現代AU「≠」扶揺の初めての話 №3「いただきます」
食卓机の前に向かい合って座り、南風と扶揺は手を合わせる。
座ったすぐ前の机の上には目玉焼きののったカレーとサラダ。
二人の間にはらっきょうと福神漬けが入った器が並んでいる。
「遠慮せずに食えよ。おかわりしても十分な量あるから」
そう言う二人の前に置いてあるカレー皿は山盛りだった。
よく目玉焼きが滑り落ちないものだと扶揺は感心した。
こんな量、おかわり以前に食べきれるかもわからない。
何度かご馳走になったとき、確かに南風のご飯茶碗は大きいなとは思ったがこんなに食べるのかと。しかもおかわりの話が出るぐらいだ。
扶揺はちょっと引いた。
けれど、美味しそうにカレーを食べる南風を見ていると微笑ましい気持ちになる。
一見がさつな印象がある南風だけど、所作は意外に悪く無い。優雅ではないがどことなく丁寧というか。そのせいか、スプーンにたくさん盛ったカレーライスを口に運ぶ動作や咀嚼する様は見ていて悪い印象はない。むしろずっと見ていたい気もする。
惚れたひいき目はあるかもしれないが、扶揺には自覚はない。
「どうかしたのか? 食わないのか?」
自分を見ている扶揺に気付いた南風が不思議そうな顔をする。
「何でも無い。食べる」
慌ててカレーを掬ったスプーンを口にした。
「美味しい」
一口食べ終わって南風の方を見ると、なぜか自慢気だった。
それから、とりとめない話をしながら食事を取る。
当然の様におかわりをした南風の食欲に半目になりながら、扶揺はなんとか大盛りのカレーライスを完食した。
扶揺はぼんやりと『いつもと変わらないな』と思う。
誘われたと思ってたのは自分の勘違いなのではないか。
だって、本当にいつもと変わりない時間を過ごしている。
南風からもそういった色めいた様子は感じられない。
安心すると同時に少し残念な気もして複雑だ。
「ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
席を立ってカレー皿とサラダボウルを南風の分も一緒にシンクへ運ぶ。
ハンドルをあげて皿を一度水で流してから、スポンジを手に取る。
そのスポンジを南風が横から取り上げた。
驚いて思わず南風の方をみる。
「食器は俺が洗う」
「ご馳走になったんだから洗い物ぐらいはさせろ」
「気にしなくてもいい」
「だったら二人で片付けよう」
「わざわざ二人でする数でもないだろう」
「でも」
「いいから。その代わり先に風呂に入ってこい」
南風の言葉に扶揺は思わず身体を強張らせた。
勘違いだと終わらせたはずが終わってなかった。そして、今の自分の反応で南風に今日誘われた意味を理解してる事を確証させた事に気付く。
それでも、とぼければ無かった事に出来るだろうか。
けれど、そのつもりでここに来ておいて今更逃げるのもみっともなく思えた。
どのみち反応してしまった時点で手遅れだ。
結局片付けは南風に任せてダイニングをでた。
浴室の扉を開けて中に入る。今頃南風は何を考えているのだろう。
これからの事を思って鼓動が早くなってくるのは自分だけなのだろうか。
時間を稼ぎたいのか触れれることを意識してしまうのか、いつもより時間をかけて身体を洗う。
もうそれだけでたまらなく落ち着かない。
お風呂から上がって、まだダイニングに居た南風に出た事を告げると返事を待たず南風の部屋に戻った。
部屋に置かれた机の前に脚を抱えて座る。
南風がいつ戻ってくるのを待っている時間がいやに長く感じる。
逃げ出したいような、期待しているような、色々な何かが混ざったような気持ちがどんどん大きくなっていく。
そもそもまだ高校生の自分たちがしても良いことなんだろうか。
だいたいなんで今日なんだ。
春休みだからか、南風の両親が旅行に行ってて居ないからか。
今までそういうことしたいとははっきり言われてなかったし、もうちょっと時間かけてからでもよかったような気がしてきた。
そう思うと、もう、なんか南風がただやりたいだけなんじゃないかって気持ちが大きくなりだして、扶揺は眉間に皺を寄せた。
不意に扉が開いて反射的に顔を上げると、南風が透明なペットボトルを二本もって入ってきた。
「ほら」
言って、扶揺の前に差し出した。
受け取ったボトルは冷たかった。
キャップをひねって机の上に置いて飲む。
その時、自分が喉がひどく渇いていた事に気付いた。
扶揺の隣に座った南風も同じように水を飲んでいる。
沈黙が怖かった。
嫌に長い時間に感じる。
「扶」
「そうだ、今日の食事の礼に今度私がお前に何か作ってやる」
「俺が作ったわけじゃない」
「目玉焼きはお前が作ったんだろう」
「割に合わないって言ってたのにか?」
「それは……」
咄嗟に理由が浮かばなくて一瞬黙って見つめ合った。早く何か返さなければと思うのに言葉が出ない。
南風がそんな扶揺に手を伸ばしてくる。
思わず身構える。
