アルハイゼンの規則正しい生活生活とは。
生きていること。生存して暮らしていくこと。
安定とは。
物事が落ち着いた状態にあること。
人は生きている。
朝起きて、昼は活動し、夜に眠る。
それを繰り返し繰り返し行うことが、生活となっていく。
アルハイゼンは、安定した生活を望んでいた。0でもなく、100でもない。最も合理的な50を目指して。その為にスメールの中で立場・権限・財力・安定・平穏・知識欲の全てを合理的に満たせる条件の整った書記官という仕事に就いた。書物の管理、書類の整理、会議の議事録係といった職務をこなしながら、求める時に必要な書物を閲覧できるという権限を保持できる職種だ。文弱のアルハイゼンにとっては、合理的すぎるといっても過言ではないぐらいの仕事である。
そうして得た金で、今度は家を購入した。快適な暮らしを送るために「住まい」というのは重要となる要素の一つである。一人暮らしにとって少し広めの家には、十分に書物を置くことの出来るスペースがあり、アルハイゼンも納得のいく物件だった。
あとは食べ物さえあれば生きていく事が出来る。一人暮らしの食事というのは、自炊をするよりも外食で済ませた方が手間がかからない。馴染みの店とカフェもあるので、食事をするにはそこで充分である。
生活。安定した、生活。
それを送る準備は完全に整った。あとは「朝起きて、昼に活動し、夜に寝る」これらを繰り返すだけで、アルハイゼンは安定した生活を送ることができる。
それはまさに己がずっと望んでいたもので、表情筋が硬い自覚があるにも関わらず、口角が少し持ち上がるのを感じた。
---------
「……ふむ、これは」
予定外の事態が発生した。
安定した生活を送る事が出来ると思ったにも関わらず、それを崩す存在が現れたのだ。その存在の名前は「アルハイゼン」という。そう自分自身である。
昨晩、気になっていた書物を手に入れたので、就寝する前のお供として読み始めたのだが……。自分でも気が付かないぐらい真剣に、時間を忘れて読み耽ってしまったようだ。
活字の羅列からふと目を離すと、部屋の中が清らかな太陽光に包まれていた。ベッドのそばにあるサイドライトの灯りは着きっぱなしにも関わらず、寝室はもうすでに灯りは不要の物として朝の日差しを満喫している。
『夜に寝る』
それが安定した生活の一要素だったはずである。しかし、アルハイゼンは夜に眠りもせず、本を読んで朝を迎えてしまった。もしもこれが一夜だけでなのであれば、そんな日もあるとイレギュラーとして受け入れられたであろう。しかし、アルハイゼンがこの家で一人暮らしを始めて間もないというにも関わらず、本を読んで朝を迎えるのはこれで五度目である。
ベッドから降り、リビングへ向かう。
こういう日のリビングには規則性がある。もう四度も繰り返しているのだから、五度目も類に漏れず同様の規則性が適応されるであろう。自分には本を読み進める途中で、注釈で補うよう他の文献から調べ物をする癖があるのだ。それらは大抵の場合、無意識下に行われている。もはや学者の癖のようなものである。
「……………はぁ」
やはり。アルハイゼンの予想通り、リビングのテーブルの上や、棚の上にはごちゃごちゃと広げられ散乱した本達があった。ぐるりと部屋全体を眺め、思わず大きなため息がでてしまった。
整然とした部屋、安定した生活。
快適な家を手に入れたはずなのに、あまりにも快適すぎて、逆に安定した生活を送る事が出来なくなってしまったのだ。原因は己ではあるが、そもそも無意識下で行なってしまうので、対処のしようがない。己で対処出来ないのであれば、己を対処してくれる存在を探す必要がある。
アルハイゼンの安定した生活のため、早急に解決しなければならない問題が生まれてしまったのだった。
「え? 書記官、ルームメイトを探しているんですか?」
「あぁ」
驚いたように目を丸くしている相手は、アルハイゼンと同じく教令院で働いている人物だ。彼は書記官の肩書は無いけれど、図書整理の業務を担当している者で、仕事での関わりは多い人物に当たる。特段仲がいいわけではないが、アルハイゼンにとって「仲がいい」と定義できるような人物が現状存在していないため、関わりの多いという繋がりで彼に声をかけたのだ。
「書記官がルームメイトを募集だなんて……。何か理由とか、或いはどんな人物がいいという希望はありますか?」
どんな人物がいいか。特には考えていなかったが、アルハイゼンが規則正しい生活を送る事が出来るような人物が望ましい。
現状昼には問題なく活動ができているので、問題は朝と夜だ。
「出来れば、朝に起きて夜には眠る人がいい」
「……それは誰だってそうですよ。もっと無いんですか?楽しい人がいいとか、静かな人がいいとか」
