は、大学へと進路を決める。続く学生生活。そんな自分に、貴女を幸せにすると言える保証はなく、だったら、大学卒業後に、貴女に「好き」と伝えたい。それこそが完璧なプランだと、私は、胸に秘めて貴女の元を離れたのです。
大学生活の最中は、貴女に会うことはしませんでした。何度も会おうと思いましたが、大学が忙しく、なにより貴女も新しいウマ娘の子との生活が始まり、よほど忙しくなっていた。
だから、貴女に連絡を取ることは憚れました。でも、いいんです。私達は一心同体。こちらが忙しくなれば、貴女も忙しくなる。それは私達のつながりをより強く示すようで嬉しかったのです。
それに大学を卒業すれば、私は、貴女の元へ行ける。それだけで何の不安もありませんでした。
そうして、四年の大学生活を終えた日に、私はすぐさま貴女に連絡を取る。懐かしくて久しぶりのメッセージのやり取り、二日後によく行っていたパフェの美味しい喫茶店に。
滞りなく約束をして、私は、告白の練習をする。寝る前に、目を瞑りながら、たった一言。
好きです。私と付き合ってくださいませ。
単純で飾り気のない告白。でも、きっと貴女は受け入れてくれるはず。それだけで胸が高鳴り、眠りにつく。
約束の当日。
私は、早く着いてしまって、カフェの席で貴女を待つ。カランとドアベルが鳴るたびに、振り向いては残念な気持ちになり息を吐く。
緊張する。あんなにも毎日会っていた人なのに、ひどく緊張して指が震える。またカランとドアベルが鳴り、ハッとして振り返ると、私は、喜びと、同時に悲しみをしっかりと味わうことになるのです。
「久しぶり、マックイーン」
変わらない声。
変わらない優しさ。
いつもの席に、貴女は座る。
それなのに。
「マックイーン? どうしたの?」
目の前に座る貴女は。
まったく知らない女性に見えたのです。
「え、あ、いえ、その、大人っぽくなられましたね」
焦って繋いだ言葉にしては、相手に違和感を与えない言葉を選べた気がします。
ただ、年下の私が選ぶべきではない言葉であり、それに……大人っぽいでは表現の出来ないほど、確かな壁が見えたのでした。
「大人っぽい? そうかなぁ?それを言ったらマックイーンも大人っぽくなったよね」
笑った顔に懐かしさを覚える。
私は、何かを勘違いしていたのでした。私達の三年はあっという間で、それは確かに『走り抜けた』と言える三年で、充実して、人生の中に残る最も輝かしい三年。
だから、私は思ったのです。
大学の四年なんてあっという間。
あの輝かしい三年の記憶があれば私達はいつだって一心同体。
なにより貴女はあの三年間、変わることなく私を導いて下さった。だから、貴女は四年経っても変わらない。
そう思っていたのは、本当に私が勝手に思っていただけで、貴女は変わった。いえ、冷静に思えば変わるはずです。変わるはずですわよね。
だって、今思えば、私が成長するように貴女も私の隣でとても成長していたのでしょうから。
それを私は近くにいすぎて、毎日毎秒一緒にいすぎて、その変化に気付かなかっただけなのですから。
久しぶりのトレーナーさんとの他愛無い会話。
四年の空白があったのだから、それを埋めるだけのたくさんの密度の高い会話があるはずなのに、それなのに、何故か話は中身がなくて、昨日の話なんかしてしまって。こんなことが話したくて呼んだ訳ではないですのに。思いの丈を告げたかっただけですのに。
「大学は楽しかった?」
「私は今、二人の子を教えてるよ」
「その子達もステイヤーなの」
「マックイーンのこと思い出すよ」
「そうだ、この前のレースの写真見る?」
私は、ちゃんと話せているでしょうか? それは、きっと話せているという答えになるのでしょう。これは私も大人になった証拠。私達、同じところに来たんですのね。同じ二十代。今年で同じ社会人になる。貴女はいつも最善を選んでくれていた。私を一番に考えてくれていた。だから、私も、貴女を一番に考える日が来たのですね。
