バレンタインイコプリ「ヤコブの梯子」捏造設定:
5月中旬に遠征&大規模侵攻(18巻201話"50日遅らせる"と203話P217遠征選抜試験3/17〜より)があるので、その一月後に帰還をイメージ。生駒隊と王子隊は遠征or防衛どちらか判らないけど、王子隊は恐らく後者。
あと、生駒隊と王子隊(旧弓場隊)の多くのメンバーは「約3年前入隊→2年前B級中位→1年前上位キープ」だと思っているので、その前提で話が進んでいます。根拠の説明はまたの機会に。すみません。
だから6月〜7月の話。バレンタイン関係なくて済みませんです…。
イコさんは「オージ」「辻ちゃん」呼び故、身近な人の呼称が移っていると思うので「蔵っち」呼びです。
ええ、王子より先に蔵内が登場します。
ホント、主役の登場が遅くなるの癖なんだな…自分……。
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「おっ、蔵っちおった。ちょっと今ええ?」
シューターの合同練習の終わりに、ふらりと生駒が訓練室に立ち寄った。蔵内の隣にいた水上は、「珍し」と小さく呟く。それを鼓膜で受け止めた蔵内は軽く笑んで頷いた。
「生駒さん。はい、大丈夫ですよ。何か?」
「訊きたいことがあんねん」
「俺で分かることであれば、どうぞ」
「ありがとな。ほな、こっち付き合うて」
「はい」
二人連れだって自販機コーナーへと歩を進める。視線で生駒に同行を問うた水上は、首肯を確認すると三歩ほど離れてついて行った。
「蔵っち、何飲む?」
「あ、いえ、結構です。自分の分は自分で…」
「相談料やで、遠慮せず」
「ありがとうございます。それでは冷たい緑茶をお願いします」
「水上は?」
「あれ、俺もええんです?」
「当たり前やんか。で?」
「そんなら俺も同じもんでお願いします」
「生駒了解」
結局生駒も緑茶にしたので、出てきた順に手渡した。
「ありがとうございます」
「いただきます」
それぞれ生駒に告げてから、長椅子に並んで腰かける。生駒は自分の紙コップを手にしてから蔵内の正面に座った。
「王子の好物…ですか?」
「そや」
「何です?いきなり好物て」
予想外の質問に、蔵内と水上は揃って瞬く。復活したのは水上の方が早かった。再度確認する。
「いやな、閉鎖環境試験でオージが俺の料理褒めてくれたんよ。だから、また作ったる約束しとってな。せっかくの機会だからオージの好きなもん作ったろ、て思たん」
「はぁ…」
「そういうことなら…。大体のものは喜んで食べますが、クロワッサンとオムレツと紅茶が特に好きですね。最近お気に入りの茶葉を見つけたようで、それを水筒で持参するくらいです。今度隊室に持参するとも言っていました」
「ふんふん、何ていうやつ?」
蔵内は以前王子から聞いた茶葉と購入ルートを告げる。生駒が律儀にメモを取る。横目で見やった水上は(念の為、俺も覚えておくか)と心中で頷く。生駒がやらかした時のことをフォローするのは、水上にとって当然以前のことだった。
「それにしても、突然ですねイコさん」
「これだけの付き合いでも、好みや趣味の話とかあまりしていませんでしたよね」
メモを隊服のポケットにしまった生駒が緑茶を飲み始めると、水上と蔵内が話を振る。
「美味しいもん食べると、元気出るやんか。……試験中も楽しそうに食べてくれとったんよ」
「!」
二人の射手が同時に瞠目した。
……つまり、そういうこと、か。
王子を元気づける必要がある、と生駒は考えている。
即ち、同じ隊・同じ学校・同い年である自分達より先にその要因を生駒は把握したということである。「感情が表情に伴わない」と言われることもある彼らの変化を知ってか知らずか、生駒がふ、と口元を綻ばせた。一対の翠玉から優秀な副官達に力強くも優しい光が放たれる。
「隊長ってな、カワイイ隊員やシタシイ友人には心配かけたくないもんやで」
「……っ!!」
二人は僅かに息を呑む。紙コップを空にした生駒が、小さく「ご馳走さん」と合掌して1メートル先のごみ箱に捨てた。二人もそれに続く。
「じゃあ蔵っち、ありがとさん。水上、俺はランク戦してくるで、マリオちゃんに伝えて貰えるか」
「あ、はい、水上了解」
「お茶、ご馳走様でした」
蔵内の一礼に、軽く挙手した生駒はその場を後にした。
「格好いいな、生駒さん」
ほぅ、と息を吐いた蔵内が遠ざかる背中を屹立したまま見送る。
「ええやろ。やらんで?」
左の口の端と眉尻を5ミリ上げた水上は、3センチ上方に視線を投げた。軽やかにそれを受け止める。
「ははっ、俺には王子がいるからな」
「惚気んやな」
「そっちこそ」
今度は水上が息を吐く。
