地球に戻ったらしばらくの間は僕が借りていた部屋で同棲して、結婚の準備をしながら二人で暮らす家を探そう。そんな話だったのに、ちょっとしたトラブルによって思いのほか長引いた仮住まいの生活は冬を迎えていた。
「何してるの、隆俊」
「ちょっと買い物をしようと思ってな」
空調を効かせたリビングに背筋を伸ばして立っていた後ろ姿が振り返る。僕に合わせて設定されている室温のせいで彼は冬でも薄着だ。一緒に暮らしているのが当たり前の日々。
地球に戻ってから色々あったけれど、ようやく世の中も落ち着いてきて、僕も非常識な量の仕事から解放されつつあって、隆俊は元の勤務体制に戻った。だから、休日も合わせられる。
そんな彼の近くに表示されたウィンドウには何かの計測結果らしい「長さ」が表示されていた。
「何か家具でも買うの?」
引っ越したら改めて揃えるつもりで必要最低限を、殺風景だった部屋にとりあえず間に合わせで用意して暮らしてきた。見た目は兎も角、足りていなものは無いはずだ。
「1シーズンだけになるかもしれないが、まぁいいだろう。そう高いものじゃない。新居に必要かどうか試したくてな」
「隆俊がいいならいいけど……。二人で使うものは二人で買うってルールだろ」
また僕に黙って何か買おうとしている。生活費は折半の約束はどこに行ったんだ。
隆俊と暮らす前の僕は生活雑貨に対する理解が欠けていた。だから最初に僕が整えたのは本当に最低限で、同棲が長引くにつれ、隆俊に勧められて見繕ったり、そのうち彼が勝手に買っていたりした。キッチンなんかそれが顕著だ。
「仕事を頑張ったお前への褒美だ」
「それで今まで山ほど何かしてくれた気がするけど?」
これとか、あれとか、それとか。指折り数えるとキリがない。食事にも連れて行ってもらった。
「ツカサの努力を思えばやりすぎということは無いと思うが……。そうだな、なら俺が欲しい趣味の品だ」
「ああもう分かったよ。君はそうなったら聞かない。恋人からのプレゼントを受け取ってあげよう」
そんな風に褒められて嬉しくないって行ったら嘘になるし。
次の日、さっそく届いた家具を隆俊は嬉々として組み立て始めた。空調の温度を少し下げた分、僕は少し寒いなんて思いながら、手伝いは必要ないと言った隆俊を見守っているうちに手際よくあっという間に四本脚が組み上がった。
今あるテーブルを端に寄せたら置けるほど小さな、二人がどうにか並べるくらいの座卓。いや、隆俊は身体が大きいから並ぶと狭いかもしれない。
何よりの特徴は、天板を外して挟み垂らした布の内側を温める機能。それが完成形だ。
「ツカサ」
隆俊が視線で入ってみるように促す。
「こたつぐらい僕も知ってるよ」
「入ったことは?」
「あるような、ないような……」
「思いつかない程度にはなじみがないってことだな」
床に座って温かいなら床暖房とそれほど違わないだろう。
厚い布を捲って足を入れる。既に電源は入れられているようだが、すぐには温度が上がらないため中の空間は室温とさして変わらず、腰元に溜まる布団の重みと対照的にどこか頼りない感じがする。
「隆俊は入らないの?」
「茶を淹れてからな。確かみかんもあったな……」
どうやら隆俊は古式ゆかしいスタイルを再現するらしい。しばらく待っていると皿に盛られた煎餅まで出てきた。
「えらく凝るね」
「俺の実家では冬といえばこれでな」
隆俊は隣ではなく向かい側に座った。完全に対面だと足を入れられないから、やや斜め向かいだ。
「む。やはり狭いな」
「足ぶつかっちゃうね。伸ばしたら外に出るし」
あれこれと膝を曲げたりして落ち着きどころを探している隆俊はちょっと面白い。ソファに手を伸ばしてクッションを渡してあげる。
それで気が付いた。こたつの中がなんだかじんわりと温かくなっている。隆俊が入ってきたからだけとは言えない人工的な温度だ。内側に限られた空間があることで単に布団を掛けているのとは異なる、開放的とも閉鎖的とも言い難い不思議な心地がする。
