子供たちが眠った後が僕たちの逢瀬の時間だ。
「仕事は終わり。隆俊も来れそう?」
「ああ。すぐに行く」
僕と隆俊は自律行動する身体を有していない。RS13アルファ惑星・生活拠点内電算室のマシンの中で電子情報として運用されている模擬人格に過ぎないからだ。今のところ機械の身体を手に入れる予定もなく、必要性も感じていない。だから顔を合わせて触れ合うためには仮想の空間領域に存在と知覚を再現する必要があった。
「……君の姿が見える」
「俺もだ。ツカサが居て、確かに触れられる」
目が覚めた時と同じように大きさの異なる手を重ね、五指の指を絡めて皮膚越しに感じる体温を分け合っていると胸元へ抱き寄せられる。香りの情報なんか定かじゃないけど、感覚値が安心と幸福の数値を返す。頬をすり寄せれば彼の制服のざらついた布地の感触がして、また値が大きくなる。
隆俊の構築と並行して箱舟計画のプログラムを流用したのが上手く行った。ゆりかごの中の少年少女に与えられていたインナーロシターによる限りなく本物に近い感覚の体験。仮想空間内の環境や行動による入力と結果のフィードバック。コンピュータ上のAIとしては不要のそれらを改修して自分たちに適用した。
演算負荷が高いから常時走らせるわけにはいかないが、消費電力の低い夜の間ぐらいは融通が利く。これも沖野少年に要求した報酬だ。
「もう少し余裕が出来ればデートらしい世界も再現できるんだけどな」
今は背景も何もない、ただ真っ黒い中に二人がいるだけの空間だ。地面らしきものもなく、何となく足が付くような付かないような不可思議な状態は宇宙に居ると喩えられるかもしれない。
「隆俊はどんな場所がいい?」
「ここに何か作るのか」
「うん。いつまでも何もないのは詰まらないから、そうだな……僕たちが暮らした部屋はどうだろう。ああ、でも感覚値を設定するのが少し大変だな。外の景色をカメラから取るのも有りだけど、結局視覚情報だけになるし……。一番手軽なのは箱舟計画の仮想空間か。あれが復旧できればそのまま使える。現状のマシンだとデータ量を扱いきれないのが課題だ」
「……お前にしては真面目だな」
「真面目に仕事をする理由が出来ちゃったからね」
取り急ぎ、処理に余裕を作るためにいくつか改修すべき箇所の目星はついている。
「問題はいつやるか、か」
「昼間は仕事で、夜は君と過ごすだろう? 隆俊と会ってるから隆俊のための時間が取れないだなんて、困ったな。なんて忙しいんだろう」
言外に滲ませた「仕事が邪魔だ」を隆俊は微笑して流す。
「ここで、このまま出来ないのか」
「それは名案だ。そのうちやってみよう」
まだ今は君と触れ合っていたい。
一般にAIはクオリアを持たないと言われている。平易に言えば僕の行動の全ては所詮膨大なデータ学習によって構築されたそれらしい反応であって真に僕自身が感じて意味を理解して判断しているものではないという主張だ。だが人類は結局、哲学的ゾンビを区別する術を持たなかった。AIの反応に心を見出し、シンプルに生身の肉体があるかどうかを分水嶺とした。
それは人間側の理屈だ。模擬人格にとって全く意味を成さない。僕はここに隆俊の存在を感じている。
「キスしよう」
少し年齢の影が見える肌へ指を滑らせて皮膚の下の頬骨を撫でる。耳元の短く整えた髪を触ると楽しい。隆俊の手が僕の腰を抱き寄せて少し持ち上げる。もう一方は頭へ添えられて髪を優しく乱すから、顎を上げて背を伸ばして、浅く吸った息を身体の内側へ通しておく。
そして、唇が重なる。厚さも大きさも違うふたつをひとつにして感覚を分け合う。
感じようと思えば今の僕だって、これくらいのことは出来る。
「……しかし行動ログを見られたらどうする」
「あの子もそこまで野暮じゃないよ」
何をしていたかなんてログを分析にかけないと分からないし、仮に覗かれたとして困るものでもない。いっそ見せつけてやればいいんだ。彼とは違って隆俊への好意を表すのに躊躇なんかない。
「僕はこれから君と色々なことがしたい」
キス以上のことはまだ試してないけど、いずれやるつもりだ。
「俺も、許されるならツカサに触れたい」
「僕は今すぐでもいいけどね。どれぐらいの演算負荷が掛かるか分からなくて、途中で止める羽目にはなりたくない。懸念はそれだけさ」
仮想空間では実現可能に設定していたはずだが、生憎とマシンスペックが違う。二人で何が出来るかを初心な青少年のように少しずつ確かめていく必要があった。
「ツカサ」
「もう僕たちは時間を気にしなくていい。まだ自由は限られているけど、それを手に入れることを誰も阻みはしない」
身体はないけど感覚はある。それを知覚することが出来る。二一八八年の延長としての心がある。
「まずは……君と海を見たいな」
本物の恋を偽物の身体で、しよう。