「まぁ、…あいつも大概やな」
「そうだな。……俺たちの隊長は、気丈夫だな……」
「……ほんまにな。俺らも、気張らなあかんな」
「ああ」
二人は互いの眼差しに秘められた鮮烈な輝きを確認すると、並んで歩きだした。
梅雨入りして数日が経った。午前中にしめやかに降った雨は止んだものの、大気は湿度を保ったままだった。重々しい雲が天空を塞いでいる。無風だが、肌寒く感じる昼下がりの午後だった。
書類を纏めた王子が作戦室で帰り支度をしていると、生駒が訪れた。
「お、まだ居った。オージ、ちょっとお茶せぇへん?」
「あれ、イコさん。どうしたの?ナンパ?」
柔和な笑顔を浮かべた王子が問う。その傍らでロッカーから上着を取り出した蔵内が生駒と目礼を交わす。橘高と樫尾は既にこの場を辞していた。
残念ながら、生駒隊の作戦室ではなかったので「ここはひっかけ橋(戎橋)やないで」と突っ込む人間はいなかった。
「そうそう、ナンパやねん。そこの美人さんたち、美味しいおやつ…スイーツは如何ですか?」
傍から見れば無表情に近いが、約3年の付き合いがある王子と蔵内は生駒の背後にファンシーなオーラを察知した。パステルピンクのそれを背負った生駒は大人しく返事を待っている。
二人は楽しそうに目線を絡ませると、王子の桜色の唇が開かれた。
「ふふっ、それは楽しみだなぁ。ぼくはご相伴に与ろうかな。クラウチは?」
「悪いが、俺は今回は辞退させていただくよ。家の用事があるんだ。すみません、生駒さん」
翌日、親戚宅に持参する手土産を購入する予定だと伝えて、蔵内は隊長たちを見送った。時間的余裕はあったが、生駒の手荷物が通常よりも多いことに気付き、先日の相談に思い至ったからである。
王子を、宜しくお願いします。
そう、柘榴石の眼差しは翠玉に全てを託した。
「あれ?こっちじゃないの?」
書類を提出した後、ラウンジの入り口を通過する生駒の黒と深緑のバッファローチェック柄の半袖シャツの裾を軽く引く。ぴた、と止まったがすぐに歩き出す。
「ええねん。こっちこっち」
大きめのトートバックを抱えなおした生駒がそのまま進んでいくので、王子はとりあえずついて行く。
階段を上りきって屋上に続く重い扉を開けた。生成色のVネックシャツの隙間に忍び寄る、ほのかな冷気が白皙の肌を刺す。きょろきょろと左右を見渡して濡れていないエリアを見つけると、生駒は黙々と準備を整えた。
「ほら、こっち座り」
二畳ほどのピクニックシートの上に促される。
いきなりのお茶会の理由を尋ねると、生駒はお手拭きを渡しながら答えた。
「前に"やっぱりイコさんは面白いね"って言うてたやん。だから新作食べて貰おうと思うたんや。ここなら、ゆっくりできるしな」
ああ、あの時か。
イコさんの料理が意外にもイタリアンだったから。
「それなら2番隊の皆でも、いいんじゃないの?」
「せやな。皆でピクニックしてもええなぁ」
「でも先ずは王子に食べてみて貰たかってん。約束したやろ?…あかんかった?」
「……ううん、そんなことないよ」
「そら良かった。さ、お上がりください」
「いただきます」
「……!」
片膝を立てて座る王子が蓋を開ける。漆塗りの二段御重にはクロワッサンとチョコクロワッサンが美しく収まっていた。
ぷはっ。
思わず吹き出してしまう。
「なんで…っ、ここに、クロワッサンが?」
容器と中身のギャップが著しい。入れるにしても和菓子の方が妥当だろうに。
あはははっ。ははっ。
腹を抱えて笑う王子に、生真面目に生駒が応じる。
「だって、崩れへんやん?」
笑われる理由には何一つ思い至らない、という顔で返された言葉に更に笑いを誘われる。一頻り笑った王子は生駒にやんわりと視線を投げた。
「やっぱり…、やっぱり、イコさんは面白いね」
ふぅ、と息を吐くと御重の蓋にクロワッサンを載せて「いただきます」を手を合わせた。
13センチ程の手のひらサイズ。
小麦とバターの香り。ランダムな幅での艷やかな部分とマットな部分で形成される狐色の生地。端の方から一口食べた。
ざくっ。さく、さく。両端が中心部より固いせいか、音が違う。
バターの風味が沁み出る。表面の薄皮が欠片となって落ちる。幾層にも重なった生地は刹那、小麦の甘さを感じるが、咀嚼すると塩味が勝った。あっという間に食べ終わる。
「オージ、付いとる」
ふ、と唇を緩めて親指を伸ばす。欠片を拭き取るとぺろっと舐めた。
「ん、ようできとるな」
軽く首肯して自分の分を食べ始める。
もぐもぐもぐ、もぐもぐもぐ、ごくん。
一口で半分を頬張ると、齧歯動物のように咀嚼した。
ハムスター…。
自分より遥かに小さい生き物と重ねられているとは露知らず、生駒は掌をはたき欠片を蓋に落とした。
