現代AU「≠」扶揺の初めての話 №2 片手で足りるほどしか来たことのない駅の改札のすぐ側の壁際で扶揺は駅の入口を見ていた。
時間は昼を過ぎたばかり。
予定より早く着いてしまうことは南風に連絡済みだから、じきに迎えにくるだろうけれど、この待っている時間が妙に落ち着かず帰りたい気もしてくる。
ふと、おそらくセックスしようと誘われての待ち合わせに、約束の時間より早く来るなんてまるでやる気満々みたいだと気付き今更恥ずかしくなってきた扶揺が踵を返そうとした瞬間
「扶揺」
と声をかけられ腕を掴まれた。
「どこへ行く気だ?」
「……お前がいつまでも来ないから、飲み物でも買いに行こうとしてただけだ」
怪訝げな南風の様子に一瞬顔を強張らせたが、すぐにいつも通りの不機嫌な口調で何でも無いように取り繕った。
「そんなに待たせてないだろう」
「お前が誘ったんだから、私が着く前に迎えに来い」
「約束の時間より早く来たのはお前じゃないか」
「私が時間通りに来ていたら、お前は先にここに居たのか?」
扶揺の問いに、何故か南風は微妙に渋い顔をした。
「?」
「いや、なんでもない。早く行こう」
扶揺の腕を掴んだ手を離し、そのまま手を握ろうしているのに気付いて、扶揺は南風の手をはたき落とした。
「こんな人の多いところで手を繋ぐのは嫌だ」
南風はひどく不服そうな顔をしたが、扶揺の機嫌を損ねたくなかったのか何も言わずに引き下がった。
それから二人は駅の近くのファストフード店で食事をして、あたりをぶらついてスーパーで買い物をしてから南風の家へ向かった。
何度か来た家なのに、いつもと雰囲気が違う様に感じるのは気のせいだとは分かっている。
南風が玄関のドアをあけようと鍵を差し込んだのを見ていると、鼓動が少しずつ早くなるような気がした。
また引き返したい気持ちになったが、ここまで来て逃げるよう情けない所を南風に見せたくない。
そうこう考えているうちに南風が鍵を横に回した。
ガチャリと解錠された音が嫌に耳につく。
「どうぞ」
南風には似合わない言い方だと感じながら、入ってしまえばもう戻れないなと一歩踏み出すのに一瞬躊躇って、それでも扶揺は家へ入った。
当たり前だが誰かいる気配はない。
「俺の部屋おぼえてるだろ? 先に上がってまっててくれ」
扶揺が頷くと、南風は玄関ホール真っ正面の扉を開けて進んでいった。
扶揺は南風とは別の左側にある扉を開いて廊下にでる。そのまま少し先にある階段を上る。階段を上がってすぐ右手に扉があって、それが南風の部屋だ。
初めてきたわけでもないのに緊張しながら南風の部屋に入った。
前来たときと変わらない。南風の匂いのする部屋だ。
綺麗に片付いている……と言いがたいが雑然としているとも違う。
ただ、ここで南風は普段過ごしているんだなぁと毎回思ってしまう。
悪戯心で何か南風が焦るようなものが無いか探ってみたくもなるが、今日それをするのは墓穴を掘りそうなのでやめた。
部屋の中央に折りたたみテーブルがある。南風の部屋に来客があるときだけ使われるらしい。そんなどうでもいいことを思い出しながら、扶揺はそのテーブルの前に座りボディバッグを傍らに置いた。
ひどく落ち着かない。
初めて来たときでもこれほどではなかったと思う。
何度も頭の中で『初めて』の言葉が浮かんできて、もう、本当に居たたまれない。
早く南風が来ないかと思い、いや、南風が戻ってきたら戻ってきたで落ち着いている場合ではないと思い至った。
もう、何が何だか分からなくなってきた所に部屋の扉が開いた。
「待たせた」
そう言って南風が麦茶の入ったとピッチャーと氷入りのグラスがふたつ乗ったトレイを持って部屋に入ってきた。
いつもなら南風の母親が持ってきてくれていたが、今日は南風しかいないから。
どうにも落ち着かないのを悟られないように気を付けながら、テーブルの上に置いたグラスに南風がお茶を注いでくれるのを見つめる。
今、自分は南風にはどんな風に見えるのだろう。
ちらりと視線を向けると、いつもと変わらない様に見える南風の顔がある。
「どうかしたか?」
お茶を入れ終えて顔を上げた南風と目が合った。
「何でも無い。お茶、もらうぞ」
「ああ」
ちびちびとお茶を飲んでいる扶揺を南風は頬杖をついて黙って見ている。
「……何をみているんだ?」
「可愛い飲み方してるなと思って」
