じっと隆俊の顔を見る。
彼は僕の奇行に慣れっこだから、少しそのままにしててと言えばお利口に大人しくしていてくれる。
ソファの隣、僕らの定位置に座った身体を乗り出して右から、左から、いつもより下から見上げて、視線だけが僕を追いかけてくるのを満足するまで楽しんで、内心で「よし」と声を掛けて笑った。
「やっぱり隆俊は犬っぽいな。それとも狼かな?」
途端、彼の表情に素直な困惑が浮かぶ。まるで遊びを中断された犬っころみたいだ。
「ごめんごめん、馬鹿にしたわけじゃないんだ。この間、動物の映像を見ただろ。君との話題になるかと思って暇潰しに色々見てたらこれがレコメンドに上がってね」
端末を操作して履歴から動画を再生する。黒っぽい大型犬が飼い主らしい人間に懐いて熱心に尻尾を振りつつ鼻口や顔を擦りつけているホームビデオだ。最後には腹を見せて撫でるようにねだり始める。
「俺に似てる……か?」
「うん。気付いてないかな。隆俊はいつもこうしてくる」
隆俊の胸元へ顔だけを近付けて鼻先で触れ、鎖骨、首元、頬を上がって最後に軽く口付けする。
「そして、僕の上に乗ってくる」
隆俊は詰めていた息に苦笑を混ぜて吐いた。
「……それはツカサだろう?」
「えっ」
使っていなかった腕を取られて、手の外側から内側へ、手首から繋がる血管を辿るように隆俊がさっきの僕の真似をする。下げられた頭と軽く伏せられた瞼。触れるか触れないかの距離で鼻や口から漏れる呼吸が皮膚の薄いところへ掛かってぞわぞわと気持ちのいい鳥肌が立つ。犬ほどの嗅覚はなくとも匂いを嗅がれていることが分かる。
「待って、それは僕のと違う」
そうか? とわざとらしく首を傾げて無邪気にもう一度試してこようとする隆俊から逃げるべく身をよじった。腕を振りほどいたわけじゃないから離れようが無いけど隆俊はちゃんと止まってくれた。
「でも分かった。僕は、その、君のやり方しか知らないから無意識に真似てたんだ」
「そうか。なら教えてやらんとな」
年上ぶって隆俊は笑う。
それは僕の機嫌を損ねる態度だといつか言ってやりたいのに機会を逃し続けている。
嫌がられたわけではないと認識した隆俊は遠慮なくさっきの続きを始めてしまった。親愛と下心を隠さない態度でまた僕へさざ波を立てる。犬のように偽りも隠し立てもなく、狼みたいに強かな好意を感じて居た堪れなくなる。
「犬は好きか?」
「うん。動物が好き、かな」
隆俊のじれったい行動から意図的に気を反らすために過去の記憶を振り返る。
「情操教育の一環ってやつで色々したんだ。犬とは散歩に行ったり運動場で遊んだりしたな……。猫もいて、撫でたことがある」
動物の代わりに隆俊を撫でる。わざとらしく大人しくしていて可愛げがない。従順でも気まぐれでもない人間。
「それから馬。少しの間、乗馬を習ってた。馬は賢い生き物だけど、想像より大きくて最初は怖かったな」
今はもう、怖くない。
「他は何があったかな……そうだ、小動物。ウサギ、ハムスターとか、モルモット? 一度だけだけど、手や膝に乗せたりした」
周囲の大人が言うような「可愛い」という気持ちは分からなかった。どこか気の毒にすら思えた。
だって僕らと同じじゃないか。生活の面倒を見てもらえて、観察される。それでいて彼らは彼らの道理で動き、意思疎通が出来ているのかも分からない。認識している世界が違いすぎる。
何か飼ってみてもいいと言われたけれど、僕にはとても恐ろしいことのように思えたし、現実的に世話の手間だとかを考えると困る、としか思えなかった。
今は、でも、可愛いと思う。
同じ言語を使っていてもなお理解し合えない人間同士が理解して歩み寄った結果の、動物的な交わり。それを許して求めることを愛情と知ったから。
「地球に帰って君と、動物を飼うのもいいな。猫がいい。手がかからないから。犬も君に似ていたら可愛いかな。ちゃんと世話が出来るか心配だけど」
僕は隆俊を真似て、隆俊は僕を真似るからきっと大丈夫だろう。
ちょうどそのタイミングで表示させたままだった画面が次の動画へ切り替わった。中途半端に僕の好みを把握しているアカウントが選んだのは大人向けの教養番組だ。生き物の生態について、今回のテーマは狼。洗練された華やかなテーマ音楽が流れる。
僕の注意が逸れたことに気が付いて隆俊も手を止めた。
「見るか?」
「いや……」
ナレーターが狼の社会性を語る。開いたままの記憶の引き出しから、昔に読んだ彼らの物語が思い出される。
「ロボとブランカの話、知ってる?」
「名前は聞いたことがあるが……」
「ならいいんだ」
狼王ロボ。彼は人間の罠をことごとくかいくぐり、知勇に優れた群れのリーダーとして家畜を襲い続けていたが、恋人のブランカが殺されたことで、ついに捕らえられてしまう。
動物にも賢い個体がいることを知って記憶に残っていた。狼のつがいが深い愛情で結ばれているのを知ったのはこの時だ。
「お前がそんな風に言うのは珍しいな。今度調べておこう」
「いいよ、忘れてて。隆俊は涙もろいからきっと泣いちゃう」
「ツカサの前で泣いた覚えは無いが」
「見ないであげてるのさ」
画面を消して、ついでに電気も消して、隆俊との時間を取り戻す。
詰まらない話なんか忘れて二人でソファに倒れ込む。
「やっぱり君は狼だな」
2024.07.06