「お茶もあんで、要る?」
差し出されたコップから柔らかい湯気と慣れ親しんだ香りがする。御重の蓋にクロワッサンを置いてからコップを受け取る。柔らかい湯気が紅茶の粒子と共にふんわりと鼻腔を満たす。ふぅ、ふぅと細く息を吹きかけてから、唇を寄せた。
……あたたかい……。
あれ、これって……。
視線での問いに気付いた生駒が、口の端を数ミリ上げた、ように見えた。
「好きなんやろ…?俺には違いは分からへんけど、ちゃんと淹れられとる?」
「……はい、とてもおいしい……」
「そら良かったわ」
紅茶の湯気と同様の温度を保った声が返された。
そのアールグレイは、よくある中国産の茶葉とは異なり、ニルギリ産のFBOP(フラワリーブロークンオレンジペコー)を使用しているものだ。即ち、芯芽を沢山含んだFOP(フラワリーオレンジペコー)をカットした茶葉となる。
だから、紅茶自体に癖はなく適度なコクやお茶の旨味がある。その分、シチリア島産ベルガモットの香りが引き立つ。
穏やかな香りのハーモニー。飲んだ後の余韻が長く、すっきり感がある。
紅茶のタンニンと柑橘がピリッとシャープな味と渋みを作り出す。コク・渋み・香りのバランスが良く、飲み応えも充分である。
それを、ストレートティーで飲むのが最近の習慣だった。
五感のそれぞれに意識を散らさないと、脳の片隅や胸の奥底に潜むものに引きずられてしまうから。
二段目にはチョコクロワッサンが二種類。ミルクチョコとホワイトチョコだ。
サイズは約9センチで一段目のものより小さい。
そのせいか、サクサクではなくパリン、という食感。チョコは生地に練り込むタイプで、口元に寄せたらミルクチョコの香りがする。生地全体がチョコ色なので濃いかと思いきや軽めの甘さ。くどくないので紅茶とも相性が良さそうだ。
もう一つの生地はしっかり目。ざっ、という食感。表面に砂糖水を塗ってるのか、ほんのり甘い。生地そのものは小麦の味のみで塩味も感じにくい。そこにホワイトチョコチップの優しい甘さが加わる。
しょっぱい、あまい、あたたかい。
一つ、食べ終える度に紅茶を飲む。その都度、身体の隅々まで温もりが満ちるのを王子は実感した。
三門市では販売していない茶葉を、生駒はこうして入手してくれた訳である。
そして、閉鎖環境試験で言った、たわいない約束を更に上乗せした状態で果たしてくれた。
他の誰でもない、王子のために。
しょっぱい、甘い、温かい。
二人は言葉を交わすことなく、供されたものを完食する。どこからか、小鳥の囀る声が届いた。重たい雲の帳がゆっくりと払われていく。
王子の双眸に光が宿り始める。それは、先程までとは異なり、芯を伴ったものだった。
「美味しかったです。ご馳走様、イコさん」
「……ん。良かった、オージが全部食べてくれて。ありがとさん」
「…?」
王子が小首を傾げる。さらり、と長い前髪が揺れた。
「お礼を言うのはぼくの方では…?」
生駒がかぶりを振る。
「あんな、俺が作ったもんをオージが食べてくれて、嬉しかったんや。オージが喜んでくれたのが、嬉しかった。せやから、お礼を言っただけや。なんも間違ってないで」
街並みを眺めていた翠玉が土耳古石を捉える。
「……俺が、俺のままでもええ、って思えたんや」
「……っ!!」
ぽつり、と零された言葉に息を呑む。
イコさんも、そう、だったんだ……。
一か月前、起こったこと。自分がしたこと。その結果。
それらに伴う後悔を、独り、覗いて煮詰めて蓋をして、消化できずにいた。
自らのよすがを見失っていたことを、悟られずにいることだけに只管注力していた日々。
自分だけ、脆弱な自分だけが、そうだと思い込んでいた。
そっと視線を逸らし、睫毛を伏せる。両手で包まれたままのコップを唇に寄せた。
でも、そうじゃなかったんだ……。
緩やかに立ち昇る湯気で隠した瞳の水分には、きっと気付かれていただろう。表面張力が重力に負け静かに溢れる雫は、拭われることなく鈍色のスリムパンツに染みを作った。
「……次、何か食べたいもんある?」
生駒が遠くに見える鳥たちを眺めつつ問いかける。
「………オムレツ。ふわふわのやつ」
「トマト?クリーム?デミグラス?それとも和風?どれがええ?」
「…クリームが…いい…」
「生駒了解。楽しみにしとき」
胡坐をかいたまま王子に向き合い、右手で敬礼をする。逞しい上腕を包んだシャツが軽く靡いた。
「……王子、了解」
こくり、と頷く王子に。
この時間帯には珍しい薄明光線を背にした生駒は、それを凌駕する煌めきを放つ笑顔で頷いた。
そしてそれは、一枚の絵画として焼き付いた。
王子の心の一番、奥に。