静かな人物であれば、アルハイゼンの読者を邪魔することはないだろうが、それでは現状と変わらずルームメイトになる意味がない。活字の海に沈み込んだアルハイゼンを引き上げてくれるような人物が必要なのだ。
「朝に起きた時と、夜寝る前は少し騒がしい人物が理想だ」
「どんな人ですかそれは……」
驚きに目を丸くしていたかと思えば、今度はじとっとした目でアルハイゼンを見てくる。
本当に変わった人ですね、とボソボソと呟きながら数冊の本を本棚に戻し、「そうだ」と言いながらまたアルハイゼンの方を見た。
「掲示板で募集したらいいんじゃないですか、ルームメイト」
「公募ということか」
「そうなりますね。同居人に求める条件は少ないようですし、募集に釣られて向こうからやってくるので書記官自ら探す手間が省けますよ」
なるほどな、とアルハイゼンは納得した。
ルームメイトに該当する人物をアルハイゼン自ら探し選ぶのは、正直骨の折れる作業だ。こうして職務中に声をかける事が出来るのであればいいが、残念ながらアルハイゼンがルームメイト募集の声をかける事ができる人物は、この目の前の図書整理担当者のみである。
どうせ今後、話したこともない者に声をかけるぐらいなら、確実に家を探している者から声を掛けてもらった方が合理的だろう。
「……なぁーんて、本当や掲示板なんかで募集したらきっと変人しか集まらな」
「君、いいアイデアだな。そうすることにしよう」
「へ????」
「では。お疲れ様」
カーン、カーン。
ちょうど遠くの方で仕事の終わりを告げる夕暮れの鐘の音が鳴る。今度はポカンと口を開けた表情をした図書整理担当者をその場に残して、アルハイゼンは完璧な定時退社を決めた。
その足で向かうはシティの掲示板。これから夜を迎える町で人目に付きやすいのは、食事をする事が出来るレストラン前の掲示板だろう。そこでルームメイト募集の書き込みをし、ついでに夕飯で腹を満たしてから家に帰る。あとはその募集をみた人物が、アルハイゼンの家の扉を叩くのを読書をしながら待てばいい。
ふっ、と家を手に入れた時と同じように口角が持ち上がるのを感じる。
アルハイゼンの安定した生活は、もう目の前だ。
-------
----
「アルハイゼン!!ただいま!!!」
玄関から大きな音がした。
活字を滑らせていた目を動かして、音の出所へは向けずに部屋に備えられた時計へと視線を送る。
うん、ちょうど良い時間だ。
「聞いてくれ、実は白って二百色………」
金髪の髪を揺らしながら頬を赤く染めた男は、酒が頭に回りご機嫌なようで、聞いてもいない出来事をベラベラと話し続ける。
この男こそ、掲示板にアルハイゼンが記した募集の書き込みを見て「ルームメイトが居なくて困っているんだろう?住める家があると聞いてきた」とノコノコ現れた人物である。まさか扉を開けた先に、スメールでも有名な建築家のカーヴェがいるだなんで思わず虚をつかれたのだが……。それは、まあいい。
「カーヴェ、俺はもう寝る。君も早く風呂に入って静かにベッドに潜れ」
「なんだと!君には先輩の雑談に付き合うという後輩らしさはないのか?!」
「どうせ今日の酒代も俺に付けてきたのだろう。後輩の金で酒を飲み、睡眠の妨害までしようとする先輩の雑談に付き合う義務がどこにある」
「義務は勿論ないさ。それとも君は義務でなければ人とのコミュニケーションも取れないような大人なのか?ふっ、かわいそうに」
「睡眠の時間で無ければ、君の望み通りコミュニケーションをとってあげるよカーヴェ。明日の朝まで俺の目が覚めるのを、花神誕祭前日の子供のように楽しみに待っているといい」
「はぁ?!どうして僕が君の目覚めまで待たないといけないんだ!もういい、早く寝ろ!」
プンプンと怒りながら風呂場に向かったルームメイトを見送って、アルハイゼンも自室に向かい整えられたベッドの中に潜った。
勿論先ほどまで読み進めていた本には栞を挟んだし、資料として数冊だしていた本も棚にしまってきた。形のいい枕の上に頭を乗せて、眠るために目を閉じる。
アルハイゼンの家で共に暮らすことになったカーヴェとは、とてもではないが相性が良いと言えない。言葉を交わせば喧嘩だってするし、手が出る時もある。
それでも、何故かカーヴェのいる生活は不思議とアルハイゼンに安定をもたらしたのだ。
夜だから寝る。
そして朝目が覚めると、意外と朝に強いカーヴェがリビングでコーヒーを飲みながら「おはよう」と声をかけてくる。その顔は、恐ろしく整っている時もあれば、二日酔いで真っ青な時もあり様々だ。
さて明日は、どんな顔をしているだろうか。
繰り返される生活で、朝起きることに楽しみが増えてしまった。この安定した生活をアルハイゼンは、どうにも手放せそうにない。