焦がれる春にもうすぐ、俺の大好きな人の誕生日を迎える。去年は出会って間もない頃で、そんなに仲が良くなかった。だから今年が初めてだ。けれど、俺が勝己に出来ることなんて、あるのだろうか。
◇◇
庭に咲いている桜を眺めながら、轟は自分の護衛である爆豪勝己について考えていた。現代において護衛が必要とする人物は限られてくる。金持ちか、それとも悪者か。狙われている理由を本人たちも理解しているからこその護衛だ。
轟と爆豪は、主従という関係ではあるが、組織公認で交際をしている。最初はぎこちない二人だったけれど、一年かけてようやく交際が叶ったのだ。
「どうしよう…」
護衛である彼に秘密で買い物、は流石に無理がある。轟は頭を悩ませていた。何を贈れば彼は喜んでくれるだろう。それを考えると、もう辛いものしかでてこない自分の頭が轟は恨めしかった。
「んー…」
轟は部屋のベットにボブンと寝転ぶと、自身の腕で顔を覆った。
──どうしよう。
暫くそうしていると、轟の視界の隅に影ができた。その正体は、轟の悩みの原因である、護衛の爆豪であった。
「…体調でも悪いンか?」
「ううん…」
爆豪は顔を覆っている轟の横に腰掛けると、主人の前髪を避けた。
「寂しんぼ野郎か?」
爆豪は轟の横に寝転ぶと、彼の腰をきゅっと抱き寄せた。胸元に顔を埋める形になってしまった轟は、爆豪の背中に両手を回した。
「…勝己は…何が好き…?」
「お前」
爆豪は考える間もなく答えた。けれど轟が聞きたいのはそれではない。嬉しいけれど。
「他には…?例えば、これやってみたいこと、とか」
「んー…」
爆豪は暫く悩んでいたが、何か思いついたのか口を開いた。
「温泉とか…入ってみてぇな」
「温泉…楽しそう」
轟はふわっと笑いながら答えた。けれど頭の中ではこの近くにある温泉をピックアップし、計画を練っていた。彼を絶対に喜ばせる、という使命を全うする為に。
それから数日後。轟と爆豪は黒色の高級車に乗り、道路を走っていた。後部座席に並んでいる二人は、窓の外を眺めていた。
「これ、どこ行く気だ?」
爆豪は少しだけ眉を寄せて主人を見る。けれど主人は何も言わず、どこ吹く風だ。
「…焦凍、」
「なに…?」
名前を呼べば、ようやく爆豪の方を向いた。けれど轟は、どこか不安そうな顔だった。それにいち早く気づいた爆豪は、轟の後頭部に手を回して抱き寄せた。
「かつ、き…」
「ん…大丈夫、ここに居る」
轟がこんなにも不安定なのには、理由がある。
つい先ほど、賊に襲われたのだ。幸いにも誰も怪我せずに事なきを得たのだが、轟はその事に自分を責めた。今日轟が出かけたいと言わなければ、襲われることはなかったのに、と。
「…かつき…」
「ん」
爆豪は主人をポンポン、と頭を撫でてやりながら運転手を見た。どこに行くんだ、との意味を込めた視線だった。けれど運転手はそれに応えない。否、応えられない。爆豪には絶対に内緒だぞ、という轟のお願いがあったからだ。
運転手は目を逸らして運転に集中した。
それから数分ほど経つと、ようやく目的地に到着した。
「到着しました」
「ん……焦凍、降りるぞ」
「うん…」
爆豪の腕の中が心地よかったのか、轟は眠そうに目を擦っている。爆豪はドアを開けて轟より先に降り、片手を差し出した。
「ありがと…」
轟はその手をしっかりと握って車を降りた。彼らの目の前にあるのは、大きな高級旅館だ。
「ここで何を?」
「勝己…温泉入りたいって…言ってたから」
「…は…?」
少し照れたような顔で轟が言えば、爆豪は口をぽかんと開けて彼を見つめた。思考はぐるぐると回っているのに、身体は動かない。
「部屋も…一緒で取ってる…」
「……」
まじか、という顔をして運転手を見て、そしていつの間にか周りにいた護衛にも目を向けた。全員がコクリと頷いたのを確認して、爆豪はようやく今日の目的を理解したのだった。
「…あの…早く行こ…?」