手を、離しますわ。
今から私は貴女の過去になる。
ずっと子供のままで居たいと言う大人達の言葉の意味が分かった気がしますわ。私は、我儘でしたわね。トレセン学園で貴女の担当でいた時、まるで貴女の未来を掌握したような言葉達を放ったのは傲慢で子供っぽい独占欲で、貴女が受け入れてくれていた理由は、私を教え子として一番に考えてくれていたから。
「マックイーン、ごめん、明日も朝からトレーニングあるからそろそろ帰るね」
立ち上がる姿に慌てて手を伸ばしても、何かを掴む勇気もなく、頷くしかありませんでした。
えぇ、そうですわよね。お互いにお互いのいない時間を四年も過ごしたんですもの。もう、貴女には別の生活があるのですよね。
「トレーナーさん、いえ、違いますわね……。ここで呼ぶべきは──」
貴女の名前を呼ぶのは、これで最初で最後になる。
下手くそな、不器用な私の恋はここで終えるとしましょう。
過去にもたれ掛かりすぎた私、勝手に未来を作り上げすぎた私は、ここで今を知るのですね。
名前を呼ばれた貴女は驚いてから、でも、微笑んでくれたのでした。その笑顔がこの心を焦がすようで。
でも、何も言わずに喫茶店を出て、景色は夕暮れに染まる街並み。
「じゃあ、私、こっちだから、またマックイーンが時間がある時にご飯でも行こうね」
優しくて、意地の悪い人。
私が求めた時だけ会ってくれるんですのね。
貴女は手を振り学園の方に向かって歩き出す。
昔は一緒に帰った道、今は向かうことの出来ない道。
私は、駅の方へと歩き出す。
貴女が少しでも私をあの時と同じように、もし担当バのように特別に扱ってくれたのなら、告白をしたかもしれない。もう少し子供っぽく扱ってくれたのなら、甘えたのかもしれません。
でも、貴女はちゃんと一線を引いていた。だから、私もそれに合わせて歩き出す。
呆気なく、中等部から思い続けた自分の今までの人生のほとんどを使った恋が終わる。
足が止まる。
簡単に終わらせていいものではないでしょうに。
言い聞かせて振り向く。
貴女は背を向けて歩いている。
もし、もし、振り向いたら告白します。
貴女がこちらを向いたのなら。
見つめた先、貴女はひとつひとつと遠ざかる。
その時に、待てなかったのは、私です。
足が勝手にという言い訳は致しません。
すべてがそうしたいと思ったから。
ただ、好きと伝えるべき。
気付けば、走り寄り、手を伸ばして、貴女の背中にしがみついていて、
「え、あ、マックイーン!?」
貴女は驚いた声を出す。
「好きです。私と付き合ってくださいませ」
飾り気のない。背中からの告白。
言葉に飾り気はなくとも、手は激しく貴女の服を掴んでいる。
答えを聞くのが怖い。たった数秒、いえ、本当は数分だったかもしれません。
ただ、貴女が言ったのは、まるで、
「マックイーン、ごめん。私も好き、だよ」
まるで、フるためのようなセリフ。
本当にこの人はいつも口下手で、すぐに謝る優しい人。
「謝る理由はなんですか?」
「いや、なんか、私が本当は言わなきゃいけなかったのかもという気がして」
変な人。変わらない人、いいえ、やっぱり大きく変わった人。
背中の温もりに身を預ける。
「その言葉は……告白の返事はOKと捉えていいんですの?」
「うん。ごめん、分からなくてて。好きだよ、マックイーン。本当にずっと前から。ちゃんとこれから歩んでいきたい」
やっと、この人を幸せに出来る。
この背中が私のものになる。
後ろからの不格好な告白をした私を、あなたは振り向いて抱きしめてくれる。
路上で、はしたないと今日は言われても構わない。
やっと、ようやく、私の全力であなたを愛す日がきた。