ヒトカゲのマスコットを買ってきた日の賀謝の話 お昼頃、特に気に入ってる作品の新装版が出ると聞いた賀予は大学の近くにある書店を訪れた。
普段買いたいものはネット注文で済ませるタイプだが、今日の目当ては早く手元に欲しい。ネットで購入すると発売日に届かないこともまあまああり、且つ書店だと発売日前日に入手出来ることもある。早速、新刊コーナーに行くと目当ての本を手に取った。さっさと会計を済ませようとしてレジに並ぶ。そこで懐かしいものを見つけた。
「これ……」
賀予が見つけたのは、世界的有名なポケットモンスターのブラインドボックスだった。新商品なのか沢山積み上げられており、パッケージには六種類の人気ポケモンの一覧が描かれている。この中のどれかが入ってるということだ。
小さい頃、賀予は大のポケモン好きだった。歳を重ねるうちに自然とやらなくなったが、なつかしいと思いひとつ、手にとった。
その晩、賀予は謝清呈の教員寮に訪れていた。謝清呈の作った晩御飯を食べ、その日のやる事をを終わらせた。謝清呈はいつも通り読書をしながらソファでくつろいでいる。
賀予は向かいのローテーブルで課題をしていたが、昼間に買ったポケモンのブラインドボックスを思い出した。取り出して、封を開ける。
「あっ」
室内から興奮した少年の声が上がる。ちらりと謝清呈が賀予に視線を送った。
小さな箱から取り出されたのは、二足歩行で立つオレンジ色のドラゴンで、しっぽには小さな炎が灯っている。
謝清呈は小さい頃からゲームなどの娯楽をした経験がほとんどない。しかしこの生き物はどこかで見たような気がした。相当有名であれば街の広告やテレビのコマーシャルなどで見る機会もある。
「謝哥、今日書店に行った時にたまたま見つけて買ったんだ。僕の一番好きなポケモンだよ」
賀予は機嫌良さそうに、謝清呈の方にそのドラゴンを見せて、にこにこしている。特段興味はなかった謝清呈はとりあえず軽く頷いた。
「課題の後にしなさい」
賀予は分かったと言った。しかし全く分かっていなかった。読書がしたい謝清呈に、賀予はポケモンのヒトカゲについて熱心に説明し始めたのだ。
「……」
少年の熱弁を要約するとこうだ。賀予は小さい頃からゲームの中ではポケモンが特に好きらしく、初めてプレイしたのがポケットモンスターファイアレッドというカセットだった。このRPGゲームでは最初にプレイヤーがポケモンを選ぶが、賀予が最初に選んだ思い出のポケモンが今謝清呈の目の前にあるマスコットのヒトカゲらしい。熱く語る賀予はいつもよりずいぶん幼く見える。
謝清呈は早く会話を切り上げて読書がしたかった。しかし、最近の賀予は真心を込めて謝清呈に笑いかけてくれるのであまり傷つけたくない。彼の謝哥は少年の話を聞いてあげたくなったので、仕方なく耳を傾けた。
「ヒトカゲは進化するとリザードンになるんだ。一番かっこいい技はかえんほうしゃっていって、相手を一撃で倒せたりするんだよ!」
「そう……」
謝清呈に興味がないのは歴然だったが、少年は丁寧に自身のスマートフォンをタップして、リザードンの画像を見せてくれる。
逃げる理由を考えていると、賀予は手を伸ばし、今度は謝清呈の方にヒトカゲのマスコットを見せた。
「ねえ、謝哥。コイツを君の部屋に置いてもいい? 君が愛情を注いでくれたらコイツはある朝リザードンに進化してるかも。どうかな?」
若者は子犬が飼い主にねだる様に、きゅるんとした瞳で謝清呈を見つめる。意味不明な賀予の言い分に謝清呈は困って頭を傾けた。
「置物にどうやって愛情を注ぐの?」
少年は真剣に考えた後、良い案が浮かんだようでにっこり微笑んだ。
「毎日、朝と晩におはようとおやすみを言ってキスをするとか」
「……」
謝清呈は言葉を失った。ふてぶてしい少年は上手に彼にウィンクをして、お手本だと言うように、片手に持った小さなドラゴンにキスをした。
聞いてるこっちが恥ずかしい。
謝清呈は、ため息を吐く。いい加減しろと、細長い人差し指と中指で賀予のおでこを軽く小突いた。
「あなたは何の話をしているの?」
謝清呈は快諾しなかったが賀予も彼が受け入れるとは思っていない。ただ彼の兄と戯れたいだけなので、少年はずっと機嫌が良かった。
その日も賀予は謝清呈の教員宅に泊まった。少年が泊まるのは今日が初めてではなく、ここ最近、謝清呈が忙しくない日を選んでは度々泊まっていく。
賀予はいつも通り彼のソファで謝清呈の余分にある毛布を借りた。長い脚をはみ出して寝転がりながら、毛布の……彼の謝哥のにおいを身体いっぱいに吸い込む。