怖いぐらいに見据えられて扶揺の瞳が揺れる。その様子に小さく息をついて、扶揺の手からペットボトルを取り上げて机の上へ置いた。
「嫌ならそう言っていいんだ」
扶揺は思わず目を瞬かせる。
「無理強いはしたくないし、それじゃ意味が無い」
何も言えなくなっている扶揺の頬に触れる。
「お前の事だからここまで来て今更引き下がれないとか思ってるんだろう?」
「…………」
へそを曲げると困るから面に出すわけにも行かないが、泣き出しそうな目で睨んでくる扶揺に南風は内心笑ってしまう。
「別に今日じゃなくてもいいんだ。お前がその気になるまで待つさ」
扶揺の頭を一度撫でてから自分の分のペットボトルを片手に南風は立ち上がった。そのまま部屋から出ようとしている事にきづいた扶揺が思わず南風の手を掴んだ。
「どこへ行くつもりだ」
「兄さんの部屋」
「なんで」
「俺と一緒だと落ち着かないだろう?」
「…………」
「そんな顔するな、別に怒ってるわけじゃない」
「違う、嫌とかそうじゃなくて……」
言いづらそうに視線を逸らしながら扶揺は手に力を込めた。
南風はもう一度扶揺の隣に座ると、扶揺の方ではなく正面を向いた。
ちらりと視線を向けると、すぐ側に南風の横顔。
少し逃げ腰になっているのは間違いではないけれど、だからと言って嫌なわけではない。
このもやもやした気持ちをなんて説明したらいいのか。
「南風」
「なんだ」
「するとして」
「……うん」
「私は抱く方なのか抱かれる方なのかどっちだ」
「…………」
答えが返ってこなくて扶揺は南風の方を向くと、同じように扶揺の方を目を見開いていた。
その様子にやはり南風は私を抱くつもりだったんだなと扶揺は確信した。
いや、最初からそうだとは思ってたけど。
南風の「今日でなくていい」という言葉に、なんだか気持ちが落ち着いた。そうして冷静になってみれば、うん、やっぱり、南風とそう言う事をすることは嫌ではないのだ。
ただ、南風の思い通りに進むのがちょっと癪なだけだ。
とはいえ、扶揺が投げた問いは現状を進めることも退くことも簡単にできなくしてしまった。
さて、ここからどうしたものかと扶揺は腕を組んで小さく首を傾げた。
「扶揺」
「なんだ」
明らかに動揺しているらしい南風が眉間に皺を寄せながらしばらく逡巡したのち漸く口を開いた。
「お前は……その、俺の事抱きたいと思っているのか?」
そんな事は欠片も思って居ない。
でも、それを言ってしまうと、やっぱり南風の思い通りになってしまう。それがどうしても癪なのだ。
「……私も男だからな」
嘘ではない。男としての矜持で抱かれる事に抵抗がないわけではない。
「…………」
「…………」
しばらく無言で見合ってから南風は一度顔を伏せてから思い切るように顔を上げた。
「扶揺」
「なんだ」
「俺はお前を抱きたい」
「だろうな」
「でもお前も俺が抱きたいんだな」
「……そうだな」
そうしてまた二人して無言で見つめ合ってしまう。
「南風」
「なんだ」
「今日はやめておくか」
その問いに南風は手で口を覆うとじっと扶揺を見る。
ややあって口から手を離すと扶揺と同じように腕を組んだ。
「じゃんけんするか」
「……はぁ?」
「俺はお前を抱きたいし、お前も俺を抱きたいならこのままじゃ進まないだろう」
「だからじゃんけんって……そこまでしてしたいのか?」
「したい」
真顔で即答されて扶揺は心底呆れた。
「お前な、負けたら私に抱かれる事になるんだぞ」
「それでもだ」
「なんでそんなにしたいんだ」
「俺は誰よりもお前の近くに居たい」
真剣で強い瞳と声に扶揺はゆっくりと肩口に額を押しつけた。
「……今だって近いじゃないか」
「今の距離は俺以外にも居るだろう」
「私の家族にまで嫉妬する気か」
「そういうわけじゃない」
「ん、分かってる」
誰よりも近くに居たいからってなんだその理由はと扶揺は思った。
その為なら抱かれてもいいっていうのか、本当になんなんだその独占欲。
まだやりたいからって言われた方がするにしてもしないにしても気が楽だ。
そして、多分こいつは自分が言ってることの意味が分かってない。
普通そんな事言われたら引く。
しかし、扶揺は不快には思わなかった。つまり、そう言う事だ。
南風の背に両手を回す。
「お前は本当に馬鹿だな」
「扶揺?」
扶揺の背に手をやりながら言葉と違って柔らかな声に南風は戸惑う。
「察しが悪いな」
「何が」
「抱かれてやってもいいって言ってる」
今の会話で分かるかっと言いかけて、扶揺の言葉を理解して思わず身体を離した。
「いいのか?」
「疑うのか? だったらやめてもいいぞ」
「いや、疑わない」
食い気味な返しに扶揺は噴きだした。
「お前は本当に馬鹿だ」
笑う扶揺の頬を南風の右手が覆う。
「本当にいいんだな」
「しつこいな。気が変わるぞ」
突き放すように言ってから、南風の口に自分のそれで触れてすぐに離れた。
「痛くはするなよ」
頬に朱を刷いて居心地悪そうに視線を反らしている扶揺を南風は強く抱きしめた。