淹れてくれた煎茶を口に運ぶと、まだ熱い液体が喉を通って温度を伝える。それがじきに、足の方から馴染んでくる。そうだ、こたつの中で得られる熱は身体の内側から温まる感覚に近い。
何よりもここで隆俊とこうしているととても落ち着く。
「隆俊、これは新居に持っていこう」
みかんを剥きかけた手を止めて隆俊は笑い声を零した。
「決断が早いな。だが、このサイズでは足を伸ばせないだろう。在庫処分のセール品だったんだ。敷物も欠品で……それに懸念もある」
「懸念?」
狭い机の下で隆俊の足を爪先で触って答えを催促した。
「まぁ、そのうちな」
はぐらかしたまま、差し出されたみかんのひと房を口に含む。冷やしてもいないのにひんやりと感じる果汁が甘く口に溢れる。
隆俊は何を内緒にしてるんだろう。
確かに小さいのは否定しない。並んで座ることも難しい。夏場に普通の座卓として使うことを考えると丁度いいサイズを見繕うのが理に適っている。でも、多分そういうこととは違う。
畳敷きの部屋が欲しくなってしまう、とかそんな所だろうか。それならわざわざこのタイミングで購入したことも頷ける。何らかの検討が必要と考えたのだろう。
袋の中で割った煎餅を齧って、何か手慰みをしようと情報端末を開いた。
……出られない。
気が付くと時刻は夜になっていた。今日は半日ここにいた気がする。
隆俊は適宜こたつから出て家事を済ませていたけれど、分担がなかった僕は殆ど何もすることなく、夕食もこの座卓で摂って、隆俊の見たい番組をぼんやりと一緒に眺めて茶々を入れていたらこの時間だ。遅くならないうちに風呂に入れと言われたのがどれくらい前かちょっと思い出せない。
ここから出ると寒いことは分かっている。
普段は不便の無い温度に設定している空調は、日中の作業の時に低めに設定したままだ。隆俊はこれで丁度いいらしいが、僕には肌寒い。こたつから出れば温度差を顕著に感じることだろう。
「隆俊、謀ったな」
普通なら水分補給でいくらか立ち上がっているはずだ。それが座卓の上に隆俊が持ってきた急須と給湯ポットまで鎮座していつでもお茶を飲めた。食事の時くらいは動こうと思っていたのに、隆俊がここで食べることを提案した。いつもは僕に少しは運動しろ、散歩にでも行こう、日課のトレーニングに付き合ってみるかとか言う隆俊が何も言ってこなかった。
「さて、なんのことか。それよりいい加減風呂に入ってこい。入りそびれるぞ」
「それは嫌だ……」
熱い湯を浴びれば寒さなんてすぐに忘れるに決まっている。けれど、そこまでの道のり、そして一度服を脱いだために訪れる寒さが億劫だ。
「そうだ明日……明日入る。今日はここで寝る」
「だめだ。こたつで寝ると風邪をひく」
「けち」
隆俊はこのことを予想していたのだろう。きっと「懸念」がこれだ。
彼は溜息を吐くと、これ見よがしにこたつのスイッチにてをかけた。
「そんな!」
電源オフ。こたつ布団の内側を温めていた熱源は急速に温度を失う。いや、まだだ。一度温まった空気はそう簡単に冷えない。だが時間の問題だ。隆俊の側にある物理スイッチに手を伸ばすにはどの道こたつから出なければならない。
「布団温めておいてやるから」
「……ヒーターじゃなくて隆俊が温めるなら」
「明日は午前から会議と言ってなかったか? まぁ俺は構わないが……」
急須と湯呑を片付けにキッチンへ向かった隆俊の背中を見送って、彼の座っていたあたりへ足を伸ばす。十分スイッチに届く距離だ。だが、爪先が外へ出たところで諦めた。
もう一度電源を入れるのは簡単だけど、観念して風呂に入った方が賢明だろう。
暖房の設定温度を普段通りに戻して重い腰を上げる。
一度出てしまえば大したことはない。冷えていく体温を誤魔化してバスルームに向かう。
隆俊が待っているから、しっかり温まっておかなくちゃ。
2024.03.31