その時、寝室の方からこちらに向かう足音が聞こえ、暗くなった部屋がぱちんと明るくなった。
賀予は毛布から顔だけ出した。もちろんやってきた相手は謝清呈しかいない。謝清呈は寝る前なのでいつもの白シャツに黒のスラックス姿ではなく、白いバスローブを羽織っていた。いつもは見ることが出来ない首筋や細い脚が露出されているだけで刺激的で目に毒である。その為、若者は視線を逸らした。少年はもう彼を傷つけたくないので、自身をコントロールしなければならない。
「これは何」
謝清呈がずい、っと賀予の顔の前に出したのは数時間前に少年が熱弁したマスコットだった。
謝清呈は自分の寝室にソレを置くことを許可しなかったが、賀予は彼が風呂に入ってる間にこっそり彼のベッドボードにそのヒトカゲのマスコットを置いた。すぐに見つかるのは分かっていたので、先生にいたずらが見つかった小学生のように賀予は笑う。
「バレた?」
「あなたは……自分が欲しくて買ってきたんじゃないの?」
しばらく謝清呈から目を逸らしていた賀予が視線を彼の方に向けた。
「言ったでしょ? 気が変わったんだ。あなたの寝室に起きたくなったんだよ」
あっけらかんとした賀予に謝清呈はため息をつく。
「君が寝泊まりするようになってから君の私物が部屋に確実に増えている」
賀予はいつか言われると分かっていたので、声に出して笑って、頷いた。
「でもソイツはあなたの役に立つよ謝清呈。あなたは寒がりだろう? ソイツは炎ポケモンだからそばに置いておくと暖が取れるよ」
非化学的なことを喋る少年に謝清呈は目を細め、首を横に振る。
「偽物だ」
断固としており、普通の人なら威圧感すらある声音だった。しかし少年はもう気にしない。
賀予はソファから起き上がると立ち上がり、謝清呈の手を取った。その足は彼の兄を引っ張って、彼の寝室に向かう。自分の家のように慣れた手つきでドアノブを押し、謝清呈の自室に入り、ベッドに座らせた。男性二人の重みにマットレスがぐんと沈む。
「どうしたの?」
桃花眼が杏眼をじっと見つめる。ふたりの空気は前ほど張り詰めたものはなく、むしろ柔らかい。
熱い視線で少年はかつての謝先生を見つめた。あの頃、無情で血が通っていないと思っていたその人は自分に誰よりも愛情深かったことを今は知っている。賀予は謝清呈を見つめたまま、骨ばった男らしい手を、彼の手のひらにある小さなドラゴンごと包む。そして、もう片方の手で彼の腰に触れ、自分の方に引き寄せた。
「謝清呈……そいつは偽物かもしれないけど、僕は本物だよ。ほら、今も温かいでしょ? もしソイツが不満なら僕が君を温めてあげる……謝清呈……僕はあなただけの、あなただけの年間無料サービスだ。いいと思わない?」
そういって、賀予は強く強く彼を抱きしめた。彼の首筋に顔をうずめ、ちゅ、と透明の肌にキスを落とす。黙っていた謝清呈が微かに身体をふるわせた。
低体温の身体は若者の言葉と抱擁で一瞬にして熱くなる。賀予の強い鼓動が密着した肌から伝わって、伝染したように彼をドキドキさせた。謝清呈の空いた片方の手がシーツの上を切なげに滑る。あの頃より随分大きくなった少年を抱き返したくなった。
しばらく彷徨い──しかし、謝清呈が賀予を抱き返すことはない。代わりに背中をポンポンと二回叩いた。子供をたしなめるように。
「……分かったから離れて」
「……」
賀予は彼に従わず抱きしめままでいた。……一分ほど。しかし分かっていたことだ。なので、非常にゆっくり、彼を解放した。
諦めてくれたことに謝清呈は安堵した。しばらく手の中にあるマスコットを見つめ、最終的にベッドボードに小さなドラゴンを置いた。
すると少年はぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「……置いてくれるの?」
「…………うん」
賀予はヒトカゲは押しつけて返されるものだと思っていた。しかし意外にも彼の分身の小さなドラゴンは謝清呈に受け入れられた。火事の一件から謝清呈が彼を甘やかせてくれることを賀予は知っていた。それが何を意味するのか。本当に同情しているだけなのか。聞きたかったが、反面、聞くのがこわかった。でも……。
「謝清呈……僕……僕……」
「いいから早く寝て」
遮って、謝清呈は賀予に喋らせない。少年は一瞬固まると、唇を噛み締める。しばらく俯き、ゆっくり頷いた。
賀予はこう思うことにした。時間はあるのだから焦ってはいけない。またチャンスが巡ってくるはずだ。
「分かったよ」
賀予は従順に彼の謝哥に微笑むと、美しい人の頬に軽くキスを落とした。
「おやすみ、謝清呈」
「……おやすみ、賀予」
おわり