「はぁ?」
可愛い飲み方ってなんだ、そんな事今まで言った事ないだろうと言いかけてやめた。またなんか居たたまれない言葉が返ってくるような気がしたからだ。
「……とりあえず、勉強するか」
「なんで」
南風は目を見開いて勢い顔を上げた。
「お前、私と同じ大学に行くつもりなんだろう、お前の学力じゃ今から頑張らないと追いつかないぞ」
南風が通っている男子校は偏差値は低くはないが、扶揺が行こうとしている大学を目指すには厳しい。
四月から高二だ。追いつくだけじゃ足りない、さらに受験に必要な学力を得るには二年間でも厳しいぐらいだ。
「お前が思ってるほど俺の成績は悪くない」
「じゃぁ証明してみせろ」
扶揺は鞄から問題集を取り出して南風に突きつけた。
それを受け取ってパラパラとページをめくる。
「付箋が貼ってあるページ」
南風はおもむろに立ち上がり、壁際に配置された勉強机からシャーペンを取ってくると座って問題集に視線を向ける。
「ほら」
たいした時間も掛からず答えを書いたページを開いたまま扶揺に差し出した。
「……あってる」
「お前、俺のことバカだと思ってるだろ」
「だってバカじゃないか」
「お前な……」
後で知ったことだが南風の成績は一応上位だったらしい。それを知らなかった扶揺は難しめの問題をあっさり解いてしまった南風に感心した。
「じゃ、次はこれ」
受け取った問題集を机の上に伏せて、今度は机の上からプリントを持ってくると
「お前はこれを解け」
と差し出した。受け取って中身を確認すると扶揺は眉間に皺を寄せた。
「……お前、これ宿題だろう」
「ああ」
「宿題は自分でやれ!」
突き返すと南風は「だめか」と言いながら笑い出した。
それからお互いの問題集から問題を選んで解くという遊びなんだか勉強なんだかよく分からないことをした。
南風の問題集もそこそこレベルが高かったので、扶揺でもちょっと苦労したものもあったし、南風が解いた問題も含めると南風の学力を大体把握出来た。
「納得したか」
「及第点だ」
扶揺の言葉に南風が得意げな顔をするので
「及第点なのは今の段階で必要な学力の話だ、私と同じ大学へ行くつもりなら全然足りてないからな」
と睨み付けた。
「わかった」
本当に分かっているのか怪しい調子で頷いて、ふとテーブルの上に置いてあったピッチャーを見る。とっくに空だった。
南風が窓の外に視線を移すと窓から見える空がオレンジ色をしている。
時計を確認したら十八時を過ぎていた。
「扶揺」
「なんだ」
「腹減ってないか?」
言われてみるとお腹がすいた気がした。
「空いてる気はする」
「そうか」
「今から作るのか?」
「いや、カレーなんだが、もう作ってある」
「お前が作ったのか?」
「いや、母さんが朝出かける前に作っておいてくれた」
扶揺は南風の母を思い出した。
ニコニコと笑う、優しそうな人。南風曰く扶揺の事を気に入ってるらしい。
何度か手料理をご馳走になっているが、かなり美味しい。
「じゃあ食べる」
「俺が作ってたら食べない気か」
「そんな事あるか、食材とか勿体ないだろう。食べ物を粗末になんて絶対しない。……だからお前は料理をするな」
「なんで、俺の作ったもの食ったことないのに不味いのが前提なんだ」
「お前が料理が上手いなんて想像出来ない」
「お前な……」
南風は思わず眉間を揉んだ。
「じゃ、上手いのか?」
「どうかな、一人で作ったことがないからな」
「ほらみろ」
「でも、家庭科の授業で作った料理は上手かったぞ」
「いつのはなしだ」
「中学の頃だな」
「何を作ったんだ?」
「ベーコンエッグ?」
「そんなの料理のうちにはいるか!」
「そう言うお前は料理出来るのか」
「私は大抵の物は作れる」
「それはすごいな。唐揚げとかハンバーグとかオムライスは作れるのか?」
「なんだそのお子様ランチみたいなチョイスは」
「作れないのか?」
「作れる」
「じゃ、今度作ってくれ。俺もつくるから」
「ベーコンエッグとじゃ割に合わない」
渋い顔の扶揺をみて南風が笑い声をあげた。
「とりあえず今日はカレーを食おう」
「ああ」
「目玉焼き乗せるか?」
「……ああ」
南風はもう一度笑ってからグラス二つとピッチャーをトレイに乗せて立ち上がった。
扶揺も一緒に立ち上がる、少し早足で歩いて部屋の扉を開けた。
「ありがとう」
南風が出てから扶揺はその後追った。