爆豪の手をきゅっと握って顔を真っ赤にした轟は、正直言ってその場にいた全員の心を撃ち抜いた。
「わーったよ」
轟の可愛さにやられた爆豪は、彼の腰を引き寄せてから、目の前の旅館に足を踏み入れた。
「ようこそおいでくださいました」
旅館の従業員数名が、爆豪と轟を迎えた。轟は少し頬を赤らめたが、それよりも楽しみな気持ちが溢れて、爆豪のスーツをぎゅっと握った。
「こちらになります」
案内してくれた女性が頭を下げ、もと来た廊下を歩いていった。取り残された二人は、襖を開けて中に入る。畳のいい香りがいっぱいに広がっていた。
「すごい、畳だ」
轟は靴を脱いでから嬉しそうに中に入る。自身の家は豪邸だが、洋風が多いため畳は嬉しいようだ。ガラガラとベランダのドアを開けると、そこには露天風呂が備えられていた。
「空が見える…!」
大理石でできた露天風呂の上に広がる空は、都会とは違って空がよく見えた。もうすぐ日が暮れてしまうため、太陽の光が眩しい。
「勝己、すごい綺麗だな」
「、そうだな」
夕陽を背後にして立つ主人に、爆豪は見惚れていた。こんなにも美しくて綺麗な人は、この世に彼だけだと思っている。
──平和だな。
今この瞬間に時が止まってしまえばいい。爆豪は密かにそれを望んだ。時が止まれば、こんなにも美しい彼を誰一人として見ることはないのだから。
「勝己さん」
轟は突っ立っていた自分の護衛に思いっ切り抱きついた。突然の衝撃に驚いた爆豪だったが、鍛えられた体幹により倒れることはなかった。
「誕生日おめでとうございます」
「は…?」
言葉を言い終わるやいなや、轟は彼のネクタイを引っ掴んで唇を寄せた。それは触れるだけだったけれど、轟は顔を真っ赤に染めていた。なにせ初めて自分からしたのだから、無理もないだろう。
「…それと…いつも護ってくれて、ありがとうございます。これからも、俺と一緒に居てください」
ぎゅっと目を瞑り、震えている主人の手を、爆豪は優しく握った。彼が見やすいように片足を付き、見上げるように視線を合わせた。
「あんがとな。誕生日、忘れとったわ」
「ん…」
真っ直ぐ見つめられて、轟の顔からは火が出そうだった。
「俺は、お前以外に仕える気はない。ずっと一緒に居てやる」
しっかりと言い切り、主人を抱きしめる。
──好き…大好き…。
轟は目を閉じて、泣いてしまわないように耐える。その代わり、スーツを握ることは許してほしい。
「…風呂入るか?」
「はい」
轟の返事を聞いた爆豪は主人を軽々と抱き上げて、そのまま風呂に向かう。
脱衣所に降ろされた轟はスーツを脱ぐ爆豪にならって自分も服を脱ぎ始めた。全部を脱いで恥じらう主人の腰を抱き寄せ、爆豪は丁寧に身体を洗った。
「痛くないか?」
「大丈夫…です…」
爆豪に身体を洗われるのは初めてではない轟だったが、どうにも緊張が解けない。
身体を洗い、湯に浸かる。二人が空を見上げると、キラキラと輝く星々が見える。
轟を後ろから抱きしめながら、爆豪は彼の首元に頭を埋める。
「焦凍、今日はありがとな」
「えへへ…」
嬉しそうに笑う主人に、爆豪はそっとキスを落とす。
「温泉、初めて入りました」
「気持ちぃな」
「はい」
轟はほわほわと宙に浮かんでしまいそうな気持ちになった。今までの苦労なんて忘れてしまうほど、幸せだ。
しっかりお湯に浸かって疲れを取った二人は、髪を乾かしてから布団に横になる。
「地べたで寝るのは不思議な感じ…」
「そーだな」
ぼやーっと天井を眺めていた轟だったけれど、何を思ったのかコロコロと転がり、爆豪の横にやってきた。
「一緒に寝てもいい?」
「ん、いーよ」
爆豪は主人の方を向き、優しく抱きしめる。同じシャンプーの匂がする。けれどその中に、その人物特有の匂いが混ざっている。
「おやすみ」
「おやすみなさい…」
二人はゆっくりと目を閉じた。いい夢を見られますようにと、お互いに願いながら。